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第54-2話 王宮の大型オーブン 下

 晩餐会が近づくにつれ、王宮の厨房には食材の箱や磨かれた皿が運び込まれ、給仕の持ち場を書いた紙を手に、人が行き来するようになった。その裏の通路には、なぜか木材と鉄の角棒まで増えている。


「こちらは何に?」


 メイドに呼び止められた学生が、抱えていた木材を持ち直す。


「晩餐会で使います」


「では、壁際へお願いします。今からテーブルクロスを運びますので」


「はい」


 大学校の工学班が作っているのだから、炉に関係するものなのだろう。そう考えたメイドは、特に気にすることもなく仕事へ戻っていく。


 ジルベールたちはアルマンの手伝いに来ていたのだが、炉の仕事が順調に進んでいるので、手の空く時間もあった。そうなると気になるのが、厨房から配膳所まで、重い物を持って何度も往復する人たちである。同じ場所から同じ場所へ運び続ける様子は、冷却機の組立工房で毎日見ている仕事とよく似ていた。


「……工房のあれ、使えるよな」


 ジルベールは炉の前にいるフローレをちらりと見て、木工担当のそばへ顔を寄せた。通路の先まで目を走らせた相手も、何を考えているのか察したらしく、声を落として答える。


「箱は作り直したほうがいいですね」


「そりゃそうだ。皿を入れるんだから」


「これがあれば、料理もまとめて運べますね」


「だろ? ここにもあったほうがいいよな」


 二人は小さく頷き合った。ジルベールが指で通路の長さを示すと、木工担当も身を寄せ、箱の幅はどのくらいにするかと、さらに声を落とす。話しているうちに、二人にはもう、出来上がった箱が通路を行き来するところまで見えるような気がしてくる。


 やがて相談がまとまると、通路の脇で作業が始まった。通る人がいれば道を空け、何を運ぶものかと聞かれれば答え、配膳所の給仕には皿の大きさまで尋ねている。箱をどう作り、どこへ置けば使いやすいかを考えるうちに、そもそも設置してよいかを聞くことをすっかり忘れていた。


 晩餐会の前日、フローレは炉の最終確認を始めてしばらくすると、父に呼ばれて持ち場を離れた。


「主賓席から出す順を、もう一度確認する」


「はい、今まいります」


 料理順や食材、給仕の配置など、彼女には炉のほかにも確認することがある。もう少し炉のそばにいたい気持ちは残るが、アルマンが梁の端を確かめているのを見て、そちらは任せようと足を進めた。一方のアルマンも、熱いときに扉が擦らないか、天板が引っかからないかと、一つずつ確認を続けている。


 ジルベールが何かを押して通路を往復していても、鉄梁の端や棚のがたつきを調べるのに忙しく、そちらまで詳しく見る余裕はない。


「そっちは?」


「順調」


「こっちもです」


 互いの仕事が進んでいることに安心すると、二人はそれぞれの確認を続けた。


◇◇


 二十四日、大晩餐会の客が席に着くころには、王宮の大型オーブンは壁も棚も十分な熱を蓄えていた。先に焼いておいたパンは用意が済み、会場では最初の料理が供されている。次に出すのは魚の焼き物で、炉の前には百人分の魚を並べた天板が揃っていた。フローレはその列を見渡し、大きさも厚さも、何度も試したとおりになっていることを確かめる。


「入れますわ」


 料理人たちは決めておいた順番で、下段から中段、上段へと魚の天板を収めていく。百人分がすべて入り、左右の大きな扉が閉まるのを待って、フローレは魚料理用の砂時計をひっくり返した。


 落ち始めた砂を見つめ、ひと息つく。頭では手順どおりだと分かっているのに、炉の中をもう一度確かめたい気持ちが離れない。試験なら皆で原因を探せたが、今は向こうの会場で客が待っている。フローレは砂時計から手を離し、何度も書き直した手順の紙へ目を落とす。今から思いつきで火加減や棚の位置を変える必要はないはずだ。試すことは昨日までに済ませてあり、今日はそのとおりに焼けばよいのだ。


「皿の準備をお願いします」


 温めておいた皿が炉の前の大きな作業台に並ぶと、盛り付けをする者、ソースを添える者、仕上がりを見る者が、それぞれの位置へ入る。アルマンも扉の脇に立ち、料理人たちへ声をかけた。


「開けたら、こちらへ広げます。天板を出す方を優先してください」


「分かりました」


 待ち時間が試験のときより長く感じられても、砂時計の砂は変わらない速さで落ちていく。


「時間です」


 扉を開くと、熱気と一緒に魚の皮が香ばしく焼けた匂いが押し寄せ、料理人たちが受け持ちの段の天板を確かめにかかった。


「上段、よし!」


「中段、よし!」


「下段、よし!」


 最後の声まで聞き届けて、ようやく胸のつかえが下りる。笑いそうになる口元を引き締め、フローレは作業台へ向き直った。ここから先も、料理を待たせるわけにはいかない。


「出してくださいませ!」


 フローレの声に合わせて天板が次々に引き出され、作業台へ下りる。料理人たちは魚の身を崩さないよう皿へ移し、隣の者が付け合わせとソースを添えていく。


 百人分の魚料理が同じ焼き加減で揃ったのを見渡し、フローレは最初の皿を確かめて顔を上げた。


「さあ、運んで――えっ!?」


 その先の言葉が出てこない。作業台の向こうには車輪の付いた木箱が四台並び、床に置かれた二本の鉄の角棒に沿って、ジルベールたちが待ち構えている。


「……何ですの、これは」


「料理輸送車です」


「いつ作りましたの!?」


「冷却機の工房では前から使っています。昨日こちらに据えました」


「昨日!?」


 開いた蓋から箱の中を覗くと、皿を重ねずに収められる棚があり、その縁にはずれ止めまで付いている。よくできていると気づくのと同時に、どうして今まで一言もなかったのかと腹が立つ。今日のために何度も手順を確認してきたのに、自分だけが知らないものが、運び出す場所をすっかり占めているではないか。


「一台に二十五人分載せられますから、四台で百人分です。配膳所まで行けば、向こうでは給仕の方が待っています」


「これは、誰の許可で?」


「……え?」


 近くにいたメイドも、不思議そうに顔を上げた。


「フローレ様のご指示ではなかったのですか?」


 フローレがメイドへ目を向けると、メイドはジルベールを見た。得意そうだったジルベールの視線が明後日の方向を向いた。運び方を説明していたところへ許可の話が出て、ようやくその確認をしていないことに気づいたらしい。困った顔でフローレを見返す間にも、背後では魚の皿が次々と仕上がっている。


「積んで動かすところまでは確かめましたの?」


「はい。昨日、同じ枚数の皿で。止める場所も決めてあります」


 通路には人が通れる幅が残され、箱を押す学生も持ち場にいる。これなら、今できた皿をまとめて出せる。フローレは湯気の上がる魚へ目をやり、叱りたい言葉を飲み込んだ。焼き立てのまま客席へ届けるための炉なのだ。使うと決めるなら、自分が皆へ指示を出さなければならない。


「…………使いますわ。説明は後で」


「はい!」


「一号車は主賓席と王族の卓を優先して、ほかの卓の分も合わせて二十五人分ですわ。二号車から四号車にも、二十五人分ずつ載せてくださいませ!」


 止まっていた手が一斉に動き出し、盛り付けを終えた魚の皿から木箱へ収まっていく。炉から作業台へ下ろし、皿へ移した料理を運搬役へ渡す手順はそのままに、受け取った先が四台の箱に変わった。


「一号車、揃いました!」


 一号車の蓋が閉まり、続いて二号車、三号車も満載になる。フローレは最後の魚に添えたソースを確かめ、四号車へ渡した。


「四号車も、積み込み完了です!」


 魚料理が四台すべてに収まった。フローレは作業台に皿が残っていないことを確かめ、炉へ向き直る。


「魚料理は、一号車から出発を! 出発したら、今度は炉にお肉を入れ始めてください」


 待機していた肉の担当が、魚を焼いたときと同じ高さの棚へ、百人分の天板を次々に収めていく。まだ熱いレンガと鉄梁には手を加えず、最後の一枚が入るとアルマンが扉を閉めた。フローレは魚料理用から肉料理用へ砂時計を替えて返し、次の焼き時間を計り始める。


 ごろごろごろ――と最初の箱が通路へ進むと、二号車、三号車、四号車も間を空けて続いた。その列を見送り、フローレはようやくひと息つく。次の肉も同じように届けられるという手応えが湧いてきた。


◇◇


 車輪なら馬車にも荷車にも付いているが、ジルベールたちは工房で同じ経路を往復するうちに、毎回向きを変える仕組みが要るのかと考えるようになった。行き先が決まっているなら操舵の仕組みをなくし、敷いておいた道に沿って走らせれば済む。


 そこで、木箱そのものを車体枠にして鉄の軸受け金具をリベットで留め、鉄の車軸に青銅の車輪を取り付けた。床に置くのは木の横材で間隔を揃えた二本の鉄の角棒で、車輪の縁に設けた張り出しが、そこから外れるのを防いでくれる。鉄を溝形に加工するより材料も少なく済み、作るのも簡単になるというわけだ。


 工房で少しずつ直しながら使ってきた荷車は、皿を載せても具合よく転がり、晩餐会場へ入る直前の配膳所まで料理を運んでいく。


「一号車、到着!」


 箱が止まって蓋が開くと、待機していた給仕たちが、魚料理を次々に取り出した。


「主賓席、こちらです」


「王女殿下の卓、揃いました」


 数十メートルだが、長い廊下を重い皿を持って往復していないので、息を整えたり衣装を直したりする必要もない。姿勢を正して皿を持てば、すぐ先は客人の待つ会場である。


 一号車が空くころには二号車が着き、続いて三号車、四号車も到着する。すべて降ろし終えると、百人分の魚料理が給仕の手へ渡った。配膳所で皿が次々に動く間も、会場の給仕たちはいつもと同じ静かな足取りを保っていた。


◇◇


「全部空きました!」


 魚料理をすべて降ろした配膳所からの声を受けて、学生たちが空の箱を押す準備にかかる。客人たちの食事はまだこれからで、箱だけが先に厨房へ戻るのだ。


「戻します!」


 一本しかない道へ途中から空車を返せば、次の車とぶつかってしまう。そのため四台を続けて送り、すべて空になってから一緒に返す手順になっている。


 ごろごろ、ごろごろ、ごろごろ、ごろごろ――。


 四台の箱が列になって厨房へ帰ってくるころ、炉の中ではもう肉が焼けていた。学生たちが空の箱を作業台の脇へ戻していく様子を、エミリアは壁際から眺めている。


「……戻ってくるのが、ちょっとかわいいわね」


 もっとも、押している学生たちにのんびりしている暇はない。


「一号車、帰りました!」


「次は肉料理だ。箱の中を確かめておいてくれ!」


 掛け声を聞きながら、エミリアの視線は木箱の下へ移っていく。鉄の軸に青銅の車輪を組み合わせ、床に置いた二本の角棒の上を転がす仕組みなら、載せるものは料理箱でなくてもよさそうだ。


 例えば、長くて重い砲身を載せれば、砲座の中で交換用の――。


 そこまで考えて、エミリアの目がきらりと光った。


「エミリアさん、何を考えてます?」


 目ざとく気づいたジルベールに、エミリアはにこりと笑ってみせる。


「まだ何も」


「その顔で?」


 明らかに含んだところのある笑顔のまま、答えが返ってこないので、ジルベールは今は聞かないことにした。


◇◇


 会場の壁際では、マルシェ子爵が各卓の食事の進み具合を見渡していた。主賓席で会話が弾んでいても、その先にはまだ魚を食べている客がいる。料理を急かすことなく、かといって次の皿まで間を空けすぎないように、客の手元と給仕の動きへ静かに目を配る。


 魚百人分の送り出し準備をすべて終えてから、次の肉を焼き始める手順は、子爵も承知している。予定の焼き上がりが近づくころ、厨房との連絡を受け持つ給仕がそばへ寄った。


「肉料理は、予定どおり間もなく焼き上がります」


 子爵はもう一度会場を見た。魚を食べていた客も刃を置き、隣の席との話へ加わろうとしている。今から皿を下げれば、焼き上がった肉をちょうどよく迎えられる。


「魚の皿を下げよう。肉は焼き上がり次第、出してくれ」


 給仕たちへ小さく合図を送り、連絡役を厨房へ戻す。客人たちの会話が途切れることなく皿が下がり始めるのを見て、子爵の表情もわずかに緩んだ。


 厨房では父からの伝言を受けたフローレが、盛り付けの担当へ声をかけている。会場を見る父に任せておけば、自分はこの肉をいちばん良いところで出すことに集中できる。


 やがて砂時計の砂が落ち切り、扉を開くと肉の焼ける匂いが広がった。料理人たちが各段を確かめ、最後の担当が大きく頷く。


「肉、よし!」


「出してくださいませ。一号車から、さっきと同じ順で!」


 天板が作業台へ下り、百人分の肉が皿へ移されていく。魚を運んで戻った四台へ同じ順で収め、一号車には主賓席と王族の卓の分を優先する。フローレは最後の皿を確かめ、並んだ四つの箱を見て頷いた。


「一号車、肉料理を出します!」


 再び四台が順に通路へ出ていき、魚の皿を下げ終えた給仕たちが、配膳所で待ち受ける。肉の縁ではまだ脂がぷすぷすと鳴っていたが、その音が収まるのを待つこともなく、最初の皿は主賓席へ向かった。


◇◇


 その夜のセリーヌ・アヴァロンは、外国の使節を迎える王族として席に着き、交渉から続く話に耳を傾けていた。同じ卓には王立大学校の若い准教授もいて、政治と経済を専門とする立場から今回の交渉に参加し、使節の質問に答えている。


 魚料理を食べ終えて皿が下がり、会話が途切れたところへ、今度は肉料理が置かれた。ぷすぷすという小さな音に、セリーヌは皿へ目を向ける。先ほどの魚も香ばしく温かかったが、今度は肉の縁で脂が弾け、薄い湯気まで上がっている。


 本来は王族が食するものは毒見などを経て提供される。ただし、今回は王族は客人を迎える側であり、迎える側が先に口をつけ、客人へ勧めるのが慣例とされる。セリーヌは魚のときより用心して肉を小さく切ったものの、この人数の食卓へ運ばれた料理が、そこまで熱いとは思わずに口へ運ぶ。


(熱っ)


 ほんの一瞬、目を丸くして皿を見直した。温かく保ってあったという程度ではない。表面は香ばしく、切り口からは湯気が立ち、つい先ほど炉を出てきたばかりとしか思えない熱さだ。


「……本当に、焼き立てですわ」


 思わず漏れた小声に准教授が顔を向けるのを感じ、セリーヌは慌てて表情を整えた。客人に勧める側が先に驚いてどうするのかと、少しばかり気恥ずかしい。それでも、もうひと口食べたいと思うほどの焼き加減に口元が緩み、使節へ向ける笑みはいつもより柔らかくなる。


「とても良い焼き加減ですわ。どうぞ、お召し上がりくださいませ」


 客人が肉へ刃を入れるのを見守りながら、ほかの卓にも目を配る。その先でも、さらに向こうでも同じ肉料理が置かれている。先ほどの魚に続いて、この肉まで、各卓へほとんど同時に焼き立てが届いているではないか。


 静かに肉を噛みながら、セリーヌが思い浮かべたのは、厨房で見かける令嬢の顔だった。


(フローレさん……何をなさったの?)


 会場から見えない扉の向こうでは、ちょうど四台の木箱から最後の皿が取り出されるところであった。


◇◇


 滞りなく晩餐会が終わり、使節たちが席を立って最後の皿も下がったところで、セリーヌは准教授に呼び止められた。


「王女殿下でも、驚かれることがあるのですね」


 あの肉のことかと気づくまでに、少しだけ間が空く。


「仕方ありませんわ。まだ肉が鳴いていましたもの」


 笑みを浮かべた准教授の一礼に礼を返し、セリーヌが見送りへ向かうころ、厨房では別の食事が始まろうとしていた。


「手の空いた方から、こちらへどうぞ」


 フローレの呼びかけに、料理人や給仕、メイド、大学校の学生たちが、最後の片付けを交代しながら作業台の周りへ集まってくる。今まできびきび動いていた人たちが腰を下ろすのを見て、フローレも足の疲れに気がついた。大型オーブンにはまだ余熱があり、予備の肉や野菜、客席へ出すには形が揃わなかったパンを入れると、ほどなく良い匂いが戻ってくる。今度はその匂いに空腹を感じて、ようやく自分も食べる気になれそうだった。


「主賓席に出したものと同じ肉ですか?」


 若い給仕が皿を覗き込むと、フローレは頷いて勧める。


「同じですわ。形が悪かっただけです」


「形なんて気にしません」


 周りに笑いが広がる中、アルマンも皿を受け取り、肉をひと切れ口へ運んだ。しばらく味わってから炉へ目を向けると、ようやく仕事が終わったという気がしてくる。


「本当に、あそこで焼いたんですね」


「何度も試食しましたでしょう?」


「そうなんですけど。今日は、お客さんが食べたんだなと思って」


 フローレもつられて炉のほうを見る。扉の前には天板も盛り付け待ちの皿も残っておらず、あれだけの料理が全部、客席まで届いたことを実感できる。試験のたびに、焼き上がりを確かめる自分の隣で、アルマンは棚を調べていた。今夜もそこにいてくれたおかげで、自分は料理だけを見ていられたのだと思うと、礼を言う前に少し声が詰まった。


「アルマンさん、今日はありがとうございました」


「僕は棚を作っただけですよ。扉は鍛冶屋さんですし、火の回し方は親方です」


「その棚がなければ、今日は何も焼けませんでしたわ」


 アルマンは返す言葉に迷い、皿へ目を落とした。大きな扉を作った職人や、火の回し方を教えた親方を思えば、礼を受け取るのは気が引ける。それでも、フローレが、自分の作った棚があってこそだと言ってくれるのは嬉しく、もう一度謙遜する代わりに、彼女を見て頷いた。


「……そうですね」


「ええ。もう一皿いかが?」


 空きかけた皿へ目をやりながら勧められると、今度は迷わず差し出せる。


「いただきます」


 もう焼き色を記録したり底を調べたりする必要はないので、アルマンは受け取った肉を温かいうちに食べることにした。


 少し離れたところでは、給仕たちが料理輸送車を話題にしている。


「今日は、足が楽でしたね」


「いつもなら、最後には廊下が倍くらい長く感じますから」


「箱を開けたら、すぐ次の皿があるんですもの」


 ジルベールはパンを持ったまま、満足そうに頷いていた。車輪がうまく回ったことも嬉しいが、さっきまで箱の向こうで働いていた人たちに楽だったと言われると、つい話をもっと聞きたくなる。


「まあ、荷車自体はどこにでもあります。それをちょっと改良しただけです」


 その声を聞いて通路を見ると、フローレにも、箱が役立ったことはよく分かる。百人分を一度に焼けるようになっても、そのままでは作業台に料理が並ぶばかりで、客席へ届けるまでに冷めてしまう。


 今日は魚も肉も四台の箱でまとめて運び、戻った箱を次の料理にも使えた。会場の手前では、待ち受けた給仕がすぐに皿を取り出している。自分が炉の中を考えている間に、ジルベールは炉の外を見ていたらしい。


「便利だったことは、認めますわ。ただ、先に言ってくださいませ」


 ジルベールが顔を上げ、少し首をすくめる。


「……はい」


 そこへマルシェ子爵が姿を見せ、入口から厨房を見渡した。


「皆、ご苦労だった。客人からもお褒めの言葉をいただいた」


 あちこちにほっとした笑顔が広がるのを見て頷いた子爵は、通路へ目を向けると、足元の鉄棒から、その先に並んだ木箱へと視線をたどらせた。


「……ところで、あれは何だ?」


「料理輸送車です」


「誰が許可した?」


 厨房が静まり返る中、ジルベールは手に持ったパンへ目を落とす。


「……お役に立ちそうだったので」


「そういうことを聞いているんじゃない」


 フローレも皿を置き、父へ向き直った。勝手に据えたことを叱られるのは当然だと思う。それでも、あの箱を使うと決めて皆を動かしたのは自分なのだから、ジルベール一人に説明させておくわけにはいかない。


「お父様。使用は、私が判断しましたわ。料理を出すところで初めて知りましたけれど」


 子爵は娘の顔を確かめてから、もう一度ジルベールを見る。


「明日、設置した経緯と、誰が管理するのかを説明してもらおう」


「はい」


 子爵は周囲を見回してにやりとした。


「それまでは勝手に撤去するな。しばらく使わせていただく」


 後ろで聞いていたメイドが、ほっとしたように頷いた。


「明日の朝食にも、使えますからね」


 子爵に振り向かれると、メイドはそっとパンを口へ運んでとぼけた。


 大型オーブンの前では、まだ温かい料理が皆の皿へ配られていた。


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