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第40話 終戦_二次戦役6/6

 回廊を抜けて砦の内側へ入った時、ようやく騎馬魔法士隊の空気が変わった。


 さっきまでの彼らは、戻っているときもまだ戦闘態勢だった。前を見て、左右を見て、どこから敵の残りが攻めてくるかを警戒し続けていた。だが砦の石壁が近づき、味方の角笛が短く返ると、その張り詰めたものがすこしだけ緩む。


「道を空けろ! 騎馬隊、戻るぞ!」


 門前で兵が叫ぶ。槍が上がり、人垣が左右へ割れる。


 その中央を、クラリスの馬が静かに入ってきた。


 主人はもうほとんど起き上がれていない。馬の首筋へ伏せるようにして、肩がかすかに上下するだけだ。左右には部下がついているが、引いているのではない。落ちないよう、いつでも手を出せる位置にいるだけである。


 馬は、慌てなかった。


 門をくぐる時には頭を少し下げ、石畳へ入ると歩速をもうひとつ落とす。左右の馬が寄ればぶつからぬだけの間を取り、人が前を横切れば耳を動かして避ける。誰かに導かれているというより、自分で帰るべき場所を知っている。


「隊長を降ろす! 治癒師を!」


 副官が叫ぶ。


 そこでようやく、クラリスの馬が足を止めた。


 部下たちが駆け寄り、鞍の横へ手をかける。クラリスは自分で降りようとしたらしかったが、片足を外したところで力が入らず、半ば抱えられる形になった。


「……情けない」


 かすれた声で、本人が言う。


「情けなくありません!」


 副官がほとんど怒るように返した。


「戻ってきたんですから、それで十分です!」


 その言葉に、クラリスは少しだけ目を細めた。笑ったのかもしれない。だが、次の瞬間にはもう、部下の肩に体重を預けていた。


◇◇


 砦の内側では、すでに終戦後の声が飛び交っていた。


「深追いするな!」

「列を崩すな!」

「負傷者は順に後ろへ!」

「森へ入るな、そこで止めろ!」


 勝った、と誰かが宣言したわけではない。だが、命令の中身が変われば、戦場は対応を変える。押し返すための声ではなく、収めるための声が増えていく。


 第二軍本軍四千は、押し返した位置で待機。

 第一軍三千も、伸ばした鶴翼をそれ以上は深く入れない。

 逃げる敵を森の奥まで追えば、今度は小隊ごとのばらばらの戦いになる。そこで隊列を崩す愚を、アドリアン少将は犯さなかった。


 クラリスの騎馬魔法士隊も、もう出ない。


 出せる状態ではなかったし、出す必要もなくなっていた。


「隊長は休ませろ」

「馬もだ。鞍を外して、水を」

「騎馬隊は当番以外、いったん休ませろ」


 副官が次々に命じる。戦いの最中は前へ前へと押していた声が、今は帰ってきた者を止めるために使われていた。


 クラリスは、騎馬魔法士隊用に急ごしらえで空けられた天幕へ運び込まれた。寝台に座らせようとしても、途中で身体の力が抜ける。結局、半ばそのまま横になり、ようやく息をついた。


 治癒師が手首を取り、瞳を見、呼吸の浅さを確かめる。


「大きな外傷はありません。魔力と気力の使いすぎです。今日はもう絶対に動かさないでください」


「本人が動くと言っても?」


 副官が聞く。


「縛ってでも休ませてください」


 そのやり取りに、クラリスは薄く目を開けた。


「ひどい言い方ね」


「ひどく言われるだけのことをしたんですよ」


 副官が即答すると、クラリスは今度こそ少しだけ笑った。けれど、それで終わりだった。笑ったあとのまま目を閉じ、ほどなく本当に眠ってしまう。


 部下たちは、その寝顔を見てようやく、自分たちがどれほど危ういところから戻ったのかを知った。


◇◇


 外では、アドリアン少将が馬を降りたところだった。


 外套の裾には土がつき、靴には乾いた泥がこびりついている。王族らしい軍装をしているのに、その汚れだけは前へ出ていた者のものだった。


 そこへエステルが駆けてくる。腕には簡単な被害集計の紙束を抱えていた。


「殿下」


「どうだった」


「騎馬魔法士隊は戻りました。クラリス少尉はもう休ませています。今日は再出撃なしです」


「当たり前だ」


 アドリアン少将はあっさりと言った。


「あそこまで使い切った人間をもう一度出すのは、勇敢じゃなくて馬鹿だからね」


 エステルは、その言い方に少しだけ頷いた。


「敵は」


「退いてる。崩壊ではないけど、今日はもう終わりだろう」


 少将はそう言ってから、砦の上を見た。狙撃魔法杖隊が片付けに入っているのが見える。


「あれ、面白かったな」


「エミリアさんです」


「だろうね」


 少将は笑う。


「敵兵を減らしていたんじゃない。包囲を指図している小隊長や、次の小隊へ走っている伝令だけを落として、敵の動きを崩していた」


 エステルも、同じ方向を見た。


「最初は前を撃っていたんです。でも途中から、前じゃなくて、後ろの伝令や誘導役を見るようになりました」


「見えたんだろうね」


「はい」


「沢山人がいる中で、前の兵ではなく、後ろで小隊を動かしている人間を見つけるのは、簡単じゃない」


 少将は少しだけ目を細めた。


「しかも、あの場でね。矢も飛んでくるし、味方は削られているし、クラリス少尉は包まれかけてる」


 エステルは、そこで小さく息をついた。


「エミリアさん、会議には呼ばなくていいですよね」


「呼ばなくていい」


 少将は即答した。


「彼女はクラリス少尉の隊付きだ。軍の会議に呼んでも怖がるだけだろ」


 それから少しだけ笑って続ける。


「報告は君がしてくれ。君ならエミリア嬢のやっていることがわかるだろうから」


「わかりました」


 軽いやり取りだったが、そこにあった評価は本物だった。


◇◇


 第二軍司令部では、戦後の最初の整理が始まっていた。


 戦死者、重傷者、中傷、軽傷。

 正面四千の損害。

 第一軍応援三千の損害。

 左右の山は大きな異常なし。

 砦後方三千は内側の穴埋めと後送の整理に回ったこと。

 敵は完全な潰走ではなく、形を保った後退へ移ったこと。


 バークレイ卿は報告を一つずつ聞きながら、最後にアドリアン少将へ向いた。


「殿下の右翼前進で、クラリスの隊は助かりました」


 少将は片手を振った。


「いやいや。まず大前提に本軍がしっかりと敵のほぼ全部を受け止めてくれたこと、そして砦の上が、包囲を指図していた小隊長や、次の小隊へ走る伝令を落としてくれていたからですよ。あれがなければ、こちらが翼を伸ばしたところで、たくさんの敵小隊と揉み合いになって膠着するだけだった」


「エミリア嬢ですか」


 副官が確認するように言うと、エステルが頷く。


「はい。正確には、エミリアさんが見て、列指揮官たちが運用に落とし込みました」


 バークレイ卿は短く息を吐いた。


「なるほど」


 そこで少将が笑う。


「魔砲が刺さらないから終わり、じゃなかったのがよかったですね。次の手へ切り替えた。しかも、誰か一人の思いつきじゃなく、現場全体で」


 バークレイ卿も、それには頷いた。


「そういう戦い方でしたな」


「ええ。現場が自分の仕事をしたということです」


 少将は軽い調子でそう言ったが、その言葉はこの戦いの本質をかなり正確に表していた。


 魚鱗の陣をほどいて鶴翼へ変えたこと。

 その翼で戦場を払ったこと。

 砦の上から、小隊長や伝令を落として敵の連動を崩し続けたこと。

 それを受けて騎馬魔法士隊が戻れたこと。


 どれか一つだけでは足りなかった。


「クラリスは」


 バークレイ卿が問う。


「休ませています。今日はもう出してはいけませんよ」


「そうします」


 父としての声が、少しだけ混じっていた。


◇◇


 砦の上では、片付けが続いていた。


 狙撃魔法杖は布に包まれ、列ごとの記録がまとめられ、魔砲も今日は主役ではなかったなりに丁寧に整備へ回されている。兵器は、その日の戦果だけで価値が決まるものではない。次に必要な形で使えるように戻しておくことのほうが、大事な時もある。


 エミリアは、ようやく城壁から一歩下がった。


 足が少し震えている。寒いのか、怖かったのか、緊張が切れたのか、自分でも分からない。ただ、下で担架が行き、治癒師が呼ばれ、死者の名を確認する声が風に乗って薄く届くのを聞いていると、戦いが終わったのだと遅れて実感が追いついてきた。


「ここにいたんだ」


 声がして振り向くと、エステルだった。今日は何度も走ったせいか、外套の裾がかなり汚れている。


「終わったね」


「はい」


 二人はしばらく並んで同じ方を見た。


「司令部には呼ばれませんでした」


 エステルが言う。


 エミリアは、少しだけ肩の力を抜いた。


「よかった」


「よかったんですか」


「うん。今は、ちょっと無理」


 正直に言うと、エステルは小さく笑った。


「そうだと思いました」


「でも、何か言われてた?」


「言われていましたね」


 エミリアはそちらを見る。


「殿下が、敵兵を減らしたんじゃない、連携を壊していたんだろうって」


 その言葉に、エミリアは少し黙った。


「……そんな立派なものかな」


「立派でしたよ」


 エステルはすぐに言う。


「前にいる兵を撃つんじゃなくて、後ろで小隊を動かしている小隊長や伝令を見ていたから、クラリス少尉の退路が残ったんです。少将もそこを見て、翼を伸ばしたんですから」


 エミリアは城壁の向こうへ視線を戻した。


 魔砲が刺さらなかった。

 そこで終わっていたら、たぶん今日はずっと悔しいままだった。


 でも実際には、そこで止まらなかった。

 狙撃魔法杖が立ち上がり、射手が覚え、列指揮官が学び、少将が読んで合わせ、クラリスが生きて戻った。


「……それが、よかったです」


 ぽつりとそう言うと、エステルも頷いた。


「はい。私もそう思います」


「でも、あまり終わったとか、勝ったって感じはしないよね」


「大きい戦争だと、数千人から数万人居るんです。アリの大群とアリの大群ですよ、現場じゃどっちが勝ったかなんてさっぱりわかりません」


「なんか、海の潮が引いていくように敵が引いていったね。敵が動いているように見えないけど、気がついたらいなくなってた」


「大きい戦いというのはそんなもんですよ」


 下ではまだ仕事が続いている。

 勝ったあとにしかできない仕事が、山ほど残っている。


 エミリアは城壁から手を離した。


 次は、もっとよく見えるようになりたい。

 次は、もっと早く分かるようになりたい。


 そう思いながら石段へ向かう足取りは、戦いの前より少しだけしっかりしていた。

 鎧の重さで少しだけぷるぷると震えていたのは内緒だ。

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