第四十一話 スクエアと、クアドリス峰と。
スクエアに着いたのは、それから二日後だった。
無人の砂浜に船を係留する。
現地の文化風土が分からない以上、極力人里を避けた方が良い。
陸地に着くと、逆にふわふわした感覚になる。
陸酔い、というやつだろうか。
しかし、地面にしっかり足がついていると、安心する。
地に足ついてとはよく言ったものだ。
俺たちは船から旅用の荷物を下ろした。
馬車はナギラに預けてきてしまった。
ここからは徒歩での旅になる。
「俺はここで待つ。船を見張らなきゃいけないし、山道は年寄りにはきつい」
マレクが言った。
「お願いします。事前の調べでは、クアドリス峰までは徒歩だとここから数日はかかります。往復と滞在時間を見て、二週間。それまでに俺たちが戻らなければ、ナギラへ戻ってください」
俺は言った。
「二週間でも、一か月でも待ってやるさ。
なあに。幸いこのあたりは釣りするにはちょうどよさそうだ。食料もイグナ島でいっぱいもらったし、のんびりしているさ」
頼りになる船長だ。
陸地に到着早々、今度は山登りだ。
中々ハードな旅である。
幸い、目的地であるクアドリス峰はずいぶん先だが、海からも見える。頂上は雲がかかっている。
それはつまり山の高さを表しており、簡単に辿り着ける場所でないことが分かる。
順調に行っても歩いて向かえば二日くらいはかかるだろう。
「途中馬とか見つからないべか」
ミサキが言った。
「いたとしても、野生の馬なんて乗りこなせないだろ」
俺が答える。
アークネイヴァーからの逃避行で馬を拝借したことはあるが、
あれは調教済みの馬である。
さすがに後ろから近づいてボタン連打で手なづけられるもんでもなかろう。
「なんか一瞬で飛んでいける式術とかないの?」
タツオが聞いた。
それは俺も考えた。
一度行ったことがある街なら呪文でひとっ飛び。
あるいは、旅の扉みたいなのがあって、一瞬で繋がるとか。
俺の知っている異世界ファンタジーならあったんだけどな。
「残念。そんなものありません。あったら便利だけどね」
イエナが答えた。
ずいぶんくだけた言葉使いも慣れてきたようだ。
休憩を入れながらそびえ立つ山に向かって進んでいくが、
中々近づかない。
久しぶりの陸地に徒歩行軍はかなりこたえている。
日が落ちてきたので、俺たちは久しぶりの野営の準備にとりかかった。
幸い、川の近くに良い場所が見つかった。
これなら、簡易風呂も作れる。
船旅で風呂にも入っていないから、熱いお湯に浸かりたい。
夕食は森で狩った鳥になった。
ミサキが睡眠の式術で何匹も捕まえた。
幻惑術、便利である。
さばくのは、タツオ担当にした。
放っておくと何もしない。
イエナがそれを手伝う。
料理は、いつものように俺担当。
さばかれた鳥肉に串を通し、
ナギラから持ってきた塩で味付けする。
塩焼き鳥だ。
シンプルだが美味い。
夜は更け、あたりは不気味なほど静かになる。
外敵からの襲来に備え、焚き火を炊きながら交代で番をする。
「スクエアに街や村はないのかな」
俺は一緒に番をしているイエナに聞いた。
「うん……今のところ、人の気配もないね」
「国土は広そうなのに。道も整備されていないし、
閉ざされた国って感じだな」
俺がそう言うと、イエナは少し逡巡してから言った。
「叔父さん、レオニス王はいっていなかったけど。
実は、三年前にテオロッドはスクエアに特使団を派遣しているの」
「え?でも、情報がないって言ってたぞ」
「それは本当。なぜなら……特使団は帰ってこなかったから」
「……殺されたのか?」
「分からない。捕まって捕虜にされているのかもしれないし、殺されたのかもしれない。でも、十人ほどいた高位の式術者たちは、誰一人帰ってこなかった」
「……めちゃくちゃ危険な国じゃないか。レオニスさんは何も言ってなかったぞ」
「レオニス王は知らないんじゃないかな。私は、特使になってから特師団の人に聞いただけで。王国でも、禁忌になっているようだし」
旅の危険度が、一気に増す。
「……好戦的な民族という可能性もあるのか。明日は、ミサキの探知を強めた方がいいな」
俺が言うと、イエナは頷いた。
翌日、日が昇ると俺たちは出発した。
できれば、日が出ている時間にクアドリス峰に到着したい。
暗くなってからはまた野営をしなければいけない。
俺たちはミサキの探知を張りながら山道を進んだ。
昼を過ぎるころ、山の裾野に到着した。
とはいえ、森と地続きで明確な境界線があるわけではない。
クアドリス峰は、おそらく二千メートル級。
頑張れば夜になる前につけるだろう。
地面に傾斜がつき始めた森の中で、ミサキが足を止めて叫んだ。
「生命体を検知!五、六体はいるべ!」
「魔獣か!?」
「動きが速い!囲まれるべ!幻惑に切り替える!
眠らせるべ!」
ミサキはすぐ紫の霧を出した。
俺たちの周りを濃い霧が包む。
並の人間なら、これですぐ眠りに落ちるはず。
瞬間、なぜか俺はグラディオが頭によぎった。
——並の人間、なら。
直後、俺たちの目の前に霧の中から影が現れた。
女だ。
口元を布で覆っている。
そして。
髪の色は……
白と黒のツートンカラー。
あれは……まさか。
俺は咄嗟に土の式術を発動させる。
「アースホール!」
俺たちとその女の間に、穴が開く。
しかし。
直後女はその穴がまるで存在しないように俺の目の前にやってきた。
——瞬間移動。
女は俺の首に手を回し、取り出したナイフを俺の頬につけた。
「ユイト!」
仲間たちが叫ぶ。
しかし、この状況では身動きがとれない。
「……エイル。なぜ……死んだはずじゃ」
俺はそう言った。
俺の目の前にいた女は、あの時アークネイヴァーで死んだはずの暗殺者と同じ顔をしていた。
女はそのまま動かず、言った。
「お前ら、何者?なぜ、その名前、知っている」
この話し方。
間違いない。
「……俺たちを忘れたのか?
アークネイヴァーで戦っただろう」
「アークネイヴァー?なんのこと。お前ら、知らない」
なんだと?
記憶がないのか。
それとも——別人?
「……お前、エイルじゃないのか?俺たちはテオロッドから来た特使だ。お前は、一体誰だ」
「私は、アルマ。エイルは私の姉だ。お前ら、エイルを知っているのか。死んだとは、どういうことだ?」
姉——つまり、エイルの妹か。
アルマと名乗った女は、まだ俺の首から腕を離すつもりはないらしい。
正直に伝えるべきか。
状況が分からない以上、失敗はできない。
これまで培った交渉術を発揮するしかない。
「まずこの腕を離してくれ。それとナイフも。話がしづらい」
俺がそう言うと、アルマは俺を解放した。
それを見ると、仲間たちが俺に近寄ろうとする。
「お前ら、動くな。その場に座れ。
そうしないと、こいつを刺す」
アルマと名乗った女がそう凄んだ。
「ユイト!フレアレイ撃とうか!?」
タツオが火線の準備をしている。
「タツオ、やめろ!……まず、話をしてみる。
皆も、言われた通りそこで座ってくれ」
俺はタツオの援助を断り、その場に座った。
アルマと名乗った女は、俺と向かい合うように胡座をかいた。
「さあ、話せ。エイルは死んだのか?どこで、どのように。嘘をついたら、刺す」
アルマは、鋭い眼光を俺に向けた。
嘘くらい平気で見破りそうだ。
交渉は難しいか?
しかし、肉親を殺したのが俺たちだと分かったら……
それこそ刺してくるだろう。
俺は慎重に言葉を選んだ。
「エイル、正確には、そう呼ばれていた女は、アークネイヴァーの刺客として動いていた。
グラディオ=ネイヴァルドの部下として、俺たちを襲った」
死因に触れるのは、まだ早い。
まずはエイルについて知っている情報からだ。
「エイルが?そうか。アークネイヴァーに行ったのか。
お前らはなぜ襲われた」
「アークネイヴァーがクーデターにより、オルディアになったのは知っているか」
「長から聞いた。テオロッドが絡んでいると聞いたが。
それがなんだ?スクエアは他国の政治には不干渉だ」
「まず、その情報が嘘だ。俺たちは王子をさらわれ、それを助けに行っただけだ。
そこでエイルとグラディオと戦った。
エイルは、戦いの中で——死んだ」
核心。死因については極力触れない。
あくまで俺たちの正当性を主張してからだ。
「あのエイルが戦いに負けて死ぬなんて、想像がつかない。お前らが殺したのか?」
——結局こうなるか。
触れずには進められなそうだ。
「——結論から言えばそうなる。ただ、そうしなければ、俺たちが殺されていた。仕方なかった」
逆上して襲ってくるかもしれない。
俺は少し身構えた。
しかし、想像に反してアルマはその場から動かない。
感情が、読めない。
一人で何か考えている。
しばらくするとアルマは立ち上がり、言った。
「感謝する。お前ら、長のところに案内する。ついてこい」
——感謝?
戦いの中でとはいえ、肉親を殺した俺たちに?
状況が飲み込めないまま、俺たちはアルマについて行くことになった。
アルマは歩きながら話した。
「あの紫の霧はなんだ。使ったのはお前か」
ミサキを見ている。
「……私だべ。何人もいたはずだが、なんでお前は眠らなかったべ」
「眠りか。じゃあ、私の仲間はじきに起きるな。
置いていこう。勝手に帰ってくるだろう」
ミサキの質問には答えず言った。
仲間。長を知っている、ということは何かの組織なのだろうか。アルマの歩く速度は速い。
俺たちはついていくのに必死だ。
しばらくは無言が続く。
山の山頂に近づく頃、アルマがまた口を開いた。
「エイルは、どうやって死んだ?」
「……火の式術で、一瞬で燃え死んだ」
俺が言うと、アルマは少し悲しい表情をしたあと、微笑んだ。
「そうか」
それ以上、アルマが口を開くことはなかった。
山道を、恐らく最短距離であろう道を選び進んでいく。
それから数時間経つと、山頂に到着した。
静かに拓けた場所。
林の中に、古びた寺院があった。
音がない。
風の音も、葉擦れの音も聞こえない。
「着いた。ここに、長がいる。行ってこい」
アルマに促され、俺たちは寺院に足を踏み入れた。
寺院の中は、荘厳な雰囲気が漂っていた。
高い天井。建物から発される、圧。
俺たちは中をゆっくり進んでいく。
一番奥に、老人が座ってる。
——髪の色が、白と黒。
アルマと一緒だ。
ある意味、人ではない何か、仙人のように見える。
「ゼラドだ。お前らは、テオロッドから何しに来た」
俺が話そうとするのを止めて、イエナが頷いた。
ここは私の仕事、ということだろう。
「——はじめまして。テオロッド王族、イエナ=テオロッドです。オルディア連邦のことは、聞いていますか?」
「ああ。トランジアの首領から、連邦入りを薦める書簡が来ている」
——やはり。すでに連邦は動いていた。
スクエアが連邦入りすれば、世界の勢力図が変わる。
緊張が走った。
「スクエアは、連邦に加わらぬ、と返事を送った。
そして、テオロッド。そちらにもつかぬ。
スクエアは建国から二千年、観測者として生きてきた。
白が生まれ、黒が生まれ、世界は循環する。
その理を見届ける」
——白?そして、黒。
この国は——俺の謎を知っているのか?
「白の式について何か知っているんですか?」
俺は思わず聞いた。
ゼラドはゆっくりと俺の髪を見ながら言った。
「理から外れたものよ。お主は、どこから来た?
そして、どこへ向かう」
——俺たちの正体を知っているのか?
スクエアという国の、得体がしれない。
「三年前、テオロッドからスクエアに特使が来たはずです。彼らのことを知りませんか」
俺が次の言葉を探っていると、イエナが聞いた。
「……彼らにはすまなかった。儂は出方を探るため、捕縛をするように指示した。クアドリス峰の守護者、灰忍衆にな。しかし、当時の灰忍衆は——彼らを皆殺しにした」
——!やはり、殺されていた。
しかし、なぜそんなことを。
「やったのは、エイル。長の指示を無視した」
気がつくと、後ろにアルマが立っていた。
「エイルは、灰忍衆を——スクエアを追放された。
それからの行方は知らなかった」
追放。指示に従わなかった罰だろうか。
アルマに続けて、ゼラドが話した。
「エイルは、昔から危険だった。善悪の区別がつかない。
人を殺すことに抵抗がない。危険視はしていたが、まさかあんなことになるとは。テオロッドの特使よ、改めて謝罪しよう。あの事件は、儂の失態だ」
そういうとゼラドは頭を下げた。
「あの時、私は体調を崩して寝ていた。もし私がついていれば、エイルを止められたかもしれない。すまなかった」
アルマが続いた。
「……わかりました。国としての意志ではなかったこと、その原因はすでに死んでいること。
合わせてテオロッドに報告しておきます。
それに、エイルを殺したのは——私たちです。
これで、その話は終わりましょう。
聞きたいのは、スクエアという国についてです。
なぜ国交を避け、観測者としての立ち位置を貫くのですか?」
イエナが言った。
淀みない。特使として場慣れしている。
「——それを語るには、スクエアの歴史を語らねばならん。
今日は疲れたであろう。食事と、寝床を用意する。
また明日ゆっくり話そう。アルマ、案内してやるがよい」
「かしこまりました。——ついてこい」
寺院の奥へ向かって、アルマは足早に歩いていく。
奥には、広い部屋が用意されていた。
雰囲気は——まるで和室だ。
畳のようなものが敷かれている。
「なんか、落ち着くべな」
ミサキが腰を下ろしながら言った。
「……ミサキ、どう思う?」
俺は聞いた。
「何がだ?」
「罠じゃないか、ってことさ。前も、アークネイヴァーで似たような流れあっただろう?」
「あぁ。そうだべな。……今回は、大丈夫だと思う。
悪意みたいなものは、察知できなかったべ」
「……それは式力で判断したの?」
イエナが聞いた。
「いや。女の勘だべ」
「恐ろしいほど当てにならなそうだね」
タツオが呟いた。
「何言ってるべ!私の勘はよくあたるべよ!」
「もう少し論理や定量で話してほしいよ」
「……何言ってっか分からないべ!」
二人の小競り合いが始まっている。
「イエナはどう思う?」
俺はタツオとミサキを放置して聞いた。
「うん。多分、そういう人たちではない気がする。
スクエアが何か世界の秘密を知っている気はするけど」
「そうだよな。白……そして、黒って言ってたな」
俺は記憶を探る。サイレスが、昔見た古文書。
原初に白の式と黒の式が存在した。
それは、すべての式のはじまりでもあり、終わりでもある。
白と黒は表裏一体。
全てを染め、全てを無に返す黒。
全てを包み、全てを受け入れる白。
巡る時の中で、対となり現れる。
原初の式。
そして俺はその片方である、白の式者。
ゼラドには、〝理から外れたもの〟と言われた。
俺たちが異世界から来たことと、なにか関係があるのだろうか。
そして、その白と黒の二つの色を抱えるゼラドやアルマは、一体何者なのだろうか。
数々の疑問を抱えながら、クアドリス峰の夜は更けていった。




