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Transmission  作者: 琉風
第三部「伝達」

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#30 揺らぐ境界

『…増えている』


シヴァは一人、T-15地区へ来ていた。

街中を見渡せば、あちらこちらにesの人間と思しき人影――

シヴァはシールドを張りながら移動しているため、相手から悟られるリスクはなかったが、シヴァの目には、道行くノーマルを狙うesのサイキックたちの姿が手に取るように分かった。


シヴァが救い出した八名の失踪者が戻って来たことを機に、暫くこの地区で人が消えるという騒ぎは落ち着きを見せていた。

だが、急にesの人間が増えて来たことを考えると、また攫われるノーマルが出てくるということだろう。


『…』


esは見られてはいけないものをグレンたちに見られている。

もう、体裁など構ってはいられないだろう。

グレンたちを実験体として捕まえるだけではなく、そもそも、何体いても足りないくらいに必要なノーマルに関しては、今後も手当たり次第に攫って行くはずだ。


『…あの程度の脅しではもはや通用しないか』


esの建物の一部を破壊したのはシヴァで、その目的は、ノーマルを攫うことへの警告のつもりだった。

esのセキュリティを突破して攻撃を仕掛け、証拠を一つも残さないなど、自分以外にできるサイキックは想像し難い。

だからこそ、esにとっては脅威となるはずの自分の存在をちらつかせることで、抑止力になればと考えたのだが――


『…むしろ、火をつけたとはな。…面白い』


まさか、esが自分までモルモットとして追い始めるとは。

まぁ、考えてみれば、自分がesを壊滅させた時のことなど、当事者として認知している者はおそらくいないだろう。

だとすれば、その恐怖を実感できる者はおろか、想像すらできる者はいないかもしれない。

…自分としても、少々調子に乗ったということか。…脅しが脅しにならないとは滑稽な話だ。


『…バカな奴らだ』


それならば、「知らない」ということがどれほど罪なことかを教えてやろう。

手を出したことに、死にたくなるような後悔を。

二度と、組織として存続など出来ないように、今度こそ…すべてを終わらせる。




『…』


足を止めたのは、意図してではない。

――違和感。

空気が、わずかに歪む。

いや、歪んでいるのは空間ではない。自分の認識だ。


『…ッ』


次の瞬間、視界が揺らぐ。

音が遅れて届く。風の流れが途中で途切れる。

足元の感覚が、わずかに遅れて返ってくる――認識の遅延。


『…』


頭の奥に、圧がかかる。

痛みではない。情報が溢れている。処理が追いつかない。

ただ、それだけだ。


『…うるさい』


その声に応じるように、思考の中に「別の層」が浮かび上がる。

――白い部屋。無機質な光。規則正しく並ぶ装置。

…冷たい空気。それは、自分の記憶だ。

忘れたことは、一度もない。


『…』


視界が重なる。今見ている景色の上に、過去が重なる。

それらは本来、混ざらないはずだった。


『やめろ…』


言葉が漏れる。

だが、それは拒絶ではない。

混ざるのを止められない焦燥だった。

――侵入。思考の隙間に、何かが入り込む。

記憶が重なる。意識が滲む。

境界が、曖昧になる。

自分の視界の中で、誰かの手が動く。

自分ではない誰かの感情が、内側から溢れ出す。


――怖い

――いやだ

――消えたくない


――いやだッ


『…ッ!』


頭を押さえる。

だが、押さえたところで止まらない。

記憶が、上書きされる。人格が、侵食されていく。

別の「誰か」が、内側から滲み出る。


――お前は誰だ?


その問いが、どこからともなく響く。

答えようとして――言葉が出ない。

自分が誰なのか、一瞬だけ分からなくなる。


『…』


思考の奥で、別の断片が浮かぶ。

声。断片的な会話。名前の羅列。数値。

意味のないはずの記録。

――それもまた、自分の中にあるものだ。

奪ったもの。触れたもの。読み取ったもの。

…すべてが、残っている。


『…ッ、は…』


呼吸が乱れる。

視界が、また揺らぐ。今度は空間そのものが歪んでいた。

空の位置が、わずかにずれるように見える。

地面の輪郭が、連続していない。距離が、一定ではない。

まるで、現実が「繋ぎ直されている」かのように。


『…ッ』


沈黙――ゆっくりと、手を下ろす。

呼吸を整える。押し寄せていたノイズは、

徐々に遠ざかっていく。

だが、完全に消えてはいない。

奥底で、確かに蠢いている。


『…』


…問題ない。

制御はできている。だが、負荷は消えない。


『…限界…か…』


静かにつぶやく。その判断は、冷静だった。

分析は済んでいる。原因も、結果も、理解している。

ただ――止める手段がないだけだ。ゆっくりと、視線を上げる。

重なっていた記憶が、表層から退いていく。

消えたわけではない。ただ、奥に沈んだだけだ。


『…まだ、続いている…』


ぽつりと、つぶやく。

あの場所。

あの実験。

終わっていない。

止まる理由がない。


『…』


わずかに目を細める。

感情ではない。

結論に近い視線だった。


『…時間の問題か…』


シヴァは低く、そうつぶやいた。









『…思っていた以上にヤバい状況だな』

『でもまぁ、とりあえず目星はついたから良かったんじゃない?』


あれから数日――

グレンとノアは遠隔でできる限り、警察内の黒もしくはグレーな部署をしらみつぶしに探していた。

職場へは出勤せずのままであるため、A班の部下たちからは個別にいくつも連絡をもらっていたが、真相を話せるわけもなく、適当に誤魔化すしかなかった。

ちなみに、フロストの様子を聞いてみたが、特に変わりない様子だという。

本当に底の見えない人間だとグレンは思う。

ブラックウッドのPSIによって惑わされているのだと思いたいが、期待して再度裏切られるのはキツい。

それに、今後は「自分たち以外はすべて敵」と思うくらいの慎重さで行かなければ、足をすくわれかねない。


『やっぱり、特治で完全に黒なのはブラックウッドだけ。執行監は五人全員が怪しいのかどうかも分からないし、ブラックウッドのPSIの影響の可能性もまだ捨てられない』

『まぁ、特治は保留にするか』

『そうだね。あとは…異捜はトップとその周辺のメンツが怪しいね』

『あの部長、自分のお気に入りを側近のように扱ってるからなぁ』

『ま、半数くらいはマズいかもね。あとは…本庁の上層部は総じて黒。そして、公安もちょっと…グレー、かな』

『本来ならesみたいな組織を監視しているはずだけど、だからこそ、癒着もしやすいって感じだろうな』

『逆に、esの依頼で僕たちを監視している可能性もあったりしてね』

『最悪だな』


グレンが大きなため息をつき、ノアが困ったように笑う。


『それと、監視管制室だけど、どっちかっていうとその上の情報監理局の方が怪しいかもしれない』

『…カメラ映像だろ?現場の人間はノータッチってことか?』

『最初は疑ったんだけどね。ちゃんと調べてみると、おそらく情報監理局とブラックウッドがつるんでデータを改竄してるかも』

『監理局の名が聞いて呆れるな』


結局、下の人間がどんなにまじめに誠実に、正義感を持って仕事に当たっていても、

上の人間が腐っていれば、その正義が貫かれることはない。

どこかで必ず、うやむやにされ、闇に葬られてしまうということだ。


『…もう俺、どうでもいいと思ってるからさ』

『え?』

『警察だよ。あんな組織、正義でないならぶっ潰してやればいい』

『…潰すのはesだけじゃないってこと?』

『少なくとも上層部は根こそぎぶっ潰してやらねぇと、警察に未来はないだろ』

『…まぁ、そうだね』


真実を知ってしまった以上、今の組織には従えない。

人の命を軽んじるような人間たちの下では、絶対に働くことはできない。


『ノアのおかげで、警察署内の不正データや、もみ消された報告書、映像データの消去履歴など、色々と証拠を揃えることができて助かったよ』

『いえいえ。あとは、向こうがこの事実に気づいて証拠を完全に消しちゃう前に動かないといけないけどね』

『確かに…。でも、その前にesにも潜れたら潜りたいんだけどな』

『…っていうか、潜るの僕でしょ?』

『いや、まぁ、そうなんだけど』


本来、esの悪事に気づいたなら、警察が介入することで解決できるはずの話だ。

だが、実際には警察もesとつながっている。

…ということは、警察にいてもesの悪事は裁けない。

だとすると、少々乱暴なやり方ではあるが、複数箇所に向けて強引に暴いていかないと、esの本性を白日の下にさらすことは難しいだろう。


『とりあえず、誰の目にも明らかな証拠が欲しい』

『…』

『視覚に訴えるものがあれば、拡散も早いだろう』

『…グレン、まさかデータを公開する気?』

『それも選択肢に入れてる』

『…』

『警察がアテにならないなら、世間に向けて取り繕いようのない状況を作るしかない』

『でも、関係ない人たちを巻き込むかも』

『…その前に、「統括監理局」が腐っていないことに賭けるつもりだ』

『あそこは、警察と言えば警察だけど、国家側の監査役に近い立場だからね。本庁の上になるんだから、まともである可能性もなくはないね』

『あぁ。世間を巻き込むのは最終手段だけど、それでも、信用できる先がどこにもなく、訴えかける先がそこしかないなら、使うしかないからな』

『…できれば警察内でまともな部署が存在することを祈るよ』


グレンとノアは、警察よりさらに強固だろうesのシステムへのハッキングはひとまず焦らず、今は集まった証拠をもとに、統括監理局に上げる報告書を作ることが先だと、それぞれすべきことに集中した。


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