第71話 ~深雪side~ 信じてくれている目
二コマだけの授業を終えるころには、窓の外の光はもう夏の入口みたいな色をしていました。
私は相澤くんと一緒に、朝の公園へ戻りました。
アスファルトは熱を持ち始めていて、空気まで少し白く揺れているように見えました。
アルビノの私にとって、夏はいつも少し怖い季節でした。
光が強すぎるから。
世界が、まぶしすぎるから。
でも、その日は不思議と息苦しくありませんでした。
公園の自販機の前で、相澤くんが少し真剣な顔をしながら飲み物を選んでいる。
その横顔を見ているだけで、胸の奥が静かになる気がしました。
私はミルクティーを選び、相澤くんはまたコーヒーを買っていた。
今度は冷たいもの。
朝、間違えてホットを買ってしまっていたことを、ちゃんと気にしていたんだと思うと、少しだけ可笑しかった。
ベンチへ座る。
朝と同じ位置。
右に相澤くん、左に私。
私は自然に日傘を傾けました。
すると今度は、相澤くんがそっと傘の柄を持ってくれました。
その動作があまりにもぎこちなくて、でも優しくて。
私は小さく頭を下げました。
「ども」
すると彼も、少し遅れて同じように真似をする。
「ども」
その不器用さが、なんだか嬉しかった。
ブラックコーヒーを飲む相澤くんを見ながら、私は思わず言いました。
「ブラックで飲むんですね」
本当は、ただ何か話したかっただけでした。
沈黙が嫌だったわけじゃない。
むしろ、相澤くんとの沈黙は心地よかった。
でも今日は、少しだけ自分のことを話したい気持ちになっていたのです。
たぶん、彼だったから。
「……さっきの続きですけど」
私は正面を向いたまま言葉を探しました。
相澤くんのほうを見ると、きっと話せなくなる気がしたから。
「私、いじめられたことはないんです」
風が吹いて、日傘の縁が小さく揺れる。
公園の木陰で遊ぶ子どもの声が、遠くで聞こえました。
「……だけど、孤独はいつも感じていました」
その言葉は、自分で思っていたより静かに出てきました。
私はずっと、「普通」になれない感覚を抱えて生きてきた。
白い肌。
白い髪。
薄い目。
人と違うことを、毎日意識しながら。
でも、かわいそうだと言われるほど不幸でもない。
だからこそ、説明しづらい孤独があった。
私は少しずつ話しました。
日差しが痛いこと。
遠足や体育祭が怖かったこと。
みんなに気を使わせてしまうこと。
自画像が描けなかったこと。
白い画用紙に白い色鉛筆を重ねた瞬間、自分がどこにも存在していないみたいに感じたこと。
「私には私が見えなかった」
そこまで話したとき、自分でも驚くくらい胸が静かでした。
こんな話、今までほとんど誰にもしてこなかったのに。
でも相澤くんは、途中で遮らなかった。
慰めようともしなかった。
ただ、ちゃんと聞いてくれていた。
それが嬉しかった。
人は、自分の痛みを理解されることより、“雑に扱われないこと”のほうが救いになる時があるのかもしれません。
私は話し終えてから、少し怖くなりました。
重かったかな。
困らせたかな。
だから慌てて笑いながら言います。
「ごめんなさい。私ばっかり話しちゃって」
そして、勇気を出して聞きました。
「相澤くんは、なんでこの学校に来たの?」
彼はすぐには答えませんでした。
私はその沈黙を、無理に壊したくありませんでした。
相澤くんの中には、まだ触れてはいけない何かがある。
そんな気がしていたから。
だから私は、小さく続けます。
「話したくなった時でいいから」
本当にそう思っていました。
秘密を持っている人を、私は嫌いじゃなかった。
人はみんな、すぐには言葉にならないものを抱えているから。
それでも私は、どうしても伝えたかった。
「私は、相澤くんに話したかった」
その瞬間、自分で少し驚きました。
どうしてだろう。
まだ二回しか会っていないのに。
でも相澤くんの前では、「説明するための私」じゃなくていい気がした。
白い子としてじゃなく、「逢川 深雪」として座っていていい気がした。
それが、たまらなく嬉しかった。
相澤くんは、うまく言葉にできないまま、それでも一生懸命伝えようとしてくれた。
「嬉しかった」
その言葉だけで、十分でした。
私は思わず、少しだけ笑ってしまいます。
でもそのあと、彼が言いました。
「信じてくれてる感じがした」
その瞬間、胸の奥が静かに熱くなりました。
私はずっと、「見られる」側の人間だった。
でも今、初めて「信じられる」側になれた気がしたから。
だから私は、もう少しだけこの時間を続けたくなりました。
「学校の後、ここで少しお話しませんか?」
そう言った声は、自分でも驚くくらい柔らかかった。
もし断られたら少し傷つくな、と思いました。
でも相澤くんは、少しも迷わず頷いてくれた。
その瞬間、初夏の光が少しだけ優しくなった気がしました。
そしてその日から、週に一度、私たちはこの小さな公園で、ゆっくりと言葉を重ねていくことになったのです。




