七話 従者と白馬。晴天の戴冠式。
訓練の合間に、旅に同行するよう命じられた人々がレダに会いに来た。
レダは自分が“統括者”などという、よくわからない役割を任せられた旅の一行が意外と大人数であることに、十人を越えたあたりでようやく気づいた。
まずは三人の騎士と、彼らについている従騎士が各二名で、計九名。
主に一行の警護役や馬車の管理を引き受ける。
レダの剣の師であり、宰相夫人でもあるイザベルとその侍女二名の、計三名。
イザベルはレダの鍛錬、侍女二人は主と『剣の聖女』の身の回りの世話を行う。
そして国王の側近であり、乳兄弟でもある侍従が一名。
一行の中ではレダの副官的な立場で実務的な部分の補佐をすることになっているが、同時に地方の現状報告と、旅先で会うことになる地方領主たちの、新王や『剣の聖女』に対する反応を確認してくることも役目の内に入っている。
あとは国王グランベルクの一声で同行が決まった、軍属の魔獣使い一名。
現在試験的に運用されている軍用魔獣の一種、炎狼の成獣が一頭と、その仔が六頭。
成獣の炎狼は魔獣使いの護衛だが、まだ戦闘には出せない仔炎狼六頭は、将来レダの護衛とするべく、彼女の匂いや声を覚え込ませるための同行となる。
その他には、本人たちの強い希望によって参加することになった、アイジスの街からともに王都へ来たウォルター助祭と、修道士セイランの二名。
そこへレダを合わせた総勢十七人と七頭の一行。
その数は戴冠式を目前にしたある日、さらにひとり増えた。
「わたくしも共に参ります」
当たり前のようにそう言った、修道女コーデリアだ。
偶然そばにいた騎士フレイザーは、まさかそんなつもりでいたとは思わず、この枯れ枝のように痩せた気難しい女性が旅に同行することに反対した。
彼は大半の人と同じようにコーデリアが苦手だったが、それ以上に戦う術を持たない女性を、危険な旅に同行させるべきではないと考えたのだ。
「長い旅になります。危険なことが多いでしょうし、荷物もあまり持てません。ラングレー伯爵夫人と侍女たちは旅に慣れていらっしゃるようですが、失礼ながら、あなたはそうではないでしょう」
慎重に言うフレイザーに、コーデリアは答えて言った。
「修道女が携えるべきは信仰心だけです。足手まといにはなりません」
自分の母親と同じくらいの年齢のコーデリアがすでに意志を固めているとなると、まだ年若いフレイザーが説得するのは難しかった。
そこで彼は、レダの副官的な立場で一行を補佐することになっている侍従マクシムに相談した。
しかし、マクシムはあっさりコーデリアの同行を承認。
「彼女には修道院で学んだ薬草の知識があります。本来ならば助祭になっていてもおかしくない、すぐれた治療師だと院長からお聞きしていますから、同行していただけるなら歓迎しますよ」
フレイザーは思わず顔をしかめたが、マクシムが認めた以上は従うしかない。
一行の統括者である『剣の聖女』が反対すればまた違う結果になったかもしれないが、コーデリアを師として慕う美和子が彼女の同行の意志を喜んだため、もう止めようがなかった。
もちろん、美和子はコーデリアが同行するのは危険なことだと、理解はしていた。
しかし今はまだ、彼女のそばを離れたくなかった。
自分は未熟だとよくわかっていたし、コーデリア以外の同行者には、修道女の良き師となってくれそうな人がいなかったから。
そのかわり、きっと守りきろうと強く思った。
レダも、美和子が大事にする人なら守ろう、という気持ちがあったので、とくに何を言うこともなかった。
そして同じ頃、レダの“馬嫌い”が変わった。
アイジスの街で母親を助けてもらったという商家の男が、お礼だという一頭の白い馬をひいて、王宮を訪れたことがきっかけだ。
「今まで見てきた中で、一等いい馬です。どうか、使ってやってください」
それは捕まえられたばかりの野生馬で、気性が荒くて今は人をうまく乗せられないが、訓練すれば良い騎馬になると男は熱弁をふるった。
周囲の人々は、まだ訓練用に特化されている優しい気性の馬しか乗れないレダが、そんな馬を乗りこなせるわけはないと思ったが。
「おいで」
その白馬を一目見たとたん、きらきらと青い瞳を輝かせてレダが呼んだ。
たくましい体躯の馬は、口にはめられた轡が気に入らない様子でいらいらしていたが、繰り返し呼ばれると、ぴくぴくと耳を動かす。
(レダ。この馬が気に入ったの?)
心の奥底から訊いた美和子に、レダは無邪気に答えた。
(まっしろで、とてもきれい。それにめのいろが、あたしたちとおなじだよ)
レダはその時ちょうどそばにいた魔獣使いに、この馬の名前はなんというのか訊いた。
全身を灰色のローブでおおうという怪しげな恰好をした軍属の魔獣使い、ラウには、獣の眼を見るだけで“その獣のためにある名”を読みとる、という不思議な力がある。
読みとった名に獣を服従させるような力はないが、繰り返して覚え込ませてやらずとも、獣はその名で呼ばれると即座に己の名であると認識し、その名を呼ぶ者に対する警戒心をやわらげる。
ラウはフードをすこしずらして、白馬の眼を見た。
その時、フードの隙間から褐色の肌に漆黒の瞳という、ヴァルスタン王国には珍しい色彩がちらりとのぞき、それに気がついたとたん、レダ以外の人々はなんとなく身を引いた。
黒髪の子はグランベルクのようにごくまれに生まれるが、黒い目をしたものはまずいないし、褐色の肌も生粋のヴァルスタン人にはありえない。
人々はどこで生まれたとも知れない、不気味なラウをおそれていた。
レダは美和子の記憶で黒髪黒目など見慣れていたし、元からそういったことを気にする性格ではないため、これから一緒に旅をするちょっと変わった人、というだけの認識しかない。
一方、注目を浴びる当人のラウは、周囲の視線などまるで気にすることなく白馬の青い眼だけを、その魂までのぞきこむように見すえた。
白馬の動きがぴたりと止まり、両の耳がラウの方を向く。
普通の獣なら、ここでラウの身にしみついた魔獣の匂いに反応し、おびえるところだ。
しかし、この白馬は警戒してはいるものの、おびえてはいないようだった。
それだけでも、軍馬としての素質はじゅうぶんに備えていると言える。
奇妙に緊張した静寂が続き、しばらくして、ラウはフードを戻してぼそりと言った。
「……シュトファ」
レダはこくりとうなずいた。
「おいで、シュトファ」
その名を呼ばれると、硬直していた白馬はぶるりとたくましい体躯をふるわせ、先よりは少し機嫌を直した様子で鼻を鳴らした。
連れてきた馬を気に入ってもらえたことに安堵して、男は老いた母を助け、アイジスから王都まで連れてきてくれたことに何度も礼を言いながら、レダに手綱を渡した。
老母の様子を訊ねたりしてすこし話をした後、男と別れ、手綱を軽く引いて白馬とともに歩いていこうとするレダに、馬術教官が忠告する。
「レダ様。今のあなたに、その馬はムリです」
レダは立ち止まり、素直にうなずいて答えた。
「はい。いまのわたしには、むりです」
でも、“神剣”を持ったレダなら、どうだろう?
思って、楽しそうに微笑む『剣の聖女』に捧げられた白馬は、そのまま王宮の厩舎へおさめられた。
◆×◆×◆×◆
グランベルクの戴冠式の前日、王都は豪雨と落雷にみまわれた。
滝のような雨と、暗天を切り裂いて閃く雷光、遅れてひびく轟音。
それは曇りや雨、雪の日の多い王都でも珍しいほどの大嵐で、迷信深い人々は新王の治世の行方を案じた。
けれど翌日、天候は見事に回復して青空がまぶしい快晴となり、戴冠式は何の問題もなく執り行われる。
レダは式が終わったらすぐに旅立つ予定で、侍従マクシムと騎士シグルドを連れて参列した。
衣装は王太后が用意した、丈の長いローブのような白絹のドレス。
型はシンプルだが、おそろしく手の込んだ細やかな刺繍がほどこされており、レダが動くと刺繍糸の光沢が光をはじいて鳥や花などの模様が浮かびあがった。
(レダ。式の参列者、男性ばかりだね。女性は王太后陛下と私たちの、二人だけ)
式の間、あまりの退屈さにあくびが出そうになるのを我慢しているレダに、心の奥底から美和子が言った。
衣装は女官によって部屋まで届けられたため、一ヶ月前に一度会ったきり、王太后とは顔を合わせていない。
生まれつき病弱で、先王の妃となってからも幾度か命に関わる大発作を起こし、そのたびに侍医の尽力と本人の気力でかろうじて生きのびているという人だそうだが、今見るかぎり、息子の戴冠を見守る眼差しにはひとかけらの弱さもなかった。
泰然と、新王の母として、王太后の務めを果たしている。
一方、レダはグランベルクが大司教から王冠を授けられるのを見ながら、自分の出番を待っていた。
美和子が言うように、式の列席者には王太后と自分の他、女性がまったくおらず、そのせいか注目を浴び続けているが、レダにとって相変わらずそれらは「どうでもいい」。
重要なのはグランベルクが冠を戴いた、その後だ。
「アイジスのレダ」
ようやく名を呼ばれ、待ち続けていたレダは「はい」と答えて立ちあがった。
侍従と騎士を置いて、ヴァルスタン王国の正式な国王となったグランベルクのもとへ一人、歩いていく。
黄金にいくつもの大粒の宝石がはめこまれた王冠が陽射しにきらめいて、まぶしい。
レダはどうしてそんな重たそうなものを頭に載せているのか、この儀式の必要性をふくめてあまり理解していなかったが、グランベルクの数歩前で立ち止まると事前に教えられた通りに片膝をついた。
淑女としてではなく、騎士のごとく。
そして漆黒の王は神官が運んできた一振りの剣を取り、「剣を返そう」と言って、ひざまずくレダにそれを与えた。
黄金の剣。
神剣イーリス。
手にした瞬間、柄にはめこまれた青い宝玉が輝き、レダの体にあわい黄金のきらめきが宿る。
レダは身の内をじんわりと満たす力を感じ、観衆は魔法のようなその現象を魅入られたように見つめた。
一時そこに降りる、静寂。
それを破り、生まれながらの指導者であることを感じさせる覇気に満ちた声で、グランベルクが言う。
「アイジスのレダに命ずる。
国を荒らし、民を苦しめる悪しき者どもを討伐せよ」
剣を手に、レダはまっすぐ紅い眼を見すえて答えた。
「こくおうへいかのみこころのままに」
そして声には出さず、心の中でつぶやく。
(いつかおまえを、ころしにいく)
視線をぴたりと重ねたグランベルクは、その言葉を聞いたかのように、かすかな笑みを浮かべた。




