第75話 ~深雪side~ 彼の世界へ
「誕生日に、私を家に呼びたいんだって」
バレンタインの夜。
お風呂上がりのお母さんのドライヤーで髪を乾かす手が止まるのがわかりました。
お母さんはきっと一瞬、何を言われたのかわからなかったのだと思います。
「……家に呼ぶって……。
深雪ちゃんのことを……?」
その瞬間、胸の奥が熱くなりました。
ドライヤーの音。
テレビの音。
外を走る車の音。
そんな日常の音が急に遠くなって、自分の鼓動だけがやけに大きく聞こえます。
私は慌てて、飲みかけだったミルクティーを口に含みました。
甘いはずなのに、うまく味がわかりませんでした。
「そう『私』のことを」
できるだけ普通を装って返事をする。
でも、お母さんはきっと気づいていたと思います。
私の耳まで赤くなっていたことに。
「よかったね」
お母さんは静かにそう言いました。
その言葉が、なぜだか胸に深く落ちてきました。
私はずっと、「誰かの特別」になることを怖がっていたから。
アルビノとして生まれてから、人と違うことを意識しない日はありませんでした。
見られること。
気を使われること。
遠慮されること。
そういうものに慣れすぎてしまって、「普通に好きになられる」という感覚が、ずっとわからなかった。
だからてつとが、
「家に呼びたい」
と言ってくれたことが、信じられないくらい嬉しかった。
私はその夜、自分の部屋で何度もスマホを開いては閉じました。
てつととのトーク画面。
最後に送られてきた、『今日はありがとう』という短いメッセージ。
それを見つめながら、私はベッドへ倒れ込みます。
天井はぼんやり滲んでいました。
視界の端は、前より少し暗い。
でも今夜は、不思議と怖くありませんでした。
昼間のことを思い出す。
ハリネズミで、一緒にチョコを食べたこと。
てつとが、苦そうな顔をしながらブラックコーヒーを飲んでいたこと。
音楽の話をしたこと。
私は、あの歌を口ずさんだ。
「I am GOD'S CHILD……」
あの歌を初めて聴いたとき、私は「わかってしまった」と思った。
どうして自分だけこんな身体なんだろう。
どうして普通に生きるだけで、こんなに疲れるんだろう。
そんな気持ちを、誰かがもう歌っていた。
でも。
てつとは、あの歌を聴いて、悲しそうな顔をしていた。
そして、どこか決意したみたいな目をしていました。
その理由を私はまだ知りませんでした。
知らなかったけれど。
あのときの彼の横顔を思い出すと、胸が少しだけ温かくなりました。
窓を少し開ける。
冬の風が、白いカーテンを揺らしました。
遠くで電車の音がする。
私はスマホの画面を胸に抱いたまま、小さく呟きました。
「行きたいな……」
てつとの家。
てつとの世界。
そこへ、自分が呼ばれる未来。
そんなものを想像しただけで、胸が痛いくらい嬉しかった。
けれど同時に、少し怖くもありました。
もし嫌われたらどうしよう。
家族に変な目で見られたらどうしよう。
アルビノの私を見て、空気が止まったらどうしよう。
考え始めると、不安はいくらでも浮かんできます。
でも、それでも。
怖いより先に、
「行きたい」
と思えた。
そのことが、たまらなく嬉しかった。
私は目を閉じます。
暗闇の中に、てつとのぎこちない笑顔が浮かびました。
あの人はたぶん、自分で思っているよりずっと優しい。
そしてきっと、不器用なくらい真っ直ぐだ。
だから私は、少しだけ願ってしまう。
失われていく光のその先にも。
この人がいてくれたらいいのに、と。




