7 王都の民よ!
王都の皆さんにお披露目です
王都に住む人々は、その日ほど感情の起伏の激しい日を経験したことはなかった。
まず、国中を襲った謎の病を快復へと導いた聖女バネッサのパレードがあった。人々は皆、自分たちを救ってくれた尊い人を一目見ようと、そして感謝の声を届けようと大通りに詰めかけた。
白い衣を纏った小柄な聖女が馬車の窓から見える。美しい容貌で儚げに微笑し、亜麻色の髪をふんわりと風になびかせる彼女は、なるほど病を憂い、身を捨てて皆を救うに相応しい人だった。
「なんと麗しい聖女様だ! あのか細い体で国中を丸ごと救ってくださったとは……ありがたいことだ!」
「あの慈悲深い聖女バネッサ様と勇敢なダリウス王子様が結婚するなんて、なんて素敵なの! きっと素晴らしい夫婦になるわね!」
皆は口々にバネッサを褒め称え、感謝をし、快哉を叫んだ。
やがて彼女を乗せた馬車は王宮へと入城し、大通りを埋めていた人たちはそれぞれの日常に戻っていった。胸の中には未来への温かな希望の光が灯っている。それは暗く厳しい冬を越えた先の、春の陽だまりのような温かさだった。
母親は子供のあとを追い回し、商人は威勢のよい声で呼び込みをする。パレード帰りの少年少女は特別に貰ったお小遣いを握りしめ、ささやかな欲望と葛藤しながら品物を吟味する。
王都のあちらこちらの通りには出店が立ち並び、市場は活気に溢れている。まるでお祭りのようだ。少し前には決して見られない光景だった。
誰もが享受する当たり前に送るこの日常は、聖女バネッサとダリウス王子が取り戻してくれたものだ。
「お二人の結婚式って、きっとすごく豪華だよね」
「そうだね。今日よりも人もいっぱいくるし、みんな今日よりも大喜びするね」
「御成婚の記念品の製作を急がねば! 他の商会はまだ動いていないようだし、出し抜けるぞ」
「見切り発車になるな……王宮から公式発表がないのが気になるが、出遅れては損をする」
それぞれの思いを抱えた人々の頭上を黒い影が横切ったのは、聖女バネッサが王宮に入って少し経ってから。
王都の遥か上空。気づいた者は少なかったが、王都の衛兵たちが俄に慌ただしく動き出したことに疑念を抱いた者は多数いた。
何事かが起きている。
配置された兵士の視線の先。それを辿って人々は見た。王宮に飛来した巨大な竜の姿を。
「竜……? 霊山の……?」
誰かの呟きに小さな悲鳴が上がり、その恐怖が皆に伝播する。それが拡がり切る前に兵士たちが声を上げた。
「聖女バネッサ様がいらっしゃる! バネッサ様が『決して竜は暴れさせない』と仰ったそうだ! バネッサ様は竜を鎮めることができるんだ! 心配はいらない!」
「我らは王都の皆が恐怖でパニックにならないように来たのだ! 落ち着け! 大丈夫だ、安心しろ! 竜は脅威ではない! バネッサ様がいらっしゃるのだ!」
兵士たちは王都の各所で人々に声をかけ、武器を手にして険しい顔で王宮を睨みつけている。
安心しろと説きながら、緊張を隠せない兵士たち。その姿に皆の心が安堵を得ることは難しかった。それでも闇雲に逃げ出すような大騒ぎにならなかったのは、ひとつの言葉があったからだ。
「聖女バネッサ様がいらっしゃる」
人々は聖女の存在に縋った。
聖女ならば、病から国中を救ってくれたように、きっと竜からも王都を救ってくれるはず。
救国の聖女。
だけど馬車の窓に見えた彼女は、華奢で可憐な乙女だった。あの体躯で竜をどうにかできるのだろうか。暴れる竜がバネッサの静止を聞き入れるのだろうか。聖なる力で何とかなるのか。
心に渦巻く疑念を、しかし誰も声に出さなかった。
人いきれの中、皆が息を殺して王宮を見つめていた。
どのくらいの時間のあとだろうか。
王宮に竜が降り立ってからしばらくのち、王都の各所に散らばった兵士たちの元に伝書魔鳥が送られてきた。淡く光を放つ魔法の鳥は、隊長の手の中で一枚の紙に姿を変える。
書き記されていたのは王宮から発された王都の民への指示だった。
「王宮よりのお触れだ! 中央広場にてダリウス王子殿下よりお言葉があるそうだ! 聖女バネッサ様と、竜も、同席する! 竜に対する懸念は不要とのこと! 竜は安全である! 行ける者は走らず騒がず速やかに移動するように! なお、これは強制するものではない! 行きたくない者は行かなくてもよい! それによって何ら咎めるものではないとのことだ!」
隊長の声を人々は驚きをもって受け入れた。 多少の混乱はあった。行きたいが店を空けるわけにはいかない者。竜がどうしても怖くて行きたくない者。怖いからお願いそばにいてと懇願され断念する者。パレードを見るのにすらようやく許しをもらって、これ以上の時間はないと諦める者。彼らはあとで広場に行った者たちから、何があったのかを知ることとなる。
広場に向かったのは王都の民の約五分の一ほどの人数だった。およそ三千人。広場の収容人数にしても警備に当たる兵士の数にしてもギリギリの人数だ。
彼らが中央広場へと移動して、見る見る間に組み上がる舞台を前にして待つことしばし。
王宮から竜が飛び立った。
青い鱗を煌めかせ、長い尻尾を閃かせ、竜は広場をグルリと二周ほど旋回してから舞台の上空に静止した。
あらかじめ竜が来ても大声を立てないように指示されていたので、人々は必死で声を殺していた。大声は竜を不快にさせる、なんて言われたら、それはもう口を開くわけにはいかないのだ。
母親は頑是ない幼子の口を手の平で押さえて怖くないからねと言い聞かせる。少年は唇を引き結んで目を見開く。自らの手で口元を覆った少女は、それでも小さな驚愕の声を上げた。大人も思わず呻くような竜の巨体だ。無理もない。
それぞれから漏れ出た小さな驚きの声が集まって、広場に地鳴りめいて響いた。
そんな群衆をまったく気にした様子もなく、青い鱗の竜が舞台に降り立った。
首を伸ばした竜の背丈は、人間の大人の二倍以上。胴回りは大の大人三人が腕を伸ばして回り切るかどうかという太さだ。鋭い鉤爪の付いた足に踏み付けられて、舞台の床がミシミシと悲鳴を上げた。
鋭い眼光は金色。尖った二本の角とゴツゴツとした鱗の肌。竜は全身がまるで凶器のように恐ろしかった。
竜が長い尻尾をクルリと猫のように足元に巻き付けると、その背中からまずダリウス王子が飛び降りてきた。明るい金の髪と少し日に焼けた肌。整った容貌をキリリと引き締めた王子は、とても頼もしく見えた。上背のある均整のとれた体躯が危なげなく着地して、彼は竜の背に向け手を差し伸べる。彼の手を取って降りてきたのは白い衣、亜麻色の髪の人物。ダンッという力強い音とともに舞台を踏みしめた、そびえるような巌の体躯に、広場にいる皆の心の声がひとつになった。
『誰っ?!!!』
人々は揃ってその人物を凝視した。たぶん女性だけど、本当に誰だろう?
髪と衣の色合いだけならば聖女バネッサだ。現に何人かはそう空目した。だけどすぐに別人だと認識する。違う。あまりに別人すぎる。バネッサと似ても似つかない。
その人物は竜よりも人々の注目を浴びていた。みんなの目が皿のようである。
ダリウス王子は一瞬だけ苦笑した。彼が武人体型のその人に何事かを囁くと、彼女はテヘッとでも言いたげな笑顔で片目を瞑った。舞台に近い者たちは「そうだったそうだった。うっかりこのまま来ちゃったね」という小鳥のような可憐な声を聞いたが、その意味を考える間もなく彼女の体が白い光に包まれた。
光が消え去り現れたのがパレードで目にした聖女バネッサだったので、広場には竜が降りてきた時よりも大きなざわめきが満ちた。
「えっ、嘘でしょ? バネッサ様だったの?!」
「どういうこと? さっぱりわからない!」
「アレがアレになるのか?! なんでだ、女ってこえぇぇ……!」
伝説の中にしか存在しなかった竜の姿よりも、聖女バネッサの変身の方が人々には衝撃が強かった。
それでも、兵士たちはいち早く我に返って皆を宥めているのだからたいしたものである。ざわめきがある程度落ち着くのには、それほど時間を要さなかった。竜が首を伸ばして聖女の事を語る者をじっと見つめてくるからだ。圧が凄い。兵士でもない一般人にはちょっと耐え難い重圧だった。
ダリウス王子がゆっくりと数歩前に出て、皆に語りかけた。拡声の魔法で広場の隅々にまで届く彼の声は、揺らがずに響いて人々の心を落ち着かせた。
「皆、竜殿と聖女バネッサ殿を目にして驚いたことだろう。無理もないことだと思う。私も驚いた。バネッサ殿は秘術によって霊山に登り、病の元を癒やしてくれた。皆が見た先ほどの姿は、その彼女の力の一端であり、神殿の秘技であると心得てほしい」
ダリウス王子は言外に「秘術だからさっきの姿のことは突っ込むな」と言っているのだ。大人たちはだいたい察した。子供たちは純粋に「聖女バネッサ様ってすげーや……」と感心しているが、あとで釘を差しておかねばならないだろう。変に騒ぎ立てないように、と。下手に突付いたら、藪から蛇が出るどころか竜が飛び出して来かねない。
「さて、皆も知っているだろうが、このところ、とある噂が国中に流れている。私ダリウスと聖女バネッサ殿が結婚するという噂だ。残念ながら、それは間違いだ。噂に過ぎない。私と彼女が結婚することはない」
群衆から驚きの声が上がる。
皆が二人の縁組を喜び、病という国難の先の光として希望を見出していたのだ。「なんでだ?」とか「楽しみにしてたのに」「しまった、記念絵皿の生産ストップだ! 大至急!」などと様々な声が上がる。
ざわめきを切り裂いて竜が怒鳴った。
「文句がある者は我を敵に回すと思え!」
拡声の魔法を必要としない轟音のような一喝だった。人々はビクッと跳ね上がって口を閉ざした。小さな子供は泣くことすらできずに静止している。本能的に危機を覚えたのだろう。皆一様に青ざめていた。
「セイブルくん、ダメだよ! みんなを脅かしちゃぁ! 怒鳴らないでちゃんと説明してあげてよ!」
竜を諌める聖女バネッサも拡声の魔法を使っていなかった。彼女の声はよく通るのだ。
竜はバツが悪そうに首を縮めて、ちょこんと頭を下げた。
「すまない。脅すつもりはなかった。ただ、ダリウスとバネッサが結婚しないとわかっても、その話があったというだけで腹が立つのだ。どうやら我は独占欲というものが強いらしい」
「独占欲強いだけじゃなくて心も狭いよね。大っきな体してるんだから、噂くらい笑って流せるようになりなよ。その方がカッコイイよ?」
「カッコイイ……そうか。そなたがそう言うなら善処しよう。我は人にどう思われようとあまり気にしないが、バネッサにとってはカッコよくありたい!」
「あはは! 単純すぎるよ、セイブルくん! でも素直なところも好きだよ!」
「そうか! それは良かった! 我は素直でカッコよくあろう!」
人々は竜とバネッサのやり取りで、なんとなく察した。これは王子の横恋慕か、はたまた当て馬か……。ダリウス王子は生温かい視線が自分に集中する中、居心地悪そうに咳払いをした。
「皆も見ての通りだ。私の出る幕ではないのが現状だ。……さて、遅れ馳せながら竜殿の紹介をしようか。彼は伝説にもなっている霊山の主だ。先頃、聖女バネッサ殿と出会い、彼女の優しさと清麗な心根と……逞しさに心惹かれて、彼女を追いかけて王都にやって来たのだ。決して皆を傷付けるつもりでここに来たわけではないので安心してほしい。だが心優しい竜であるとはいえ、人とは考え方も感じ方も違うところがあるのも事実だ。敬うべき相手であることを忘れずにいてほしい」
シンッ……と静まり返った広場を見回し、ダリウス王子は続ける。
「彼はバネッサ殿を愛している。だが長く人と接していなかった彼は、まず人を理解してから聖女殿に求婚しようと考えているのだ。そのために、しばらく王宮に滞在することとなった。竜殿が王都の上を飛ぶこともあるだろう。慣れないことだろうが、皆が心配する必要はない。安心して普段と変わりなく日々を過ごしてほしい」
「そういうことだ。しばらく邪魔をする。我は基本的に人は襲わないが、無礼が過ぎる者は躾が必要だと判断することもある。心してくれ」
「セイブルくん、またそうやってみんなを脅す……」
「いや、これは脅しではないぞ。本心だ」
「――そうだな。彼の言うそれは、人として当たり前のことだと私も思う。他者を貶めず、敬う。竜殿に限らず誰に対してもだ。長い期間、病と闘ってそれを乗り越えた私たちカイル王国の国民には、それができるはずだと私は信じている。……そして皆には、竜殿と聖女バネッサ殿との幸せを祈ってほしい。私は彼の友として力添えをしていくつもりだ」
「頼りにしているぞ、ダリウス! 我が友よ!」
「もちろんだセイブル! 私たちの友誼にかけて成し遂げよう!」
竜は親しげな様子でダリウス王子に顔を寄せ、王子は頼もしい笑顔でそれに応えている。バネッサはその間に挟まれて満足そうに頷いていた。三者三様の仲の良さが伺える光景だった。
それを見守る人々は……いろいろありすぎてもうわけがわからなかった。
ダリウス王子と聖女バネッサは結婚しなくて竜がバネッサを愛していて竜は王宮に滞在して……敬って、お祈りで……あと、王子が竜の友達……?
情報過多である。
一気に言われすぎてわけがわかんねーけど、とりあえず凄いことだよな? と考えることを諦めた一人の若い男がヤケクソのように声を張り上げた。
「カイル王国に幸あれーー!!」
そのあとに同じく考えるのをやめた人々が続き、広場は大騒ぎとなったのであった。
王都ではしばらく竜グッズが流行ります(いらん略)
楽しんでいただけてると嬉しいです




