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第77話 ~深雪side~ エメラルドの瞳の中の、ありのままの彼

 てつとの誕生日の夜。


 私は、大きな濃紺のビーズクッションに座りながら、胸の奥がずっと落ち着きませんでした。


 部屋には、弾き慣れていないギターの匂いと、少しだけ甘いケーキの香りが混ざっていた。


 てつとは何度も深呼吸をしていました。


 きっと緊張しているんだと思う。


 その姿が、少し可愛かった。


 「じゃ、じゃあ……、いくよ」


 そう言って、てつとはぎこちなくギターを構える。


 私は思わず笑いそうになったけれど、笑いませんでした。


 だって、この日のために、てつとがどれだけ頑張ったのか知っていたから。


 指先にできた小さな傷。


 硬くなった指の皮。


 不自然なくらい真剣な顔。


 全部、知っていた。


 だから私は、ちゃんと歌おうと思った。


 てつとの伴奏で。


 てつとだけのために。


 演奏が始まる。


 正直に言えば、ひどかった。


 コードは何度も途切れるし、リズムも揺れる。


 危なっかしくて、聴いているこっちが不安になるくらい。


 でも。


 私は、その不器用な音が好きでした。


 間違えながらも、絶対に止まらない。


 逃げない。


 誤魔化さない。


 そんな音だったから。


 私は歌いながら、何度もてつとの顔を見ました。


 てつとは必死でした。


 うまく弾くことより、「最後まで弾くこと」だけを考えている顔。


 それがなんだか、胸に痛いくらい優しかった。


 歌い終わると、てつとは大きく息を吐きました。


 まるで長い距離を走り切ったみたいに疲れた顔をしている。


 でもその目は、どこか満たされていました。


 「満足した?」


 そう聞くと、てつとは素直に頷いた。


 その顔が少し子どもみたいで、私は小さく笑います。


 「誕生日だから、このぐらいならお安い御用です」


 胸を軽く叩きながらそう言うと、てつとは照れたように目を逸らしました。


 私はクッションを抱えながら、ぼんやり彼を見つめます。


 部屋の灯りが、彼の横顔を柔らかく照らしていた。


 そして私は、ふと思いました。


 「てつとは、変わった」


 出逢った頃のてつとは、できない自分」を必死に隠していた。


 頭が良くて。


 冷静で。


 どこか他人を寄せつけない。


 傷つかないために、自分を閉じ込めているみたいな人だった。


 でも今日のてつとは違う。


 下手でも。


 不格好でも。


 ちゃんと私の前に立ってくれている。


 そのことが、たまらなく嬉しかった。


 「てつとは、自分のできない姿を見せてくれなかったから」


 気づけば、私はそんなことを言っていました。


 てつとは黙って私を見る。


 その目を、私は逸らしたくありませんでした。


 エメラルドグリーンの瞳の中の彼は、前よりずっと柔らかい顔をしていたから。


 私は思う。


 人はきっと、完璧だから好きになるんじゃない。


 弱さを隠さずにいてくれた時、初めて心が触れるんだ。


 てつとは、しばらく黙っていました。


 部屋の空気が静かになる。


 遠くで、車の走る音が聞こえた。


 私は少しだけ不安になります。


 何か言おうとしている。


 そんな気がしたから。


 てつとは大きく息を吸いました。


 そして、まっすぐ私を見て言った。


 「みゆが好きです」


 その瞬間、世界の音が消えた気がしました。


 鼓動だけが聞こえる。


 私は何も言えませんでした。


 ただ、彼の声だけが胸の奥へ静かに落ちていく。


 「僕が、みゆを守る『貴方』になります」


 その言葉を聞いた瞬間。


 私は、あの日ハリネズミで聴かせた歌を思い出していました。


 『貴方なら救い出して』


 私はずっと、「誰かに救われたい」なんて思わないようにしていた。


 期待すると苦しくなるから。


 失うのが怖いから。


 でも今。


 目の前の不器用な男の子が、震えながらそれを言ってくれている。


 私は胸がいっぱいになって、うまく笑えませんでした。


 次の瞬間。


 てつとの顔が近づいてくる。


 驚く暇もなく、唇に柔らかな熱が触れました。


 私は目を閉じることを忘れていました。


 エメラルドグリーンの視界の中に、てつとがいる。


 少し不安そうで。


 でもどこか誇らしげで。


 その顔が、どうしようもなく愛おしかった。


 私は思いました。


 失われていく光の最後に映るものが、この人だったらいいのに、と。

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