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テオロッド戦記—異世界転移した俺、式術世界で国家戦争に巻き込まれる—  作者: ヨダカカツキ
第二章

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エピソード・オブ・アレクシオ 霊峰ライゼル

王宮の回廊は、静まり返っていた。

侍女が運ぶ食事の盆の音だけが、小さく響く。

「アレクシオ様、本日の昼餉でございます」

返事はない。

扉の向こうは、沈黙。

侍女は小さくため息をつき、盆を下ろした。


昨日も、一昨日も。

──いや、ここ一か月、同じだった。


食事は減っている。

だが、扉は開かない。


アークネイヴァーとの戦い以来、

アレクシオは部屋から一歩も出ていなかった。


謁見も断り、訓練も拒み、

誰とも顔を合わせようとしない。


心労への配慮から、王は何も言わなかったが、

次第に王宮の空気は重くなっていく。


その重苦しい空気を、乱暴な足音が破った。


「通せ」


芯の通った声。

侍女が振り返ると、そこにはテリーズが立っていた。


鎧もまとわず、普段着のまま。

だがその存在感だけで空気が変わる。


「テリーズ様……アレクシオ様は——」


「分かっている」


短く言うと、扉の前に立つ。

ノックはしない。


「アレクシオ。開けろ」


沈黙。


「聞こえているだろう。開けろ」


返事はない。

数秒の間。


次の瞬間、テリーズは一歩下がり——

拳を振り抜いた。

鈍い音とともに、鍵が内側から弾け飛ぶ。

扉が勢いよく開いた。

部屋の中は薄暗い。

カーテンは閉ざされ、空気は淀んでいる。

寝台に座ったままのアレクシオが、目を見開いた。


「……何してんだよ。……めちゃくちゃだな」

声は掠れている。


「いつまでそうしているつもりだ」

テリーズは無造作に歩み寄る。


「帰ってくれよ。俺は——」

言い終わる前に、首根っこを掴まれた。


「なっ……離せ!」

もがくが、びくともしない。


「行くぞ。着替えは積んでおいた」


「は?」


そのまま引きずられ、回廊へ。

侍女たちが慌てて道を開ける。


「どこ行くんだよ! 放せって!」


「黙れ」


アレクシオは、王宮の外で待っていた馬車に放り込まれた。

テリーズが扉を閉める。

馬車はすぐに走り出した。


「テリーズ! ふざけるな!どこに連れていくつもりだよ!」


向かいに座るテリーズは、腕を組んだまま動じない。


「喜べ。四年ほど早いが、王族の通過儀礼だ」


「……まさか」

胸が嫌な音を立てる。


テリーズは短く答えた。

「霊峰ライゼルだ」


馬車の窓の外、王宮が遠ざかっていく。

アレクシオの喉が、乾いた。


「……無理だ」

小さく呟く。


こうしてアレクシオは、十五歳の成人を待たずして

霊峰ライゼル登頂へ強制連行された。



途中、何度か脱走を試みるも、即座にテリーズに引き戻される。


嫌だ。行きたくない。


アレクシオは、久しぶりの外出が、

〝王族であることが最も嫌になる〟とテオロッド家の中で

語り継がれるこの試練だなんて、想定もしていなかった。


数時間ほど馬車に揺られていると、山の中腹に到着した。


「馬車で来られるのはここまでだ。行くぞ、アレクシオ」

テリーズは馬車の御者に別れを告げる。


馬車は無情にもテオロッドに帰っていく。

それを恨めしそうに見つめながら、アレクシオは振り向いた。


目の前に広がるのは——天へと続くかのような石段。

通称、〝原理の道〟と呼ばれる、三千段の道。

雲を裂くように、まっすぐ伸びている。


不意に、風が吹き抜ける。


「無理に決まってるだろ……俺はまだ子供だぞ」

アレクシオは呟いた。


テリーズはもう一段目に足をかけていた。

「都合の良い時だけ子供ぶるな。

安心しろ。歴代王は全員登っている」

振り返らずに言う。

「ここで登れないなら、王子をやめろ」


風が、強く吹いた。

アレクシオは歯を食いしばった。

逃げ場は、もうなかった。


最初の百段は、半分意地で登った。

足を踏み鳴らすように登る。


「なんでこんなの登らなきゃいけないんだよ……

これを登ったら王になれるのか?

それとも式位が上がるのか?」


テリーズは一定の歩幅で登り続ける。

「どちらでもないな」


「じゃあ何のために登るんだよ」


「登れば分かる」


テリーズはそれ以上答えなかった。

階段を登るにつれ、風が強くなる。


二百段。


三百段。


太ももが熱を持ち始める。

息が荒くなる。


テリーズは変わらない。

まるで平地を歩いているかのようだ。

五百段を越えた頃、アレクシオの足が止まった。


「……くそ」


膝に手をつき、荒く息を吐く。

テリーズはようやく振り返る。


「もう終わりか」


「違う……!」


意地で顔を上げる。

だが胸の奥から別のものが込み上げる。

怒りではない。

悔しさでもない。


「……もう負けたくない」


ぽつりと漏れた。


テリーズは何も言わない。


「あの時、最後まで、立っていられなかった」


アークネイヴァーの戦場。

血の匂い。

倒れる兵。

自分は——


「失神した自分が許せない」

声が震える。

アレクシオは、拳を握った。


「戦いを最後まで見届けることもできなかった。

命を懸ける覚悟なんて……最初からなかった」


風が吹き抜ける。


「……怖かったんだ」


初めて口にした本音だった。


「人が死ぬのが。戦争が。

俺のせいで仲間が死ぬかもしれないって考えたら——」


言葉が詰まる。


「閉じこもるのが一番楽だった」


沈黙が流れる。


やがてテリーズは言った。


「それを受け止めて、国を正しく導くのが王の仕事だ」


冷たい声ではない。

だが甘くもない。


「恐怖を知らない王は暴君になる。

恐怖から逃げる王は無能になる

お前は恐怖を知った。次はどうする」


一段、また一段と登る。


しばらく沈黙が続いた後、テリーズが口を開いた。

「お前の母の死を、レオニス様がどう受け止めたか知っているか?」


アレクシオは顔を上げる。

「……知らない」


「お前が生まれた後、当然再婚の話は山ほど来た」

足が止まる。


「世継ぎが一人では心許ない、というのが王宮の声だった」


「……」


アレクシオは、その世継ぎが自分であり、

兄弟もいない事実を、改めて考えた。


「だがレオニス様はすべて断った」


風が、石段を鳴らす。


「自分が愛せるのはエリサ

──お前の母親だけだ、と」


アレクシオの胸が強く打つ。


母の肖像画。

柔らかな笑み。


生まれると同時に母を失ったアレクシオは、

その腕に抱かれた記憶がない。


「知らなかった……」


「お前は愛されて生まれた。それを忘れるな」


テリーズの声は変わらない。


「お前が塞ぎ込んで無駄にした時間は

──誰が与えてくれたものだ?」


息が詰まる。


「お前の母、エリサだ」


一歩。


「お前を救いにいってくれた、あいつらだ」


ユイト。

タツオ。

イエナ。

ミサキ。

そして──テリーズ。


「これ以上、時間を無駄にするな」


テリーズが止まり、真正面からアレクシオを見る。


「王になる覚悟があるなら、正しく命を使え」


風が吹き上げる。

アレクシオの視界が滲む。


「……分からない」

アレクシオは小さく言う。

「正しくって、何だよ」


「考え続けろ。答えが出るまで、止まるな」



アレクシオはゆっくりと背筋を伸ばす。


震える足で、もう一段。


「……登り切ってやるよ」


もう一段。


「もう負けない」


テリーズは小さく頷き、再び歩き出した。

石段は、すでに半分を越えていた。

だがアレクシオの歩幅は、さきほどより確かに強くなっていた。


足は痺れ、肺は焼けるように熱い。

汗が目に入り、視界が滲む。


テリーズは、相変わらず一定の歩幅で登っている。

息一つ乱れていない。


「……なんで」


アレクシオは、荒い呼吸の合間に絞り出した。


「なんで、そんなに強いんだよ」


テリーズの背中は止まらない。


「剣も。体力も。心も」


一段、また一段。


「騎兵団長に、怖いものなんてないってか?」


ようやく、テリーズが足を止めた。

振り返る。

その目は、怒ってもいないし、笑ってもいない。


「怖いさ。怖いものばかりだった」

即答だった。


アレクシオは一瞬、言葉を失う。

「……嘘つけ」


風が強く吹き抜ける。

「私は八歳のとき、村を失った」


唐突にテリーズは切り出した。

「……村?」


「セイランという、地図にも載らないような小さい漁村だ」

テリーズの視線は、山ではなく、遠くを見ていた。


「魔獣の群れが来た。タイドイーター。潮食いと呼ばれていた熊型の魔獣だ」


アレクシオは黙る。


「父も母も、村も、全部奪われた」


石段に、風の音だけが響く。


「私は岩陰に隠れて震えていた。──逃げたんだ」


アレクシオの胸が、強く打つ。


「……」


「怖かった。泣くこともできなかった」


テリーズは再び歩き出す。


「そこに来たのが、騎士団だった。

拾われた。鍛えられた。そして生き延びた」


アレクシオは、歯を食いしばりながら後を追う。


「……強くなりたかったからか?」


「違う。──守りたいものができたからだ」


風が、強くなる。


「セレフィア様のことは、覚えているか?」

テリーズは、何かを思い出すように空を見上げて言った。


「……肖像画でしか」


「私はあの方に言われた。“イエナを守って”と」


イエナ。

アレクシオの脳裏に、その顔が浮かぶ。


「それだけだ」


テリーズの声は静かだ。


「強くなりたいとは思わなかった。

守れる自分でありたいと思っただけだ」


アレクシオは、荒い呼吸のまま問い返す。


「それだけで……強くなれるのかよ」


テリーズは、わずかに笑った。


「強さとは……剣術でも式力でもない」

一段、踏みしめる。


「理由だ」


胸に、重く落ちる言葉。


「いくら力があっても理由がない者は、どこかで折れる」


アレクシオは、唇を噛む。


「……分かんねえよ」


テリーズは、止まらない。


「まだ分からなくていい」


「は?」


「分からないなら、見つけろ」


冷たい風が、二人の間を抜ける。


「恐怖から逃げるな。恥から逃げるな。

自分の弱さを、捨てるな」


石段を指差す。

「それを抱えたまま登れ」


アレクシオの足が震える。


「お前が守りたいものはなんだ?」


沈黙。

脳裏に浮かぶ。


父。

イエナ。

ユイト。

タツオ。

ミサキ。


俺をかばい──血に染まった背中。

喉が熱くなる。


「……仲間だ」

小さく。

「民のことは、まだ考えられない。仲間を、守りたい」


テリーズは、ようやく振り返った。


「それで十分だ」


それだけ言って、また登る。


残り千段。


空が、低く唸り始める。

アレクシオは、歯を食いしばり、足を上げた。


さきほどまでの“逃げたい”という気持ちは、もうない。


風が強くなり、雲が低く垂れ込めている。


アレクシオは、息を整えながらぽつりと言った。


「……父上は」


テリーズは何も言わない。


「母さんを失って、その後は、妹を失った。

──短命の呪いも背負ってる」


拳を握る。

アレクシオは父の余命が長くないことを知っていた。

そして、自分もその宿命を背負っていることも。


「どんな気持ちで生きてるんだろうな。

国を、民を守るって、どういうことなんだろう」


沈黙が続く。


テリーズは数段登ってから、ようやく口を開いた。


「それを、本人に聞いたことはあるか」


「……ない」


「だろうな」


テリーズは淡々と続ける。


「レオニス様は弱さを見せない。

だが、弱さがないわけではない」


石段を踏みしめる音。


「失ったからこそ、強くなった」

短い言葉だった。


「奪われたからこそ、もう奪わせないと決めた」


アレクシオは、胸が締めつけられるのを感じる。


父は、いつも厳しかった。

だが、その背中を思い出すと——孤独だった。


「……俺は」


息が荒い。


「父上みたいに、なれるのかな」


テリーズは止まって、振り返る。


「アレクシオ。

お前はテオロッドを、世界をどうしたい?」


唐突な問いだった。


アレクシオは目を見開く。


空を見上げる。

雷雲が、ゆっくりと動いている。


「……戦争のない世界。人々が、日々幸せに暮らせる世界を作りたい」


言ってしまってから、自分でも幼い理想だと思った。


テリーズは、さすがに息が少し荒くなってきている。

それでも、間を置かずに聞いた。


「お前にできそうか?」


胸に刺さる。


「……やりたい」


歯を食いしばる。


「でも、多分一人じゃ無理だ」


正直だった。


「色んな人に助けてもらわないと、俺は何もできない」


風が強く吹く。


「今のお前は、誰かに助けてもらえるか?」


アレクシオは黙る。


思い返す。


恐怖。

自身への失望。

苛立ち。 

現実からの逃避。

部屋に閉じこもった日々。


「……いや」


小さく首を振る。


「俺は、わがまま言ってばかりだ。

どうやったら助けてもらえるかも分からない」


テリーズは、わずかに口元を緩めた。


「だったら、良い手本がいるじゃないか」


「え?」


「ユイトだ」


アレクシオは瞬きをする。


「あいつは、自分じゃ何もできないと言いながら、

結局周りを巻き込んでうまくやっている。

──巻き込まれているのかもしれないがな」


テリーズは、そう言って少し笑った。


確かに、ユイトは完璧じゃない。

むしろ──いつも不安そうだ。


だが、真正面から向き合っている気がする。


「お前も、気づいているだろ?」


アレクシオは、思い出す。


腹を刺されながらも指示を出した姿。

震えながら雷を撃った自分を、責めなかったこと。


「……あいつはずるいんだよ。自分が弱いって言ってるくせに、ちゃんと向き合っているんだ。だからみんな、助けたくなる」


テリーズは頷いた。


「王も同じだ」


静かな声。


「完璧な王に、人は命を預けない」


風が、石段を叩く。


「迷い、悩み、それでも前を向く者に、人はついていく」


アレクシオの胸が、熱くなる。


「……俺は」


一段、踏み出す。


「父上みたいにはなれないかもしれない」


もう一段。


「でも、俺ができることをやる」


視界が滲む。


「一人じゃ無理なら、助けてもらう」


息が荒い。


「その代わり、俺も、助ける」


雷鳴が、遠くで鳴った。


テリーズは、わずかに目を細める。


「それでいい」


短い。


だが、肯定だった。


残り百段。


空が、さらに暗くなる。

アレクシオは、足を止めない。

逃げるためではなく、登るために。


そして。

父の背中に、少しだけ近づくために。


最後の段を踏みしめた瞬間、風の質が変わった。


重い。


冷たいのではない。

薄い。


アレクシオは、無意識に胸を押さえた。

肺が、空気を求めている。


振り返れば、果てしなく続く石段が雲の下へ沈んでいる。

ここまで登ってきた現実が、ようやく視界に収まった。


「……静かだな」


思わず、そう呟いた。


雷鳴も、轟音もない。


ただ、風だけが吹いている。


山頂は広くはない。

岩盤を削って均しただけのような平地。

中央に、灰色の石で造られた建物がひとつ。


装飾はほとんどない。


王宮のような威厳も、神殿のような荘厳さもない。

だが、目を逸らせない。

石そのものが、長い時間を知っているようだった。


「あれは……?」


「〝図書館〟だ。式術の歴史と原理のすべてがあると言われている」


テリーズが答える。


建物の入口には、扉がない。

ただ、暗い奥行きが見えるだけだ。


番兵もいない。


旗もない。


だが、踏み込んではいけない境界線のようなものが、空気の中にあった。

アレクシオは、ゆっくりと一歩踏み出す。

その瞬間。

足音とは別に、もう一つの気配があった。


気づけば、建物の前に一人、立っている。


いつ現れたのか分からない。


白とも灰ともつかない衣。

年齢も性別も判然としない顔立ち。

表情が、ない。


ただ、こちらを見ている。


「……ようこそ、霊峰ライゼルへ」

声は平坦だった。


感情が乗っていない。

歓迎でも、拒絶でもない。


ただ、事実を告げる音。

「王族か?」


その者は、アレクシオを見て言った。

問いではない。確認だ。


テリーズが一歩前に出る。


「こちらは、テオロッド王子、アレクシオ=テオロッドだ」


「承知した」


それだけ。


名乗りもない。

礼もない。


「ここでは、権力も財力も意味がない。

ただ、式の原理が語り継がれているだけだ」


編纂者。


サイレスが言っていた通りだ。

人間というより、記録装置のようだった。


アレクシオは、喉を鳴らす。


「……入ってもいいのか」


「第一層は、登頂者すべてに開かれている」

静かな声。


「だが、知ることは、戻れぬことにもなる」

風が、吹き抜けた。


高度のせいか、胸が苦しい。


それとも——。


アレクシオは、建物の奥を見つめる。

暗闇の向こうに、式術の原理が眠っている。


テリーズが、横に立つ。

「どうする。入るか?」


アレクシオは、息を吸う。

薄い空気が、肺を刺す。

それでも。


「……入る」


もう、階段はない。


今度は、知るための一歩だ。

編纂者は、道を開ける。


建物の中は、外よりも温度が低かった。

石と紙の匂い。

足音が、やけに響く。


外の風の音が、遠ざかる。

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