#35 境界の外へ
『…』
アレンはベッドへ入ってからも中々寝つけなかった。
気づけばもう夜もかなり更ける頃…。
まだ帰らない三人が心配だということもあったが、同じくらいに、あの手紙のことが頭から離れない。
『…?』
アレンは微かに物音を聞いた。
気のせいかと思って意識を集中させていると、やはり、同じようにかすかな音が外から聞こえてくる。
『…』
アレンは部屋の窓から外を覗いた。
人一人通らない深い夜の時間帯――そんな中、家の門の辺りに人影が見える。
『!?』
思わず心臓がドキリとしたが、よく見てみると、女性のようだ。
キョロキョロと辺りを見渡しながら、不安そうにその場に佇んでいる。
『…もしかして…』
あの女性が、今朝(正確には昨日の朝だが)あの手紙を置いていった人だろうか。
アレンは気になって、両親を起こさないよう静かに階段を下りながら、玄関先で様子を窺う。
『…』
どうしよう。
父親のシールドに守られているのだから、庭先までは出ても問題ない。
あの女性が今家の前で何をしているのか、それを確認するだけだ。
危険と判断すれば、そのまま家に戻ればいい。
『…』
でも、もし罠だったら?
何の力も持たない自分に、万が一の際自身を守る術などあるだろうか。
兄は自分を呼べと言っていたが、まだ帰らないということは、兄は兄で今大変な思いをしている最中かもしれない。
――簡単には、頼りたくない。
『…』
仮にあの女性がサイキックであるなら、自分より両親が既に反応しているはず。
起きてくる様子もないということは、あの女性はノーマルである可能性が高い。
…となれば、あの手紙を書いた本人だという可能性も…
『…』
手紙には、「助けて」と書いてあった。
もし本当に助けを必要としている人なら、このまま見捨てる訳にはいかない。
それを確認するくらいのこと、ノーマルの自分にだって出来ないことはない。
アレンは意を決して、そっと玄関のドアを開ける。
『…!』
ゆっくり庭へと出て行くと、門の外にいる女性がアレンに気づいた。
その表情は必死で、何かに追われているのかと思えるほど、焦っているように見えた。
『…あの、どうかしましたか?』
アレンは両親を起こさないよう、また、近所迷惑にならないよう小さな声で女性に話しかける。すると、女性も小さな声で返事をした。
…その声は、震えている。
『…手紙、見ていただけましたか?』
『はい…やはり、あなたが?』
『お願いです。助けて下さい』
『…』
『私…esに追われているんです』
『…esに?』
『はい…私だけでなく、幼い弟や妹も一緒に狙われています』
『…弟さんや妹さんはどこに?』
『…そこの公園に隠れています』
『…』
『両親は殺されてしまって…もう、これ以上逃げ切る自信がなくて…』
『…なぜ俺に手紙を?』
この女性の顔は真っ青で、声も震え、目は確実に何かに怯えている。
――これが演技とはとても思えない。
だが、何となく、出来過ぎているようにも思える。
『俺がノーマルだって、なぜ知っているんですか?』
アレンは注意深く女性を見ながら質問をした。
疑いたくはないが、万が一ウソであっては困る。
『私ももともとこの地区に住んでいます』
『…』
『あなたのお顔は知りませんでしたが、この家にノーマルが住んでいるという話は聞いていました』
『…』
『私もあなたと同じで、家族の中で唯一のノーマルです』
『…』
『同じ境遇のあなたなら、力になってもらえるんじゃないかと思って、私…』
小さい声で、でも、焦燥に駆られながら必死に女性が訴えかけてくる。…どう見ても演技ではない。でも、どうすれば…
『あの、今両親を起こしてきます』
『お願いです。行かないで!』
『…』
『サイキックに私の気持ちは分からない。きっと、拒絶されて終わりです』
『…そんなことは…』
『それに、弟たちはケガをしているんです』
『え?』
『逃げてくる時に負傷してしまって…一刻も早く手当てをしてあげたくて』
『…それなら、急いでここに連れてきてください』
『無理です。ケガの痛みと追われる恐怖で二人とも動けなくなってしまっていて…』
『…』
『私が…お姉ちゃんが味方になってくれる人を連れて来るから、それまで隠れていてと言ってあるんです』
『…』
女性が言いながら涙を流し始める。
『ごめんなさい…』
『いえ、大丈夫ですよ』
『お願いです。一緒に二人を連れに行ってもらえませんか?』
『…』
『公園に入ればすぐです。でも、私ももう、疲れてしまって、一人で二人を抱えてくるのはとても無理で…』
『でも…』
門の外に出る訳にはいかない。
父親が張ったシールドの外へ出てしまえば、それが例えたったの一歩だとしても、
一瞬で危険が押し寄せてしまう。
『…ごめんなさい。俺今、外に出ることができなくて…』
『お願いです!見捨てないで!』
『…』
『本当に、すぐそこなんです。早くしないと死んでしまうかもしれない…』
『…』
泣きながら、そう言いながらも、女性は常に怯えていて、時折周囲を見渡しながら不安そうな顔をし続けている。
…こんな状態の女性を、このまま見捨てて家に戻るのか?
ノーマルとは言え、自分は男だ。ケガをした幼い弟妹を抱えてesから追われていると訴える女性に手を差し伸べるくらい、できるはずだ。
『…二人は、本当に公園のすぐそこにいるんですか?』
『はい…そこの奥の、木の陰に隠れています』
『…』
『二人を運ぶのを手伝って…そして、家の中にかくまってください。お願いします』
『…』
アレンはギリギリまで悩んでいたが、女性の切羽詰まった様子や、目に見えているすぐそこの距離で、幼い子どもたちが痛みと恐怖に震えている事実を見過せなくて、
ほんの一瞬、ほんの数メートルの行き来だけなら何とかなると考えてしまった。
『…分かりました。その代わり、事情があるので急ぎますね』
『…ありがとうございます。ありがとうございます!』
ギュッと目をつむって、泣きながら何度もお礼を口にする女性。
アレンは一度深呼吸をすると、門をそっと開けて、敷地の外へと出てしまった。
『…二人はどこですか?』
『…あの、その辺りにいるはずです』
走って公園の中へと進み、女性が言っていた辺りで二人を探すが、見つからない。
早くしなければ。
アレンは不安になって後ろを振り返る。
――家はすぐ目の前にある。
…大丈夫。すぐに二人を探して戻れば問題はない。
『よくやった。約束通り、お前のことは助けてやろう』
『…え?』
不意に男の声がしてアレンが驚いて振り向くと、そこには――
『…ッ』
ルーカスが襲われた時に見た、人でも獣でもない、おぞましい「物体」を潜り抜けて、数人の男が現れた。
その瞬間――アレンはその男たちに取り押さえられて、おぞましい「物体」の中心に渦巻く異空間の中へと連れ去られてしまう。
『父さん、アレンは!?』
『すまない。気配がした瞬間に外に出たんだが、既に消えていた』
『…そんな…』
三人が降り立ったのは、家の前にある公園。
一瞬だが確実に、この場でアレンが自分を呼んだ。
その瞬間に飛んだはずなのに…
『そんな一瞬で連れ去られる訳がない』
『だが、実際にアレンは…』
『…おい、そこのお前、何してる?』
ルーカスの言葉にグレンと両親、ノアが振り返る。
見ると、ガタガタと震えた女性が一人、木の陰にうずくまっていた。
『お前ッ!アレンがどこに行ったか知ってるのかッ!?』
ルーカスが女性の胸ぐらを掴んで引き摺り上げる。
女性は恐怖に怯えた目で、理性を失っているようにも見えた。
『あ…私…私…』
『言えッ!ここで何があったッ!?』
『仕方がなかったの…だって…あの人を騙せなければ殺すと言われたんだもの』
『…何の話だ?アレンか?アレンを騙したって言うのかよッ!』
『だって!アイツらは本当にやるわ!実際に弟も妹も殺されたのよッ!』
『…』
『いえ…殺すより残酷だわ…』
『…』
『あんな…あんな姿にさせられるだなんて…』
『…』
まさか、この女性の弟妹も、実験台にされたというのだろうか。
『あんなッ…あんなの、私の弟妹じゃないッ!』
『…』
『アイツらは、弟妹の体をくぐって、esに戻って行ったのよッ!』
『…』
『もう、あの子たちは人間ではなくなってしまった…』
『…』
『家族みんな…アイツらに…』
『…』
そう言って、あとは涙を流しながら笑い続ける。
おそらく、気が触れてしまったのだろう。
ルーカスが気まずそうに胸元から手を放すと、そのまま地べたに座り込み、女性は笑い続けていた。
『どうする?すぐにでも乗り込むか?』
『当たり前だ!』
『グレン、待て!』
怒りで我を忘れ気味にテレポートをしようとしたグレンを父親が止めた。
『落ち着くんだ。相手は素人集団ではない。今の状態で乗り込んだらお前たちが危ない』
『一分一秒を争う事態なんだぞ?アレンが心配じゃないのかよッ!』
『心配に決まっている。だが、私にとってはお前も息子だ。無謀なマネはさせられない』
『…』
「とにかく落ち着くんだ」…そう告げた父親が、パニック気味の母親の肩を抱きながら、三人にも家に入るように促す。
グレンは到底納得がいかなかったが、父親の「お前も息子だ」の一言で、確かに、感情に任せて無謀な救助へ向かい、アレンともども何かあれば、両親をどれだけ深く傷つけてしまうだろうと、そう自分に言い聞かせ、必死に思いとどまった。
『…人が良いのも考えものだな。まさか、のこのこ出て来るとは』
『…』
『あの女の弟妹を探していたのだろう?見るがいい』
『え?』
アレンはesの地下実験施設へと連れ去られていた。
あのおぞましい生き物のようなものの中心を潜り抜けると、瞬時にesの建物内へと自分の体が移動した。
振り返ると、あの生き物のようなものの後ろ姿が見えている。
自分はこの生き物の体の中をくぐって、家の目の前の公園からesの建物内へとワープしたのだと、理解した。
あの時のサイキックが言っていた、「三体しか成功していない、ワープの出来る道具」…きっと、「これ」がその、三体のうちの一体なのだろう。
だが、なぜ「これ」を見ながら、あんなことを言ったのだろうか。
不思議そうな顔をしているアレンを見て、esのサイキックが笑いながら言った。
『ほら、よく見てみろ。お前が先日目にしたものとは違い、顔も手足も、二人分あるだろう?』
『…』
『子供の方が大人より柔軟性はあるが、体が小さい分、受け皿としての容量が足りない』
『…』
『だが、兄弟や親子など血のつながりがあれば、こうやって上手く融合してくれる個体がいることを発見したんだよ。面白いだろう?』
『あ…そ、そんな…』
目の前のサイキックに言われ、アレンはこのおぞましいものを見上げる。
言われてみれば、前回見たものと違い、顔、手足、胴体のようなものまですべて、
二つずつ揃っているようにも見える。
『…ぅぐッ…』
アレンは堪え切れず、そのものから目を逸らした。
同時に、悔しくて悲しくて、涙が溢れてくる。
なぜ、同じ人でありながら、こんなことができるのか。
まして子供に…
『許さない…こんなことが、許されるはずはない』
『お前がどう思おうが関係ない。…それよりも、自分の身を案じた方がいいんじゃないか?』
『…』
『ヴェイル統括研究監が首を長くしてお待ちだ。せいぜい、素晴らしい実験台になってくれ』
『…』
絶対に、兄たちが助けに来てくれる。
だが、それまで大人しくやられっ放しになっている訳にはいかない。
アレンは、無力な自分なりに、何かできることはないか、必死に考えていた。




