第五十七話 ククノチの森と、イエナの覚悟と。
俺たちは、〝夢幻の館〟を出発した。
ユラは、再び精神世界の旅へ戻るという。
何を探求しているのかは分からない。
だが、現世でやり残したことはもうないのだろう。
なにしろ、その気になれば、世界を征服できる力を持っている人だ。
御年百二十五歳のリビングレジェンドは、
最後に俺に言った。
「わしはわしで色々調べておく。何かあればミサキに言え。
いつでも繋がれる」
どういうことだ。エーテルリンク的なやつか……?
あとでミサキに聞いてみよう。
ミサキは昨日のことが嘘のように、イエナと談笑している。
昨日の夜を思い出す。
──正直、ミサキが泣いたのは意外だった。
ミサキはこれまで、チームフォーリナーのムードメーカーとしていつも明るく振る舞っていた。
たまに弱音を見せるのは恋愛作戦会議の時くらいで、
まさか泣くなんて想像もしていなかった。
相当厳しい訓練だったのだろう。
こんな時、俺にできることなんてほとんどない。
黙ってキノコのスープを差し出すだけだ。
ミサキはスープを飲むと少し落ち着いたようで、
いつもの調子に戻った。
しかし、確実にミサキの何かが変わったことは分かった。
明らかに——
纏う空気が違う。
タツオの零式とはまた違う存在感があった。
そう。
あの女、リーヴァのようだ。
——きっとミサキは零式になったのだろう。
ユラからあの話を聞いた今、もはや式位に意味はないのかもしれない。
でも、仲間が更に成長した事実は嬉しかった。
「ユラ様!またくるべ。ありがとう!」
「ミサキ。忘れるなよ。諦めない純度じゃ。チサトによろしくな」
ミサキは頷くと、馬車が出発してからも手を振っていた。
「さて。マレクさんを待たせてるからな。急ごう」
俺はタツオと交代で馬車を走らせた。
紫の領、東部の港で、マレクが待っている。
次なる目的地は——ククノチの森。
〝夢幻の館〟の次は、神秘の森だ。
なかなかファンタスティックな旅程だな。
港には、その日のうちに到着した。
そして、無事マレクと合流することができた。
「……なんか、また人が増えてねえか?」
マレクは、カイを見ながら言った。
「カイ=ムラサメ!世界一の剣士だ!よろしくな!」
カイは握手を求める。
しかし、マレクはそれには応じず言った。
「おい、ユイト。犬や猫じゃねえんだ。ポンポン人を拾ってくるんじゃねえ」
「誰が犬だ!」
「誰が猫だ!」
カイとアルマがユニゾンする。
……うん。自覚はあるらしい。
マレクは笑った。
「まぁいい。賑やかなほうが旅は面白えからな。
で、次はククノチの森だったな。
海図を見せろ」
俺はナギからもらった海図を渡した。
マレクは海図と海を見比べながら言った。
「うーん。今日はちぃとばかし潮の流れが悪い。
一泊して様子を見てから出発するか」
船長の決定は絶対である。
俺たちはその日東の港町、カゲツに宿泊となった。
「へえ。そんな化け物みたいな婆さんがいるのか。
孫が百四十二人か。俺なんて大したことないな」
マレクはジョッキで酒を飲みながら言った。
「ちょっと、マレクさん……。ユラさん、こうしてる間も聞いてるかもしれないから」
俺は小声で言った。
ユラの能力を考えればそれくらいできてもおかしくはない。
「ユラさんは、ククノチの森へ行けば何か見つかるって言ってたのよね?」
イエナがグラスをテーブルに置いて聞いた。
もちろん、ノンアルコールだ。
「ああ。零式になれる可能性もある、って言ってた。
俺は無理らしいけどね」
俺は答える。
イエナが零式になれば、零式が三人のトンデモパーティーになる。
俺の白なんてどうでもいいくらい最強だな。
まぁ……元より器用貧乏体質。旅の始まった頃を考えれば、今の式力でも大分成長した。高望みは禁物すまい。
「ぐはは!タツオ、お前いけるな!朝まで行こう!」
カイが高笑いしている。
様子を見る限り、タツオと飲んでいるようだ。
——タツオ、普通に酒飲むようになったな……。
俺はどうしても異世界なんでオッケー、とは中々ならなかった。
ハルカゼにしこたま飲まされた苦い記憶から、酒に対して苦手意識すらある。
ハルカゼ……アゲハやサブ。
今頃どうなっているんだろうか。
リーヴァの話が本当なら、精神干渉を受けている。
助けに行きたいが……いきなりオルディア本部に乗り込むわけにもいかない。
「ククノチの森……どんなところなんだろう」
イエナが呟く。
「ユラさん以上の仙人みたいなのがいたりして」
俺は冗談っぽく言った。
「ちょっと聞いてみるべ」
ミサキはそう言うと、目を瞑った。
え?何してんの。
「ユイト、遠からずだべ。森の番人がいるらしい。
ユラ様いわく、森と一体化して、人間と精霊の間みたいな存在らしい。
何歳かも分からないって」
「……ミサキ、今何したんだ?」
「精神世界でユラ様に聞いてきたべ。誰が化け物じゃ、って伝言しておけってさ」
これまた、すごい能力を身に付けてきたな……。
ミサキは困ったら何でも相談できる知恵袋を手に入れたのか。
ユラぺディアか、ユラGPTか。
「森と一体化する人間って……どういうことだろう」
イエナは呟く。
「自然と契約すると、そうなることがある。長から聞いたことがある」
アルマが言った。
「式は自然の力を借りる。借りるんじゃなくて、一体化すると、式力は強大になる。その分、存在は自然に近づく。でも、やりすぎると危険。
──人間に戻れなくなることもある」
……喋る木にでもなっちゃうってこと?
俺は迷いの森の中央にいる大木を思い浮かべた。
マスターソードとか、あるのかな。
翌日。港は快晴。
マレクのゴーサインにより、ククノチへの出発が決まった。
「そういえば、マレクさん。このロッド大陸以外の世界って、
どうなっているか知ってますか?」
俺は、前にイエナに聞いた話を思い出した。
イエナは二千年以上前に滅びたと言っていたが……
数々の船旅をしているこの男なら、外の世界のことを知っているかもしれない。
「イグナ島や、これから行くククノチみたいな島は知っているけどな。
外の世界は滅びたと聞いているが」
「海の男たちでも、行こうとは思わないんですか?」
「割が合わねえからな。少なくともナギラのやつらにはそんな酔狂はいねえな」
空振り。
しかし、滅びたとはいえ……あの広大な土地に文化がないなんてあり得るのだろうか。
現に、スクエアのゼラドの話によれば、このロッド大陸でも過去何度も滅びと再生を繰り返している。
「もしそっちに人がいたら、このロッドに攻め込んでくるだろうよ。
オルディアあたりがそのうち調査に行くんじゃねえか?」
マレクは舵を取りながら言った。
確かに。
どの時代でも征服者は、侵略と領土拡大を目指す。
ロッド大陸の支配が終わったら、その次は、と考えているのかもしれない。
「ユラさんだったらなんか知っているかな?」
俺はミサキに伝えた。
「聞いてみるべ」
ミサキは目を閉じ、精神世界に入った。
数分すると、目を開く。戻ってきたようだ。
「ユラ様でも、分からないってよ。とりあえず、精神世界では他の世界の人間には出会ったことないって。ユラ様でも知らないことあるんだべな。あと、気軽につなぎすぎだって怒られたべ」
……確かに。スマホでチャットするノリで聞いている。
でも、こんな便利な機能が手に入ったら多用したくもなる。
が、本当に怒られそうなので、次にミサキに依頼するときは
重要情報にしよう。
船が島に近づくにつれ、次第にあたりには霧が立ち込めていた。
霧の向こう側に、ぼんやりと島影が見えた。
「あれが、ククノチ島か」
俺は、近づく島を見ながら呟いた。
緑が生い茂っている。
手つかずの自然。
俺たちはゆっくりと岸に船を着け、上陸する。
「人の気配、しない」
アルマが言った。
まさに。これまで訪れたどこの場所とも違う、雰囲気。
まるで人間が近づくことを許されていない場所のようだ。
霧は、小雨となってしとしとと降っている。
その時。森の奥から、強い風が吹いた。
ざわり。
巨大な木々が一斉に揺れる。
「ここが……ククノチの森」
イエナは、霧に包まれた森を見ながら言った。
マレクを岸に残し、俺たちは森の奥へ進んでいった。
奥へ進むほど、空気は重くなっていく。
風は止んでいる。
それなのに、木々が微かに揺れている。
葉が触れ合う音が、どこからともなく聞こえてくる。
ざわ……
ざわ……
「……なんか、不思議な場所だべ。精神世界に似ている」
ミサキが小さく呟いた。
「音が、近い」
アルマが森を見上げる。
確かにそうだ。
葉の音は、遠くからではない。
すぐ耳元で鳴っているような感覚だ。
「……これ」
イエナが足を止めた。
目の前には、一本の巨大な木が立っていた。
他の木とは明らかに違う。
太さが、異常だ。
十人で手を繋いでも回れないほどの幹。
枝は空を覆い、霧の上まで伸びている。
まるで――森そのものだ。
その瞬間。
ざわり、と森全体が呼吸をしたように動いた。
『……来たか』
声がした。脳に直接響く声。
周囲には誰もいない。
「……誰だ?」
俺は思わず声を上げた。
返事は、上からだった。
葉の擦れる音。
木の軋む音。
そして、それが言葉になった。
『昔はヤクモと呼ばれていた。
今はこの森であり——
この森を護るもの』
ミサキが目を丸くする。
「……森が、喋ったべ」
声は、穏やかだった。
『人が来るのは久しぶりだ。人のいないこの地に、何の用だ?』
イエナが一歩前に出た。
「緑の式の先を……教わりにきました」
森が、静かに揺れる。
『式……今はそう呼ぶのか。
お主は十分高いではないか。それ以上を望むなら。
──人ではなくなるやもしれぬぞ』
少しの沈黙。
イエナは答えた。
「──それで民を、誰かの命を救えるのなら。構いません」
「っ……!イエナ……」
俺は思わずイエナの肩に手を置いた。
細い肩が、震えている。
「いいの。ユラ様に〝偽善者〟と言われてから、ずっと考えていた。
私は本当は何がしたいんだろうって。
そして決めた。私はテオロッドの民のために生き、民のために命をかける。
母が──セレフィアがそうしたように」
覚悟を決めた目。
肩の震えが──止まった。
イエナの体を、風が撫でる。
葉が揺れる。枝が軋む。
森が、彼女を確かめているようだった。
『覚悟を決めたようだな』
ヤクモの声が、響く。
イエナはまっすぐ森を見上げた。
「教えてください。──緑の式の、先を」
森が揺れる。
ざわり、と。
ククノチの森全体が、静かに息をついた。
森の奥から、深い声が響いた。
『お主は、まだ借りているだけだ。それでは〝つながり〟は弱い。
契約をしなければ、その先はない。——わしのように』
「契約?」
『森はわしのものであり、わしは森のものだ。
常に〝つながっている〟』
「私も森にならなければいけない、ということでしょうか」
『それは、森の意志が決める。
お主の守りたい土地に行け。
そこで、森の声を聞け。
森と対話しろ。森の求める契約をすればいい』
「テオロッドの森……分かりました」
『わしの代償は、森と一つになり、森を守り続けることだった』
葉が、大きく揺れる。
『わしは死と同時に——森そのものになった。
以来数百年、この森を守っている。人の手によって、壊されぬように』
──代償。対価。
緑の進化は、それが求められるということか。
「分かりました。ありがとうございます。森に……聞いてみます」
イエナがそう言うと、ざわめきが止まった。
ヤクモが、どこかへ行ったのだろうか。
「イエナ……」
俺がかける言葉を探していると、イエナは真剣な表情をした後、
──笑った。
「帰ろう。テオロッドに。私が何を守るべきか——やっと分かった気がする」




