前編 魔女の居候
純白のふわりとした優美な衣服をまとい、腰に金色の帯を締めた優男――およそオークの里では見かけない風貌を、オクオは物珍しく眺めている。肩口ほどの黒髪をゆるく後ろでまとめたその男が、次に口にした言葉は実に物騒なものだった。
「さっさと殺してしまいましょうか、このオーク。いかがです、ムムカ殿」
ムムカ殿と聞かれた壮年の偉丈夫は、ミルカの顔をちらりと見た。ミルカは〝パパ〟と呼んだが、確か人族の〝父親〟を意味する言葉だったかとオクオは思い出す。
「難しいな。襲撃の斥候なら、仲間がどこかに潜んでいるはず。数もわからんのに、報復されてはたまらん。安易に放逐もできん。街の情報を知られてもいかんしな」
口ひげを指先でひねりながら、ムムカは慎重そうに答える。だが意見を求めながら、行政官という白服の気配は妙に軽い。この場で一番の責任者であるらしいのに、オクオには事態を重く見ていないように感じられた。
「神殿代理の見解は?」と、行政官は金髪の男にも水を向ける。ドミナの着るローブにも似た長衣を纏った青年は、意外な意見を表明した。
「なりません、ハドリス派遣行政官。〝神の与えし人語を解する者は、皆等しく愛せよ〟です。敵対種族のオークといえど、我らの同胞には変わりない」
青年は切れ長の目をなお細めて優しげに言うが、年長を相手にまるで臆するところがない。わざわざ役職を略さず言うあたりに、軽い批判を滲ませさえした。
――分からん奴だとオクオは思う。この金髪、行政官が「殺し」と言うや、一瞬憎悪の気配を増したのだ。それなのに、彼は「殺すな」と言った。
「なるほど、主神神殿の神官らしいごもっともなご意見ですな、マーロ殿。私もみだりな殺生は好みません」
薄い笑みを張り付けて、ハドリスはドミナを横目で睨めた。
「しかも、彼はドミナさんの知人であるとか。それでは――」
ハドリス行政官は衛兵隊長に「格子を開けなさい」と促し、躊躇なくつかつかと牢屋に入って、オクオの前に立った。逆らう意思のないオクオはじっと、何をするのだろうかと男を見上げる。
ハドリスは懐から短く細いベルトのような品を取り出した。艶のない黒い帯には血のような朱で、禍々しい紋様が刻まれている。
にわかにドミナが目を見張った。驚きと怒りをない交ぜにした声が石牢に轟く。
「おい、ハドリス! まさか、よせっ!」
ドミナが鉄格子の中へ飛び込もうとするのを、衛兵隊長が割って入って身体で止める。「おやめください、ドミナ様」との耳打ちがオクオにも届く。
ハドリスはまったく意に返さず、魔女の怒声など聞こえもしなかったかのようにして、オクオの眼前に黒い細帯をぶら下げた。
「オクオとやら。顔を上げて喉を出しなさい」
言われたとおり素直に、オクオは喉をさらした。
とたんに生きた蛇の如く、ハドリスの指を放れ、黒帯はオクオの首に巻きついた。蛇の頭が自分の尾を飲むように円を描くと、「カチリ」と一つ音が鳴り、細帯は首輪となった。
「なんやこれ、ヒヤっとしたけど。あれ? 取れんぞ」
指先で黒い首輪をひっかくオクオに、ハドリスは意外なことを促した。
「君、私に殴りかかってみなさい」
「なんで? できるわけないやろ、そんなこと」
「いいから、やりなさい。真似でもいいから……っ!」
苛立たし気にハドリスは、座るオクオを足先で小突いた。仕方なしに立ち上がり、オクオは寸止めのつもりで殴りかかるふりをしたのだが――
「がぁっ……息ができ……」
首を掻きむしって、オクオは石畳の上に崩折れた。首だけではない、体中に激痛が走った。しばらく地面をのたうってから、ようやく立ち上がりかけて尻もちをつく。
ドミナは歯がみして、行政官を睨み据えた。
「よしよし、効果は確かなようですね。久しく使っていない呪具なので、少々不安もありましたが、これで問題は解決です」
「ハドリス! おまえ、〈隷獣の首輪〉をっ!」
「相変わらず言葉使いを知らない魔女様だ。なに、民の安心安全のためです。殺すわけにもいかない、放逐もできない。でも、これなら大丈夫」
埃を払うように手のひらを打ち合わせながら、やっかいな仕事は終わったとばかりに満足げにして、ハドリスは石牢から出る。
「あとはドミナさんにお任せします。あなたのお客人ですよね、大魔導士殿」
入れ替わりにオクオへ駆け寄るドミナの背中に、行政官の慇懃無礼な声が響いた。
「ムムカ殿もよろしく。街の治安は護人組合の領分ですよね、護人長殿」
「……確かにな。わざわざのご足労痛み入る」
ハドリスはそうして、「マーロ殿、途中までご一緒しませんか」と青年神官を誘った。会釈で応え、二人は一同に背を向ける。
「まあ私としては、勝手に野垂れ死んでくれると手間がないのですがねえ」
くくくと喉で笑い、捨て台詞を置き土産にして。行政官は鉄扉から去った。
§
「さて、私はオクオと帰るよ。決まった通り、こいつは私の客人として扱う。そのつもりで――世話になったな、隊長」
ドミナは隊長に申し渡しにも似た挨拶を告げると、オクオを促し衛兵の詰所を後にした。二人して帰るらしいムムカとミルカも後に続く。西門の衛兵隊長はほっとした様子で、オクオたち四人を見送った。
オクオが声をかける間もなく、ミルカはムムカに引っ張られ、西門から離れていった。詰所の外はすっかり夜が深い。しかし、ムムカとミルカの立ち去る先は左右に明かりが灯り、通りの先までずっと明るく照らされていた。日が落ちれば月明りだけが頼りになるオークの里とは大違いだ。
ひとしきりミルカの背を見送るオクオに、「そっちじゃない、私の家はこっち」とドミナが呼びかけた。西門から南にそれる脇道の一つを行くらしい。
道すがら、オクオは首輪の表面を撫でつつドミナに訊いた。
「れいじゅうのくびわ……て、なに?」
首がねじ切れるかという激しい痛みは、今はすっかり消えている。首輪は直接触れなければ、それと気づかないほど身に馴染んでいた。
「奴隷や危険な魔獣を従わせるための呪具さ。古代魔道具の複製品。こんな野蛮なもの、まだ使える状態で保管されていたなんて」
腹立たしげなドミナの態度からして、好ましい魔道具ではないらしい。
「どんな仕組みなん? めっちゃくちゃ痛かったんやけど」
「〝人語を解する者への身体的暴力行為を検知し未然に阻害する〟だ。平たく言えば、人に対して一切の荒事が行なえなくなる」
「なぁんや。ならまあ、ええんちゃう? ワイ、荒事好かんし。言葉の分からん獣なら相手にできるってことやろ?」
呑気なことを口にするオクオに、ドミナは少し呆れたようにして、呪具の致命的な機能について付け加えた。
「そうだが……おまえ、街中で喧嘩を売られたらどうするつもりだ? 降りかかった火の粉は? 反抗してもしなくても、死ぬんだぞ」
「あ、ああ……いやまあ、んー……うーんむ……」
さすがのオクオも押し黙る。先ほど見た大通りの明かりに浮かぶ人影の数からしても、どうやらこのオースベルクという街は想像以上に人族が多く暮らしているらしい。であれば、自分を見て逃げるだけではない、ちょっかいを出してくる輩もいるのではないか……しかも、暴力で。
思案気にしながら歩く夜道はゆるい上り坂となり、ほどなくして小高い丘の上にある大きな館の前に二人はたどり着いた。遠くには街を囲む石の壁、館の周りには里の森を思い起こす樹木が多く生え、黒い影を成している。窓にはところどころに明かりが灯っていた。
「里長の屋敷よりも立派やなあ。一人で住んどるの?」
ドミナは首を軽く横に振りながら、玄関扉の前に立った。扉の向こうから落ち着いた足取りが一つ、近づいてくるのが聞こえた。
「使用人が三人いる。仲良くするんだぞ」
内側から開いた扉の陰から、背の高い壮年の男が顔を出した。身なりの良い黒服の人族は、「おかえりなさいませドミナ様。お連れの方も、どうぞ中へ」と礼を取り、オクオを館に招き入れる。
館の中は、昼のように明るい。ドミナは奥の部屋へと歩いていく。後に続こうとしたオクオだが、ドミナは振り返り、ついてくるなと手で制した。
「おまえ、ひどい匂いのままだぞ。風呂が先だ」
そういえば。森での暮らしから数えて、ここ何日も水浴びをしていない。しかし、風呂などという物は初めてだ。セバスと名乗った使用人による事細かな指南のおかげで、どうにかきれいさっぱり汚れを流し、オクオは一皮むけた心地となった。
§
どう用意したものか。オークの体格にぴったりとした衣服をお仕着せられてから、オクオはドミナがくつろぐ居間へと通された。
「――でだ。来てしまったものはどうしようもない。おまえ、この街でいったい何をするつもりなんだ?」
大きなため息交じりに、ドミナは話を切り出した。おふざけは無しだぞと、念まで押してくる。
「すまん、あまり深く考えとらん。得意なことはあるから、それでたつきの道が見つかればええかなと、そんだけや」
「やっぱり……しかし、なんでオースベルクで暮らせるなんて思った? ほかに行くあてもなかったのは分かるけど……」
「ドミナが街で暮らせるなら、ワイもなんとかなるやろうと思たんや」
思いがけない答えだったのか、ドミナは軽く身を強張らせた。
「だっておまえ、半オークやろ。ワイと同じ。なら、ワイでも街で暮らせるやろと思たんや。けど……なんか、様子違うのなあ」
心底訳が分からない、なぜ自分は駄目なのかとオクオは聞いているのだ。
「おまえ、知っていたのか? 話した覚えはないぞ」
「そんなもん、匂いでわかるわ。父ちゃんがオークなんやろ。違うか?」
二度目のため息をドミナは大きく漏らす。オクオにではなく、自分に向けたもののように聞こえる。ドミナは静かに、自分の出自の一端をオクオに語り始めた。
曰く、オクオの言う通り父親はオーク、母親がエルフであること。しかし、エルフとオークが結ばれる場合に限り、エルフの血が勝って外見上は純粋なエルフとまったく見分けがつかなくなること。よって、人族からは希少なエルフ族の魔女であるとしか認識されていないこと――
「オークだけが気づくんだよ、稀に。それがオクオとはねえ……」
「ほかの血が混じっても、オークはオークに生まれるからなあ。エルフはエルフになるんか……教えといてよ、けっこう大事なことやん、それ」
「ごめん……悪かった。まさかこんな日が来るとは思いもしなかったし」
珍しく、エルフの大魔導士はオクオの前でうなだれた。しかし、オクオの声は意外にも明るい。
「とにかくや、なんとか街には来れた。ドミナの客分にもなれたし万々歳や。おかしな首輪付きやけど、なんとかなる……やろ」
危うい立場にいるとは分かっているが、オクオはどこまでも呑気である。ドミナは話を戻して、改めてオクオの身の振り方について質した。
「それで、得意なことでのたつきの道って、何のことだ?」
「そや、それな。ワイね、〝肩もみ屋〟を開きたいと思てんの。どや?」
「どや……て、おまえねえ……」
三度目に吐き出されたドミナのため息は、館を抜けて夜のしじまを震わせるほど、深く長いものとなった。




