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男の決断

俺には生まれた時から許嫁がいた。許嫁といってもそんなに大業なものではなく、仲の良かった親同士の口約束みたいなもんだ。でも俺の後を小さな足を懸命に動かしながら着いてくる彼女は大層可愛かったし、大きな瞳をくしゃっとさせて笑うと何だが俺まで嬉しくなるし、許嫁なんてものもまんざらではないなと子供心に思ってた。

それから数年経って男女の性差がはっきりしてくると俺とあいつの間には見えない溝みたいなものができた。どんくさくてすぐに泣いてしまう彼女よりも同年代の男と野山を駆け回っている方が楽しかったし、彼女も口が悪くて乱暴な俺よりも女達と花を摘んだりお喋りをしている方がよっぽど楽しそうだった。

それからもう数年経って、俺は青年と呼ばれる年齢に達し、彼女もまた少女から女性へと華麗に変貌を遂げた。疎遠になっていた数年の溝を埋めるように慎重に彼女に近づいた。小さい頃のように一緒に駆け回るなんてことはしなくなったが、彼女は俺の横をまた歩いていくれたし、笑うと相変わらず大きな瞳がくしゃっとなった。

好きだとはっきり言葉にしたことはなかった。あいつからもそんな言葉を聞いたことはなかった。けど当たり前のように彼女との未来を思い描いていて、互いに折に触れてそんな話をした。女の子が生まれたら髪を長く伸ばして可愛く結ってあげたいわ。男の子なら貴方が剣術を教えてあげてくださいね。そんな未来を彼女が口にする度そうだなと呟けば、何がおかしいのかくすくす笑って、でも楽しそうなのでそのままにさせておくことにした。

結婚式の前日、よく晴れた日のことだった。いつものように彼女は俺の横を歩いていて、小さな彼女の手を初めてそっと掴んだ。一瞬驚きに目を見開いた後いつものように俺の好きなくしゃっとした笑顔を見せてくれた。幸せだとその時心から思ったんだ。この幸せを死ぬまで大事にしていこうって思ったんだ。

背後から随分と荒い足音が聞こえた。横目でちらりと見やれば血走った目の男が刃物を持って真っ直ぐにこちらに向かってくる。反射的に彼女を背後に隠した。死を覚悟して、それでも彼女を守って死ねるんならそれでもいいかとさえ思った。

なのに、なのにどうしてお前は俺の前にいるんだ。小さな身体を精一杯広げて俺を守るように立っているんだ。

男の持つ凶器が彼女に刺さる瞬間を俺はただ立ち尽くして見ていることしかできなかった。男の手から離れた刃は彼女の身体に深く突き刺さり、お気に入りだった服を赤く染め上げる。傾いだ身体を抱きとめ顔を覗き込めば、何故か彼女は笑っていた。


「泣かないで。」


言われて初めて俺は自分が泣いていることに気がついた。


「愛してる。」


初めて彼女から貰った愛の言葉に俺もと返そうとして、しかし涙で言葉にはならなかった。そんな不甲斐ない俺なのに彼女は相変わらずくしゃっとした笑みを浮かべていて、そのまま静かに息を引き取った。

後から聞けば男は薬物により幻覚を見ていたらしい。彼女を刺したその足で森に入り、後日首をくくった死体として発見された。そんなことを聞かされても彼女が帰ってくるわけじゃない。必死で言葉をかけてくれる両親には悪いが、俺の心はあの時彼女と一緒に死んでしまった。

魔女の話を聞いたのは本当に偶然だった。無理矢理連れ出された外で、たまたま旅人風の男が森で魔女に出会ったと話すのを聞いたんだ。魔女ならば魔法ならばもしかしたら彼女を蘇らせることができるかもしれない。俺は男を捕まえてどこで魔女に会ったのか聞き出した。

それは俺が住んでいる街からは随分と離れた森だった。そもそも大陸が違っていた。それに男は森を彷徨っていたら偶然出くわした程度で、しかも10年も昔だと言う。今も確実にそこにいる保証はないし、広く危険な森だから魔女に出会う前に猛獣に殺されてしまうかもしれない。男はそう言って興奮する俺を諌めた。しかしここにいても俺は死んでいるも同然。それならば万に一つの可能性にかけてみるべきだ。

男から話を聞いた翌日には俺は家を飛び出した。もう戻らないという書き置きを残し、僅かな荷物だけを持って。両親には申し訳ないと思うが、弟が3人いるんだから誰かが家を継いでくれるだろう。長男は死んだものと諦めてほしい。

腕に覚えのあった俺は、荷馬車の護衛や貴族の用心棒などで日銭を稼ぎながら森へと向かった。世界は18年間小さな町から出たことのなかった俺の見立てよりもだいぶん広く、目的の森にたどり着く迄に3年の時を要してしまった。森へ入ってからも当てなどあるはずもなく、ただただ何日も歩き続けた。そうして10日目にしてようやく旅人の話と合致する小屋を見つけたのだ。




魔女殿とディザーは親子のようにも、姉弟のようにも、恋人のようにも見える。そう彼らに伝えれば、魔女殿は難しい顔で小さく否定をし、それを見たディザーも悲しそうに頭を振った。お互いがお互いを大切に思っていることは明白なのに、ここまで感情が行き違うのもおかしな話だ。

俺と彼女の思いはどれだけ同じだっただろうか。確かに愛しているし愛されていた。だがそれだけでもう一度この世に呼び戻し不完全な生を与えてもいいのだろうか。

ここに辿り着くまでは一心不乱に彼女を生き返らせることだけを考えていた。しかし2人の話を聞いた今、彼女の死を受け入れることこそ彼女への愛の証なのではないかと思わずにはいられない。

結論が出るまで好きなだけここに居ていいという魔女殿の言葉に甘え、俺は未だに答えを出せずにいる。

ただ居候をしているのも居心地が悪く、魔女殿の助手をしながら魔法の勉強をさせてもらうことにした。ディザーは、自分が決して触れられない領域に俺がやすやすと入り込んだことにかなり複雑なようだったが、大切にしているからこそ巻き込みたくないんだとどうして気づかないのだろうか。

1年が過ぎ、5年が過ぎ、100年が過ぎた。

俺は相変わらず魔女殿の元で修行を積み、今では立派な魔法使いだ。魔女殿からも先日お墨付きをいただいた。

そんなある日魔女殿は薬を作っている最中に突然倒れた。ちょうどその時俺は薬草採集に出かけていて、帰ってみれば真っ青な顔で寝台に横たわる魔女殿とその傍らで今にも死にそうな顔をしているディザーがいた。

慌てて薬草を煎じて飲ませたり回復魔法をかけたりしてみるが魔女殿の体調は一向に良くなる気配を見せない。それどころかどんどん呼吸は弱くなるし顔も青を通り越して白くなってきている。


「魔女殿!」


枕元で必死に呼びかければ瞼がゆっくりと持ち上がり赤銅色の瞳が俺に向けられた。


「そんな声を出さないでくれ。ただの寿命さ。」


その言葉にずっと彼女の手を握っていたディザーの肩が大きく動く。魔女殿はそんな彼には一瞥もくれず俺の瞳を真っ直ぐに見据えた。


「お前はもう立派な魔法使いだ。だから私が死んだ後のことは任せたよ。」


彼女が何を俺に託したのかは真剣な眼差しが全て語っていた。

任されたと力強く何度も頷けば、魔女殿は安堵の表情を浮かべ静かに目を閉じた。


「クオーレ。」


ディザーから発せられた言葉が何を指しているのか、初めはわからなかった。繰り返し繰り返しその単語を呟く彼に、やっとそれが魔女殿の名前であると気づいた。もう長いこと同じ屋根の下で暮らしていたが、魔女殿の名前を聞くのはこれが初めてだ。

彼女の閉じられた瞳から涙が零れ、頬を伝う。ディザーはただ彼女の名前を呼んでいるだけだが、俺には愛の言葉にしか聞こえない。恐らく魔女殿にもそう聞こえているのだろう。死の間際にして初めて2人の思いは繋がった。ただ純粋に愛していると彼等は叫んでいる。

不意に魔力が四散するのを感じた。繋ぎ止めていた鎖がなくなった魔力はふわふわと宙を漂いやがて空気に溶けて消えた。もう目の前の彼女からは魔力の気配も感じられない。逝ってしまった。

俺の隣にいる彼に何か言葉をかけなければと横を向いた。


「え…」


しかしそこにあったのはボロボロのくまのぬいぐるみと亜麻色の髪型ひと房。それだけだった。

ディザーは元々魔女殿の魔法によって作られていた。だから彼女が死に魔力がなくなることでディザーの魔法も解かれたのだろう。彼が以前言っていた通りだった。そうでなければ同じタイミングで2人が天に召されることなどないだろう。

小屋の裏に穴を掘り、魔女殿とディザーを埋葬した。墓石には死の間際に知った彼女の名前と勿論彼の名前も彫る。願わくば2人が天国で幸せでありますように。



死ねない身体に苦悩していた彼等だったが、術者が死ねばもう1人も死ぬことを知ってしまった。これを生前に2人が知っていたならばあんなにも苦しまなくてよかっただろう。だが、もし予め知っていたならばもしかしたら魔女殿は魔法を使わなかったかもしれないな。

俺はと言えば未だ1人森の中だ。くしゃっとした彼女の笑顔。鮮血に塗れた小さな身体。言えなかった最期の言葉。そんなものを思い出しては答えのない難問に日々頭を悩ませている。

まぁどうせ俺には時間だけはたっぷりあるのだから、この小屋で墓守でもしながら考えるとしよう。

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