1-9 デコンタミネーション
────レンが目覚めたのは、第二港区での騒動から約8時間後のことだった。
目覚めてから、おそらくは数分後。朧気ながら五感で世界を感知出来るようになり、寝そべったまま周囲を観察する。まずは自分の左胸の辺りで、ニナが丸まるように寄り添いながら胸に顔を突っ伏して眠っているのが分かった。さらに、反対側の右胸では、マサムネが涎を垂らしながら寝息を立てていた。
それでも、『いや、まだだ』と、昂ぶる感情を抑えて周囲を必死に観察した結果、リヒトとメイメイは自分の右足を枕にして肩を並べ、器用に眠っているのが確認出来た。
ここでやっと、一気に安心して涙が止まらなくなる。催涙ガスでやられたときの涙とは、全く違う。
「レン……? レン!!」
レンが嗚咽を上げているのに気が付いたニナが悲鳴を上げて飛び起き、抱きついてくる。勿論、レンはそれを抱き返そうとしたが、両手がニナとマサムネの身体で防がれて叶わなかった。──少しして、マサムネが目を覚ました。雄叫びを上げながらリヒトとメイメイを起こしに行ったので、レンは右腕でニナの背中をしっかりと抱き返すことが出来た。
「ニナ、お前ら……。無事か……怪我は……?」
「してないよ。してない。まだ少しだけ目と鼻が痒いけど、大丈夫。あの子たちも、どこも怪我してない! ああ、レン……生きていて良かった……!」
小さな三人組がいつになく心配そうにレンの顔を覗き込んでいる。少しだけ怖がっているのか、いつもより距離が遠く感じる。レンはニナに抱きしめられたまま、寂しさと面白可笑しさの入り交じった笑い声をあげる。
「なんだよ、お前ら。ひとのことオバケみたいに見やがって……」
「が、合掌……? あれ、臨終だっけ、こういうとき……?」
「すんなって、バカ! まだ生きてんだろ!」
「最後に、言い残すことは……ありますか……?」
思わず、レンが噴き出す。ハンベソをかいて、どうすればいいのか分からず、とりあえず失礼で縁起でも無いことばかり口走る弟二人と妹が、たまらなく滑稽で、愛おしかった。
「最後じゃねーけどお願いあるぜ? みんな怖がってないで、こっち来いよ……! みんなで一緒に家へ帰ろう……!」
レンは両手で大切な家族四人を抱きしめる。みんな、わんわんと泣いた。胸の辺りがおそらくゴム弾か何かで撃たれていたようでズキズキと痛んだが、正直それはどうでもよかった。今だけは、しばらくこの幸せに浸っていたかった。のだが────
「傷病人番号0003番……該当無しだ。同伴者の少女は個別対応。コード・ブラボー……デルタ」
「了解。デルタ……」
マスクと簡易防護服に身を包んだ火星防衛軍の兵士らしき二人組がレンの足元で眉間に皺を寄せる。二人はなにやら小難しそうな会話を交わしながら、レンの横たわるストレッチャーへタグのようなものを括り付け、去って行った。
それからすぐに数人の顔無し兵士が現れたかと思うと、なんとニナを拘束しようとするのだ。
「や、やめろ!? ニナを離せぇ……ッ!!」
レンは必死に起き上がろうとするが、満身創痍の身体では無理な試みだった。ニナは特に抵抗せず、強化樹脂製の手錠を掛けられてしまうが、ポンチョのフードを剥がされそうになったところで「イヤっ……!」と、身動ぎする。
「混血獣亜人だ。ヒトに近いが体毛が濃くて、耳が普通じゃない。鼻も獣だ。タグを確認────程度評価デルタ」
「こちら警備班アルファ。臨時救護セクター12にて、危険水準II-Dと思われるコンタミネーションを検知した。直ちに除染班へ連絡してくれ」
「見て、獣人よ……」
「どうしてこんなところに」
「病気が感染るぞ……」
予想外の出来事に動揺したのはレンたちだけでは無かった。周囲で治療を受けていた他の民間人たちも、獣亜人としてニナを認知すると、まるで化け物か汚物でも見るように怯えと嫌悪の入り交じった冷たい目線で彼女を蔑む。
「質問がある。この獣亜人は、君の性玩具か?」
「てめぇ……!! ふざけたこと抜かしてんじゃねぇぞ!! あいつは、俺の大切な家族だ!! 指一本触んじゃねぇ!!!!」
「[ため息]……それでは質問を変える。君は、獣亜人との関係をどう捉えている? 恋人か何かのつもりか?」
「ああそうだ、恋人だよ!! 大事な大事な俺の女だ!! だからお前らそれ以上そいつの身体に触れたら、全員ぶっ飛ばしてやる!!」
一瞬、ニナが悲鳴を上げるのをやめる。そして、嬉しそうに──やがて悔しそうに震え、口元を噛みしめて涙を流す。
「日常生活での接触は? 唾液の交換や、性的接触は頻繁か?」
「いい加減にしろよ、ブリキのクソ兵隊……! さっきから下らねぇ質問ばっかりしやがって……あとでぜってぇぶちのめす……!!」
怒り狂うレンを尻目に、どこからともなく現れた化学防護スーツの数人がニナを取り囲み、、無理矢理彼女の着衣を剥ぎ取りながら透明なビニールシートを被せる。
「やだっ!! やめて……!! イヤッ……!!!!」
レンは、ただ未だかつて無い至上の怒りに震え、涙を垂れ流しながら歯をカチカチと鳴らすことしか出来ないでいた。自分が彼女に一番近い存在だと思っていたのに、そんな自分でさえ目にしたことの無い彼女の素肌や秘部までが露わにされ、目の前で消毒液のようなものを頭から乱雑に浴びせられて、おぞましく悲痛な叫びを上げながら真空パック詰めにされかけているのだ。当然、マサムネ、リヒト、メイメイは目の前で大好きな姉が乱暴される様子にすっかり怯えて萎縮してしまい、三人で部屋の隅に固まりながら震えていた。
もうビニールの向こう側からニナの声は聞こえない。ニナの方から聞こえているのは、真空ポンプの駆動音とビニールが擦れる音だけだった。だけど、自分へしっかりと視線を合わせて泣きじゃくるニナは、確かにこう叫んでいた。
『いやだ。レン、たすけて。おねがい。いやだ。しにたくない。レン』
「除染チーム直ちに作業を中断せよ。アルファ、状況・判断を報告しろ」
「「大尉!!」」
新たに、颯爽と一人の連合軍将校が現れる。大尉と呼ばれたその男は、明らかに他の兵士たちとは雰囲気が異なり、装備している強化外骨格スーツのグレードや意匠も違う。ただ、仮に他の兵士と同じ装備を着ていたとしても、余程生存本能が希薄な生き物で無ければその将校が放つ生命力の異質さを見逃すことは無い。
「混血獣亜人です、大尉! タイプ・デルタの獣亜人に対しては、有形力を以ての拘束が認められています! 拘束後、半径50メートルの除染作業及び本体の消毒隔離が規定されています! 現在、規定に則り除染作業中であります!」
「その通りだ、上等海兵。貴官の任務はタイプ・デルタの鎮圧・拘束だ。除染作業は除染チームが担当している。除染対象は、現在もなお抵抗可能性が高い状況にあるか」
「いいえ、大尉! 対象は既に隔離措置が完了し、間もなく除染措置が完了する見込みです!」
「了解した。ここは私が引き継ぐ。アルファ状況終了。通常パトロールへ戻れ」
「アイアイ・サー!!」
大尉から指示があるまで、その場で敬礼をしたまま微動だにしなかった海兵たちが、整然と縦隊で行進しながら去って行く。
「除染チーム、直ちに除染対象生物を解放し、応急救護を開始。本件は危険水準を再精査する必要がある。パルファノール消毒薬による二次災害と副作用に留意せよ」
「アイアイ・サー!」
まさに、鶴の一声で、真空パック詰めが完了する寸前でニナが解放された。得体の知れない消毒液に侵されたニナの身体は、ほとんど体毛が抜け落ちてしまい、まだ完全に液に浸かる前だった頭部を除いて極薄桃色の皮膚が露出してしまっている。身体を隠すようにその場にうずくまって泣きじゃくるニナへ、除染担当の兵士たちが消毒液とは別の液体をホースで浴びせ、彼女の身体を洗い流す。
「見ろ。明らかにデルタの水準に達していない。彼女は、タイプ・ブラボーだ────」
「そうだ! ニナねーちゃんは、すごいんだ!! ブラボーだ!!」
マサムネが震えながら歩み出て、大尉の言葉を遮るように吠える。よく見ると、ズボンにシミが出来ていて、足下がびしゃびしゃになっている。
「否定。少年、君の言うブラボーは私の言葉とスペルは同じだが、意味が異なる。正しく勉強しろ」
リヒトとメイメイは兵士たちを避けるようにオドオドとニナの元へ駆け寄り、自分たちの上着を脱いでずぶ濡れの彼女を拭いてやる。遠慮がちに視線を逸らしながら拭いていたリヒトだったが、ニナは裸のまま両手で二人とも抱き寄せてすすり泣く。────少し経って、急に自分の左手を確かめるように凝視し、心から安心したような顔をすると、再び泣き崩れてメイメイの背中を抱く。
「……あんた。テラーマンとか言ったな」
重々しく、そして冷たく、レンが吐き捨てた。いつの間にかストレッチャーから起き上がり、死廃人の如く両手を垂れながらふらふらとバランスをとる。その眼は激しい憎悪に満ちており、しっかりと”大尉”の姿を記憶に焼き付けている。
この状況は、現場の後片付けをしていた除染チームへ──電撃的で何ともいえない緊張感をもたらした。チームの一人がレッグ・ホルスターから静かにハンドガンを抜こうとしたが、大尉は兵士の行為を機敏なハンドサインで制止した。顔の見えないヘルメットの内側で確かに存在する視線は、ずっと真っ直ぐレンに向けられたままだ。
「肯定。君は記憶力が良いようだ。あのような状況下で、十代の民間人が私の些細な言葉を記憶していたことは、評価に値する」
「あんた、軍隊じゃ偉いんだろ? だったら教えてくれよ、どうして────」
レンがよろめいて可動式の小型医薬品棚を派手にガシャガシャとひっくり返す。しかし転ばない。
「どうして、ニナはこんな目に遭わされなきゃいけないんだよ!! 同じニンゲンだろ!? 俺らと、同じ……ほんの少しだけ、姿以外は、何にも変わらないのに……いつも……いつも……ッ!」
レンは泣いた。叫んだ。張り裂けそうな思いを遠慮無く主張した。とはいえ、如何にも厳格で任務に忠実な宇宙連合軍大尉から彼とニナの心を救う答えなど返ってくる筈はなかった。
「否定。私がその質問に答える必要は無い。ただ、歴史を学ぶことだ」
「歴史がなんだよ!! 俺たちが生きているのは、”今”だ!! 昔の人間がどうだったかなんて関係無いね!? あんたらは、歴史を利用して今の自分たちが気に入らない人間を殺しているだけだ!!」
「我々は相手が誰であろうとそれが任務であれば人を殺す。個人としての信条や利益、感情が理由では無い。栄えある宇宙連合の決定が、我々に規範と行動をもたらす」
「俺が言ってんのは、そういう話じゃ無ぇんだよ!! それは兵隊の理屈だろ!?」
「完全肯定。私は宇宙連合軍人で、君の言う通り兵隊だ。故に、ここで兵隊として任務を遂行している」
レンはだんだんと自分が情けなくなってくる。自分は好きな女一人助けられない上に、言い分など通じる筈のない軍人相手に何を無駄な押し問答をしているのかと。
「その上で。君の家族について除染隔離対象と誤判断を下したのは火星防衛軍のセクションだが、実際に措置を執行したのは私の部下だ。その点については私から個人的な謝罪を述べる。心配をかけてすまなかった」
無駄だと分かっていても、レンにはまだ怒りにまかせて言いたいことも、訴えたい不満も山ほどあった。目の前のテラーマン大尉は、他よりもほんの少しまともに思えたが、今はこれ以上何を言ったところで何の解決にも誰の得にもならないと、レンだって理解していた。だからこそ、やるせなくて、悔しくて、子供のように嗚咽を上げてすすり泣いた。
「なぁ……アンタがなんとかしてくれよ……。助けてくれたんじゃ……なかったのかよ……」
「私は君たちを救助した。それが全てだ。その件について、君からは後で話を聞く必要がある。今は横になって休め」
テラーマン大尉は、暫くレンを見定めるように凝視し、やがて機敏な足取りで去って行く。
その後、除染担当の兵士が一人やって来て、効率的かつ事務的な扱いでレンをストレッチャーへ寝かしつける。レンは、特に抵抗しなかった。




