第百六十七話
「な、なにが……綾瀬……綾瀬は!?」
一瞬の出来事に姉崎は何が起きたのか理解できずイレギュラーの分身体に囲まれた絶体絶命の状態にも拘わらず声を荒げる。
「あいつ、綾瀬を……早く後を追わなきゃ」
事態が呑み込めず半ば狂乱状態に姉崎は陥ってしまっているがそれを冷静に止めてくれる人はこの場には居なかった。皆一様に何が起きているのか冷静に判断出来ていなかった。
しかし、それは姉崎ら人だけの話しでは無かった。満身創痍の姉崎たちを囲むイレギュラーの分身体共も同じように様子がおかしい。数えるのも億劫になるような夥しい数のイレギュラーが皆同じ方向を見て固まっている。
(一体、何が起きてるの……コイツらは何故私たちを襲わず、綾瀬くんだけを? それに、まさか門の中に入って行くなんて……完全に予想外だわ)
魔獣や魔物はマナの境目を意図的には超えようとはしない。何かしらの原因のようなものが無ければそれ自体の考えすら浮かばない。そして門の向こうにあるのは異世界の常識から逸脱した、マナが全く存在しない世界。
魔獣をこちらの世界に連れて来る実験は度々行われているが、どれも長続きはしなかった。連れて行くときはこれでもかと暴れ、ようやく門を超え連れて来てもやがて死んで調査も何も出来ない。唯一分かったのは、こちらの世界の環境は魔獣たちに決して適さないという事だけだった。
それ故イレギュラーが突然綾瀬を連れ去ったのちに門に入って行くのは完全に予想外だった。
それに加えいつまでも自分たちに襲い掛かるでもなくただ周りを囲って遠くを見ている不気味な様子を見せ岡田はさらに困惑した。
(いや、とにかく今は生き残ることを考えないと!)
逆に今起きている意味不明な状態が岡田の冷静さを取り戻させてくれた。まず姉崎の元に向かい彼女を落ち着かせる。
「落ち着いて、姉崎さん」
「いや、こんな、急がないと」
「いいから!」
変に奴らを刺激しないように小声で声を張り、姉崎を叱咤する。
「綾瀬くんは必ず助け出す、それにはまず生き残らないと」
今にも泣きそうな目で岡田を見据えた後、グッと堪え力強く頷く。それを見て岡田も軽く頷き姉崎が突っ走らずに一安心する。
すると、周りにいた夥しい量のイレギュラーが急に同じ方向に走り出す。思わず身を固めるもただ通り過ぎただけで杞憂に終わる。
「なんだったのかしら、一体。いやそんな事より……急いで! このチャンスを逃したら次は……」
そこまで口にした瞬間、途轍もない轟音と共に何かが門まで飛んでくる。地面を削り、煙を巻き上げ物凄い勢いで岡田たちに向かっている。
「避けて!!!」
姉崎に覆い被さるように倒れ込み何とか回避する。幸い他の皆も躱せたようだ。一体何が飛んできたのか恐る恐る確認すると。
体がグチャグチャに拉げた、先ほど走り去って行ったイレギュラーの分身体でやがて塵になって霧散した。
「おいおい、何が起きてるんだよ、嬢ちゃん?」
「あたしに聞くな、取り敢えず早いとこ門を通ろう。もうあたしらの手に負える次元じゃない」
そう言ってサラたちは門に向かう。それを見て他の人たちも動き始めた。
「全く一時はどうなるかと思ったぜ」
「運が良かっただけだ」
そうやって他愛もない会話をしながら門に向かってる時、サラや岡田らが歩く横から重苦しい、デカい何かが歩く音が聞こえる。そしてそれを聞いて振り向いてしまった。
一秒前の自分を出来る事なら殴り飛ばしてでも止めたい。
急にここだけ夜になったのかと錯覚してしまうような黒い気配。死の恐怖だとか何だとかそんな次元は当に超えてしまった。自分はまだ生きてるのか、それとも既に死んでいて魂でこの景色を見ているのか、涙すら枯れそんな考えすら浮かんでしまう。
するとその化け物もこちらを向いて、目が無いのに視線が合う。鋭い牙をギラつかせ嗤うように剥き出しにする。
そして自分の頭の奥から何やら聞こえる。
『ア、ドウモ。コンニチハ』




