第36話 魔砲対策_二次戦役2/6
最初の小隊が砦前に現れたとき、エミリアはまだ、魔砲で十分にいけると思っていた。
敵は緩衝地帯の森を切り開き、大軍を通せる場所を作った。ならば、どこかで兵は集結する。集結すれば密度が上がる。密度が上がれば魔砲の効果が上がる。そう考えるのは自然だったし、一次戦役では実際にそれで戦場が変わった。
だからエミリアは、砲座の脇に立ち、砲口の向こうをじっと見ていた。
三十人ほどの敵小隊が前へ出る。
その後ろにもまた三十人。
さらに右にも、左にも、間を空けて人影がある。
数だけを見れば多い。けれど一つ一つは小さい。まとまって押し寄せてくるのではなく、ばらばらに、しかも互いの間隔を保ったまま、少しずつ前へ出てくる。
「一列目、確認」
「二列目、待機」
「三列目、接続点検」
「四列目、異常なし」
列指揮官たちの声が短く飛ぶ。
三名の魔砲技師に一名の列指揮官。
それが四列。
合計十六名で一門を支える編成は、もう何度も訓練した形だった。固定具も流路も接続も、手順そのものに迷いはない。魔砲は、準備だけなら十分に戦場の道具になっている。
問題は、戦場のほうだった。
第二軍本軍四千が、砦前で最初の小隊を受け止める。
盾が鳴り、槍が突き出され、血が飛び、怒号が短く重なる。
三十人小隊は、真正面からぶつかれば押し潰せるほどの力はない。厚い正規隊列の前では、押し込む前に跳ね返される。だが、止まって終わりでもない。前へ出た小隊が下がると、その横からまた別の三十人が出る。さらに後ろでは、別の小隊が少し位置を変えながら待っている。
一隊ごとの力は弱い。
それでも、接触が途切れない。
小さな波が、何度も何度も打ち寄せてくる。
大きな一撃ではない。だが、受ける側にとっても、馬鹿にできない損失が薄く積み重なっていく。腕も脚も呼吸も、少しずつ削られていく。
敵は最初から、それを狙っているのだと、エミリアはほどなく悟った。
広いところでは、小隊単位で散る。
だから魔砲を撃たせない。
だが接敵すれば、嫌でもこちらとの距離は詰まる。小隊は正面の隊列へ食いつく。こちらと向こうが近づきすぎれば、今度も魔砲を撃てない。撃てば味方を巻き込むからだ。
つまり敵は、広い場所で魔砲を殺し、接敵してさらに魔砲を殺すつもりでいる。
それを理解した瞬間、背筋へ冷たいものが流れた。
それでも、撃てる場所がないわけではない。
完全に散っているわけでもない。
どこかで二小隊が近づき、三小隊が重なりかける瞬間があれば、そこへ撃ち込める。
エミリアは焦りを飲み込みながら、その「撃てる瞬間」を探した。
右前方で、二つの小隊が切り開いた空地の縁へ移動する。
撃てるか、と思った瞬間、そのうちの一つがわざと速度を落として横へ避ける。
左では、別の小隊が前へ出かけて、接触線へ近づくと急に薄く広がる。
まとまりかけて、まとまらない。
魔砲が一番よく撃てる状況だけを、敵はきれいに避けていた。
「……っ」
エミリアは、砲身の脇に置いた手へ力を込めた。
敵は学んでいる。
頭では分かっていたはずだった。魔砲を受けて、どんな形が危険かくらい向こうも一度見ている。だから同じ塊のままでは来ない。理解していたはずなのに、いざ目の前で見せつけられると、その“分かっていたこと”が、別の重さで胸に落ちてきた。
やがて、正面やや右で、七十人ほどが一瞬だけ近い距離に寄った。
大きな密集ではない。
けれど、今日の戦場ではこれが一番まとまった形だった。
エミリアは迷った。
ここで撃つべきか。
もっと待つべきか。
だが、待ったところで、これ以上の塊が本当に来るのか分からない。このまま一発も撃てずに終わるかもしれないという怖さのほうが、判断を先に押した。
「……撃ちます」
一列目の列指揮官が短く応じる。
「一列目、注入」
「二列目、追従」
「三列目、維持」
「四列目、維持」
空気が張り詰める。
流路の向こうで圧が高まり、次の瞬間、轟音が砦を揺らした。
撃った。
土と木片と兵が吹き上がる。
前の小隊は吹き飛び、その後ろにもいくらか食い込んだ。砲撃としては悪くない。当たりそのものは、むしろ十分によかった。
けれど。
「……少ない」
気づいたら、そう口にしていた。
確かに倒した。
だが、それは前回のように戦場の一角を一気に空ける打撃ではない。小隊二つ分に届くかどうか。そのうえ、砲撃を見た後ろの小隊は、さらに間隔を開けた。吹き飛んだ場所の周りの人が少なくなる。
目の前にある砲身は、相変わらず重く、太く、頼りがいがあるように見えた。
それなのに戦場のほうは、その頼りがいのある形に合わせてくれない。
正面では、第二軍本軍四千がなおも小隊の波を受け止めている。その右では、アドリアン少将の三千も厚みを支えていた。崩れてはいない。だが、削られている。小隊一つ一つは弱いのに、弱いからこそ絶えず来る。その嫌らしさが、魔砲の外からじわじわ効いていた。
「役に立たない……」
誰に向けた言葉か、自分でも分からなかった。
せっかく作ったのに、と思う。
何度も考えて、試して、ようやく戦場に持ち込んだ兵器なのに、その兵器が一番よく撃てる状況を、敵はもうくれない。
魔砲が効いた証拠だ、という理屈は分かる。
敵に戦い方を変えさせただけでもすごいことだ、と頭では理解している。
けれど、いま目の前で前列が削られているのを見ていれば、その正しさは慰めになりきらなかった。
◇◇
少し後ろから砲座を見ていたエステルは、エミリアの横顔を見て小さく息を吐いた。
泣いてはいない。
けれど、泣く直前ということはわかる。目の縁に熱が集まり、口元だけが強く固くなる顔だ。
「エミリアさん」
呼ぶと、エミリアはすぐに顔を上げた。
「泣いてないですか?」
「いやな確認をしないでください」
エステルは砲身の脇へしゃがみこみ、正面を見た。
「相手、魔砲を怖がっています」
エミリアはすぐには答えなかった。
「戦いって、本当は人数を一点に叩き込める大編隊のほうが怖いんですよ。その敵を小隊単位にまで減らしたんですから勲章モノなんですよ」
「……でも、いま撃てなかったら意味ない」
ぽつりと、エミリアが言う。
「効いたって言われても、前の隊が削られてるのは変わらない」
エステルはそこで否定しなかった。否定してもどうしようもない場面だと分かっていたから。
その時、正面の一角で、押し返された敵小隊が立て直しに入るのが見えた。そこへ、砦の下から角笛が短く返る。
クラリスの騎馬魔法士隊だった。
先頭の馬が土を蹴る。
細く見えるその姿は、走り出した瞬間に刃そのものへ変わる。
「遊撃隊が出ましたね」
「はい……」
遊撃隊の一つであるクラリスの騎馬魔法士隊は、正面へ当たって下がりかけた小隊へ斜めに入った。
火が横へ走る。
崩れた敵小隊の脇を、そのまま騎馬魔法士隊が抜ける。敵小隊を叩けば、敵小隊は戻れなくなる。戻れなければ、再び次の波に加われない。つまり、敵小隊は段々と数を減らしていくことになる。
それは明らかに効いていた。
波が細くなる。
押し返した後の呼吸が、一拍だけ長くなる。
だが同時に、エミリアには別のことも見えた。
敵は小隊に分散している。
分散しているからこそ、今度はクラリスの進路の先へも、別の三十人を置ける。
まだ露骨ではない。
けれど、ただ押し返されているだけではない動きが、すでにいくつか見え始めていた。
「魔砲の仕事は終わっていません」
エステルが静かに言う。
「でも、いまこの場で一番効く仕事ではなくなっています」
エミリアは唇を噛んだ。
悔しい。
悔しいが、否定できない。
砲は重い。
一撃は強い。
けれど今の戦場は、その強さをまともに受けないように作り替えられている。
エステルの視線が、砲座の脇に布を掛けて置いてある細い杖へ向いた。
試製の狙撃魔法杖。
魔砲隊と同じ四列編成を流用し、三名の射手に一名の列指揮官を付けた十六名で運用する新兵器だ。魔砲ほど派手ではないし、まだ実績もない。けれど、大きな塊ではなく、意味のある一点を狙うには、むしろ今の戦場のほうが向いているかもしれない。
エミリアも、その視線を追った。
胸の奥ではまだ悔しさが熱く残っている。
けれど、それを抱えたまま立っていても、戦場の形は変わらない。
「……切り替えます」
口にした瞬間、気持ちも少しだけ切り替わった。
列指揮官たちが顔を上げる。
技師たちも手を止めた。
エミリアは、はっきりと言った。
「魔砲待機。狙撃魔法杖へ切り替えます」
そして一拍置いてから、続けた。
「鎧装着!!」
その一声で、空気が変わった。
作業台の下。
砲架の脇。
土嚢の陰。
そこへ置いてあった胸当てや腕当てが、一斉に引き出される。さっきまで固定具や流路ばかり触っていた手が、今度は革紐を締め、肩に通し、留め具を噛み合わせていく。金具の触れ合う乾いた音が、短く重なった。
魔砲の砲座にいる限りなら、まだ後方の重火器班でいられた。
けれど狙撃魔法杖は、砦の上や、もっと見通しの良い位置へ出なければ意味がない。そこまで出れば、流れ矢は普通に飛んでくる。上に人影が見えれば、敵小隊が散発的にでも矢を寄越すかもしれない。
だから鎧は要る。
エミリアも自分の分を引き寄せた。
胸当てを抱え、肩に通し、横の革紐を引く。腕当てを留め、腰の防具を下げる。
立ち上がった瞬間、重さがはっきりと分かった。
脚が重い。
腰が落ちる。
これを着たまま前線を走るなど、とても無理だ。
けれど、歩くことはできる。
撃てる場所まで行くことも、たぶんできる。
砦の外では、まだ小隊の波が続いている。
その中を、クラリスが走っている。
エミリアの魔砲が戦場を変えたのなら、次は、その変わった戦場にエミリアが合わせなければならない。




