引きこもり王子の優雅な生活4
慌てて立ち上がったが、立ちくらみでフラついてしまう。壁に手をついて体勢を整えようとしていると、轟音とともに煙が階段を伝って屋上まで吹き上がった。建物の中にいたら危なかっただろう。
兵士たちを殺したのがばれてしまったのか? と覚悟を決めたが、聞こえてきたのは慌てる人々の声だった。
「なんてことをするんですか!!」
「おかしいですね、理論上は扉を吹っ飛ばす程度のはずですが」
「ルーマお兄様はご無事かしら」
立ちくらみもおさまって恐る恐る上から覗いてみたら、数人の人影がある。その中でもひときわ目立つ二人は……。
「ソメーリ兄上……ドゥリン……?」
次兄と妹だろうか。その隣で怒っているのは配給の彼か。無事に手紙を届けることができたようでほっとしたが、次兄と妹がいるのに驚いた。
建物内はまだ煙が充満していて危険そうだ。屋上にいて良かった。ロープはある。まだ筋肉もある。俺は後先を考えずに三人の元に降り立った。
「ルーマ……か!?」
「ルーマお兄様! わたくし、ドゥリンです。覚えていらっしゃいますか? 亡くなったと聞かされた時はショックで……っ」
年頃になり、童話から抜け出てきたような妹が縋り付いてきた。そうか、俺は死んだことにされていたのか。だからきょうだい達も会いに来なかったのか。
少しだけ、ほんのすこしだけ、本当は疎んじられていたのかもしれないと疑ってしまっていた。長い孤独の中で、愛されていた記憶を捏造しているのかもしれないと。そんな記憶でもなければ、寂しさに押し潰されそうだったから。
「王子様……良かった」
配給の彼が、きょうだい達の後ろでほっとした表情を浮かべてくれている。俺が死んでいたら、彼もきっと悲しんでくれただろう。
おかしい、あんなに会いたかった兄や妹にやっと会えたのに、名前も知らない彼のことも同じぐらい気にかかる。
「ルーマ、父の言うことを疑わず、お前に寂しい思いをさせてすまなかった」
次兄であるソメーリが、俺を見上げて手を取った。いつのまにか、兄よりも背が高くなっている。
「お前が立派になっていて嬉しいよ。以前はそうでもなかったが、今では兄上とそっくりだ」
「そうですわね。色合いが違うだけで、そっくりですわ」
二人が涙目で笑うから、つられて涙が溢れてしまった。
「……っう、兄上が教えてくれたことが……俺を生かしてくれた」
「違う、ルーマ。お前が頑張ったのは、全てお前がしたことだ」
項垂れる俺の背を、昔のようにソメーリ兄上がポンポンと叩いて慰めてくれた。妹は綺麗になったけれど、身長差は変わらず昔と同じように透明な瞳で見上げてくる。
「ルーマお兄様がご無事で何よりですわ」
「そうだ、兵士が侵入してきていて……俺は、彼らを殺してしまった」
無我夢中だった。妙な使命感で、彼らを皆殺しにしなければならないと思い込んでいた。弔いもしないなんて、許されることじゃ……。
「ああ、それなら良くやった。ナカリホアでも手を焼いていた連中だったらしい。お互いになかったことにしたいと申し入れがあった」
許されるようだ。次兄の言葉にふっと力が抜ける。
「兵士の格好をしたならず者だったということですわ。ルーマお兄様は勇敢さを示されたのです」
しかも褒められてしまった。罪悪感は薄れて、少し嬉しくなってくる。
「この件で兄上から国王陛下に取りなしてもらって、お前を王宮に戻れるようにしようと話しているんだ。今度は守りきるから」
守る。少し前までなら飛び上がって喜んだだろう。でも、俺はもう守られなきゃならないほど幼くも弱くもない。守りたいものは、この城とたった一人の領民だけだ。
「ありがとう。でも、俺はここにいたい」
「どういうことだ?」
こういう時になんと言えば良いか、言葉を忘れないために朗読していた本を思い出す。
「もう、守られなきゃならないならないほど弱くない。この城とこの周辺を守るから、ここにいさせて欲しい」
改めてソメーリ兄上が、俺の頭のてっぺんから足の先まで見た。昔から愛用しているモノクルがキラリと光る。
「一国一城の主を気取るか」
「幽閉の身とされても、王族としての矜持を失ったわけではありません」
完全に行き当たりばったりのハッタリだった。
配給の彼が見ているから、つい張り切ってしまった。俺の唯一の領民……彼が俺を王子様と呼んでくれたから、王子様として正しい行いをしなければと思えたんだ。
「その意気は買おう。今まで苦労させたぶん、ルーマが望むように。兄上も同じ意見だ。王宮に来るのが嫌ならいずれ兄上から会いに来るだろうし、気にしなくていい」
「わたくしはルーマお兄様とダンスをしたかったですわ」
「ドゥリン、わがままを言うな」
愛らしい妹は変わらない。きょうだいの心も変わっていない。城は城として認められ、王子としての矜持も保たれた。
無理をして二人は来てくれていたらしく、付き人が早く帰るように言った。離れたところにとめられていた馬車に二人が乗り込むのを見送って、俺は配給の彼と一緒に城に戻った。
彼と外の道を歩くなんて想像もしていなかった事態だ。彼の身長は俺の顎あたりまでしかなくて、年齢の見当もつかない。
「君のおかげだ」
「良かったです、王子様」
「俺は死んだものとされていたらしい」
死者に食事は必要ない。どうして彼は私が王子だと知って、生かしてくれていたのだろう。
身長の差のために彼の表情が見えない。
「…………」
「どうして……食糧をくれていたのか聞いてもいいだろうか」
答えの予想はない。ただ知りたかった。
食糧……その言葉を口にした途端に、強烈な空腹を思い出した。頭がくらくらして足元がおぼつかなくなる。本当に聞きたいことはこんなことだっただろうか。彼に会ったら聞きたいと思っていたことが、奇妙に浮かれた頭で思い出せない。浮かれて……? 足元が崩れる。
「王子様……王子様ー!?」
*****
夢の中で甘い果実を貪っていた。その果実は彼の顔をしていて、にこにこと笑っている。全身でおいしいものに縋り付いて、やけに気持ちが良くて目が覚めた。
「お、王子さま……? えっと、具合は」
「う……おなかが、すいた」
「ほっ。これ、よかったら」
目が覚めたら、彼にのしかかるようにして倒れていたらしい。どれぐらいの時間かわからないが迷惑をかけてしまった。いくら痩せても、彼より身長があるから重かっただろう。だけど謝るよりも空腹で死にそうだった。立ち上がる気力もなく彼の上からどいて転がると、荷物から保存食を出してくれた。
道ばたに座り込んで、彼の荷物から差し出された固いパンと水に夢中でかじりついた。
食べている間、彼はどうして食糧を運び続けてくれていたのか教えてくれた。
彼の姉は王宮で働いていたメイドだったが、貧乏くじを引いて俺の始末を任されてしまった。口止めに大金を貰ったから、口封じされる前に高飛びをしたかったらしい。だが、心優しいメイドは俺を憐れんだ。単純に自分が殺人者になりたくなかったのもあり、近所に住んでいた祖父に俺の事情を話して食糧を渡すように手配した。しかし祖父がぎっくり腰で倒れ、見舞いに来たメイドの弟に役目が代わったそうだ。しかし弟は俺が本当に住んでいるのか半信半疑で食糧を届けていた。手紙を見つけてから存在を信じたそうだが、彼らも生活が楽なわけではなかったから配給はギリギリの量になったということだ。
俺は彼の善意だけで生き延びていた。
まるで神の御使いのようだ。膝をついて俺の様子をうかがってくれる彼に、ときめきが止まらない。
「王子様、ほかに身体がおかしいところはありませんか?」
聞かれて股間の不快感に気が付いた。死にそうだったのに、こうなるなんてどういうことだろう。恥ずかしく悲しいことだったが、彼に隠し事をできずに告白した。
「……まただ……俺は病気かもしれない」
「見た感じはわかりませんが」
「股間から膿が出るときがあるんだ……今もまた出ている。せっかく生きることを許されたのに、こんな身体ではっ」
「だっ大丈夫です」
取り乱した俺の背を彼が優しく撫でてくれる。股間がむずむずしてしまう。
「大丈夫じゃない。一回だけじゃない、前にも君の夢を見たときに出てしまったことがあって」
「お、おれの夢ですか!?」
「君のせいじゃない。俺が悪いんだ……」
なんということだ、今度は股間が腫れてきた。
「や、それは、誰も悪くない、と思います」
「どうしてわかるんだ?」
「えーっと」
「ところで」
言いよどむ彼に、きっと言えないような病気なのだと理解した。股間から膿だなんて不浄の極みだ。どうせ死ぬなら聞いておかねば。
「はい?」
「君の名前を教えてほしい」
城に戻ったらと笑ってくれた彼と、城に戻って大掃除をした。
それから、一緒に風呂に入って、『病気』についてとても丁寧に教えて貰った。