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第38話 退路_二次戦役4/6

 砦の上から見れば、戦場はますます騒がしくなっていた。


 三十人ほどの敵小隊が前へ出る。

 それを第二軍本軍と第一軍応援軍が受け止める。


 三十人の小隊が一つだけなら、本軍や応援軍に周囲から取り囲まれて、あっというまに粉砕されてしまうだろう。しかし、その小隊が数十あり、タイミングを合わせて第二軍本軍四千や、第一軍三千にぶつかってくればどうか。そうなるとほぼこちらの隊列を動かせなくなるし、損害も大きくなる。また、敵は三十人という小隊を単位として動いているので、撤退して素早く治療や再編ができるのは利点になる。


 押し返された小隊は後ろへ下がり、そこへまた別の三十人が攻めてくる。

 その後ろでは、さらに別の小隊が横へ走る。

 伝令が走る。

 手を振る者がいる。

 止まりかけた小隊が、また動き出す。


 ただ見ていれば、それは相変わらず意味のない雑音の塊だった。

 沢山の人が、わらわらと、右へ左へ、前へ後ろへ動いているだけにしか見えない。


 けれどエミリアは、そこから少しずつ、意味のある動きだけを拾うようになっていた。


 前を受ける三十人。

 その横へ動く三十人。

 さらに後ろで、それぞれの間を繋ぐ一人か二人。

 そして、その人間が通るたびに、ばらばらだった動きが一つの形になる。


 包囲だ、とエミリアは思った。


 まだ綺麗な円ではない。

 けれど、いくつかの小隊が時間差で位置を変え、前を塞ぎ、横を塞ぎ、さらに抜けた先へ別の小隊を寄せていく。そうやって、少しずつ“包囲”する動きがある。


 その中心にいるのが、クラリスだった。


◇◇


 クラリスは、五つ目の小隊を焼き崩したところで、ようやく口の中に血の味が混じっていることに気づいた。


 噛みしめすぎたのだろう。

 息はまだ保っている。馬も、まだ走れる。けれど楽ではない。苦しくなっていることを自覚するくらいには戦いが長くなっていた。


「右!」


 部下の声に、反射で杖を振る。

 火が横へ走り、寄ってきた小隊の前列を焼いた。

 そのまま馬首を返して抜ける。抜けた先には、また三十人。


「……しつこいわね」


 言いながら、クラリスは逆に少し笑いそうになった。

 敵は諦めない。焼けば崩れる。崩れるが、次が来る。そこまでは、もう何度も見た。


 嫌なのは、そこではない。


 抜けた先にいる。

 さらに、曲がった先にもいる。

 最初は偶然かと思ったが、もう偶然では済まない。こちらがどちらへ抜けたがるかを見て、先回りしている。


 真正面から騎馬魔法士隊を止めるのではない。

 進路の先に、小隊を一枚ずつ置いていく。

 そうやって鱗のように重ねていき、最終的に、行ける方向そのものを狭めていく。


 普通の騎馬遊撃隊なら、それで十分に危ない。

 馬の脚が止まれば、あとは槍と剣の間合いになる。横と後ろを取られれば、数の差がそのまま命取りだ。

 ただし、他の騎馬遊撃隊は本軍からはそれほど離れることはない。遊撃隊単独では小隊と戦えるほどの攻撃力はない。本軍と遊撃隊で挟撃することで小隊を殲滅する戦術を取るのが前提だ。遊撃隊の中でも騎馬魔法士隊という単独で戦えるクラリスの火力のほうがまともではないのだ。


 クラリスも、それを知らないわけではない。


 知らないわけではないのに、危険がはっきり見えたときに最初に出てくる考えは、やはり普通ではなかった。


 なら、その包囲ごと焼けばいい。


 危険を避けるより、危険になる前に相手を消す方が早い。

 そう考えてしまう自分を、クラリスはもう訂正しなかった。


「隊長、左後ろ!」


 また声が飛ぶ。

 振り返ると、さっき焼いたはずの小隊の残りが、別の三十人と合流しながら攻めてきていた。


 クラリスは馬を少しだけ外へ切り、そこへ火を払う。

 前列は崩れる。だが崩れた先、その外側には、また別の小隊がいる。


「……ああ、そういうこと」


 ぽつりと漏らした。


 追われているのではない。

 行き先を、読まれている。


◇◇


 砦の上では、第三列の列指揮官が城壁の切れ目へ身を寄せていた。

 彼の後ろでは、三人の射手が交代で休息している。撃ち続ければ精度が落ちると、もう全員が分かり始めていた。


「右へ走ってる、あれですか」


 列指揮官が低く問う。


 エミリアは目を細めた。


「はい。あの人が着くと、左の小隊が動きます」


「その後ろの、止まって手を振る者は」


「誘導役です。前へ出ろ、と言っています。あれが落ちると、後ろの隊を止められます」


 列指揮官は短くうなずいた。


「第三列、左端。伝令」

「中央、誘導役」

「右端は待て。無理に撃つな」


 指示が飛ぶ。

 射手たちは、いまではもう「撃つ」ことそのものより、「どれを撃つか」に神経を使い始めていた。


 左端の射手が構え、細い光が走る。

 伝令は肩を跳ね上げて転んだ。

 中央の射手は少し外したが、それでも誘導役の足元へ入ったため、一団の動きは止まる。


 その遅れを、クラリスは逃さない。

 火が走り、足の止まった前列が崩され、その脇を騎馬魔法士隊が抜ける。


「……通った」


 第四列の若い射手が、小さく呟いた。


 エミリアは返事をしなかった。

 ただ見ていた。

 自分たちの一射が、クラリスの進路にどれほど直接効くかを。


 その時、第二列の列指揮官が、休ませていた射手の一人に目を向けた。


「戻れそうか」


「はい。腕は戻りました」


「さっきの撃ち方、覚えているか」


 射手は少し考えてから答えた。


「力加減が押さえ気味なほうが、遠くへ行きますね」


「先を見こす感覚はわかるか?」


「……だいたいなら」


 その言い方が、もう部隊の共通語になり始めていた。

 近い相手か、遠い相手か。

 強く出したか、抑えたか。

 理屈はまだ曖昧でも、運用は先に立ち上がる。


 エミリアはその会話を聞きながら、胸の中に少しずつ別の確信ができていくのを感じた。

 兵器の癖は、開発した人間でも一人で全部理解できるものではない。

 使う人が癖を覚え、まとめる人が言葉にし、そこへ自分の意味を足す。

 そうやってようやく、戦場の兵器になる。


「エミリアさん」


 第三列の列指揮官が、今度は声の調子を変えて呼んだ。


「はい」


「いまクラリス隊の前を塞いでいるのは二隊です。しかし、その後ろからもう一隊近づいています」


 エミリアはすぐに視線を移した。

 いた。

 前を塞ぐ二小隊は、まだ直接クラリスの前にいる。けれど、その少し後ろ、今はまだ接触していない位置から、別の三十人が横へ動いている。あれが着けば、今度は“抜けた先”が塞がれてしまう。


「はい。あれが動くと包囲されると思います」


 列指揮官がすぐに言う。


「なら、狙うのはあそこの伝令か、小隊長ですな」


「はい」


「どちらが先ですか」


 エミリアは一瞬だけ迷った。

 距離はどちらもある。風も悪くない。だが射手の疲れは残っている。二つとも落とせれば理想だが、欲張れば両方外す。


 そして答えた。


「伝令です。伝令が届かなければ、あちらはまだわからないと思います」


 列指揮官は迷わず命じた。


「第三列左端、伝令。距離があるからかなり先を見越して撃て」


 射手は一度だけ深く息を吸い、撃つ。

 細い光は、走っていた伝令の少し前へ出て、そのまま肩口を抜いた。


 伝令は倒れる。

 その先にいた三十人は、半歩だけ止まる。

 半歩止まれば、クラリスが倒せる。


 砦の上で、誰かが小さく息を呑んだ。


◇◇


 正面の右で戦況を見ていたアドリアン少将は、その“半歩の遅れ”に三度目で気づいた。


 最初は、敵の小隊長の質にばらつきがあるのかと思った。

 あるいは、クラリスの火力を前にして現場が怯んだだけかもしれないと。

 だが違う。


 同じように包囲を閉じようとしていたはずの動きが、毎回、最後のところで少しだけ噛み合わない。

 前へ出る隊はいる。

 横へ寄る隊もいる。

 けれど、その二つに合わせるはずの後ろが、時々おかしな止まり方をする。


「妙だな」


 そう言ったアドリアン少将に、副官が視線を向けた。


「何がです」


「敵の包囲のタイミングだよ。下手なんじゃない。何かが止まってる」


 副官は眉を寄せる。


「止まっている?」


「前へ出る小隊はいる。横へ寄る小隊もいる。なのに最後の包囲のタイミングが遅い」


 エステルも、その言葉に正面へ目を凝らした。

 少将の言っていることは分かる。敵の小隊運用はむしろ賢い。けれど、賢い割に、包囲の輪が完成しない。どこかで必ず一拍遅れる。


 その理由を、エステルは知っていた。


「殿下」


「うん?」


「砦の上です」


 アドリアン少将が視線だけを寄こす。


「エミリアさんが、狙撃魔法杖隊を上げています。最初は手探りでしたが、さっきから後ろの伝令や指示役を落とし始めています」


 少将は一瞬だけ黙った。

 その沈黙は、驚きではなく、盤面の意味が一気に繋がったときのものだった。


「……なるほど」


 前へ出る兵を減らしているのではない。

 包囲を指示する者だけを切っている。


 そう考えると、さっきから見えていた戦場の歪みが全部きれいに説明できた。敵が拙いのではなく、敵の連携だけが止められているのだ。


「魔法で個人を狙撃する、そんなことが魔法で可能なのか?」


「エミリアさんはあの魔砲の開発者でもあります」


 アドリアン少将の口元に、少しだけ笑みが浮かぶ。


「面白い娘だねえ」


 副官がすぐに言う。


「感心している場合ですか」


「いや、感心してるよ。だって、あれじゃないか。敵兵を減らしてるんじゃない。命令系統を壊してる」


 エステルは少将の横顔を見た。

 この人は兵器の理屈を知らなくても、戦場の構造は読む。だから、エミリアの仕事の意味にも辿り着ける。


「殿下、でしたら」


 エステルが言いかけると、少将は頷いた。


「ああ。まだ早いが、準備はいる」


 副官が一歩寄る。


「何をします」


 アドリアン少将は、クラリスのいる方向と、自軍の右翼の先を見比べた。


「敵が包囲を作りきれないなら、そこは“偶然の隙”じゃなくて、意図的に“通れる場所”にしてやった方がいい」


 副官の顔が引き締まる。


「翼を伸ばしますか」


「状況次第だね」


 少将はそう言ったあと、もう一度正面を見た。

 第二軍本軍四千はまだ崩れていない。

 敵小隊は多いが本軍は耐えきれると判断する。


 なら、そこへ兵三千で敵の側面から後方に向かって防御陣を張ればいい。

 アドリアン少将は静かに命を発した。


「鶴翼を広げよ」


 副官が下がる。


 少将はその背を見送ってから、ぽつりと言った。


「いい仕事をしてる」


 エステルは小さく答えた。


「エミリアさんですか」


 正面では、クラリスがまた一つ小隊を焼き崩した。

 だが、その先にはさらに別の三十人がいた。

 鱗はまだ重なり続けている。

 敵の包囲がまだ、完成していないだけだ。


 少将は目を細める。


 砦の上が敵の“連絡”を切って、かろうじて敵の包囲を止めている。

 なら自分は、その止まったところをこちらの優位な戦場の形に変えるだけだ。


 そしてすでに、もう準備は始まった。


 砦の上では、エミリアがまた次の伝令を目で追っている。

 ただ沢山の人がわらわらと走り回っているようにしか見えない景色の中で、輪を閉じる一本の線だけを見つけ出して。

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