エピソード・オブ・ミサキ 紫の頂点
リーヴァの入った部屋には——既に先客がいた。
その姿を見つけると、ミサキは思わず叫んだ。
「アゲハ!——ハルカゼ、サブも……!」
部屋の隅で、目の焦点の定まらない三人が、座り込んでいる。
トランジアの三人。
ユイトから、彼らが捕まっていることは聞いていた。
だが、見る限り——かなり精神を干渉されている。
「あなたも、もうすぐこうなるわよ。
——それでも私と戦う?
諦めて、オルディアについた方が身のためよ」
リーヴァは、腕を組みながらそう言った。
「……バカ言うんじゃないべ。あんたぶっ倒して、こいつら皆助ける」
ミサキは言った。
皆——生きている。
であれば、リーヴァを倒せば。
元に戻せるはずだ。
また、皆で語り、騒ぎ合いたい。
それは——ユイトとの約束でもある。
「身の程知らずね。あなたは、せいぜい零式になったばかりでしょう?零式の中でも大きな差があるのよ。〝大いなる意志〟にも繋がったことないでしょう?」
リーヴァは、笑って言った。
「……なんの話か分からないけど、今の私は前とは格が違うべ。何しろ……恋が叶ったからな!」
ミサキは言い切った。
タツオとは……じっくり話してはいない。
でも、気持ちが通じた。
伝わっていた。
それだけで——どこまでも強くなれる気がする。
「子どもね。恋なんて……叶ってしまえば、価値が下がるのよ」
「まるで恋をしているかのように言うべな。
……相手は大方ノクスだべか?」
ミサキが鼻を鳴らすと、リーヴァは形相を変えた。
「お前のような小娘が、ノクス様を呼び捨てにするなぁぁ!!」
直後——濃度の濃い紫の霧が、部屋を覆い尽くす。
——いきなり来たべな。
ノエシス——精神干渉の術。
ミサキも、〝夢幻の館〟での試練を経て会得している。
ミサキは、式力を全開放する。
二つの紫が互いに干渉し合い——ミサキとリーヴァは精神世界に入った。
現世界とは異なる、異空間。
そこに、二人は立っていた。
——そしてそこに、ユラが座っていた。
「ユラ様!なんでここに!」
ミサキは叫んだ。
「……呼んだのはお前らじゃろう。
ミサキ、リーヴァ。わしの力を超える存在が、
直系じゃないお前たちだったというのも因果なもんじゃの」
ユラは、椅子に腰掛けながら話をした。
「ちっ……。何しに来たのよ。ババア。
あんたの時代は終わりよ」
リーヴァは毒付いた。
「どうやらそのようじゃ。お主らの方が、式力は上じゃな。
特にミサキ、お主、諦めない純度を昇華させたな。
——さて、どっちが勝つかの。わしはここで見届けさせてもらうわ」
ユラの言葉に、ミサキは指を突き立てる。
「任せるべ!こんなイカれ女、ぶっ潰してやるべ!」
「……誰がイカレ女よ。言葉使いの教育が必要なようね」
「かかってくるべ」
リーヴァの言葉に、ミサキも言い返す。
二人は睨み合う。
「……二人とも、まだまだ子どもじゃの。
勝負の仕方は——分かるかの」
ユラの問いに、ミサキは答える。
「大丈夫。はじめてだけど……意識が流れてくるべ。
〝夢幻〟の世界での勝負は——精神が強い方が勝つ」
「今はじめて〝大いなる意志〟に接続したような小娘に、私が負けるわけないわ。
世界を救うのは——ノクス様よ」
世界を——救う?
ミサキは一瞬、リーヴァの言葉に違和感を覚える。
だが、それを確かめる間もなく、別の世界へ意識が飛ばされる。
紫の——小さな少女が泣いている。
周りには、灰色の髪——無式の少年少女たちが、少女を囲んでいる。
「何でお前、髪が変なんだよ」
「髪色が違うやつは異端だから近づくなって、ママが言ってたわ」
「お前となんか遊ばねーよ、紫女」
子どもたちは残酷な言葉を投げつける。
場面が——切り替わる。
紫の少女は、母親に話をする。
「なんで、私は髪の色が皆と違うの?」
母親は——灰色の髪をしている。
母親は深くため息をつく。
「あんたのせいで、私も生きづらいわよ。
——本当に、産まなければよかった」
まだ小さい子どもに、刃のように鋭い言葉が浴びせられる。
少女は言葉を失った。
そして——感情を見失った。
少女は、身を隠すように生きるようになった。
学校には行かず、家の隅で勉強を続ける。
家は——貧しいのだろう。
狭い部屋、風が入り込み、雨漏りがする。
母親は——たまに帰っては、端金を置いていくだけだった。
少女はそれを節約し、生きるためだけに食べた。
気まぐれで母親が聞かせてくれた物語を思い出す。
いつか、王子様がやってきて自分を新たな世界に連れ出してくれる。
珍しく酔っていない母が、枕元で聞かせてくれた物語。
その話をした後、母親は泣いていた。
少女は——リーヴァは思った。
私は、この人に似ているんだ。
リーヴァが十二歳になった頃。
たまたま科学研究所の近くを通った。
母から頼まれた、酒を買いに行く途中だった。
雪が降る、冬だった。
まともな靴も買えなかったリーヴァは、
凍った地面に滑り、転んだ。
持っていた酒瓶だけを守ろうと必死に腕を抱える。
その背中を受け止めてくれたのは——
科学研究所の若き副長官、ノクス=ルミナスだった。
ノクスは、十八歳だった。
「紫の髪か。君は——式術者なんだね」
リーヴァの髪を見つめるその瞳は澄んでいて——どこか寂しそうな目をしていた。
その瞬間——リーヴァは確信した。
この人こそが——私の王子様だ。
ノクスは、雪で濡れてしまったリーヴァを研究所に招き入れた。
すると、中にいた初老の男が、暖かいお茶を出してくれた。
「科学長官の、コウイチ=ヤマセだ。
ノクスの——父親みたいなもんだ」
そう言って男は笑った。
産まれてから母親としか過ごしたことのないリーヴァにとって、それは初めて感じる父性だった。
それから——母から命ぜられる買い物の後、少しだけ研究所に立ち寄る日々が始まった。
あまりに遅くなると、母の怒りが飛んでくる。
最初の頃は、十分くらい。
月日が経つに連れ、それは少しずつ長くなった。
いつからか、買い物がなくても出入りをするようになった。
リーヴァは、研究に打ち込むノクスの姿を見るのが好きだった。
気がつけばリーヴァは十四歳に、ノクスは二十歳になっていた。
ある時、研究所にノクスが一人の時があった。
リーヴァは、心が躍った。
コウイチは嫌いではないが——邪魔だ。
コウイチがいる間は、ノクスは技術の話ばかりだ。
私と話をすることは、ほとんどない。
しかし、その好機になぜかノクスは元気がなかった。
「どうしたんですか?」
リーヴァは、ノクスを励ましたかった。
「師匠が……どうしてもこの先を教えてくれないんだ」
「この先?」
「……蒸気機関は実用化できた。だけど、科学にはまだまだ未来があるはずなんだ。——なのに、これ以上はいけない、と」
「……どうして?科学が発展すれば、皆便利になるのに?」
リーヴァは、ここ数年のアークネイヴァーの目覚ましい発展を見てきた。
その技術は、ここ、科学研究所で生まれたものだ。
「……科学の発展は、世界の破滅を導くらしい。
最近は、各国にそれを触れ回っている」
「そんなこと……〝大いなる意志〟には、記録がないわ。
世界を滅ぼしてきたのは——式術です」
リーヴァは、その力のことを——はじめて誰かに打ち明けた。
「なんだ、その〝大いなる意志〟とは……?」
「信じてもらえないかもしれないけど……私は世界の記憶に接続が出来るの。昔から——私はそこから色んなことを学んできました」
「……式術の力か?その世界の記憶が本当なら……
師匠はなぜそんなことを」
「分かりません。コウイチ様も無式者だから、世界の記憶を知るはずはないのですが」
その瞬間、ノクスの目に黒い闇が宿ったことを感じる。
「そうか……私に抜かれるのが怖いのか。
科学は世界を救う。そうに決まっている。
リーヴァ、君はこの国で式術者であるだけで虐げられたと言ったな」
リーヴァは小さく頷いた。
「私は——テオロッドで、式術者でないことを理由に虐げられた。理不尽な世界だと思わないか?
——私は科学の下、誰もが平等な世界を創りたい」
ノクスの話が、熱を帯びる。
「そのためには……師匠の考えは邪魔だ。
そう思わないか?」
リーヴァは、ノクスの考えが手にとるように分かった。
胸の奥が熱くなるのを感じた。
自分が、必要とされている。
そして、言った。
「コウイチ様を——消します。私に任せてください」
そこから、ノクスとリーヴァは運命を共にするパートナーとなった。
一瞬の出来事だった。
リーヴァの記憶が、ミサキの意識に流れ込む。
同じように——ミサキの記憶もリーヴァに伝わっているはずだ。
重く、辛い記憶。
ミサキは、胸の奥が苦しくなる。
リーヴァは、余裕の微笑みを浮かべている。
「……案の定、薄っぺらい人生ね。
恵まれた家庭で、恵まれて育ち、浅い生き方で場当たり的な恋をする。私が負けるわけないわ」
罵声が、ミサキに浴びせられる。
ミサキは、顔を上げる。
「……師匠を殺して、その立場を奪ったんだな。
あんたらは——間違ってるべ」
「ノクス様だけが、私の世界に色をくれたのよ。
ノクス様が間違えるわけがないわ。
この二十年——私は幸せだったわ。
時折精神世界で忠告してくる、そこの婆さんは邪魔だったけど」
リーヴァは、ユラの方を一瞥する。
「突然精神世界に接続できる子孫が現れたら——注意せなあかんじゃろう。お主は子どもの頃からそこにいたからの」
ユラが言った。
子どもの頃から——。
精神世界に入れるのは、零式以上。
つまり、リーヴァははるか昔から零式の壁を超えていたのだ。
つい最近零式になったばかりのミサキとは——年季が違いすぎる。
ミサキは、諦めそうになる自分を律する。
「……あんたは、私の二倍も生きてるのに、狭い世界しか知らないんだな。ノクスだけが正しいと勘違いしたまま大人になってしまった……悲しい少女だべ」
ミサキが言うと、リーヴァはまた形相を変える。
「また呼び捨てにしたな。
お前のような田舎娘に、何が分かる。
私にはこれしか生きる道はなかった。
頼れる大人も、友もいなかった。
選択肢は——なかった!」
「……全てを捨てて、国を出たら良かった。
ノクスがそうしたように。
そしたら、立派な式術者になっていたかもしれないべ。
ユラ様も、そうしろって言ったんじゃないべか?」
ミサキの言葉に、ユラは小さく笑った。
「……うるさい!〝大いなる意志〟は、式術が世界を滅ぼしてきた歴史を伝えた!
私は——式術に誇りなど持てたことがない!」
「そうかあ?その割にはあんた、式術だけでここまで来てないか?結局、ノクスに利用されただけじゃないべか?」
ミサキの顔色は少しずつ戻っている。
舌戦なら——ユイト仕込みだべ。
「違う!ノクス様と私は——運命の伴侶だ!」
「そう思いたいだけだべ?あんた、さっきから大いなる意志とかノクスとか言ってるけど、結局自分で何も決めてないべ。自分の人生を歩いてないやつに……私が負けるわけないべ」
「……っ!!」
リーヴァが、ミサキに気押される。
「あんた、さっき私の人生が薄っぺらいって言ったな?
本当にそう思ったか?
私は、全部自分で選んできた。
テオロッドに来たのも、タツオやユイトと仲間になったのも……タツオを好きになったのも。
あんたの人生は、長いだけだ。
その中に、リーヴァ、あんた自身はいないべ」
「……!うるさい!うるさいうるさい!!」
リーヴァは、頭を掻きむしる。
「世界を滅ぼすのも、救うのも、今生きている私たちの意志だ。歴史や記憶が決めることじゃない。
あんたたちはそれを言い訳に——科学を、殺戮を支配を。
正当化しているだけだ。
もう一度言う。
あんたらは……あんたは間違えている」
「うわぁぁああ!!」
激昂したリーヴァがミサキに殴りかかる。
——が。
精神世界の精神体に物理攻撃は当たらない。
攻撃は、体をすり抜ける。
「……図星なんだべな。
見せてやるべ。もう一つの世界を」
ミサキは、式術を発動する。
ユラが立ち上がる。
「なんじゃと……!夢幻の世界で式術……そんなことができるのか」
紫の霧が、立ち昇り、リーヴァを包む。
リーヴァは、幻惑の中に堕ちる。
別の世界線——リーヴァがテオロッドに来ていた世界を、
ミサキは創り出す。
「先生!早く精神世界を見てみたいべ!」
まるで小動物のような新入生を見て、リーヴァは微笑む。
「焦らないで。あなた、素質はあるんだから」
リーヴァはミサキを嗜めた。
「きちんとここで学べば、必ず零式にはなれるわよ」
ミサキは、口を膨らませ少し不満そうにしている。
向上心があるのは素晴らしいが、少し生き急いでいる。
私も、ここに来た頃はそうだった。
リーヴァは、アークネイヴァーを飛び出してテオロッドに来た頃を思い出す。
「リーヴァ。ちょっといいか?〝大いなる意志〟で、確認して欲しいことがあるんだが」
サイレスが職員室までやってくるとは珍しい。
サイレスは、私より少し年上の式術研究所所長。
王族だ。
私がここに流れ着いてから、何かと良くしてくれる、兄のような存在だ。
「またですか?結構疲れるんですよ、あれ」
「まあそういうな。後で、とっておきのお茶を用意してあるから」
サイレスはそう言って、両手を合わせた。
彼の作るお茶は、本当においしい。
リーヴァは小さくため息をつく。
「……それを言われると弱いんですよね。分かりましたよ」
二人は、式術学校を出ると、式術研究所に向かう。
途中、生徒たちとすれ違う。
「あっ、リーヴァ先生!デートですか?」
男子生徒が、にやにやしながら冷やかす。
「違うわよ!バカなこと言ってないで、訓練しなさい!
全く。あの年頃の男の子って、どうしてああなのかしら」
リーヴァは腰に手を当ててため息をついた。
「皆、リーヴァを慕ってるんだよ。どうなんだ?
浮いた話はないのか?」
サイレスは眼鏡を持ち上げる。
「あるわけないでしょ。サイレスさんこそ、どうなんですか?短命の呪いも、イエナが解いてくれたんでしょ?」
「まあ、な。お前から聞いた、〝大いなる意志〟の情報のおかげでな。これから、考える。そうだな。
リーヴァ。デートでも、してみるか?」
サイレスに言われて、リーヴァは顔が赤くなる。
「……っ!からかわないでください!」
サイレスを振り切って歩き出す。
でも——サイレスと二人でお茶をゆっくり飲む時間は、優しく、居心地がよい。
デート、がどんなものか分からないけれど……
リーヴァは思った。
行ってみても、いいかもしれない。
そうだ。
サイレスと一緒に、お茶を探しに行くのはどうだろう。
きっといい店を知っている。
リーヴァは歩きながら、少しだけ微笑んだ。
「……お前の勝ちじゃな、ミサキ」
リーヴァは恍惚の表情を浮かべながら、その場に座り込んでいる。
精神世界で、更に幻惑の〝夢幻〟の世界に。
もう——こちらの声は聞こえていない。
ミサキは——泣いていた。
もし違う出会い方だったら。
良き教師と生徒として、信頼関係を築けていたのかもしれない。
人生は、選択の連続だ。
一つの間違いが、後戻りできない大きな間違いに繋がることもある。
だが——何度でも、やり直せるはずだ。
「ユラ様。リーヴァは……どうなるべ?」
「……さてな。わしとて、二重の幻惑など見たことがない。
夢の中の、また夢じゃ。もしかすると、もう——」
「そうか。ユラ様……。戦いって、辛いべな」
ミサキは、リーヴァを見つめながら呟いた。
戦いが終わり——
やがて、幻惑が解ける。
リーヴァは、その場に倒れ込んでいた。
涎を垂らし——目の焦点は合っていない。
「……ここは。俺は……どうしてたんだ」
ハルカゼが目を覚まし、呟く。
「……」
サブは、頭を押さえながらあたりを見回す。
「え……。ミサキ!なんでここに」
アゲハがミサキを見つけ、声を上げる。
「……皆、無事か。よかったべ」
ミサキは安堵の声を上げる。
「え……?なんで泣いてるの?」
アゲハが言った。
ミサキの涙は——止まらなかった。
戦いを終わらせよう。
そして——平和な世界を作ろう。
止まらない涙と共に、ミサキの想いは溢れていた。




