第三十話 路傍の雑草と、ブレイヴェンの今と。
マルカドールからの帰路は、
ガレオンが手を回してくれた。
船は少し豪華な客室だったし、ポルト・オーリオではまるで国賓のような対応を受けた。
往路が不法入国だったことを考えると、信じられない。
使えるものは使う、ただし丁重に、というガレオンの性格を現しているようだ。
預けていた馬も荷台も、管理は完璧だった。
なんなら、馬は艶も良く、元気になっていた。
良い仕事をする。
予定していた一ヶ月より早かったということで、
律儀に返金まであった。
その代わり、またご利用くださいね、の言葉に、商売の真髄が詰まっている気がした。
ガレオンの思想は、ここまで浸透しているようだ。
俺たちはポルト・オーリオで一泊すると、
ブレイヴェンへ向かった。
朝日が道を照らす中、遠ざかる海の匂いを感じながら進んでいく。
街道は緩やかに内陸へ向かい、
やがて川沿いの湿地帯に差しかかる。
「こんなところに湿地帯があったんだね」
タツオが言った。
往路では見落としていたが、
風に揺れる稲穂が美しい。
ん……?
稲穂?
俺は立ち止まる。
「……ちょっと待て。待て待て。
——確認してくる」
俺は馬車を止め、湿地へ踏み込んでいく。
水辺に群生。細長い籾。整った並び。
しげしげと見つめる俺に向かって、
近くで作業していた男が笑う。
「それ?勝手に生える雑草だ。家畜の餌だぞ」
タツオが俺の後を追ってやってきた。
しゃがみ込み、籾を割る。
「稲だね。粒は少し小さいけど、食用にできそうだね」
それはつまり、何を意味するのか。
「タツオ……それはつまり」
俺は唾を飲み込んだ。
「うん……できるね……米が」
タツオは頷く。
「米だぁぁぁぁぁっ!!!!」
俺は、その稲を引き抜き、天に掲げた。
この世界に来てから、一番声が出た気がする。
近くにいた男たちは、狂人を見るような目でこちらを見ていた。
その後、タツオ主導の元、精米が始まった。
脱穀を終えると、
タツオが石を組み、即席の臼を作る。
「外側を削る。力任せじゃなくて、均等に摩擦をかける」
ごり、ごり、と石が回る。
「なんでできるんだよ」
俺は聞いた。
「理科の授業で習ったじゃん」
タツオは答える。
だとしてもそれを覚えているお前が怖いよ。
しばらくすると、中から少し明るい粒が現れる。
「これが“精米”。完全に白くしなくてもいい」
タツオはその粒をつまんで俺たちに見せる。
「硬そうだべ。本当に食べられるんだべか?」
ミサキは怪訝な顔をしている。
俺は知っている。
この粒には、もう一段階進化が必要なことを。
ある程度まとまった量ができると、
鍋に入れ、水を注ぐ。
すでに、俺の脳内は完成系を完全にイメージできている。
口の中で、水が溢れてくる。
まるで青の式が発動しているかのようだ。
「水は多すぎないように。蒸らしが大事」
タツオは、もはや料理人のようだ。
普段は寝てばかりのポンコツなのに、
たまに超絶便利な技能を発揮する。
鍋で米を炊いた経験などない。
炊き上がる匂いに我慢ができず、
蓋を取ろうとした俺の腕を掴み、タツオは言った。
「赤子泣いても蓋取るな、という言葉を知らないのかい?」
よく分からないが、その凄みに負け俺は引き下がった。
「うん、そろそろいいかな」
タツオが蓋を開ける。
——その瞬間、甘い匂いが立ち上った。
さっきまで“雑草”だったものとは思えない。
俺は塩を少し振り、握る。
元の世界で食べていたより、
当然味は悪いだろう。
それでも。
なぜかこの世界が失ってしまったこの国の大切な文化を、
取り戻すきっかけになるかもしれない。
この一口は——世界を変える一歩目になる。
一口。沈黙。
気がつくと、俺の頬には一筋の涙が伝っていた。
タツオが言う。
「うん、いけるね。乾燥させれば長期保存できるし、
旅に最適だ」
イエナとミサキも、一口食べるとすぐに分かったようだ。
そう、その反応だ。
多くの民が、同じように気づくだろう。
この食材は、世界を変える力があると。
これは、米の力で世界を救う物語——。
いや、違うか。
当然、俺の気持ちは決まっている。
テオロッドに持ち帰り、栽培・研究し、
さらに美味い米を作る。
ローディンへの手土産が増えた。
一つ悩んでいること。
それは、この件をガレオンに伝えるべきかどうか。
テオロッドの利益を考えると、独占すべきだろうという考えもある。
しかし、ここポルト・オーリオの土地は、
元の世界の米所だ。
環境的には適しているだろう。
多くの土地で栽培した方が進化の可能性は上がる。
それに……レオニスなら、むしろこう言いそうだ。
その土地にあったものは、その土地の宝だ。
勝手に取ってくるだけでは、盗人と同じだ。
俺は、腹を決めてガレオンに書簡をしたためた。
“ポルト・オーリオ郊外の湿地に自生する穀物あり。
食用可。保存性高く、輸送可能。
一大産業になる可能性大。委細、契約後。
テオロッドにて返信を待つ〟
確実に食いつく。
ガレオンはそう言う男だ。
しかし、だから信用できる。
これはいける、と踏めば、国土を上げて一気に米作りは進むだろう。そうすれば、飢えも減る。
なにより、米の進化のスピードが上がる。
俺は近い将来、ポルト・オーリオ産コシヒカリが食べられることを夢見て、その書簡を送った。
山を越えブレイヴェンに到着したのは、数日後だった。
城壁が見えたときに少し安心して、ラグナの顔を思い浮かべた。
しかし街に近づくとすぐ、違和感を感じた。
「……なんか、静かだべ」
ミサキが言う。
門をくぐる。
まず目に入ったのは、整備された通り。
ここは、貧民街があったはずである。
俺は馬車を速める。
薄暗い路地。
壊れかけた家々。
子供の泣き声。
——貧民街が、ない。
取り壊された跡。
整備中の道と、空き地が目立つ。
「なくなってるね」
タツオが言う。
嫌な予感が、胸をよぎる。
強制移住か?排除か。
この半月の間に、何かが起こったのか。
「王宮へ向かいましょう」
イエナが言った。
俺は馬車を走らせた。
城門に着くと、門兵にラグナの所在を聞いた。
俺たちは、その場所に向かう。
王が王宮にいない?
一体、ラグナは何をしているんだ。
俺は不安を抱えてその場所に向かうと、
そこは……
畑だった。
大勢の人々一緒に、鍬を振るう、見慣れた背中。
「……ラグナさん?」
汗だくのラグナがこちらを振り向く。
「おお!ユイト。よくここが分かったな」
隣にはフィオラもいる。
さらに——。
「無事に戻ったか」
腰をさすりながら立ち上がる老人。
元王、アルヴァルド。
「いや、なにやってんですか」
思わず口から出た。
ちょうど休憩時間、ということで、
俺たちは畑の近くの集会所で話を聞くことになった。
畑の周りには、簡易的な住居が多く並んでいる。
最近、建てられたもののようだ。
「王族揃って、何してるんですか」
俺は聞いた。
「ああ。それな。
実は、俺はもう王じゃないんだ。
俺は即位式をやってすぐ、王という身分が性に合わないことに気づいた。ということで、すぐ王政をやめた」
「……そんな簡単に!?」
「指導者は、皆で選んだ方がいいだろう?
とはいえすぐに責任放棄もできないんで、当面は俺がその役割をやるつもりだが……定期的に選挙でもするさ」
相変わらず、破天荒な男である。
「この国は今、貴族もいない。全員、何かしらの仕事をさせてる。ってことは、俺がやらないわけにはいかんだろう」
アルヴァルドが咳払いする。
「元王も例外はないそうだ。腰が痛いわ」
ラグナが答える。
「何言ってんだよ。釣りに行く元気はあるくせに。
——見てきたと思うが、貧民街は解体した。
それぞれ、働く場所の近くに家を与えた」
俺は改めて周囲を見る。
畑で作業をする中には、
貧民街で見たことがある顔があった。
痩せ細っていた男。
路地でうずくまっていた母親。
「そば作りと温泉作りは順調に進んでますよ」
フィオラが、変わらぬ柔らかい笑顔で言った。
「国庫はすっからかんだ。しばらくはきついな。
だが——すぐ形にしてやるさ」
ラグナの目は、本気だった。
奴隷から闘士として勝ち上がり、自由な身となり。
貧民をまとめあげ、王になった男。
その男は、あっさり身分を放り投げ、
国のために自ら汗を流している。
うまくいかない、訳がない。
そう思った。
「玉座に座っているだけでは国は動かんということだな」
アルヴァルドが腰を叩いて言った。
「そうだ、じじいも働け」
ラグナがアルヴァルドの肩を叩く。
「黙れ」
そう言った元王の顔はどこか清々しく見える。
王冠はないが、誇りはそこにあった。
農作業を手伝った後、ラグナの誘いで俺たちは温泉に向かった。
アルヴァルド王は疲れたから寝る、と言って帰ったが、
「どうせ釣りにいくんだろ」とラグナは言っていた。
関係良好なようだ。
半月の間に、温泉は整えられ、男湯と女湯もできていた。
観光立国の準備は、着々と進んでいるようだ。
俺たちが並んで湯船に浸かっていると、
壁の向こうから女性陣の声が聞こえてくる。
「すごい、整備されてますね」
イエナの声。ドキリとする。
この展開は……!
「女性の声を取り入れて、色々変えているんです。
これ、可愛いでしょう?」
フィオラの声。
内容は見えていないので分からないが、
なんというか、キャイキャイしている。
聞いてはいけないもの聞いている背徳感。
「イエナ、また胸大きくなったべ!」
ミサキの大きな声。
「ちょ、ミサキやめてっ……!」
ばしゃ、と水音。
「ほんとだべ。前よりばべば……」
口を塞がれたのだろうか。
「向こうに聞こえるでしょ!」
イエナの声。
はい。ガッツリ聞こえております。
「フィオラさんなんてセクシーすぎるべ!
反則だべ!」
ミサキは復活したようだ。
くす、と笑う声。
「ありがとう。でも、ラグナと結婚してからよ」
少し間があって、フィオラが静かに続ける。
「愛されると、女はきれいになるのよ」
湯の音が、一瞬止まる。
「え……?」
イエナの小さな声。
「そ、そうなんですか……?」
「あなたも、そのうち分かるわ」
意味ありげな笑い。
男湯。
完全沈黙。
ある意味、予想していた展開通りだが、刺激が強い。
タツオは、それを聞きながら笑っていた。
ラグナは、目を閉じたまま黙っている。
俺は小声で聞いた。
「……平気なんですか?こういうの」
ラグナは、湯から肩を少し出して答える。
「まあな。……毎日見てるしな」
思考が一瞬停止する。
そういうことか。
——大人だ。
「おーい、男ども!聞こえるべかー!」
ミサキの声。
「聞こえてるよー!」
タツオが答える。
「き、きこえてましたか!?」
イエナの悲鳴。
「全部だよー!」
タツオが答える。
ばしゃばしゃ、と一層激しい音。
イエナがミサキを攻撃しているのだろうか。
フィオラが笑いながら言う。
「隠し事はできないわね。薄い壁一枚だもの」
ラグナが一言。
「フィオラ、のぼせるなよ」
「はい、旦那様」
壁の向こうから、おどけた返事が返ってくる。
あーーー。
もう、昭和の夫婦かよ。
くそ、うらやましいぜ。
壁の向こうでは、どうやらミサキが反撃しているようだ。
イエナの悲鳴が聞こえてきた。
「そういえば、ラグナさん。
ヴァルドって闘士知ってます?」
俺は、ふと思い出しラグナに聞いた。
「ああ。いたな。Cランクでずっと足踏みしていたやつだ。
あいつ、生きてるのか?」
「生きてるも何も……Sランク間近のAランクですよ」
「Aランク!?あいつが?あの戦い方で、Aランクになれるのか」
ラグナの驚きを見るに、昔から無茶な戦いをしてたのだろう。
「ラグナさんに憧れていた、と言ってましたよ。
話したことはないとも言ってましたが」
「俺のどこに憧れたんだか……。俺はあいつと真逆だぞ。
とにかく、怪我しないように立ち回ってた。
まぁ、だから時間かかったんだが……。
リッパーリンクスなんて、倒すのに一年かかったぞ」
「ああ、あれはやばいですよね。反則級の速さでした」
「お前も戦ったのか!?あれは無理だよなぁ」
俺とラグナは、それから闘技場の話で盛り上がった。
その日ブレイヴェンに一泊すると、俺たちはテオロッドに向かって出発した。ゆっくりしていきたい気持ちもあるが、報告を急いだ方がいいだろう。
マルカドールの土産として、米もいくつか分けた。
次に来るときは、温泉とそばに加え、米も産業になっているかもしれない。ガレオンもおそらく栽培するだろうと伝えておいた。
「ガレオンには負けられないな。なんだか燃えてきた。
次は、もっと発展させておくぜ。
たまに遊びに来いよ」
ラグナは言った。
「はい。ラグナさんも、落ち着いたらテオロッドに新婚旅行にでも来てくださいね」
俺は冗談っぽく言った。
すると、ラグナは俺に耳打ちしながら言った。
「お前らの結婚式だったら、喜んで出席するぜ?」
——!!
耳が熱い。
ラグナは、にやりと笑っている。
完全に見抜かれている顔だ。
俺は逃げるように馬車に飛び乗り、
皆に出発の号令をかけた。
「それじゃあ、また!」
イエナが身を乗り出して大きく手を振る。
その瞬間、風に揺れる髪と、
少し弾む胸元が視界に入る。
……いや、見てない。
見てないぞ俺は。
見てない。
後ろから、ひそりと声。
「ユイト……どこ見てたべ?」
ミサキのにやにや顔。
「見てねえよ!」
「顔真っ赤だべ」
タツオがくすっと笑う。
「若さ、だね」
「黙れ同い年」
馬車はゆっくりと進み出す。
振り返ると、
ラグナとフィオラが並んで立っている。
王でもなく、貴族でもなく、
ただ一緒に立つ二人。
ああいうのを——
幸せって言うんだろうな。
俺は前を向く。
半月前とは、景色が違う。
俺は、もうこの世界のただの旅人じゃない。
守りたい場所があり、
繋がった国があり、
信じてくれる仲間がいる。
テオロッドへ。
次は、あの城門が見える番だ。
俺は、少しだけ笑った。
——さあ。帰ろう。




