表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
73/74

第73話 〜深雪side〜 ふたりだけの名前

 クリスマス・イブの夜でした。


 街はきっと、どこも光であふれている。

 恋人たちはイルミネーションの下で笑い合って、白い息を重ねて、ありふれた幸福を抱きしめているのでしょう。


 でも私は、いつもの公園を選びました。


 相澤くんが、勇気を出して誘ってくれたことはわかっていました。

 たぶん、すごく考えてくれたんだと思う。

 だから少し申し訳なかったけれど、それでも私は首を横に振りました。


 「ううん、あの公園がいいんです」


 あそこじゃないと、だめでした。


 冬の夜気は冷たく、吐く息は白かった。

 白いダッフルコートに身を包み、赤いマフラーを巻いていても寒さは容赦なく入り込んでくる。


 でも、その寒さは嫌いじゃありませんでした。


 相澤くんに「雪だるまみたい」と言われて、私は少しだけ頬を膨らませました。


 「アルビノジョークがいえるようになりましたね」


 そう返しながら、ほんの少し嬉しかった。


 最初の頃の彼なら、きっとそんな冗談は言えなかったから。


 自販機の灯りだけが妙に明るくて、缶の温かさが掌にじんわり広がる。

 私はミルクティーを、相澤くんはブラックコーヒーを買いました。


 きっと苦いのは苦手なのに、彼はいつもブラックを飲みます。


 どうしてそんな小さな意地を張るのだろうと思いながら、私は何も言いませんでした。

 そういう不器用なところを、少しだけ愛おしいと思っていたから。


 私はふと、悪戯心で尋ねました。


 「今日は何の日でしょう」


 困った顔をする相澤くんが見たかった。

 きっと「クリスマス・イブ」とか、「サンタの日」とか、つまらない答えを返すと思っていました。


 なのに。


 「誕生日……、誕生日でしょ!」


 当ててしまった。


 私は思わず大袈裟にため息をつく。


 「普通、こういうの当てちゃダメなんですよ」


 本当に、そういうところがある。

 偶然みたいな顔をして、彼は時々、まっすぐ核心を掴んでしまう。


 私は少しだけ拗ねながら、自分の生まれた日の話をしました。


 深夜まで続いた難産のこと。

 母が苦しみの中で窓の外を見た瞬間、ひとひらの雪が落ちてきたこと。

 そしてそのあと、まるで雪に導かれるみたいに、私は生まれたこと。


 「深々と降る雪の日に生まれたから、深雪」


 その名前が、私は昔から嫌いでした。


 白すぎる髪も。

 白すぎる肌も。

 雪みたいだと言われるたび、世界から切り離されていく気がしたから。


 しかもその名前をつけた父は、もういない。


 夜空を見上げるふりをしながら、私は小さく息を飲み込みました。


 相澤くんは、何も聞かなかった。


 優しいのか、臆病なのか、たぶんその両方なのだろう。


 だから私は、その沈黙に救われた。


 代わりに私は尋ねました。


 「相澤くんは、なんでテツヒトなんですか?」


 哲学者みたいな名前。

 硬くて、不器用で、真面目そうな名前。


 彼は少し照れながら由来を話しました。

 そして最後に、小さく言う。


 「僕も好きじゃない」


 その瞬間、私は思いつきました。


 「じゃあ、名前を変えましょう!」


 本当の名前じゃなくていい。

 裁判所も戸籍もいらない。


 ふたりだけが呼ぶ、秘密の名前。


 それならきっと、今までの自分から少しだけ自由になれる気がしました。


 相澤くんは「何でもいいよ」と言いました。


 本当に、彼は不器用だと思いました。


 でも、そのあと続いた言葉に、私は少しだけ胸が熱くなりました。


 「逢川さんがつけてくれるなら、何でもいい」


 そんなことを真顔で言う。


 ずるい。


 私は考えた末に、「てつと」という名前を選びました。


 テディベアの映画の名前から取っただけ。

 でも彼は時々、本当にぬいぐるみみたいな顔をするのだ。


 少し困っていて。

 少し寂しそうで。

 抱きしめたら、そのまま黙ってしまいそうな顔。


 だから「てつと」。


 そして今度は、彼が私の名前を考える番でした。


 冬の風が、私たちの間を通り抜けました。


 静かな時間。


 その沈黙が嫌じゃありませんでした。


 やがて彼は、おそるおそる言いました。


 「『みゆ』は?」


 私はその響きを心の中で転がしました。


 みゆ。


 深雪じゃない。

 雪を背負わない名前。


 白さも、運命も、孤独も含まれていない。

 ただ柔らかくて、あたたかい音。


 私は笑いました。


「気に入りました!」


 本当に、嬉しかった。


 彼がくれたその名前は、今まで嫌いだった自分を、少しだけ好きにさせてくれる気がしたから。


 「これからは、『てつと』と『みゆ』」


 呼び捨てにすることも。

 敬語をやめることも。

 全部がくすぐったくて、でも嬉しくて、胸の奥がじんわり熱くなった。


 だから私は、赤い手袋のまま拍手をしました。

 子どもみたいに。


 それが恥ずかしくなくなるくらい、その夜は特別でした。


 私は鞄から白いマフラーを取り出す。

 それは、自分と同じもの。


 「これと、新しい名前の『てつと』が、私からのクリスマスプレゼント」


 少し背伸びをして、彼の首に巻く。


 近づいた瞬間、彼が息を止めたのがわかった。


 可愛いな、と思った。


 「私の白い髪の毛が編み込んであるから、悪いことしたら呪われますからね」


 そう冗談を言うと、彼は困ったように笑った。


 その顔を見ていると、呪いなんかじゃなくて、むしろ願いに近いのかもしれないと思った。


 どうかこの時間が終わりませんように、と。


 そして私は両手を差し出す。


 「てつとから、みゆへの、クリスマスプレゼント。

 くださいな」


 彼が差し出したのは、小さなスノードームでした。


 中には、二体の雪だるま。


 白いマフラーの雪だるまと、赤いマフラーの雪だるま。


 まるで、今夜の私たちみたいでした。


 私はドームをそっと揺らす。


 きらきらと雪が舞う。


 硝子の中だけの、小さな雪景色。


 けれどその光景は、この世界のどんなイルミネーションよりも綺麗だと、私は思いました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ