後編 初めての仕事
西門での騒動の翌朝、オクオは夜明けとともに起床した。館の裏庭を借りて、金砕棒を手に軽い鍛錬をこなす。森での一人暮らしから続く毎朝の日課だ。衛兵に取り上げられるのかと気を揉んだ荷物や形見の品は、すべてオクオの手に返された。伸縮自在の金砕棒は、ただの按摩の道具と見なされたようだ。
ほどなくして「朝食の支度が」と使用人のセバスに呼ばれ、ドミナの待つ食堂に通された。食卓にはパンにスープ、燻製肉の薄切りなど、簡素だが整った食事が二人分用意されている。
「あれ? 使用人はんとは一緒やないの?」
席に着きながらオクオが尋ねると、「皆仕事があるからね、同じものを勝手に食べてるよ」と言って、ドミナは飲み物のカップを口元に運ぶ。柔らかな香りからして、薬草茶の類らしい。
「――昨夜はおまえ、肩もみ屋をやりたいだなんて言い出したけど。無理だな」
朝食後の第一声は、ドミナからのダメ出しだった。
「ドミナはワイの肩もみ、筋がええ言うてくれたやん。あかんのか?」
比較の対象はなくても、オクオには〈肩もみ〉に対するそれなりの自信があった。現に昨日も、負傷したミルカたちを〈肩もみ〉で癒しているのだ。
オクオの考えを見透かしてか、ドミナは「そうじゃないさ」と話を続けた。
「なんの信用もない、しかもオークが、街へふらっとやってきて商売がしたいですなんて、通るわけがないだろう。まずは人族の信用を得ることからだ。それと――」
ドミナは懐から、数枚の硬貨を取り出してテーブルに置いた。
「金だな。なんでもいいから地道に働いて、現金収入を得なさい。信用を得て、自分の住処を見つけて、肩もみ屋を開くために金を貯める」
これはなかなか面倒だなと呟くオクオに、ドミナはもう一本釘を刺した。
「言っとくが、そこらに勝手に小屋を建てるなんて、出来ないからな」
低い溜息を長くつきながら、オクオは天井を見上げた。背を預けた椅子がぎしりと軋む。ふいに視界の端に、下がっていたセバスが姿を現した。
「ドミナ様、オクオさんにお客様です。護人組合からの使いで、ミルカ様がお越しになっております」
「ワイに客? ミルカってあの赤毛の嬢ちゃんか」
「ミルカは用件を言ってたかい?」
二人への返事を待つまでもなく、食堂の入り口に立つセバスの陰から、ミルカが遅れて姿を見せた。
「パっ……ムムカ護人長が、あんたに話があるってさ」
ミルカは快活な足取りでオクオの前に進み出て、手短に用件を伝えた。体の具合はすっかり良いらしい。ぼろぼろだった身なりも整えられている。厚地のチュニックに長ズボン、腰には細い革帯。鎧こそ纏っていないが、肩から帯びる剣帯には剣が一本吊るされていた。
昨日はいろいろあって気にも留めなかったが、オクオの前に立つミルカはずいぶんと大柄な女性と知った。オクオの顎をかすめるほどの上背がある。小柄なオーク女ほどの背丈だが、影はずっと細く、優美な曲線も備えていた。
「嬢ちゃん、あんたけっこう……べっぴんさんなんやなあ」
うっかりこぼしたオクオの感想に「嬢ちゃんじゃない、ミルカだ」と言って護人長の娘はオクオにぷいと背を向けた。ついてくるのが当たり前だとばかりに、ミルカはさっさと歩き出してしまう。
ドミナに「行ってくるわ」と挨拶し、オクオは残りのパンと肉を口に押し込んだ。そのままミルカに連れられ護人長なる人物、ムムカの元へと出向いていった。
§
西門近くのドミナの館を出て大通りを東へ歩き、オクオとミルカはオースベルクの中心へと向かっている。
道行く人々の数の多さに、オクオは目を見張った。街には多数の人族が暮らしているとドミナから聞かされてはいたが、現実はとても想像できるものではなかった。
オクオの育った隠れ里でもオークは数を減らし、すでに遠く千人に及ばない。逆に言えば、これほどの数を持つ人族がなぜこうも自分を恐れるのかと、新たな疑問も湧いてしまう。数は力であるはずなのに。
今も道行く人々は、ミルカに並ぶオクオの姿を遠巻きにする。人族の女剣士が一緒のおかげなのか、やっかいな輩が絡んでこないのはありがたい。
人波だけではない。目に映るものすべてがオクオにとっては新鮮で、驚きに満ちている。石造りに木造、白く塗られた壁、軒先に様々な作物を並べた家屋、魚や肉を吊るす家、見たこともない道具を揃える建物もある。それらが無数に居並び途切れることがない。路地の奥からは鉄らしきを打つ槌音が聞こえ、それをかき消すような人々の喧騒が街には溢れていた。
オクオも金銭自体は知るものの、オークの暮らしにとってなじみがあるとは言い難い。そこかしこで人族が懐から銭を取り出し、それを「店」なる場所で品物と交換する様子を興味深く眺める。なるほど、金を稼ぐことなしに人族の街では暮らせないのだなと、オクオはドミナの助言にようやく得心した。しかし見た限り、〈肩もみ〉を売るような店は見当たらない。
すっかり物見遊山の気分となったオクオに、「これでもまだ街の半分にも足らないよ」と、ミルカは笑いかけた。妙な娘だなと、オクオは思う。助けた恩を感じてなのかもしれないが、ほかの人族とは違って恐怖心がまるで無いらしいのだ。
「昨日のこと、父に全部話したの。いきなりあんたが現れて、魔獣相手に無双して――壊れた足まで治してくれたことも、全部」
「衛兵の隊長だっけ、あのおっちゃんには省いとったよな」
「めんどくさいことになる気がしてね、なんとなく。でも、父には違う。あたしにも護人としての勤めがある。長には包み隠さず報告しなくちゃならないから」
ふと、オクオは昨日からの疑問をひとつ、ミルカに尋ねた。
「ちょいちょい聞くけど〝ごにん〟てなんや、戦士とちゃうの?」
「それは護人長がこれから教えてくれるよ」
何か役目を指すらしいが、ミルカの父はその長ということなのか。詰所で姿を見た限りでは、一角の戦士のように感じられたが――などと考えていると、ミルカの足がふいに止まった。
「ついたよ、ここ」とミルカが案内した建物は、ドミナの邸宅に勝るとも劣らない、立派な構えの館だった。
§
いかつい戦士が二人して番をする正門を抜けて、オクオは館の戸をくぐった。案内人はミルカ自身だ。武装した戦士や外で見た物売り風の者など、幾人かの人とすれ違うたび、ミルカは軽く挨拶を交わす。どうやら互いに顔なじみらしい。そして皆一様に、オクオを見てはぎょっとした顔をする。とはいえ、街への道中で出くわした人々のように、逃げ出されることはなかった。
ほどなくしてミルカは両開きの扉の前で立ち止まり、「オークの戦士を連れて参りました」と言って、戸を叩いた。
「入れ」と奥から声が届く。詰所で聞いた壮年の声だ。ミルカが開けた扉の奥は広い間取りの部屋で、テーブルを囲んでいくつか椅子が置かれ、その奥に別の大きな机を前にしてムムカが座っていた。卓上には何枚もの書付が広げられている。仕事の最中だったのだろう。
そのわきを通り、ミルカは奥の小部屋へと消えた。ムムカは立ち上がって、「楽にしてくれ」とテーブルの前の椅子をオクオに勧めた。体の大きなオクオには少し不安もあったが、座った感じはなかなかに丈夫な作りのようだ。ムムカは黙って、オクオの前の席に腰を下ろした。
いつの間にか茶の支度をして戻ったミルカが、テーブルに茶碗を三つ置いていく。娘が椅子に腰かけるのを待ってから、ムムカはおもむろに口を開いた。
「娘からすべて聞いている。改めて――礼を言う」
深々とムムカは頭を下げた。髭の濃さに比べて、頭頂はいささか薄いらしい。
「成り行きとはいえ、みなの命を救ってくれたこと、心から感謝している。しかし、なぜ助けた?」
顔を上げ、ムムカはちらりとミルカに目をやって、オクオを見据えた。
「ワイは人族の街で暮らしたくて森を出たんや。なら、人を助けるのは道理やろ。それに嬢ちゃ……ミルカはんたち、あの獣の狩り方知らんやろ……危なっかしくて、ほっとけなかったんよ」
ミルカは口元の茶碗越しにオクオを軽く睨んだ。この娘には、少々勝気なところがあるらしい。ムムカはしばらく目を閉じ、なにやら沈思黙考を決め込んでから、話を前に進めた。
「――さて、ここからが本題だ。娘の命を救ったおまえの恩に、俺は報いたい」
「どゆこと? 礼なんていらんで。当たり前のことをしただけや」
「命に関わる当たり前など、成せる者はそういない。とにかく、これは矜持の問題でもある。護人として、娘の父親としてのな」
オクオはここで、ミルカに聞きそこなった質問を口にした。
「そういや、ごにんごにんて、なんやの?」
「知らなかったのか。お前は知る必要があるからな。教えてやろう――」
ムムカの語るところをかいつまんでいえば、護人を束ねる護人組合とは街の〝何でも屋〟である。主には隊商の護衛、それに伴う荷の賠償、民間の治安維持と警備、土木建築の人足手配まで、幅広に請け負う。報酬を元手にして金貸しまで営む、なかなかに大掛かりな組織だ。もちろん、魔獣討伐といった荒事も含まれる。その末席に、ムムカはオクオを加えたいというのだ。
「――つまりその、護人てのにならんと、ワイは働けんということなん?」
「護人でなくとも、働き口は見つけられる。しかしおまえはオークだ。流れの人族と同じにはならない。街の輩も護人には手を出さん。組合からの報復は絶対だからな。働けば給金も出す。おまえにとって、悪い話ではないはずだ。ただし――」
ムムカはそこで言葉を切ると、ひとつ口調を重くして付け加えた。
「護人の掟には、従ってもらう。出来るか?」
「あー……うん……どやろ。ワイ、荒事はお断りやで」
掟と聞いて、オクオの顔はにわかに曇った。〝人狩りに加わらんのなら里を出ていけ〟との里長の裁定を、オクオは思い出したのだ――しかし。
「安心しろ。〈首輪〉のせいで無理だと承知している。護衛任務は夜盗も相手にするからな。そもそも俺は、お前にそんな仕事をさせるつもりはない」
「なら、どんな仕事? 肩もみとか?」
「バカを言え――人の信用を得て、日銭も稼げる。お前向きの身体を張ったうってつけの仕事を紹介してやる」
ムムカは、小さな飾りをつけた鎖の輪をオクオに差し出した。飾りは盾を模した影に剣の浮彫りが施されている。オクオが護人であると認める証であった。
「――それから、もうひとつ。言っておくことがある」
ムムカはこのとき一番の厳しい顔つきをして、オクオに告げた。「これは、俺からおまえにだけ与える掟だ」とするその言葉を、オクオは強く噛み締め護人長の部屋を後にした。
§
再びミルカの案内により、オクオはさっそく仕事の現場へと連れていかれた。街の中心を南北に流れる川沿いにある、そこは河川港の一角だった。
ムムカより得た〝うってつけの仕事〟とは、荷揚げや荷下ろし作業ではない。この港湾地区での土木人足の力仕事だ。先ごろ降った豪雨が引き起こした、街を流れるベルク川の氾濫により生じた、水害からの復旧工事の現場である。
ムムカ曰くオースベルクの街は、オース川と支流のベルク川が交わるところに発展した水郷であるという。この辺境の地にあって南北を川で、東西を街道で結び、交易で栄えてきた街なのだ。
ミルカは現場を仕切る親方にオクオを引き合わせると、「あとはあんた次第だよ、がんばってね」と言い残し、オクオのもとを去った。親方もオクオと同じ証を持つ護人だ。見るからに厳つい偉丈夫は、人族でありながらオクオの影にも劣らない。土木現場の働き者というより、歴戦の勇士とするほうがふさわしい。
野太い声で親方は「まずは瓦礫の撤去からだ。大物が山ほど残っちまってな」と、手近にいた小男の人足に声をかけ、オクオを担当現場に案内させた。
この小男はオクオを恐れていないらしい。むしろ少々いじってやろうかという、そんな目つきをしている。
「俺らじゃ身体が小さくてよお、ここはオークの旦那におまかせするぜ」
なるほど人族には、運び出すのもやっとな瓦礫が山と残っていた。
「そうやな、ほな、まかしとき」
小男の嫌味だろうとは分かっている。しかし実際のところ、さほど重たい仕事には思えなかった。オクオはひょいと、手近にあった瓦礫を二つ肩に抱えた。この人族の男では、両手で一つ持ち上げるのも怪しかろうという大きさだ。
「で、これ、どこに持っていくんや?」
「あ、お、おお……あっちに頼む……」
目を丸くして、男は瓦礫の捨て場を指さした。そうしてオクオは、人族の人足たちが手を出したがらない大きな瓦礫ばかりを選び、運んでは捨てを繰り返す。
オクオは休むことなく働き続けた。戦闘種族の頑健さ故でもある。人族たちが体力維持のため小まめに休んで軽食を摂る横を、巨躯のオークは幾度も往復した。そのうちに、人足たちのオクオを見る目が変わりはじめた。棘のある視線が、次第に丸みを帯びてきたのだ。
もくもくと働き続けるオクオだが、内心は楽しくて仕方がない。荒事以外で自分が役に立てることがある……それを知っただけでも、オクオにとっては喜びだった。
そうして一日が過ぎ二日三日と経つころには、地盤補強の杭打ちや突固めを任されるなど、オクオの仕事は広がっていた。仕事だけではない、信頼も広がった。「少しは食えよ」と、自分の軽食を分ける者まで現れたのだ。
そんな街での労働の日々を、十日ほど過ごしたころだった。軟弱地盤の補強作業の最中に、それは起きた。短く大きな地鳴りがして、誰かが叫んだ。
「崩落だーっ! 大穴が空きやがった……っ!」
港に空いた大穴は瓦礫も人も区別なく、その大口の中へと飲み込んでいった。




