エピソード・オブ・イエナ 運命の子
イエナは、森と一体化していく感覚を感じていた。
緑の式が生み出した波動が、森の木々と繋がっていく。
その波動は、やがて一つの塊になる。
体から意識が離れ、イエナは森と一体化していた。
森の意識が、流れ込む。
声が、聞こえる。
『来たか、運命の子』
『……あなたは、誰ですか?運命の子、とは?』
『私は、この森そのもの。白の式者、テオロッドが作った森の意志だ』
白の式者……テオロッド?
この森を作ったのは、アウレオ=テオロッドではなかったのか。
『今では、この森は〝アウレオの森〟と呼ばれています。
……テオロッドとは、アウレオのことではないのですか?』
『私の現在の契約者は、アウレオのままだ。
運命の子よ、契約を更新するか』
……的を得ない。会話というより、意志が勝手に流れ込んでくる形だ。
油断していると、意識の奔流に飲み込まれそうになる。
『アウレオの契約は、どんな契約なのでしょうか』
イエナは、意識を必死に保つ。
森は、答えた。
『自ら直接見に行くがいい』
その直後。
景色が一気に流れ始める。
あっという間に、周りから木々が消えて行く。
残ったのは、まばらな木々が生えた草原だった。
そこに響いていたのは──赤ん坊の泣き声だった。
裸のまま、草原に、寝転がっている。
───まだ、生まれて間もないように見える。
腹を空かせているのだろう。
泣き声が、止まらない。
親は──どこに行ってしまったのだろうか。
そこに、近づく、一人の男の影。
冒険者のような風体をしている。
髪の毛は、白。
どことなく──ユイトに似ているように感じる。
『忌み子とみなされたか……』
男は、呟くと、赤ん坊を抱き上げた。
慣れない手つきで、それでも座らない首の後ろを支えながら、
慎重に。
男は、その草原に住んでいるようだった。
木々の影に隠れた家に──ひっそりと。
そして、景色は再び目まぐるしく変わった。
赤ん坊は、頼りない足取りで、歩き始めた。
白の男は、それを無表情に見つめている。
表情の少ない男だ。
それでも──歩いた赤ん坊が倒れそうになった時、
少し慌てた表情を見せたのは、見逃さなかった。
景色が巡る。
赤ん坊は、少年になっていた。
そして、家の周りの草原は木々が増えていた。
木に登ったり、降りたり。
はしゃぎ回る姿は、やんちゃな少年という様子だ。
椅子に腰かけながらそれを見つめる白の男は、
相変わらず無表情だ。
一体──何を見ているのだろうか。
イエナがその意味を知ったのは、次に言った白の男の言葉だった。
「アウレオ。そろそろ夕食にするぞ。降りて来い」
「はーい!」
アウレオ。
黄色の少年は──アウレオ=テオロッド。
そしてそれを育てたのは──白い髪のこの男ということだろうか。
そこからは、一気に情報が流れ込む。
二人きりで過ごす日々。
少年の背が白い男に追いつき、
喉の突起物が目立ち始める。
二人は見慣れない土地にいた。
ここは──。
霊峰ライゼル。
イエナにも見覚えのある場所。
三百年前も──今とまったく変わらない。
白い男は、何かを決意したようだ。
舞台は、アウレオの森に戻る。
二人の生活を見守り──包みこむように、森は広がっていく。
白の男は、一人で生活をしていた。
時折、アウレオは家に帰ってきては、近況の報告をする。
家を出て、新たな生活を初めたようだ。
家族ができ、アウレオによく似た金髪の子どもを連れている。
その子供が、白の男に抱っこをせがむ。
慣れた手つきで抱き上げると、
男はほんの少し微笑んだ。
白の男は、晴耕雨読の生活を続けていた。
様々なところから書物を集め、
それを読み込み、自分の考えを整理していく。
年月が流れ──別れの時がやってきた。
アウレオは、白の男──テオロッドの手を握りながら、
話を聞いていた。
『アウレオ。式術が発展すると、黒の式で世界は滅びる。
発展を抑えろ。世界を守ってくれ』
アウレオは、強く頷いた。
何度も、繰り返し聞いた話のようだった。
それから時代は跳び──アウレオは、中年になっていた。
髭を伸ばし──風体は、〝王〟のものになっている。
アウレオは、テオロッドの眠る土地に座り、
緑の式を発動した。
──緑の式。アウレオの副式は、緑だったのか。
『森よ。世界は今式術となんとか制御できている。
しかし、民の式力を意図的に下げるこの施策は、私の功罪だ。
王家としての責任を果たしたい』
『テオロッドの子、アウレオよ。何を望む』
森は、アウレオの問いに答えた。
『王族の──特に高位者から、生命力を奪ってほしい。
高位者が長生きすれば、黒の式の危険が高まる』
──王家の短命の呪い。
それは──アウレオ自身が結んだ契約だった。
イエナは──いや、正確にはイエナの〝意識〟は、そのやりとりを固唾をのんで
見つめていた。
『対価に欲しいものはなんだ』
『父さん──テオロッドの話では、王家には黄の式しか生まれない。
だがもし、緑の式者が生まれたら……それは〝循環者〟だと。
そのものに……その運命の子に、溜め込んだ力を与えてほしい』
『分かった。それでは、契約の成立だ。
私は、アウレオの血筋──黄のものから、生命力を奪う。
運命の子が現れたら、そのものに渡す』
イエナの意識は、再び元の空間に戻った。
『これが、アウレオの契約だ。運命の子よ。
アウレオの望み通り、そなたに力を渡そう。
それとも、契約を捨て、新たに私と契約をするか』
森の言葉通りなら──とてつもない生命力が、
イエナに渡されることになる。
それが式力という形なのか、あるいは奪い取った寿命なのか──。
それは分からない。
『新たに契約をすると、何が手に入るのでしょうか』
『私と──森と、常につながる。
いつでも、どこでも緑の式を最大限発動できるだろう』
──常時接続。それは大きい。
木々のない場所でも、緑の式を使える。
三百年溜め込んだ力を得ることは、凄まじい力を得ることになるだろう。
王国の祖──アウレオ=テオロッド。
彼が、贖罪のために掲げた契約という名の呪い。
そして──その対価の受け取り先は自分だった。
だが——
それで手に入れた力は、自分で掴んだものではない。
誰かの犠牲の上に立った力は、誇れるものではないだろう。
イエナは、心に決めていた。
『契約を破棄します。
私に、力は要りません。奪い取った生命力は──
すべて元に戻してください』
『……分かった。まだ存命のものには還そう。
しかし、すでに死んでしまったものには戻せない。
三百年分の生命力が残るが、それはどうする』
『……その使い道は、考えます。
新たに私と契約してください』
『分かった。契約内容を示せ』
『今後王家から生命力を奪う必要はありません』
黒の式が発動すれば──式力が、文明が滅びる。
スクエアやユラから聞いた話を踏まえれば、その原因は式力の暴走だ。
イエナには確信に近い、覚悟があった。
『今の世界で、式力が暴走することはありません。
──いえ、させません。
テオロッドは、世界の式力を下げる政策も、今は行っていません。
すべての民が自由に出会い、自由に結ばれていく。
その中で、王家だけが贖罪を続ける意味はありません。
世界は、それぞれの意志で考え、選択する。
自分の人生も、未来も。時代は変わったんです』
『分かった。それでは、契約の対価だけ説明する』
『対価?』
『もし森が滅びれば、〝運命の子〟イエナ。お前の命も滅びる。
──異存はないな』
──そういうことか。
常時接続、つまりイエナは森になり、森はイエナになる。
『分かりました。自分の命として──この森を、この国を護ります』
イエナが答えると、あたりは真っ白い光に包まれた。
自分の中に、森の意志が、森の想いが、歴史が流れ込んでいく。
白の式者──テオロッドの意志。
アウレオの贖罪。世界の平和を祈る思い。
すべてが光となって、イエナに注ぎ込まれていく。
イエナは、目が覚めると、泣いていた。
「タツオ、イエナ、起きた」
──アルマの声が聞こえる。
タツオが、近寄ってくる。
「よし。──テオロッドに戻ろう。
イエナ、早々に悪いんだけど、王都がピンチみたいだ。
たった今ミサキからエーテルリンクが入った」
タツオは全員を乗せると、馬車を走らせた。
イエナは、振り向く。
森が遠ざかっていく。
しかし、森はイエナの中にある。
これで──王家の呪いは解けたのだろうか。
イエナは考えていた。
〝運命の子〟という言葉。
そして、〝循環者〟の意味。
テオロッドとアウレオの意識が流れ込んだイエナは、
その意味を分かっていた。
彼らが一生をかけて作りたかった世界も。
この国の未来も。
今、自分に託されたことを理解する。
──すべては、私の覚悟にかかっている。




