あの日の出来事(青葉京キョウ視点)
三年前の十二月。
汚染厄災が発生したあの時。
その日も自分はさくちゃんの個室でさくちゃんと各々本を読んでいた。
なにも変わらないいつもの日常と思っていた。
本を読み終わり別の本を手にしたときふと何か妙な音が聞こえた。
まるで固いガラスに無理やり刃を突き立てたような不快な音。
音の発生源である空を見上げると空に大きなひびが入っていた。
何かがおかしい。
そう思ったときには耳障りな音を立て空が割れた……いや、結界が割れたのだ。
三層にわたり張られている結界が全て割られたことが信じがたく、震えが止まらなかった。
だって冬に結界を張るのは国の中でも封印に特化した雪理家なのに。
それから起きたのは地獄の光景だった。
空から降ってきた大量の汚染体……鬼は人を殺し食らおうと動き出していた。
みるみるうちに辺りは瘴気で穢れ、助けてと悲鳴をあげる声も聞こえた。
窓から見えるだけでも酷い有り様で急いで入院している患者を避難させなくてはならなかった。
家を追放されたとはいえ自分はこの医院を管理する青葉家の人間だったのだから。
そしてさくちゃんは自分が避難誘導できるように襲い掛かる汚染体を蹴散らし続けた。
つい数ヶ月前まで精神衰弱状態でいたとは思えないほど洗練された動きで。
汚染体とは対照的に真白の美しい剣を振るっていたのを覚えている。
金に染まった瞳を見て心眼もちだったのだと知った。
「これで……全員避難が終わった!」
「朔来。」
二人で互いの無事を確認しあって安堵していた矢先男の声がした。
ようやく避難誘導を終え一息ついたころだったのに誰だと振り返ると黒い髪に金の瞳をした男が立っていた。
さくちゃんと同じ金に染まった瞳をしていた。
同じ色彩であることもあってどこか似ているように感じた。
「お父さん……?」
さくちゃんがそう呟いたのを聞いて初めてその男が主人の実父であると知った。
入院前は曉山家に引き取られていたとは聞いていたから今さらなんのために会いに来たのか疑問だった。
その男はさくちゃんに近付き顔に手を添えたかと思うと優しげな微笑みを浮かべたまま右目を持っていた短剣で貫いた。
「あああ!」
痛みに床に蹲るさくちゃんの頭をわしづかみ男は言いはなった。
「少し目を離した隙に私に似るなど……もう一度凛々華に似せなくては。」
「さくちゃん!!」
そう手を伸ばしたおれは男の従者に腕をつかまれ首筋に剣先が突きつけられていた。
「この男は?……まあいい、殺せ。この騒ぎだ、誰も気付かない。」
「……その子を、殺すのなら、容赦しません。」
男に白い拳銃を突きつけたさくちゃんが引き金を引こうとするのを見ておれは解放された。
「いつからそんなに反抗的になったのか……。なら、この者を殺されたくなければついてきなさい。」
「そこのお前もだ。この娘が大事なら黙っていろ。」
その言葉に頷いたさくちゃんは男についていった。
さくちゃんの右目から溢れ出る血を止めようとする者は誰一人いない。
それどころか汚いものに触れるように軽蔑の視線を向ける男の従者達。
咄嗟に大嫌いだった治癒の術を使った。
……おれの力じゃ止血するので精一杯だったけど。
それから少したっておれとさくちゃんの間に主従の契約がなされていることを知った男は渋々おれを専属の従者としてつけることになった。
そしてようやく主人の居場所を知り離れにたどり着いた。
そのときのことは忘れもしない。
「あれ?キョウ。よかった、キョウもお父さんに保護されてたんだ。」
右目に包帯を巻いたさくちゃんはあの日のことを覚えていなかった。
覚えていないだけでなく『保護してくれた』と記憶を書き換えられていた。
そしてあの日に汚染体に汚染されたせいで衰弱しているのだと説明された。
何かがおかしいと思ったときには自分さえあの日の出来事が少しずつ分からなくなっていった。
ただ、あの日のなにも分からなくなっていたさくちゃんのことだけは忘れなかった。
だからずっとあのご当主野郎のことは信用していなかったし大嫌いだった。
そうして少しずつ『凛々華さん』とやらに似せられていくさくちゃん。
人形のようになっていく自分の主人を只見ていることしかできなかった。
確かに見せられた写真に写る華やかな薔薇のような顔をしたその人とさくちゃんはよく似ていた。
もしさくちゃんの髪が緩く波打つ淡金の髪なら、瞳が空の色であったなら瓜二つだっただろう。
だけど似てはいるが同じじゃない。
ここにいるのは『朔来』なのに。
だから愛称を取り上げられても、名を呼ぶことを禁じられても呼び続けた。
自分にできるちっぽけな抵抗だった。
毎日神様にどうか助けてくださいと願ってもなにも変わらない。
徐々に体調は悪化し身体を動かすだけで激痛から吐血するようになっていった。
……8月に逃亡の計画を実行し見つかったあの時
さくちゃんの首を絞め殴るご当主野郎が何かを叫んでいる。
胸くそ悪くて全員殺してしまいたいと思ったその時
─白い光に包まれた─
光が収まり辺りを見やるとどうやら神都の海辺に転移したようだった。
おれを押さえつけ殴っていた使用人も全員いなくなっていてあるのは海と砂浜だけ。
そしておれは逃がされたのだと、守られたのだと悟った。
厄災の日に見たさくちゃんの力だとそう本能的に理解した。
そうして初めて自分の記憶が正常に戻っていることに気づいた。
あの日を思い出したということはおれにかけられていた何かしらの術が解けたのだと。
それ以降は神月家の事故を調べようとした春の一族に捕まりそうになり必死に逃げ続ける日々が始まった。
自分の主人がまだ生きていると信じて。




