第74話 〜深雪side〜 その瞳が赦した
てつとと迎える、初めてのお正月でした。
昼間の光は少し苦手で、というより、元日の朝から人混みに揉まれるのが億劫で、私は「初日の出を浴びると溶けちゃうの」と冗談めかして言いました。
「アルビノだから」、なんて理由にしてしまえば、てつとはそれ以上聞いてこない。
そういう優しさを、私は知っていました。
だから私たちの初詣は、夕暮れを待ってからになりました。
公園の近くの小さな神社。
吐く息は白く、夜気に溶けている。
境内にはまだ地域の人たちが残っていて、紙コップの甘酒やお汁粉から、ほわほわと湯気が立っていました。
隣を歩くてつとは、財布を開きながら少し真面目な顔をしていました。
「お賽銭、いくらにする?」
そう聞くと、彼は少し考えてから、
「やっぱり五円かな」
と言いました。
私は思わず笑ってしまう。
「『ご縁』ですね」
てつとは本当に、そういう語呂合わせを信じそうな顔をする。
でもそのあと、少し不安そうに、
「少ないかな……、五百円くらいの方がいいかな」
なんて言い出すから、私は人差し指を振ってみせた。
「だめだよ。五百円は『これ以上の効果(硬貨)はない』なんだから」
すると彼は、素直に「なるほど……」なんて頷いて、真剣に小銭を選び始めました。
そういうところ。
私は、たまらなく好きでした。
彼の掌に五円玉がいくつも並ぶ。
数えてみると八枚。
「四十円です」
どこか誇らしげに言うから、私はわざと感心してみせました。
「八枚で『末広がりのご縁』ですね。
よくわかっていらっしゃる」
偶然なのに、本気で照れてしまうてつとが可愛い。
「みゆはいくら入れるの?」
私は少し胸を張って答えました。
「五百五円」
彼は目を丸くする。
「なんで?」
その顔が見たくて、私は少しだけ意地悪をしました。
「私には、『これ以上のご縁』はいらないから」
言った瞬間、てつとの表情が止まった。
その顔を見るだけで、胸が温かくなる。
「ああ、この人はちゃんと、私の言葉に心を動かしてくれるんだ」と思いました。
鈴の音。
硬貨の触れ合う音。
冷たい夜。
私は手を合わせながら願った。
どうか。
この人が、自分を嫌いになりませんように。
それだけだった。
てつとはきっと、自分では気づいていない。
自分のことを、ずっと許せないままでいることに。
だから私は、せめて私だけは、てつとを好きでいたかったのです。
帰り道、公園のベンチに並んで座りました。
私はお汁粉。
てつとは甘酒。
夜の空気は静かで、街灯だけが私たちを照らしていました。
「なにをお願いしたの?」
そう聞くと、てつとは驚くほど素直に、
「みゆと今年も一緒に過ごせることと、みゆが健康でいられること」
と言いました。
胸の奥が、きゅっとなる。
この人は時々、ずるい。
こんなふうに真っ直ぐな言葉を、不意打ちみたいにくれる。
でも同時に、彼の言葉の端々には、誰かの影が残っていました。
だから私は、少しだけ知りたくなりました。
てつとの過去を。
今の彼を作った誰かを。
「今までの彼女にも、そういうふうに願ってたの?」
彼は目を逸らしました。
「ううん、そんなことないよ」
その答えが本当だって、すぐにわかりました。
てつとは嘘が下手だから。
だから私は、少し安心して、少し苦しくなりました。
きっと彼の中には、まだ消えていない人がいる。
でも……。
それでも……。
今、隣にいるのは私だった。
私は自分の昔の恋人の話をしました。
外斜視の男の子。
近くで私を見る時だけ、ちゃんと視線が合う人。
話しながら、てつとの機嫌がどんどん悪くなっていくのがわかりました。
それが可愛くて、嬉しくて。
私は少し調子に乗ってしまいました。
嫉妬してくれている。
その事実が、どうしようもなく愛おしくありました。
でも本当は、ずっと寂しかった。
てつとはあまり私を見ない。
見てくれている時もあるのだろうけど、私は目が悪いから、近くじゃないとわからない。
だから私は、小さく零した。
「てつとは、私を見つめてくれないから……」
すると突然、肩を掴まれました。
息が止まる。
近づく顔。
真っ直ぐ向けられる視線。
私は、彼の瞳より先に、自分の瞳の中に映る彼を感じていました。
エメラルドグリーンの世界の中に、不器用で、傷ついていて、それでも誰かを大切にしようとしている男の子がいる。
てつとは、その自分を見て、苦しそうに目を閉じました。
だから私は、そっと口づけをしました。
たぶん彼は、キスを待っている顔をしていたから。
唇が離れたあと、私は少しだけ拗ねた声を出す。
「私、ファーストキスだったんだ……、だから、てつとからして欲しかったな……」
すると彼は「ごめん」と言って、今度はちゃんと、自分からキスをしてくれました。
その瞬間、私は思いました。
ああ。
この人はきっと、自分が思っているほど醜くなんかない。
誰かを妬んで、羨んで、傷ついて。
それでも誰かを大切にしたいと思えるなら。
そんな人を、私は嫌いになれない。
冬の夜風が、静かに頬を撫でました。
そして次の瞬間。
てつとは、まるで長い間胸に閉じ込めていた言葉を、ようやく許されたみたいに言いました。
「僕と付き合ってください」
その声を聞いた時。
私はたぶん、生まれて初めて、願い事が叶う音を聞きました。




