後編 二つの光
奥へ進むほど風化による天井の崩落は増え、暗闇を抱えた縦穴も数を増した。
壁に吊るされたランプの明かりはすでに一つもない。あたりを照らすのは、各々が腰に帯びた携帯用の灯と、幾人かが掲げる松明だけとなっていた。
ついには道の半分が崩れ去り、大人一人が通るのがやっとという狭く危険な通路が一本残されるばかりとなった。ときおり、小石が跳ねるような音がいくつも反響して聞こえてくる。今もどこかで廃道は崩れつつあるらしい。
廃道の入り口をくぐってから二時間余りが過ぎたころ、先頭に立って救助隊を導く斥候が足を停めた。
夜目の利くオークにとって、人族たちが持つ松明の炎は却ってまぶしいほどだったが、オクオの目は細くなるどころか見開かれていた。残る細道を抜けた先に広がる光景に、オクオは息をのんだ。
半球状の巨大な空間が広がっていた。大空洞は、ランプや松明もなしにぼんやりと明るい。それでも、オークの眼をもってしても闇に飲まれて果てまではわからない。
頭上に高くそびえる石柱が林立し、その表面には青白く光る筋がいくつも刻まれている。まるで生きた血管のように脈打ち、光はほのかな明滅を繰り返していた。
「あの青い光があるところ、あれが魔石の元になる鉱脈。青い石柱の根元で光が揺れているのは見える? あのあたりは地底湖の水面だから気を付けて」
大空洞の光景に見入るオクオにミルカが言葉をかけてきた。
「こんなもん、初めて見たわ。綺麗やなあ……長蟲の小さいのも、ずいぶん群がっとるようやけど」
伸びあがって遠くを確かめるオクオの目の先で、足を止めた斥候の男が、積みあがった土砂の影から大空洞を覗き込んだ。その後ろで、救助隊を率いる年かさの護人が、声を潜めて皆に言った。
「これより進めば、あいつらに気づかれる。ここで準備をしてから、仕掛けるぞ」
いよいよだと、緊迫した空気が護人たちに満ちる。そこに少々場違いな、オークのひそめた低い声がしじまに乗った。
「んで、怪我人はどこにおるんや?」
「コーディたちがどこにいるのか――隠れているのかは、まだ分からない。化け物なら……あれだ。見えるか?」
青白い光の筋を刻む石柱の一本を、年かさの護人が指さした。ところどころに、黒く太い帯が巻き付いたように、鉱脈の光を隠しているのが分かる。
リュウジンオオグソクだったか――オクオも初めて見る魔獣の名だ。巨大なムカデの魔獣は石柱に巻き付き、音もなく蠢いてあたりをうかがっている。
オクオの眼には、その長大な影はとうに映りこんでいた。十メートルは優に超えるだろう。半身が水に隠れて全容は知れないが、二十メートルはありそうにも思える。その無数の足の下に、幼い長蟲の魔獣たちが魔石の輝きに群がっていた。
エサを食む子供たちを守る親の姿――「放っておけばよいものを」と、オクオは思う。しかし、人の命がかかるとなれば是非もない。
ふと、林立する石柱の奥に、鉱脈のものとは違う別の光が瞬いて見えた。斥候の男も気づいたらしい。規則的な明滅を見ながら、斥候が何事か呟くのが聞こえた。
「ここに、かくれて、いる、ひとり、しんだ、いきのこりは、よにん、のこりも、うごけない……隊長、急がないと」
光の明滅を使った人族の符牒であるらしい。斥候の男が腰のランプを取り上げて、同じような信号を返した。
気づかれてもおかしくないのに、魔獣たちは見向きもしない。どうやら、光にはあまり反応しないようだ。敏感なのは、音や匂いに対してなのかもしれない。
「――手筈通りに仕掛けるぞ。マーロ様たちはあの光を目指してください。オークもついていけ。目立つなよ」
マーロは指示に頷きを返すと、首をひねってオクオを睨めた。探るような視線を向けてくる。この人族の神官という男も、ボーゲンのように〈肩もみ〉が使えるのだろうか? そう思うと、オクオもマーロに対する興味が湧いた。しかし――相変わらずマーロが向けてくる気配は、厳しい。
「始めよう。消音術を頼む」
救助隊を率いる隊長役の護人がそう言うと、薄い革鎧をまとった軽装の女が静かに前へ出た。風貌からしてドミナと同じ魔術師らしい。
女は皆に向かって両腕を左右に広げ、何事か呟くようにしながら口を動かした。喉も震えている。しかし、声は聞こえない。それどころか――あたりから音が消えた。聞こえるのは、身の内で鳴る鼓動や呼吸が流れる音だけになった。
隊長は身振り手振りで指示を出す。護人たちが一斉に動き出した。
武具の打ち合う音も、足音も、衣擦れすら聞こえない。
護人たちは一人づつ慎重に大空洞への細道を渡っていく。魔獣の討伐を担当する十名が、得物を取り囲むようにして音もなく持ち場の闇へと消えた。
リュウジンオオグソクとその子らは、食事に夢中なのかまるで気づく様子がない。
それを横目に、オクオたちは助けを求める光の明滅を目指して歩き出す。こちらもまた静かなままに足を速めて、闇の空洞を進むのだった。
§
初めに、火矢が放たれた。
リュウジンオオグソクに向けてではない。音もなく飛ぶ火矢は、離れた場所で別の鉱脈に群がる幼体たちを射掛けた。ただの炎ではないらしい。長蟲の子供たちが枯草のように燃え上がり、弾けて散った。
大ムカデの巨体が震えてうねる。にわかに動き出して炎を追った。
火矢は次々に放たれる。一つの道を照らすかがり火のように連なって、幼体の群れが燃え上がった。猛り狂った長大な親蟲が、赤く照らされた大空洞の地面を猛然と這い進む。
やがて岩に囲まれた袋小路に突っ込むと、そこへ四方から鎖で編まれた網が投げ込まれ、大ムカデの巨体を絡めとり――
青白い闇に浮かび上がる魔獣狩りの戦場を遠くに眺めながら、オクオとミルカ、マーロと神殿の護衛兵が四人、三人の護人を加えた十名の者たちが、隠れた負傷者たちを目指して駆けていた。
「なるほどな、うまい手を考えたもんや――えげつないけど……」
獣には気の毒だが、こちらも人の命がかかっている。食べるため以上の狩りなどなじみのないオクオは、繰り広げられる戦いを苦く思うが、ミルカの頼みには応えてやりたい。街へ来たばかりの自分の潔白に、口添えをしてくれた命の恩人なのだから。
消音の術は長くはもたないものなのか、いつのまにか戦音がオクオの耳に届いていた。岩を砕く槌音に似た響きが大空洞に轟く。おかげで、オクオたちの地を打つ靴音はすべて、闇の中にかき消された。魔獣たちがこちらに気づく気配もない。
やがて、崩れた大岩で作られた壁の前に辿り着いた。どういうわけか、助けを求める光の明滅は、岩と岩との隙間から放たれたものであったらしい。
岩壁の奥に人の気配があった。まっ先に進み出たのは、神官のマーロだ。
「そこにいるのですか? 神殿から助けに来ました。マーロです」
マーロの呼び声に、岩の奥からくぐもった声が返った。
「マーロ様? もしや神聖術で――ありがたい。しかし、この岩では……」
「問題ありません。オクオとやら。力仕事なら、誰よりオークが得意でしょう」
褒められているのかけなされているのか――とにかく、荷運び以外の出番が必要なことはオクオも承知していた。「中の人、下がっとれよ」と声をかけ、やすやすと岩をどかしていく。
護人の一人が松明の明かりをかざした。岩壁を除いて現れたのは、壁面に穿たれた自然の小部屋と四人の負傷者だった。
「隊長! コーディ!」
叫びざま、ミルカが駆け寄る。剣士の男が二人と魔術師の女、年若い射手の青年がうずくまっていた。傍らにはもう一人の剣士が、冷たい骸となって横たわる――
「ああ、ミルカか……助かった……よ……」
そこまで言って、コーディは気を失った。息のある他の三人と同じく、気力が切れたのだろう。
「まずいな。毒や。急がんと……金髪の兄ちゃん、あんたの出番なんやろ」
急いであんたの〈肩もみ〉をしてくれと、言葉にはせずオクオはマーロに促した。
「言われなくても……」
マーロの瞳に苛立ちが膜となって滲むのを、オクオの瞳は捉えていた。
§
オクオとミルカたち護人が担架を用意する傍らで、マーロが負傷者の容体を一人ひとり確かめていた。
神殿の戦士たちは、小部屋の入り口に立ってあたりを警戒している。こちらを手伝う気は、毛頭ないらしい。
生き残った四人は、もはや虫の息だ。オクオが見たところ、四人とも大ムカデの幼体に刻まれたらしい噛み傷にまみれている。毒に犯された上、出血もひどい。足の筋を切られ、骨が折れ、歩くのもままならないだろう者もいた。
しかし大丈夫だ。手練れの治療師と聞いた、神官がいるのだから――
「マーロ様、お願いします」
ミルカが、祈るようにして言った。
「分かっています。お静かに――」
マーロは気を失った魔女のそばにひざまずき、神官然とした神妙な面持ちをして女の身体に両手をかざした。にわかに、神官の手のひらが淡い燐光を放ち始める。緑色の光の粒が舞い、女の全身を覆ってゆく。
オクオにとって、それは初めて目にする光景だった。他人が行使する〝本気の〈肩もみ〉〟に、素直な感嘆を覚えていた。しかし、何か違う……。
ほどなくして、マーロは「よし、これで毒は消えました。他の者も」と言って、次の負傷者の傍らに膝をついた。
「え? それで、終わりなん? その姉ちゃん、そのままじゃ歩けんで」
自分でも分かるほどに、オクオの声は曇っていた。落胆したのだ。これほど時間をかけて、この程度のことしか出来ないのか、と。
「これ以上は、ここでは無理です。連れ帰ってから治療します」
マーロは仕方がないといった面持ちだ。本気なのかと、オクオはついぶしつけな視線を向けてしまった。
とたんに殺気が膨れた。マーロのものではない。入り口を守る神殿の戦士が放つ、それは刃を抜かんとする気配だった。
しかしオクオは、構わない。
「ワイが、代わろか」
「なん……ですって?」
時間が惜しい。これでは命は助かっても、一生身体に障りが残るだろう。
「いや、急がんと危ないんや。兄ちゃんの〈肩もみ〉じゃ手が遅すぎて――治しきる前に、死ぬで……こいつら」
侮辱と受け取ったのか。薄闇の中でもわかるほどに、マーロの白い顔が紅潮した。間の悪いことに、ミルカが口をはさんでしまう。
「マーロ様、お願い。オクオにやらせてあげてください」
いよいよ、神殿の戦士たちがいきりたつ。マーロはしかし彼らを制して、訝しみながらも「あなたに何ができるというのです」と、オクオを見上げた。
「気ぃを悪くしたなら、すまんがな――失くした命は、還らんから」
そうしていつも通りに、オクオは傷ついた者の身体に触れていった。裂けた皮膚に触れ、折れた骨を正しく戻し、血を蝕む毒気を消し去った。
どうしてこんなことができるのか、オクオ自身にも実のところは分からない。ただ、出来るとだけを知っていれば、それで十分だったのだ――
その場の全員が、息をのみ、詰めた。
大空洞の小さな一角は、青白い魔石鉱脈の光を押しのけて、静謐な燐光の輝きで満たされていった。
輝きは、はるかに強いものだった。
オクオの光が炎なら、マーロのそれなど、かまどに火を入れる種火も同然なほどに弱々しい。
「――よし、終わったで。じきに目を覚ますやろ。もう安心や」
四人の負傷者が、快癒していた。安らかな寝息まで立てている。
オクオを除く皆が言葉を失った。ミルカは羨望の眼差しをオクオに向けていた。
マーロは驚愕の色で己が顔を塗り込めていた。その裏に憎悪の炎を押し込めていると、オクオは知った。やはり、ムムカの言った〈掟〉は正しかったのだろうか――
ふいに、ずっと聞こえていた戦音がやんだ。魔獣の奇怪な叫びが、リュウジンオオグソクのものであろう断末魔が、討伐隊の勝鬨が、大空洞に轟いた。
「あっちも終わったようやなあ……ん?」
安堵して、オクオが呟いたときだ。
断末魔の残響が消えると同時に、目には見えない大きな力の流れが大空洞に膨れ上がった。ただならぬ濃密な気配が、大気を揺らさず、オクオの体を風のように吹き抜けていく。
「これは――魔獣がため込んでいた魔力が解放されたのでしょう。急いで帰還の支度を。この魔力の密度は異常です。良くないことが、起こりかねません」
マーロは異変を口にしながら、四人の護衛兵を連れてオクオたちに背を向けた。すでに自分の役目は終わったと言わんばかりの態度だった。
やれやれと、オクオは呆れて独り言ちる。残された護人たちは、まだ寝息を立てる四人を担ぎあげ、討伐班との合流を目指して小部屋を去った。




