第六十八話 ノクス=ルミナスと、黒の式と。
研究所の中は、思ったより広かった。
不気味な静かさが広がっている。
中央に、階段が上下に続いている。
階下からは——魔獣の呻き声が聞こえる。
恐らく、魔獣の研究所があるのだろう。
ノクスの場所は——多分上だ。
俺は、階段を駆け上がった。
薄暗い部屋の奥に、一人。
座っている男がいた。
男は、ゆっくりとこちらを向く。
灰色の髪、こけた頬。
あの時、アークネイヴァーで出会った男。
——ノクス・ルミナスだ。
「久しぶりだな。テオロッドの特使たちよ」
ノクスは、低い声でそう言った。
「……やっと会えたな。話し合いに応じると聞いていたが、随分手荒い歓迎だったな」
俺はノクスにゆっくりと近づきながらそう言った。
「……話すことなどないだろう?
テオロッドは、式術を。オルディアは、科学を。
それぞれ信じるものが違う国が、相容れるわけがない。
そちらも、戦うつもりで来たんじゃないのか?」
「いや——。俺は、話し合いに来た。ノクス=ルミナス。
お前が何をしたいのかを確かめに」
俺がそう言うと、ノクスは笑った。
「何を今更。オルディアの目的は、科学で世界を救うことだ。——式術が世界を滅ぼす前にな。
お前らも、知っているだろう?
式術の暴走が、これまで世界を何度も壊してきたことを」
「……黒の式か。だが、テオロッド建国以来、世界は平和に続いてきた。それを壊そうとしているのは——オルディアじゃないか」
ノクスは、ため息をつく。
「お前らは——科学の素晴らしさを知らないからそんなことが言える。蒸気機関の発明で、どれだけこの国が豊かになった?機械が、誰かの代わりに働く。産業の進歩は目覚ましい。
式術が、何を与えた?
——差別と、世界の危機だけだ。
であれば、私が式術のない世界を作ればいい。
世界を救うのを邪魔しているのは——お前ら式術至上主義者だ」
「違う…!俺たちは、式術だけを守りたいわけじゃない。
科学と式術が共存する世界だって、あってもいいんじゃないのか」
「……青臭い理想論だな。それが実現できないことは、テオロッドで痛いほど学んだよ。
無抵抗な人間に式術で火をぶつけるような奴らは……人間じゃない」
俺は、テオロッドで聞いたザックスの話を思い出す。
聞くに耐えない——いじめ。
ノクスが歪んでしまった、地獄の原風景。
「それでも……リーヴァやエルデネ。お前は式術者を使っているじゃないか。
——本当は、知っているんじゃないのか?
式術の価値を」
俺が言うと、ノクスの表情が変わる。
「分かってないなぁ……。あの二人も、理想を叶えるための駒にすぎないんだよ。かなり働いてはくれたがな。
もう、あいつらの仕事は終わりだ」
「……どういうことだ?」
「私は、式術を完全に理解した。
エルデネが霊峰ライゼルから持ってきた——黒の式のおかげでな。
式術とはつまり——数式の先にある。
言っている意味が分かるか?」
「……僕と全く同じ見解だね。
ユイト、もしかするとノクスは——」
タツオが言った直後、ノクスの背中から——
どす黒い空間が生み出された。
まるで——ブラックホールだ。
「おめでとう。君たちは被験者一号だ。
この空間は——私が作った黒の式だ。
これで——世界から式術は消える」
……!
ノクスは——黒の式を完成させていたのか。
俺は、とっさに白の式を発動する。
「ユイト、やばい。赤の式が——出ない」
黒の空間は、瞬く間に大きくなっていく。
「黒の式は、式力を無効化する。
式術者のお前らは——この空間にぶつかれば、すべての式力を奪われる。
そして、私は改良を加えた。
式力とともに、生命力も一緒に奪うようにな。
この空間は力を吸って肥大化する。
——やがて、世界中の式者はいなくなるだろう。
これこそ、本物の黒の式だ」
ノクスは、高笑いをした。
——黒の式を、さらに改変する。
それができるのは——やはりこの男は天才ということか。
「……タツオ、得意の数学で書き換えられたりしないか?」
俺は、タツオに聞いた。
「無理だね。発生源がどこにあるか特定できていない」
「……だよな」
俺は、そう言うと覚悟を決めた。
ブラックホールの真ん前に——立ちはだかる。
白の式であれば——黒の式を無効化できるかもしれない。
「ほう……。それは白の式か。だが、無駄だぞ。
所詮、はじまりの式。終わりの式である黒に——染まって終わるだけだ」
俺の体が、黒の空間に包まれていく。
——体から、力が奪われていく。
くそっ……ダメかっ……!
「ユイト!」
その横に——イエナが飛び込んでくる。
「イエナ!なんで来た!」
俺が叫ぶと、イエナは俺を睨んだ。
「……二回も約束破るつもり?許さないわよ。
それに——私の中には〝アウレオの森〟がある」
イエナを空間が包んだ瞬間——黒い空間は更に拡大する。
瞬く間に、部屋全体に広がっていく。
「ふはは!すごい生命力だ!さすが、テオロッドの王族。
全部いただくぞ!」
ノクスは、広がる空間を見まわし、声を上げた。
『皆、聞こえる?逃げて。できるだけ、遠くまで。
私がノクスを、黒の式を食い止める』
頭の中に——声が響く。
横にいる、イエナの声。
——エーテルリンク。
「イエナ……!どういうつもりだ!」
俺は叫ぶ。
「……黒の式がどれだけの力がわからないけど……
受け止められるのは私しかいない。
ユイトも、タツオも逃げて」
「何いってるんだ!行けるわけないだろ!」
タツオは、少しずつ、確実に衰弱していく。
その場に立っていられなくなる。
「……タツオ!」
生命力を——奪われている。
「……元々、この戦いはテオロッドの戦い。
ユイトも、タツオも、みんなも。巻き込まれただけ。
だから、決着は私がつけなきゃいけない。
ねぇ、ユイト。お願い。——逃げて」
「違う!この戦いは……俺が選んだ戦いだ!
イエナだけに背負わせるわけにはいかない!」
くそっ……!
俺は何も……できないのか。
イエナは——少しずつ息が荒くなっていく。
タツオは、そこに倒れ込む。
頭を使え。何か——何かないか。
俺は、黒い空間の中を押し進み、ノクスに近づいていく。
——黒の式に、体が押し返される。
「ノクス!!式を止めろ!
——殺戮の先に、平和なんて生まれない!
リーヴァも……死ぬんだぞ!」
俺は叫ぶ。
「式術者は人ではない。——つまり、これは殺戮でもなんでもない。リーヴァも喜んで死ぬだろう」
——ダメだ。話ができる相手じゃなかった。
完全に、俺の判断ミスだ。
そのせいで——世界が滅びてしまう。
俺は自らの失敗を受け入れ——諦めそうになっていた。
その時。
『ユイト!イエナの通信、どういうことだべ!』
——ミサキ。
無事、リーヴァに勝ったのか。
さすがだ。
でも、ごめん。
肝心なところで——俺はやらかしてしまったみたいだ。
『返事しろ!ユイト!諦めるつもりか!
イエナを、私のタツオを守れ!
それが、リーダーの仕事だべ!』
リーダー。
懐かしい。
くだらないことで、タツオとミサキが喧嘩したこともあったな。
そして——ミサキはいつでも諦めなかった。
何度それに救われたことか。
俺は、頭の中で返事する。
『状況は最悪だ。ノクスは黒の式を発動した。
じきに、そっちにも届いてしまうかもしれない。
今は——イエナがそれを一人で吸収している』
『やばいべな。——今、皆合流している。
全員、勝ったべ。あとはノクスだけだべ。
ユイトに——皆の力を送るべ!』
力を——送る?どういうことだ?
『〝大いなる意志〟……ユイトの世界では、アカシックレコードに、書いてあったべ!白の式者は……全ての力を〝借りられる〟って!私が媒介する!』
直後——俺の頭の中に、六色の色が目まぐるしく入り込んできた。
赤——エルデネ。
正体不明の女。いまだによく分からないが——
アレクシオたちの力になってくれたみたいだ。
青——シャイン。
最強の〝不殺〟の闘士。
カールを倒したのはやはり……アブソリュート・ゼロか。
名付け親として誇らしい。
——ていうか、なんでプロポーズしてんだよ。
黄——アレクシオ。
生意気なクソガキは、いつしか頼れる男になっていたな。
俺に弟がいたら——お前みたいなやつがよかったよ。
茶——ハルカゼ。
よかった。無事に帰って来れたんだな。
その豪快さと、生き方が大好きだ。
俺の——兄貴みたいだ。
紫——ミサキ。
いつでも俺を助けてくれる、頼れる相棒。
いつからか、本当の家族みたいな存在になったな。
最後も、諦めるところだった。
お前みたいに諦めない強さを——俺も持つよ。
緑——イエナ。
この異世界で旅を続けてこられたのも、
君がいてくれたからだ。
はじめは——淡い恋心だった。
でも、旅をする中で、君の強さと弱さ、両方を知ることができた。
君の横でカッコいい男でありたい。
そう思っていたら、こんなところまで来てしまった。
でも、最後に君が約束を破るのは、
——俺だって許さない。
最後まで、皆で戦い——平和を勝ち取る。
そうだろう?
ミサキの力で、俺は全員と意識が繋がるのが分かった。
ああ——ちゃんと言う前に、イエナには気持ちが全部ばれちゃったな。
まぁ、いいか。
今は——ノクスを倒すだけだ。
俺の頭の中で、複数の色が混ざり合う。
それらは色を変えながら、最後は黒になる。
体の中に、全ての色が揃ったことが分かった。
俺は、アルマの言葉を思い出し、試してみる。
今いる場所が、白。
行きたい場所が、黒。
俺の体は、瞬時にノクスの横に辿り着いた。
「……!なんだ、何をした!?」
ノクスが動揺する。
俺は、それには答えず、ノクスの目を見つめる。
紫の幻惑——ノエシス。
俺とノクスは、精神世界に入り込む。
ノクスは、急激な変化に動揺する。
「……なぜ式術が使える!?どういうことだ!」
俺は、ノクスに見せることにした。
俺が知る——科学の向かう先を。
戦争で使われた科学の力を、俺は見たわけではない。
しかし、知っている。
教科書で、テレビで、映画で。
俺がいた時代より未来のことは分からない。
ただ、行きすぎた科学が作り上げるものを、ノクスの精神に見せるべきだ。
俺は、ノクスと共にその世界を見つめた。
空を飛び、爆弾を投下する飛行機。
そして、街を一つ消し去ったキノコ雲。
戦禍に響く、阿鼻叫喚。
子どもの泣き声、そして、消えていく命の灯。
「……ノクス。お前は、そこに座って、理想を語っていただけだ。目の前で、人の死を見たか?
犠牲の先に作られた平和は——本当の平和か?」
「……なんだこれは。私は……何を見ている」
「俺のいた世界——科学の世界だ。
行きすぎた科学は、世界を滅ぼす。
これが、その証拠だ」
「こんなものは、幻だ。
——私は、ただ世界を救いたかっただけだ」
「幻じゃない。かつてこの国で本当にあった出来事だ。
そして——世界のため、未来のためという大義名分が、多くの人を殺してきた。
お前は——考えるのを放棄したんだ」
「なんだと……?」
「今を生きる人たち……式術者も、そうでない人も。
全ての人が平和に暮らせる世界を考えたことがあるか?
……ないだろうな。
俺は、それを作りたい。
そのための話をお前としたかった」
「……綺麗事だな。思想が違う限り——世界を一つになどできない」
「いいさ。一つにならなくても」
「なんだと?」
「——元々、テオロッドはそうしてきた。それぞれの国を尊重し、自治を助け、共に発展する。
そういう形だからこそ——ここまで続いた」
「……そこまで言うなら、お前がやってみるがいい。
どうせ、私には——時間がないんだろう?」
ノクスは——覚悟を決めているようだった。
「ああ。今から——お前を飲み込む。
黒の式を消すには、それしかないみたいだ。
アカシックレコードにアクセスして、それがわかった。
——だから、ノクス。さよならだ」
「ふん。最後は呆気ないもんだな。
——もう少し若い頃にお前とあっていたら……違う未来もあったかもしれないな」
ノクスは——憑き物が落ちたような顔をしていた。
もしかすると——誰かに止めてもらったのかもしれない。
俺は、全色の式を開放する。
黒い空間と、六色の色が混ざり合っていく。
ノクスは——何も言わずにその渦に飲み込まれていく。
俺は最後に——皆で作り上げた黒の式を開放した。
黒と黒がぶつかり合い——空間は消失した。
後ろで、ドサっという音がする。
——イエナが倒れ込んでいる。
俺は、瞬間移動でそこに向かう。
「イエナ!おい!イエナ!」
呼吸が浅い。——遅すぎたか?
〝アウレオの森〟の力を、相当奪われている。
俺は、イエナを抱き抱え、ヒーリングをかける。
すると、イエナはゆっくり目を開けた。
「大丈夫。聞こえてるよ。
……終わったね、ユイト」
「イエナ……!よかった!」
「聞こえすぎちゃったかもしれないけどね。
でも、よかった」
イエナの言葉の意味が分かるのに、数秒かかった。
気づいて——顔が赤くなる。
「あ……なんか、伝えるのが遅くなっちゃったけど」
俺は、膝にイエナを置いたまま、咳払いをした。
「好きです。イエナのことが。
最初に会った時から。でも——今の方がもっと」
俺がそういうと、イエナは少し微笑んで目を閉じた。
返事は——聞かなくても分かっていた。
さっき、意識が繋がった時に、全部分かった。
俺は、自分の顔をゆっくりイエナに近づける。
「おーい、僕のこと忘れてない?」
とぼけた声が聞こえる。
——タツオだ。
「あ、完全に忘れてた」
俺はつい本音が出る。
「……そこは嘘ついてよ。まあいいや。
せっかくなんだけど、そのシーンはまた後でにしてくれる?
片付けなきゃいけないこと、いっぱいあるでしょ」
「……何かお前、怒ってないか?」
俺はタツオに言った。
「そりゃそうでしょ。最後、僕の活躍する場面ゼロだよ。
普通、ここで僕の火力でピンチを救う、とかじゃないの?」
……確かにここまでのパターンではそうだった。
タツオに多くの覚悟と、重荷を背負わせてきた。
「……最後くらい、いいだろ?俺にも——背負わせてくれ」
俺がそう言うと、タツオは小さくため息をついた。
「ユイトだけは、きれいなままでいてほしかったのにな」
タツオの言葉で、俺は改めて自分のしたことの重さを実感する。
ノクスを消し去ったのは、紛れもなく俺の意志だ。
そして、自らそれを実行した。
いくら相手が敵だと言え——人を殺した事実に変わりはない。
「これで、俺とお前はもうこの世界から逃げられないな。
——さて、皆のところに戻ろう」
俺はそう言うと、イエナを抱き抱えた。
キャッ、と小さい悲鳴が上がり——タツオが冷やかしの笑いを入れた。




