1-10 煉獄
「……ニナは。まだイヤだって言ってんのか」
「うん。レンとは会いたくないって」
十二月二十六日の深夜。日付が変わってやっと第二港区の臨時収容所から解放されたレンたちは、皆で第三港区のアジトへと戻っていた。
連合軍の犯罪捜査部門から取り調べを受けたレンは、”自らを軍属であると虚偽の申告をした罪”に問われそうになった。しかし、件のテラーマン大尉が『一般的な危機的状況において、十代の少年が錯乱状態に陥り迎合するのは何も不思議ではない。現行の宇宙連合軍法に彼を罰する規定は存在しない』と一蹴し、無罪放免とされた。
ニナはというと、連合軍による”再検査”の結果、消毒隔離(※要は殺処分)の対象では無いと判断され、陰気な軍医に何本か得体の知れない注射薬を打たれはしたものの、レンたちとともに解放されたのであった。
しかし、帰ってすぐ、ニナはアジトの奥に引き籠もってしまった。特に『レンとは絶対に会いたくないから放っておいて』と、マサムネを介してレンにだけ面会謝絶を言い渡してきたのだ。
「やっぱり怒ってんのかな……。俺、見ているだけで助けてやれなかったから」
「助けられなかったけど、レンはよくやったと思うよ。大怪我してるのに、あんな大声で怒ってた。オレなんて、黙ってたら目の前でニナ姉が殺されるっていうのにチビってずっと震えてたんだ」
「……さっき着替えたけど、俺もチビってた。ここだけのナイショだぞ?」
レンが黙って隣のマサムネに縋り付く。マサムネは「うん」とだけ言って、あとは無言でレンの頭を撫でてやる。
やがて、アジトの奥から落ち込んだ様子のメイメイがとぼとぼと戻ってくる。
「レン……。寂しくなった」
「メイメイ。ニナは? 大丈夫そう……?」
「ニナは……一人が良いって。寂しいね」
「そっか。ずいぶん頑張ったな、メイメイ。俺とマサムネと一緒にいよう。寂しくないだろ?」
「……うん。寂しくないなった。今日はここでねます」
五分もしないで、メイメイがレンのあぐらに腰掛けたまま寝息を立て始める。相当疲れていたようだ。
レンは、そっとメイメイを抱きかかえ、寝床のマットレスに寝かせて毛布をかけてやる。そして、自分も隣に横たわると、深く息をついて寂しそうに天井を見上げる。マサムネもそうした。
「オレもねる」
「ああ、寝ようぜ。リヒトも、そのうちこっちに来るだろ」
どこかで聞いていたのかというようなタイミングで、リヒトがレンの隣に勢い良く倒れ込んでくる。ぐすぐすと鼻を啜っているので、レンは「お疲れ」と言ってリヒトの背中をポンポンと叩いて慰める。
…………どれほどの時間が経っただろうか。
三人組は深い眠りついたようで、今は皆、ほんの微かな寝息だけを立てている。
レンはというと、満身創痍だった身体は明らかにまだ回復などしておらず、いつ睡魔に飲み込まれてもおかしくない体調だった。それでも眠れずにいた。
聞こえるのだ。アジトの奥の方で、いつまでもニナが泣いているのが。
「…………ふざけんなよ。ニナ」
覚悟を決めたレンが、三人を起こさないようにそっと起き上がり、アジトの奥を目指す。注意深く、ニナのプライベートスペースの前で聞き耳を立てるが、先ほどまでの泣く声は聞こえてこない。
ついに、レンは高鳴る鼓動を押し殺して近くの壁をノックしようとするが、それよりも先にニナが蚊の鳴くような声で拒絶してくる。
「今は会いたくないって言った」
「お、俺は…………どうしても、会いたかった……から」
「………………戻って。もうみんな寝てるでしょ」
「寝てるよ。俺とニナだけだ、眠れないのは……」
「私は……もう寝る。ていうか寝てた」
「嘘つき。泣いてた──」
「泣いてない──」
「泣いてる! 聞こえるんだ……。耐えられないよ……。俺、またお前が目の前で苦しんでいるのに、何にもしてやれないのかって……」
────静寂。どれくらい、さらに時間が経ったのだろうか。
「…………レン」
「あ?」
「……好きだよ。大好きなの。レンが生きてて……本当に良かった」
「……ニナ、俺────」
感極まって耐えかねたレンが、ニナの隠れているスペースに入り込もうとする。しかし────
「ダメっ!! だめ、絶対来ないで……! 今は会いたくないの……」
「っ…………どうしてだよ!? 俺もお前が好きだ!! 大切なニナがこんなにもつらいときに、どうして傍に行ったらいけないんだよ!?」
「……苦しいから。貴男が、とても愛おしいから」
レンも、ニナも、今までお互いに臆病だった。日常が崩れてしまわないようどこか抑え付けていた感情と欲望が、確かにあった。
────だけれど、初めての幸せなクリスマスが、二人の心を熱く結びつけた。
だから今、もし二人きりになってしまえば──本能と、必要最小限度に自然と囓り得た知識だけで、貪欲に愛情と快楽を求め合ってしまう。お互いの心の傷を少しでも埋めるように。そんな雰囲気でしかなかった。ニナは、それがとても怖かった。
「レン見たよね。私、身体の毛が全部抜けちゃったの。まるで市場で収穫が無かった日に捕って食べてるモグラか何かみたい。ただでさえ自分の見た目が嫌いで、鏡なんて見たくも無いのに。今、鏡を向けられたら……私は鏡を叩き割って、その破片で首を切って死ぬかもしれない」
「分かってる。ニナが、自分のこと嫌いだっていうのは何百回、何千回も聞いたし。クソ連合軍に無理矢理消毒液漬けにされて、どれだけ怖くて、苦しくて、身体を滅茶苦茶にされて……。俺も苦しいよ。許せねぇよ……!」
やがて、再びニナが嗚咽を上げるようにすすり泣き出す。
「ねぇ……レン。もう本当に寝よう? 今はダメなの…………一人にして。お願い」
「イヤだ。ニナ。今夜はお前の傍から離れたくない。今は俺がニナの一番傍にいたいんだ。お前を守りたい!」
「…………レン。これ、ずっと言わないで我慢してた。今までのレンに言っても、意味無いって思ってた。でも……これから勇気出して伝えるから、黙ってそこで聞いてて」
ニナは、上擦った震える涙声でレンへ必死に思いを伝える。悲しくて泣きながら、少しだけ笑っている──
「私ね、レンの子供が欲しい。絶対に欲しいの。混血獣亜人だからって、そう簡単に子供が出来ないなんて決めつけないで。貴男と私の子供が出来るまで……ずっと私を愛して」
────地獄だ。本来であればこの上なく幸せな、愛する女性からの告白に、レンは血が滲むまで唇を噛みしめた。
「……当たり前だろ。何年、何十年かかったって……愛し続けるよ」
「…………今すぐレンの胸に飛び込みたい。優しく頭を撫でてほしい。いつもみたいに指先で顎と耳の後ろを弄ばれたい。それからぎゅぅって抱きしめて、どうせ下手くそなキスして───耳元でいっぱいしつこく『好き』って、囁きながら慰めてほしい……」
「だったら──!!」
「だけど……!! だけど、こんな身体にされた私の何もかもをレンに見られるなんて……嫌すぎるよ……。今の醜い私……もうこれ以上、レンに見てほしくない……」
『ニナの全てを愛してる。たとえニナがどんな姿になったって、この気持ちは変わらない』と、何度も心で叫んだレンだったが、ニナにとってはこの言葉が彼女をさらに傷付けてしまうのではないかと、臆病になり、その想いを伝えることは叶わなかった。
「…………分かった。おやすみ、ニナ。……本当に愛してる」
「ありがとう、レン。大好きだよ……。愛してるの。いつか、私を…………あなたの本当の家族にして」
────翌朝、ニナは息を引き取った。
冷たくなって、もう心臓が動いていなかった。
レンが、必死に心臓マッサージをした。ニナの胸骨がボキボキ砕ける音がした。泣きじゃくって、自分が息するのもままならないのに、人工呼吸だって何百回もやった。
メイメイは、ノドが壊れてしまいそうなくらい泣き叫んだ。ほとんど裸になって抱きついて、体温を分けてやった。ニナはちっとも温かくならなかった。
マサムネとリヒトで、どこからともなく死肉を貪りにやって来た羽虫や地虫を我武者羅に追い払った。毒牙で手を咬まれたり刺されたりしたって、そのまま叩き潰した。
それでも、ニナは帰ってこなかった。勝手にキスしたことに怒って、レンを引っ掻いてくれなかった。
レン、マサムネ、リヒト、メイメイ────
みんな、涙と声が枯れるまで、ずっとニナの傍で、泣いていた。
クリスマス・イヴの夜に初めて繋いだニナの掌。レンは、冷たさなんて感じ無くなるくらい、両手でぎゅっと強く握りしめた。もうピクリとも動かない、毛が抜け落ちてしまったニナの白くて細い腕────
──レンは気付いた。ニナを失った世界がどれほどグチャグチャに歪んだ景色でも、そのたったひとつの違和感を見逃さなかった。
連合軍の医者に打たれた注射の跡が、微かに気味の悪い紫色に変色しているようだった。




