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追放されたオークは人族の街で肩もみ屋を開きたい  作者: まさつき
03 西門での騒動

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前編 囚われたオーク

「まずは赤毛の嬢ちゃんからや」


 オクオはそう声をかけながら、横たわったまま身動きの取れない人族の女のそばに膝まづいた。そうとうに痛むらしい。呼吸も短く粗い。左足の膝が、おかしな方向に曲がっている。オクオはざっと女の全身を眺めてから、背負い鞄から干し肉をひと切れ取り出し、女の口元にあてがった。


「口開けて、これ噛んどけ。ほら、嫌がらんで。舌噛まんように用心や」


 オクオの分厚い手が女の顎にかかった。女は観念したようにおずおずと口を開ける。オクオは干し肉を軽く押し込み、「噛むだけや。喰うなよ」と言うや、女の体を軽く抱き上げ、仰向けに寝かせ直した。


「んんんっ……ぐっ……」


 くぐもった悲鳴が上がる。しかしオクオは構わずに、今度は懐から小刀を取り出して、いびつに曲がった女の足に手を伸ばした。


「よし、ええか、しっかり噛むんやで。ちょっと痛むからな。ちょっとだけや」


 女は足を切られるとでも思ったのか、ひどく怯えた表情を見せている。もちろん、オクオにそんなつもりはない。手にした小刀を用いて、革紐を切って女の足を包む脛当てを取り外し、ズボンを足首から膝上まで切り裂いた。紫がかった黒ずみで覆われた、女の素足が露わになる。


「ひどいことになっとるが、〈肩もみ〉できれいに治したるからな。安心せい」


 言いながらオクオは、左手で女の左脛を軽く引き、右手で太腿を押さえた。それだけで、女の喉から獣じみた低い悲鳴が漏れ、眼からは大粒の涙が零れる。オクオはなんの躊躇もせず、手早く左足を正しい形に戻してしまう。


 肩を大きく揺らして息をつく女は、抵抗する意思を捨てたらしい。オクオにされるがままとなっていた。皿が砕け、靭帯も千切れているだろう膝がしらに、オクオの両手がかかった。やんわりと触れ、オクオの指先が女の膝を撫でていく。


 ――オクオの手技を見る女の眼が、見開かれた。


 膝を撫でるオクオの手のひらと、女の膝が作るわずかな隙間から、淡い緑色の光が洩れるのを凝視していた。オクオは彫塑の仕上げを行う芸術家のような手つきで丁寧に、女の足を幾度か擦った。内出血が広がりどす黒かった肌が、若い娘らしい、瑞々しく健康な肌の色に戻っていく。


「ええ子やな、ようがんばった」


 ひとしきり〈肩もみ〉の施術を終えると、もう痛まないやろ――と女に聞きながらオクオは手を添えて、健康そのものに戻った女の左足を曲げ伸ばしてみせた。


 女の瞳に、涙は無かった。枯れたのではない。奇跡を目の当たりにしてしまったというような、驚嘆の色に染まっていた。


「あとは腕と背中も揉んどいたほうがええんやけど……ここじゃあちょっとなあ」


 素肌を見せる女の左足に目を落として、オクオは申し訳なく言う。鎧を剥がして、陽光の元に背中をさらすわけにはいかないだろうというオークの気遣いは、どうやら人族の娘にも伝わったらしい。女は小さく、頷いた。


「すまんな。じゃ、ほかの連中も〈肩もみ〉しとくから。そこで休んどって」


 そう言い残してオクオは、女の元から立ち上がり、横たわる男三人に〈肩もみ〉治療を施した。抜けた肩関節を元に戻して痛みを取り去り、鞭打ちで痛めた首筋を癒した。窒息しかけて気を失っていた男には、これといった外傷は見当たらない。軽く身体を揉み解し、強張りを抜くだけで十分だった。


 三人の〈肩もみ〉を終えると、オクオは再び女の元に戻った。治療を施したというのに、男達はオクオに向けて敵意を隠そうとしないからだ。身体はすっかり元通りなのに、まるで警戒を解こうとしない。どうにも、話が通じそうにないのだ。


 しかし、この女剣士だけは違う。用心はしているようだが、刃を向けるような殺気はない。それどころか――


「あの……ありがとう。オークの戦士……」


 礼を言われた。人族の女に。悲鳴とは違う、それは初めて聞く人族の言葉だった。


「お、おう――じゃ……ワイは、もう行くで。身体はみんな元通りやけど、疲れまでは抜けん。あんまり無茶はせんようにな」


 剣把に手を伸ばす男達を横目に、オクオは女に別れを告げた。あらぬ刺激を与えないよう静かな足取りで場を去ろうとして、再び女が声をかけてきた。


「あんた、名は? 恩人の名ぐらい、聞いておきたい」

「――オクオや。オークのオクオ。ええ加減な名前やろ」


 そう言ってオクオは笑う。


 人族は知るまいが。それは里を出て初めて見せた、オクオの笑顔だった。



    §


「オークの、オクオ……」


 足早に遠く東へと去ってゆくオークの若者の背を眺めながら、ミルカは身に起きた不可思議な出来事を振り返っていた。


 いったい何者なのか。これほど人族の街に近い土地で、オークが単独で姿を見せるのが、そもそもおかしい。あり得るとすれば、襲撃のための斥候――しかし、それなら身を挺して魔獣から自分たちを救わないはず。それにあの――


「〈肩もみ〉って、どういうことなの……」


 ミルカは知らず呟いていた。こんな出来事、誰に話しても信じはしないだろう。奇怪な魔獣に襲われたことも含めて。


「おい! ミルカ、大丈夫かっ?! おかしなことをされなかったか」


 最後に気絶していた護人ごにんの男がミルカに駆け寄り、訝し気に訊いた。他の二人も立ち上がり、よろよろと集まってくる。平静な面持ちなのは、生き残った二頭の馬だけだ。何事もなかったかのように、呑気に小麦の青草を食んでいた。


「あ、ああ。なんでもない、なんでもないよ。みんなはどう、怪我は」


 ミルカは、二度と歩けまいと覚悟したはずの左足を元気に振ってみせた。おかしい。なぜ、壊れたはずの足の調子が、仕事に出る前よりも良いのだろう……。


「どうなってんの、これ。僕の肩、治ってる。ぜんぜん痛くない」


 そう言って若い護人が脱臼したはずの肩で腕をぐるぐると回した。なんなら前より良く動くよ――などと、小さく付け加える。


「俺の首もだ。何の障りもない。以前より軽いくらいだ」

「俺は、長年悩んでた腰が――」


 皆、快癒している。四人して不思議な体験に顔を見合わせていると、男の一人がぽつりと言った。


「――あいつ、街へ向かったんじゃあないか?」


 とたんに、三人の男達はざわめき始める。


「まずいぞ、西門が大騒ぎになる」

「どうせ衛兵に殺されるんじゃないの?」

「それはそれでまずい。仲間がいれば大事だ」

「それより、おかしな魔獣が出たことを知らせないと――」


 思うところを次々と口にする。


 そんな男達を横目にして、ミルカは小さく言葉をこぼす。


「オークのオクオ。あいつ……いや、まさかね――」


 ミルカの呟きは、吹き抜ける風が鳴らす小麦の葉音に隠れて、消えてしまった。



    §


 思いがけない魔獣の討伐に、思いがけない人族への〈肩もみ〉施術という人助けをしてから数時間。オークの影が東へ長く伸びるころ――オクオは身を低くして小麦畑を進むことをあきらめた。身をさらして街道を歩いている。畑はとうに途切れてしまった。地平の遠く、南北に横たわる石の壁が見えてきた辺りの土地は、雑多な草原となっていたのだ。


 人族の目が多すぎた。小麦畑の周りでは、農具を携えた人々にぽつりぽつりと出会う程度だったのに。今はもう、頻繁に遭遇し、逃げられ、叫ばれを繰り返していた。


 オクオは腹をくくったのである。これは必ず、ひと悶着あるぞ――と。


 人族が逃げていく先にはやがて、オクオの身の丈より五倍は高く見える石の壁が切り立つ崖のようにそびえ立ち、大地の左右に伸びる影を現した。道の行き着く先には大きな門があり、巨大な石壁の出入り口となっているらしい。これほどに巨大な建物を人族は造るのかと、オクオは圧倒されていた。


「ドミナが住んどるとこ、こんなにでかかったんや――」


 呟くオクオの目の先で、大門に飲まれる人波と入れ替わりに、長物を手にした者たちが現れた。十名は下らない。皆、胴から鈍い光を弾いている。次第に大きく見える人影たちは、鎧甲冑に身を包み長槍を手にした戦士の集団であった。


 石壁と大門を背に守るようにして、戦士たちは整然と横に並び立った。槍を構えて、オクオに切っ先を向けている。歓迎はされていないと一目でわかった。呑気なはぐれ者のオークであっても、オクオもまた戦士なのである。


 オクオは足を止めた。人族の戦士たちと、二十メートルほどを開けて見合う。


 先頭に立つ一人が数歩前に歩み出る。兜に伸びた赤い房飾りが揺れた。どうやらこの男が、戦士の長であるらしい。オクオに向けて槍を突き出し、声を張り上げた。


「そこなオーク! よう聞け! 神妙に縛につけば良し、さもなくば命はないものと心得よ!!」


 身の引き締まるような良く通る声だ。だがオクオは、飄然としたままでいる。


「あー……すまん。言葉が難しくてな、ようわからん。しんみよに……なんや?」


 ありもしない敵意は見せたくない。しかし、言い回しが古臭いのか、里長の物言いよりもさらに分かりにくいなと、オクオは聞き返した。オークの呑気な口調に肩を透かされたのか、戦士の長は素直に言葉を変えて返答した。


「おとなしく我らに従うなら、命までは取らんということだ」

「なるほど、分かった。そういうことか。なら、おとなしくする。ワイはそもそも、人を訪ねてここへ来たんや」

「……なに?」


 ますます予想外であったらしい。呆気に取られている。長らしき男が言葉に詰まったとみて、オクオは正直に、この街で暮らしているはずの知人の名を口にした。


「ドミナいう魔女のおばちゃんなんやけど、あんた知っとる? オクオが来たって伝えて欲しいんやけど。あ、オクオってワイのことね」


 どういうわけか、人族の男の顔が一気に真っ赤になった。初めよりもさらに大きな声を張り上げて言い放つ。


「き、きき貴様ぁ! ふざけたことを言うなよ! この国随一の大魔導士でいらっしゃるドミナ様を、おおおおおばおばちゃ……」


〝これでも大魔導士と謳われる魔女なんだからね〟――そういえば、ドミナはそんなことを言ってたなと、オクオはふいに思い出した。なるほど本当に、ドミナは街で大事にされているらしい。ドミナのことを、良い師ではあるとはオクオも思っている。しかし、森の小屋で見せる魔女の態度は、面倒見の良い姉御でしかなかったのだ。


 それでも今は、穏便に済ませる必要があった。事を荒立てては命に関わる。オクオにしては殊勝な態度を、戦士の長に示してみせた。


「おお、すまん。ワイが悪かった。気を悪くしたら赦してくれ。とにかく、ドミナさ……んは、ワイの知り合いなんや。街暮らし聞いてな。ちょっとやっかいになろうと、こうしてやって来たわけや」


 戦士の長の顔が、ますます怪訝に曇っていく。後ろで他の戦士たちも、何やら小声でざわめき始めた。


「静かにしろ!」と、長は振り向きもせず戦士たちに一喝する。とたんに、ざわめきがおさまった。よく訓練されているのだなと、オクオは内心で感心した。


 さてしかし、戦士の長にも思うところはあったらしい。「よし、分かった」とオクオに言った。そばにいた戦士の一人に、何事かを言づける。数名が連れ立ち、門の内側へと足早に去っていった。


 戦士の長はオクオに向き直ると、良く通るが静かな声で語りかけてきた。


「一応、貴様には縄をかける。よいな、暴れるなよ。さもなくば――」

「分かったわかった、ワイはなんもせん。おとなしーくするから、大丈夫や」


 オクオは素直に、両手を挙げた。今朝方出会った畑の男とは違い、伸びあがる腕を見ても戦士たちは恐れを見せなかった。数名が縄を携え、槍を向けながらオクオの方へと歩いてくる。オクオは静かに、人族がそばに来るのを待った。


 そうしてオクオは言葉通りにおとなしく、されるがままにした。後ろ手に縛られ、腰縄を打たれた。背負い鞄の中も検められる。中身は、糧食の干し肉や、薬草師が使うのと同じ薬研やげんに、僅かばかりの香油といった物があるばかり。検分する男達は首をひねりながら、なにやら帳面に書きつける。目録でも作っているのだろう。


「すまんが、そこの兄ちゃん。大事な道具なんや。あんまり、雑にせんといて」


 大切な品を邪険にされてはたまらないと、オクオは戦士の一人に声をかけた。びくりと、男の肩が震えた。一通りの支度が終わると、戦士の長は「行くぞ」とひと声、皆に号令をかけた。


「おとなしくついてこい。お前を止め置く場所へ連れて行く」


 長からそう言われて、オクオが通されたのは。


 石壁のすぐ内側にある戦士たちのたまり場の一角、鉄格子に隔てられた石造りの部屋――牢屋だった。


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