エピソード・オブ・アレクシオ 原理の間
〝図書館〟の第一層は、音のない空間だった。
広い空間に、規則正しく並ぶ書架。
分類は色ごと、年代ごと。整然としている。
一言で言えば、無駄がない。
中央を歩いていると、背後から声が落ちる。
「閲覧は自由です」
感情がない、〝編纂者〟の声。
目は開いているが、見ているのか分からない。
アレクシオは、試しに一冊の本を抜き取った。
革表紙の装丁に、歴史を感じさせる。
刻まれた文字。
『テオロッド家系譜』
「……こんなのもあるのか」
王宮にも家系図の記録はある。
だが、ここには別の視点があった。
アウレオ=テオロッドから続く、
十五代の歴史。それぞれの式位。寿命。戦歴。
その中に、
エリサ=テオロッド
セレフィア=テオロッドの名を見つける。
故人となると、追加されるのだろう。
本には、まだ十分な頁が残されている。
いつか、父や、自分もここに載るのだろう。
胸の奥がわずかに揺れる。
編纂者は何も言わず、ただ、立っている。
アレクシオは本を戻した。
やがて、石床の奥にある螺旋階段に目が向く。
下の階に続いている。
「……あれは?」
「第二層です」
〝編纂者〟の無機質な声が響く。
「二式以上の者のみ、入れます。興味があれば、どうぞ」
アレクシオは振り返る。
「俺が入れるって、なぜ分かる」
「その判定は我らではありません」
視線を動かさず、〝編纂者〟は答える。
「〝図書館〟が決めます」
意味が分からない。
「降りれば、分かります」
それだけ。説明はない。
「こういうことだ」
テリーズは、先に階段に向かっていく。
階段に一歩踏み出そうとした瞬間──
目に見えない何かに弾かれたように足が止まった。
何もない空間で、動けない。
編纂者の声。
「資格が足りません」
「二年前に来た時と一緒だ。
私はもちろん、イエナも弾かれた。
お前ならいけるだろう?アレクシオ」
アレクシオは階段へ足を向ける。
一歩。
空気が、わずかに重くなる。二歩。
胸の奥が、微かに震える。
三歩。
階段の下から、冷気が上がってくる。
ここからは一人。
アレクシオはさらに降りる。
足音だけが響く。
第一層の乾いた紙の匂いは、すでに消えていた。
冷たい。
石の温度だけが、空間を支配している。
どれくらい降りたのか分からない。
やがて、階段は途切れた。
第二層。そこは、広い石室だった。
書架はない。
机もない。
装飾もない。
中央に、ただ一つ。
巨大な石碑。
天井は高いが、光は少ない。
どこからともなく差し込む淡い明かりが、碑面を照らしている。
音は、ない。
風もない。
呼吸の音だけが、やけに大きく聞こえる。
アレクシオは、ゆっくりとその石碑に近づいた。
刻まれた文字は古文だった。
だが、なんとか読める。アレクシオは、それを目で追った。
原初に白と黒ありき
これぞ万の式の始まりにして また終はりなり
白と黒とは 表裏一体にして相離るることなし
黒は万を染め 万を無へと還すものなり
白は万を包み 万を受け入るるものなり
巡る時の中にて 対となりて現る
これは……式の話か?
白がはじまりで、黒が終わり、ということだろうか。
白、と聞いて思い浮かぶのは一人だけだ。
だが、それが何を意味するのかは分からない。
アレクシオは、これまで聞いていた歴史と違う部分に違和感を覚える。
式の祖はアウレオ=テオロッドであり、
原初の式は黄の式だと聞かされてきた。
ここに書いてあることは……式術学校でも教えていない。
これを、見た王族はいるはずだ。
サイレス、セレフィア。
──二式以上の王族。
なぜこの話が隠されているのだろうか。
テオロッドに戻ったら問い詰めなければいけない。
そして、第三層にはなにがあるのだろうか。
アレクシオは、更に続く螺旋階段に足を踏み入れる。
すると
──その足が見えない何かに弾かれる。
……資格不足、ってことかよ。
アレクシオは、小さく舌打をし、第一層に戻った。
そして、〝編纂者〟に聞いた。
「なあ。第三層って、どうやったら入れるんだ?」
「最深部は、零式を超えたものだけです」
零式。セレフィアは入った、ということだろうか。
それとも、零式になる前にここに来たのだろうか。
「過去、入ったやつはいるのか?」
「この〝図書館〟を作ったアウレオ=テオロッド以降、
誰も入っておりません」
なんということだ。
三百年間。封印された場所。
そして、セレフィアは入っていなかった。
恐らく、ここを訪れた十五歳の時には、
覚醒前、一式か、二式だったのだろう。
「分かった。じゃあ、俺がはじめてのお客さんになってやるよ」
アレクシオは言った。
「なんだ?やる気になったのか?
テリーズは言った。
〝図書館〟を出ると、改めて空気の薄さを実感する。
「テリーズ。ここに何日滞在するんだ?」
アレクシオは聞いた。
「さあな。お前次第じゃないか」
テリーズは少し笑って答える。
「テオロッドの王子。修練をお望みですか?」
〝編纂者〟が突然言った。
いつの間にか真横に立っている。
「ああ。原理の間を案内してくれ」
アレクシオに代わって、テリーズが答える。
原理の間?
一体どんな間なんだ。
〝編纂者〟に連れられ、街並みを抜けていく。
街並み、と言っても建物は無機質で、ほとんど生活感がない。
それでも、道で何人かの人々とすれ違う。
皆、頭巾を被っていて、表情が見えない。
不気味な場所だ。
街のはずれに、修練場とおぼしき広場があった。
その奥に、薄暗い洞窟が見える。
「ここが、修練場。洞窟が、〝原理の間〟です。
宿は時間までに来てください」
そういうと、〝編纂者〟は去っていった。
テリーズはそのまま奥の洞窟に歩いて向かっていく。
「なあ。〝原理の間〟ってなんなんだよ」
アレクシオは足早に歩くテリーズの後ろから聞いた。
「イエナは、三日しか持たなかったな。
まあ、それでも飛躍的に式力が伸びたが」
「なんだ?何か式力をあげてくれる場所なのか?」
「いや──逆だ」
「え?」
「〝原理の間〟に入ると、その間式力はほぼ無になる。
その状態で式を訓練することで地力をあげる──らしい。
私には式力がないのでよくわからんが。
イエナは三日で六式から四式まで上がった」
「じゃあ……二式の俺がやったら……」
「どこまで上がるかは分からんがな。
ただ、相当しんどいと思うぞ。あのイエナが、
泣きながら帰りたいと言っていた」
はじめる前に、嫌なことを言う。
アレクシオは強がって言った。
「だったら一週間だっていてやるさ!」
洞窟に入ると、中は広い空間が広がっている。
式術学校の訓練場くらいの広さはありそうだ。
中央に、大きな黒い石が置かれている。
アレクシオが入ると、黒い石が仄かに光った。
直後、アレクシオの体から力が奪われていく。
身体が、重くなる。
「こういうことかっ……」
全身から力が抜ける。
まるで、風邪をひいたときのような、節々の痛み。
恐らく、熱も出ている。
この状態で、式術なんてできるのかよ……。
アレクシオは、全力の雷を放つ。
しかし──出ない。
小さな電流が、パチッと走っただけだ。
ドラゴンを撃ちぬいた閃光が現れることはなかった。
生まれつき六式だったアレクシオにとって、
それは初めての経験だった。
これじゃあ……虫も殺せないな。
アレクシオは、倦怠感と戦いながら何発も雷を放つ。
少しずつ、雷の形になってくる。
しかし、確実に体力は奪われていく。
これを何日続ければいいんだ?
一時間ほどそれを繰り返すと、
体力が尽きたアレクシオはその場に倒れこんだ。
「ここは……」
目を覚ますと、そこは、王宮の自室ではなく、
見たことのない部屋だった。
そうだった。
霊峰ライゼルに連れてこられたんだった。
横を見ると、テリーズが椅子に腰掛け、
腕を組みながら目を閉じていた。
直後、目を開ける。
「起きたか」
「ああ……テリーズが運んでくれたのか?」
「そうだ。まだ余裕で運べるな」
どうやら、また失神してしまったらしい。
「俺、失神してばっかりだな」
アレクシオは、上半身を起こし、呟く。
「同じ失神でも、意味が違う」
テリーズが言った。
「前は、現実から逃げた。今回は、真摯に修行に向き合った。
前向きな失神だ」
「前向きとかあるのかよ」
アレクシオは笑った。
「あるんだよ。安心しろ。お前は成長しているよ。
テオロッドから、書簡が届いていたぞ。
明後日ごろ、ブルーオーダーの連中も合流するそうだ」
「ブルーオーダー?」
「式術学校を卒業したばかりの、王宮式術師だ。
アレクシオの護衛にやってくる」
「なんで新米なんか寄こすんだよ。要らないだろ」
「その新米だったユイトたちに命を救われたのは誰だ?」
「……俺だ」
「まずお前はそういう強がりをやめろ。
大きく見せたところで、人はついてこない。
素直な自分をさらけ出せ。それ以外にお前の生きる道はない」
「大げさだろ!」
「次強がったら、斬ってやろうか?」
テリーズが腰の剣に手を触れる。
俺は一瞬身構える。
テリーズは笑った。
「冗談だ。大事な王子様を斬ったら、私も斬首刑になる」
「やめろよ……目が本気に見えたぞ」
「守りたいものを斬るわけがないだろう。早く寝ろよ」
そう言ってテリーズは部屋を出て言った。
なにか嬉しいことを言われたような気がするが、
アレクシオは溜まった疲れに誘われるように、再び眠りについた。




