第三十八話 ナギラ岬と、白髭のマレクと。
宿場町トネアを出発し、ナギラ岬に近づくにつれ
海の匂いが近づいてくる。
到着したのは、もう深夜だった。
俺たちの乗る船がある造船所には、翌日に訪問することにした。
翌朝、潮の匂いで目が覚める。
外からは、賑やかな音が聞こえてくる。
朝の港は騒がしい。
俺たちは喧騒を抜け、造船所に向かった。
道すがら、音の原因が聞こえてくる。
綱を引く声、木槌の音、笑い声。
海の男たちは、みな日に焼け、腕が太い。
都市部とは違った活気に満ちている。
港に着くと、この造船所の責任者だという男が出迎えに来た。
丸太のように太い腕。真っ黒に焼けた肌。
そして、伸ばした白い髭。
某フライドチキンのお店の人みたいだ。
眼鏡はないが。
「お前らがテオロッドからの特使か。思っていたより若いな。俺はマレクだ。よろしくな」
マレクと名乗ったその男は、俺たちを船の前に案内した。
「……大きいべな」
ミサキが呟く。
港に並ぶ船の一角に、その船はあった。
黒く塗られた船体は、まるで海獣のようだ。
「これが、俺の自慢の船だ。ナギラで一番速いぞ」
白髭の船大工、マレクが言った。
胸を張っている。
数々の旅を超えてきたのだろう。
船体にはいくつもの傷がついている。
船体の大きさに俺たちが見入っていると、
「……これ?」
タツオの声がした。
──嫌な予感がする。
「ユイト」
「なんだ。もしかしたら言ってはいけないことを言おうとしていないか?よく考えてから発言してくれよ」
「うん。分かった。この船、遅いと思うよ」
マレクの自慢の船を指さし、タツオは真顔で言った。
やっぱり。何も分かっちゃいない。
「船体の幅が広すぎるし、帆の配置も効率が悪い。風がうまくつかまえられない気がする」
その声は、マレクだけでなく、すぐ近くにいた船乗りたちにも聞こえていた。屈強な海の男が近づいてくる。
「おい坊主、今なんつった?」
「この船、遅いでしょ?」
タツオは同じことを繰り返し言った。
「設計を変えれば、もっと速くなるよ」
次の瞬間、船乗りたちがどっと笑った。
「ははははは!」
「なんだこのガキ!」
「海も知らねえくせに何言っていやがる」
俺は額を押さえた。やっぱりこうなる。
この言い方では、殴りかかられてもおかしくない。
「おい、お前、船乗ったことあるのか?」
白髭のマレクが、タツオに言った。
「ない」
「海出たことは?」
「ない」
男たちはまた笑った。
「聞いたか!」
「陸の坊主が船を語るってよ!」
タツオは首をかしげる。
「海に出たことがあるかどうかと、設計の合理性は別問題でしょ。これ誰が設計したの?」
「俺だ」
マレクの眉がぴくりと動く。
完全に火がついた。
俺が間に入ろうとした、その時だった。
「言ってみろ。改善案を」
マレクは言った。
「船底の形。抵抗が大きい。あと帆柱の位置。重心が後ろすぎる」
タツオは淀みなく改善点を並べた。
船乗りたちが顔を見合わせる。
「風を受ける角度も非効率。これだと外洋で速度が落ちる」
マレクはしばらく黙っていたが、しばらくすると頷いた。
「……面白い坊主だ。ついて来い」
そう言うと、港の奥へ歩いていく。
「どこに?」
タツオは言った。
「設計を見せてみろ。造船所に行く」
タツオはマレクについていく。
俺たちもあとに続いた。
ミサキが小声で言う。
「相変わらず冷や冷やするべ……」
そんなやつのどこがいいんだよ、と俺は思ったが、
口には出さなかった。
蓼食う虫もなんとやらである。
造船所に入ると、巨大な船台が並んでいた。
骨組みだけの船。木材の山。作業台。
マレクが机の上に紙を置いた。
「お前の言う船を書いてみろ」
マレクはタツオにペンを差し出す。
「りょーかい」
タツオは躊躇なくペンを取る。
船体の線を引く。
「船底はこう」
流線形の形を描く。
「抵抗を減らす」
帆柱を描く。
「帆は三枚。角度はこう」
タツオが数字を書きこんでいくと、
それを取り囲む船大工たちが覗き込む。
マレクはそれを見ながら笑っていた。
「なるほどな」
「こんな感じ。作れる?」
タツオが聞く。
それを聞くと、マレクは吹き出した。
つられて、船大工たちも笑い出す。
「おい。俺たちもなめられたもんだな」
若い大工がタツオに向かって言った。
「ここをどこだと思ってるんだよ」
別の大工も続く。
マレクは続けて言った。
「海の男はな。賭け事が大好きなんだ。
お前の設計で速くならなかったら、どうする?
腕の一本でも置いていくか?」
冗談だと思うが、物騒な持ちかけである。
「いいよ。その変わり早くなったら、スクエアまで連れてってね。僕たち、船の操縦なんて誰も出来ないし」
「ほう。いい度胸だな。いいとも。もし早くなったら、俺が船長をやってやる。お前の腕なんてもらっても仕方ないからな。もしお前が負けたら設計士見習いとしてここで一年働け。どうだ?」
「乗った」
……勝手に賭けが成立したようだ。
勝負が決まると、海の男たちは一気に盛り上がった。
「よーし、お前ら、しばらく休みなしだぞ。
新しい船造りのはじまりだ」
マレクの号令で、新たな船造りが始まる。
動き出した職人たちは手早い。
早速タツオの描いた図面を覗き込んでいる。
「……こんな細くて大丈夫なのかよ」
誰かが呟いた。
確かに、これまで港で見た船よりも、船体は明らかに細長い。
「横波食らったら転覆しそうだな」
「帆が三枚って、風受けすぎじゃねえか」
口々に言う。
タツオは肩をすくめて言った。
「いーから手を動かしてよ。こっちの計算は完璧なんだから」
そう言って、図面の端に数字を書き込む。
「重心ここ。浮力ここ。風力ここ」
船乗りたちは黙った。
完全に意味が分からない顔だ。
「……何を書いてるんだ?」
マレクが聞いた。
「力の釣り合い」
「釣り合い?」
「力は全部計算できる。前の船だと、風の力を半分以上逃がしてる。
この形なら、外洋で今の船の倍は速くなる。
揺れも少なくなり、転覆の危険性も下がる」
造船所がざわついた。
「倍だと?」
「そんなに変わるわけねえだろ」
マレクだけが笑っていた。
「面白い。俺たちの長年の海の経験を、紙の上だけで上回るってわけか。よし、言うとおりに造ってやろう」
木槌の音が再び響き始めた。
巨大な木材が運ばれる。
船台に骨組みが組まれる。
港の男たちは、文句を言いながらも楽しそうだった。
「ここの梁を削れ!」
「帆柱はもう少し前だ!」
「ロープ持ってこい!」
タツオは作業台の上に座り、図面を書き続けている。
俺たちはその様子を見守るだけだった。
タツオはいつの間にか職人たちから質問を受け、答えている。
まるで現場監督である。
「……なんだか本格的なのが始まったな。俺たちは帰るか」
タツオを造船所に置き、俺たちは街へ戻った。
「白髭のマレクが、三日くらいはかかるって言ってたべ。
その間どうするべか」
ミサキが言った。
むしろ、そんな短期間で出来上がるのか?
すごいな、船大工。
タツオはその間造船所にこもるだろうし、
俺とイエナ、ミサキはすることがなくなってしまった。
「どうしましょうね。海路は危険なので、速くなって安全になるのは良いことですが。持て余しちゃいましたね」
イエナが言った。
「とりあえず、市場にでも行ってみるか。何か新しい食材も見つかるかもしれないし」
新しい街に来ると食材探しをするのがすっかり癖になってしまった。
世界の非常事態でも、腹は減る。
そして飽くなき食への探求心は揺るがない。
俺たちは造船所を出ると、海辺にある市場に向かった。
市場は朝早くから活気に満ちていた。
荷を運ぶ男たちの掛け声と、屋台の呼び込みが混ざり合い、通りは祭りのような賑わいだった。
「うわぁ……魚だらけだべ」
ミサキが目を輝かせる。
通りの両側には、木箱に魚を並べた店が続いている。
見たことのない魚ばかりだ。
元の世界とはやはり生態系が異なるのだろうか。
「どうだい?今日獲れたてのオオアサリだよ」
店の女将に声をかけられた。
「……でかいな」
俺は思わず呟いた。
店先に並んでいるのは、手のひらどころか顔ほどの大きさの貝だった。
「ナギラ名物さ。浜焼きにすると最高だよ」
隣の屋台では炭火が赤く燃えていて、貝殻の上でじゅうじゅうと音を立てていた。香ばしい匂いが漂ってくる。
ミサキの腹が小さく鳴った音が聞こえる。
「……食うべか」
「さっき宿で朝飯食べたばかりだろ」
「別腹だべ」
ミサキは迷いなく財布を取り出した。
女将が貝を網に乗せる。
しばらくすると、貝の口がぱかりと開いた。
「ほらよ」
貝の汁がじゅわっと溢れる。
ミサキが一口食べて、目を見開いた。
「うまっ!」
「だろ?」
女将は豪快に笑った。
ミサキは満足そうにしている。
その隣の店では、大きなタコが木箱に突っ込まれていた。
腕がもぞもぞと動いていた。
イエナが明らかに嫌そうな顔をしている。
「なんですか、この生き物……」
「シオダコだ」
店の男が言った。
「煮ても焼いてもうまいぞ」
ユイトは腕を一本持ち上げる。
吸盤が拳くらいある。
「……巨大たこ焼きができそうだな」
その横では、魚がずらりと吊るされていた。
干物だ。塩がまぶされている。
巨大貝にタコに干物。
元の世界の市場に来たような錯覚を覚える。
物流が発達していない異世界ならではだが、
行く街によって全く商品が異なる。
マルカドールも海洋国家だったが、ナギラはもっと港町、といった感じだ。
市場の奥に進むと、岩のような蟹が山積みになっていた。
甲羅がごつごつしている。
「これは……ナギラガニだべ!」
ミサキの目が輝く。
「知ってるのか?」
「オウシュウではめったに食べられない高級ガニだべ!ああ、食べたいべ」
「鍋で茹でると最高だぞ」
店主が言う。
ミサキはすでに財布を握っている。
「いくらだべ!」
「一匹一万ソル」
「うーん、高いべ!」
即座に値切りが始まった。
あーだこーだと店主とやり取りをしている。
「五千ソル!」
「無理に決まっているだろ!まけて八千ソルだ」
俺とイエナは顔を見合わせる。
「……ミサキはいい奥さんになりそうですね」
イエナが言った。
「むしろ、商人に向いていそうだけどな」
俺は、店主をまくしたてるミサキを見ながら言った。
しばらくして、ミサキは勝ち誇った顔でカニを持って戻ってきた。
「六千ソルになったべ!」
店主は根負けした様子で両手を上げている。
ミサキの押切り勝ちのようだ。
「今日の昼はカニ鍋だべ!」
ミサキは誇らしそうにカニを見せてくる。
「……どうせ調理は俺がするんだろ」
「頼むべ、料理リーダー!」
豪勢なランチである。
俺は市場にある商店で調味料を適当に買い、料理の準備をすることにした。塩が安い。さすが港町。
この値段ならわざわざ生成するより楽だし、お手ごろだ。
俺は大量に買い込んだ。
ついでにローディンへのお土産を探していると、良いものを発見した。
海苔である。
これは……ガルフ篭絡作戦にも使えそうだ。
一通り買い物を終えると、俺たちは造船所の様子を見に戻った。
タツオは設計図を書き終えたようで、図面を片手に職人たちに指示出しをしている。
こちらに気が付く様子もない。
汗を飛ばしながらてきぱきと動きまわる姿を見ると、声をかけづらい。
「ああいう姿も、いいべ……」
ミサキが呟くのが聞こえたが、聞こえなかったことにした。
先ほどまで一触即発の雰囲気だったのが嘘のように、
皆楽しそうに作業をしている。
結局、職人たちは物を作るのが好きなのだ。
あれから数時間しか経っていないのに、もう船の骨組みが見えつつある。
この調子なら、本当に数日で出来てしまうかもしれないな。
俺たちはタツオには声をかけず宿に戻った。
俺が調理したカニ鍋を食べ終わると、ミサキは満足したように腹を叩いた。
「余は満足じゃ。明日もカニにするべ」
「おい。目的を忘れるなよ。旅行じゃないんだぞ」
俺は油断しきっているミサキに注意する。
「いいじゃないですか。どうせスクエアについたら大仕事が待っているんだし。少し、ゆっくりしましょうよ」
イエナが言った。
うっ。天使にそういわれては、返す言葉がない。
まぁ、どうせ俺たちはすることもないしな……。
それから三日間、俺たちは食べ歩きをしたり釣りをしたり、すっかりナギラの港を堪能した。
三日後。
タツオの呼び出しで造船所に向かった。
船が完成したという。
細長い船体。
高い帆柱。
三枚の帆。
港の男たちが集まっている。
「こんなんでちゃんと浮くのか?」
「沈んだら笑えるな」
マレクが船を見上げる。
「おい赤坊主。船の名前は?」
タツオが考える。
少しだけ悩んでから言った。
「フォーリナーにしよう」
俺は笑った。
「懐かしいな。俺たちのチーム名」
「いいでしょ?イエナだって、スクエアから見たら異邦人だし」
イエナは、少し嬉しそうに頷いた。
「私もやっとチームの一員になれたってことですね」
「イエナはとっくにチームでしょ」
タツオが言うと、イエナは微笑んだ。
おい、俺の台詞とるんじゃねえよ、赤坊主。
「フォーリナー号か。いいんじゃねえか?」
マレクは満足そうに頷いた。
船は男たちの手で海へ降ろされた。
水しぶきが上がる。
船体は、静かに浮いた。
「じゃあ、試航海といくか」
マレクの号令で、船乗りたちが乗り込む。
帆が張られる。
風が吹く。
次の瞬間。
船は滑るように湾を進んだ。
「おい!速えぞ!」
「なんだこれ!」
港の男たちが騒ぎ出す。
帆船はぐんぐん速度を上げていく。
マレクは白髭を触りながら呟いた。
「赤坊主、お前の勝ちだな」
「当然」
タツオは腕を組んでふんぞり帰っている。
「おい。赤坊主。名前は?」
「タツオ」
「タツオか。気に入った。約束通り、お前らをスクエアに連れてってやるよ。って言っても、テオロッドの王様からそう依頼されたんだけどな」
「え?じゃあ賭けになってないじゃん」
タツオがそう言うと、マレクは笑った。
港の男たちは、もうタツオを完全に仲間扱いしていた。
無事、船が出来上がり、船長もいる。
これでスクエアに向かう準備は整った。
その夜、出発前に俺たちはマレクと懇親会をすることになった。
港の焚き火の前で、マレクは酒を飲んでいた。
タツオが隣に座る。
二人が並ぶと、祖父と孫のようだ。
マレクが言う。
「タツオ、海は好きか」
タツオは首を振る。
「まだ分からないよ。海のあるところで育ってないし」
「そうか」
マレクは少し笑った。
「そのうち好きになる」
それから海を見た。静かな夜の海だった。
「……海はな。毎日違う顔を見せる。
今みたいに穏やかな時もあれば、狂ったように荒れている時もある。船乗りは男しかいないんだ。
海の神は女神だから、女を連れてくと嫉妬して荒れ狂うって言われている」
元の世界でも聞いたことがある話だ。
ジェンダーレスの時代には合わない言い伝えだが、
こっちは異世界だから仕方ない。
まぁ俺たちのチームは半分が女、しかも一人は天使級の美女だ。
嫉妬されまくると思うが。
「安心しろ。お前らは無事に俺が送り届けてやる。
どうせもうすぐ隠居の身だ。造船所は若いやつらに任せておけば問題ない」
マレクは酒をぐいっと煽って言った。
岬の灯台が、赤く光っている。
海のはるか向こうに待つ、悠久の国、スクエア。
そこで俺たちを待ち受けているのは何だろうか。




