第二十五話 死線と、元気百倍と。
檻が上がる。
歓声は、もう慣れたはずだった。
だが今日は、空気が違う。
ざわめきが、どこか期待に満ちている。
「第三戦──リッパーリンクス!」
鉄門が跳ね上がると同時に、黒い影が舞台に現れる。
今回の相手はガレオンの予告通り、手強そうである。
リッパーリンクス。
大型の山猫とのことだったが、見た目は豹に似ている。
完全に俺を獲物として見ている。
リッパーリンクスは低く身構えている。
黒灰色の体が、今にも飛びかかってきそうだ。
鉤爪は獲物を一撃で仕留めるように、異様に長い。
まずは防御を固めるか——。
「アースウォール!」
そう言って、土の壁を作っていると、
魔獣はそれを交わしながら一瞬で距離を詰めてくる。
──速い。
動きを捉えた瞬間、右肩に衝撃が走った。
遅れて、熱。さらに遅れて、痛み。
血が、砂の上に落ちる。
観客がどよめいた。
「っ……!」
距離を取るために後退する。
完全に、油断していた。
ここまでの速さとは……。
黒い影はすでに視界から消えている。
魔獣は、すでに横に回り込んでいた。
振り向いた瞬間、また爪が飛んでくる。
今度は脇腹。
服が裂ける音。焼けるような痛み。
──これはマズい。速すぎる。
とにかく、防御壁を作らなければ。
「アースウォール!」
砂が盛り上がる。
だが次の瞬間、壁の上から影が飛び越えてきた。
……嘘だろ?越えるか、この高さを。
壁を足場に跳躍し、襲いかかってくる。
今度は背後から、爪。
俺はぎりぎりで転がる。
砂が口に入る。
観客の歓声が遠くなる。
──これは本格的にヤバい。
考える時間を与えてくれない。
紫の術を発動するが、霧を張る前に突き抜けてくる。
正面から、低い唸りが聞こえる。
リンクスは、獲物を弄ぶ目をしていた。
これ、普通に死ぬぞ。ガレオン、話が違う。
冷静に、そう思った。呼吸を整える。
このまま逃げていても、消耗させられるだけだ。
肩と脇腹の傷も、事前に仕込んだオートヒールの回復が追い付いていない。
──にわか式術の限界か……。
このままじゃ、ジリ貧だ。
俺は、ヴァルドの戦いを思い出す。
自分よりはるかに大きなサヴァンレオに、近接戦で押し切ったあの戦い。
退かない強さ。
……賭けるしかないな。
俺は覚悟を決める。
俺はわざと大きく体勢を崩し、隙を見せる。
リンクスが動く。地面を蹴り、跳ぶ。
黒い影が空中を裂く。
その瞬間。
俺は地面に手をついた。
「アースホールッ!!」
着地地点の砂が崩れる。
リンクスの前脚が沈む。
完全に落ちはしないが、バランスが狂う。
ほんの、刹那。
俺は飛び込んだ。爪が腹を掠める。血が噴く。
でも構わない。
距離はゼロ。これなら、〝揺らせる〟。
「レゾナンスブレイク!」
内部へ振動を叩き込む。
黒い身体がよろめく。リンクスが咆哮する。
チャンスだ。
だが──視界が揺れる。
血が、止まらない。足が震える。
しかし、ここで決めるしかない。
俺は意識を必死に保ち、黄の式を発動する。
「トニトルス!」
今度は直接リッパーリンクスの身体に雷を打ち込む。
魔獣は痙攣し──崩れる。砂の上に、静かに倒れた。
一瞬の静寂からのアナウンス。
「勝者──〝奇術師〟ユイト!」
歓声が爆発する。
だが俺は、それに応える余裕はない。
全身から血が流れている。
俺は全式力を緑に全振りし、自己回復をしたが……
──その場で気を失った。
夢を見ていた。
元の世界の夢。
何もない、平凡な日常。
朝起きて、飯を食って、学校へ行く。
級友と話をして、授業を聞いて、生徒会の仕事をして。
生きるとか死ぬとか、意識しない日々。
夢の中で、俺は人生を歩んでいった。
大学生になって、卒業して、社会に出る。
恋をして、結婚して、子供ができて。
そんな平凡な人生を幸せそうに歩いていた。
そんな俺を、優しい、緑の光が包んでいく。
まるで、毛布に包まれているような、感覚。
——夢から覚めると、医務室の白い天井が見えた。
消毒の匂いが少し鼻につく。
すると、その視界に、一つの顔が現れた。
「大丈夫ですか?ユイトさん」
「……イエナ!?なんで」
俺は思わず起き上がる。
体を見ると、肩も、脇腹も──傷が塞がっている。
「イエナが治療してくれたのか。でも、どうやってここに」
「闘技場の周りで、〝奇術師ユイトが大怪我した〟と噂になっていたので。私、緑の式者ですよ、と言ったら入れてもらえました。人手不足みたいですね。
……あ、仲間ということは、内緒にしていますよ」
そういうと、イエナは指を口の前に立てた。
「無理しすぎですよ。私が来なかったら、どうするつもりだったんですか」
「……ごめん。ちょっと油断していたかもしれない」
頭をかきながら、俺は答える。
「危なくなったら逃げる、その約束ですからね。ユイトさんに何かあったら、困ります」
「……え?」
「あ、あの、いや、その。リーダーはユイトさんなんですから!いなくなったら大変です!」
イエナはなんだか慌てて、目を逸らした。
「……そうだな。自覚が足りなかった。これからはもっと気を付ける」
「あ、そう言えば、奴隷売買の組織……撲滅できましたよ」
「撲滅!?すごいな……どうやって?」
「あまり話していると怪しまれるかもしれないので、ユイトさんが戻ってきたら話します。楽しみにしててくださいね」
そういってイエナは笑った。治療が終わると、イエナは医務室を出て行った。
リッパーリンクスにつけられた傷は、完全に治っていた。
——さすが、緑の高位者。俺の緑の式とは別次元である。
残り二戦。なんだか、頑張れる気がしてきた。
元気百倍、である。
イエナ、心配してくれてたな……。
もしかして、イエナも俺のことを……?
などと一人で浮かれていると、医務室のドアが開いた。
ガレオンだ。
「今日は危なかったな」
「ガレオンさん。いや、ちょっと油断していまして」
「ちょうど、緑の高位者がいたから良かったが……そうでなかったら、一か月くらいは試合停止だったぞ。まあ治ってよかった。明日も頼むぞ」
ガレオンは、おつかいでも頼むように軽く言った。
「……え?」
この大怪我の翌日に、試合をしろと?
「〝奇術師〟ユイト。お前が望んだんだろう?五日間連続で触れ回ってしまっているんだ。怪我が治ったなら、責任を果たせ」
う、確かに。連戦は、俺が望んだことだ。
イエナのおかげで、怪我も完治した。
——出ない理由が、ない。
「安心しろ、明日はよく知った相手だ。サヴァンレオだ」
ガレオンが言った。
俺は安心する。サヴァンレオなら、レゾナンスも通用するし、そんなに苦戦しないだろう。
俺の安堵を察したのか、ガレオンは続ける。
「ただし、一匹じゃつまらん。他に、グラスハウンドを十匹ほど放つ。テーマは、野生の再現だ」
対多戦……。
これまた厄介なものを持ってくるな、この人は。
「分かりました。まあ今の俺なら大丈夫です。
死の淵から蘇ったら強くなると、相場が決まっています」
俺の発言にいぶかし気な顔をしたが、ガレオンは頼むぞ、と言って医務室を出て行った。
闘技場とつながる闘士寮に戻る。
部屋に入ろうとすると、〝不退〟のヴァルドが部屋の前で待っていた。
軽く手を挙げてくる。
「やあ。待っていたよ。入っていいかい?」
俺は黙って頷く。
部屋に入ると、お茶を入れてヴァルドに出した。
「かなり傷を負っていたけど……傷跡がないね」
ヴァルドは不思議そうに俺の体を見ている。
「あ、これは……緑の高位者がたまたまいて、治してくれました」
「それは、運がいいね。放っておくと、こうなる」
そういってヴァルドは服をめくり、自身の上半身の傷跡を見せた。
「試合、見てたんですか」
「Bランカー以上は闘技場の試合は自由に観られるよ。
まぁ、シャイン=カムイが観戦しているのは見たことがないけれど。僕は、他の人の戦い方を勉強したいから、極力観るようにしている。
しかし今日の試合はなんというか……君らしくなかったね」
「いや……敵が強かったです。というか、速かったです。
ヴァルドさんの試合を観てなかったら、いいようにやられてました」
ヴァルドは笑った。
「僕の試合なんか参考にしちゃだめだよ。でも、最後に腹をくくった感じがして、観ていて興奮したよ。
——君もあんな顔するんだね。
これで、君はあと二勝。もうすぐSランクだ」
「いえ、そんな。ヴァルドさんの試合はいつなんですか?」
「次はまだ決まっていないよ。君が異例なんだよ。
五連戦なんて、聞いたこともない。
ガレオンさんは、よほど君に夢中だね」
……そういうことなんだろうか。
楽しんでいるだけのようにも思えるが、
異例ともいえる連戦を組んでくれていることには感謝しよう。
「じゃあ、お邪魔したね。話せてよかった」
そう言うと、ヴァルドは部屋を出ていった。
物腰柔らかい人だ。
戦っているときと、普段のギャップが激しい。
今日の戦いで勝てたのは、ヴァルドのおかげだと思う。
あの覚悟と、踏み込む勇気を見ていなければ、俺は勝てなかっただろう。
Sランクまで、あと二つ。
できれば怪我をせずに乗り切りたいものだ。
翌日。ガレオンの予告通り、俺は闘技場に立っている。
聞いていた通り、周りにはグラスハウンドが十匹。
毎度おなじみ、サヴァンレオが一匹。
観客のざわめきが、いつもより大きい。
「〝奇術師〟ユイト、第四戦——!野生の戦い!」
アナウンスの声が響く。
グラスハウンド──単体だと問題ないが、
十匹が群れを組んで襲ってくると厄介だ。
連携を崩さないと。
サヴァンレオ──それだけなら何とかなるが、
今回はグラスハウンドも相手しながら戦わなければならない。しかも、餌であるグラスハウンドを見つけ、興奮している。
舞台の中央に立つ俺に向かって、
右からグラスハウンド、
左からサヴァンレオが近づいてくる。
完全に、包囲されている。
観客席から声が飛ぶ。
「いけー、奇術師!」
「さすがに無理か!?」
……そう思うよな。
俺は、ゆっくり息を吐いた。
だが、今日の俺は一味違うぜ。
まずは——右手から青。
グラスハウンドの群れの足元に、薄く水を張る。
見えるか見えないかの水膜。
グラスハウンドが一斉に飛び出す。
だが——
滑る、体勢を崩す、仲間に衝突する。
完全に連携が崩壊する。
ここで、一撃。
俺は、両手を上げた。
「雷の式——トニトルス」
薄く張った水面に、雷が走る。
青白い閃光。
数匹が同時に跳ね上がり、痙攣して倒れた。
広域麻痺。
そのグラスハウンドを捕食すべく、サヴァンレオが跳んでくる。相変わらず、巨体とは思えない跳躍だ。
俺は地面に触れる。
「アースウォール」
地面が隆起する。
土の壁が一瞬で立ち上がり、サヴァンレオはそこに顔面を打ち付け、悶絶する。
その隙に残ったグラスハウンドに雷を撃ち込んでいく。
一匹、二匹と倒れていく。
起き上がったサヴァンレオが壁を蹴り砕く。
その瞬間——
幻惑。紫の式を発動させる。
「ミラージュヴェール」
視界を遮る、紫の霧。俺を見失い、暴れるサヴァンレオ。
そこに駆け寄る。
踏み込む勇気だ。一撃で決める。
「レゾナンスブレイク!」
内臓を、脳を、思い切り揺らす。
見えない衝撃が、内部から走る。
サヴァンレオの動きが止まる。
——足が震え、膝が落ちる。
巨体が、崩れた。
残りのグラスハウンドは、完全に戦意喪失している。
俺は、最後にもう一度雷を流し、全員を戦闘不能にした。
よし。無傷だ。
パーフェクトゲーム。
数秒が経つと、客席がざわめきだす。
その後、爆発的な歓声。
「すげえぞ!」
「さすが奇術師!」
俺は、立ったまま。呼吸も乱れていない。
アナウンスが震えた声で叫ぶ。
「第四戦——勝者!〝奇術師〟ユイト!!」
呼応する歓声が、波のように押し寄せる。
俺はゆっくりと観客席を見上げた。
VIP席にガレオンがいる。そして、その横にはヴァルドがいた。
二人で何か話している。ヴァルドが頷くのが見えた。
えー……なんか、嫌な予感がする。
とにもかくにも、これで四勝。
ここまで来た。
あと一勝でSランク。
シャイン=カムイの所にたどり着く。




