6 竜の求婚と恋愛アドバイザー
危なげなくひと仕事を終えた彼女は、息を付く暇も惜しんで竜に跳ね飛ばされた騎士たちの元へと駆け寄っていった。すぐに大荒れの中庭を治癒魔法の新緑色の光が照らし始めた。
「…………さすがは、聖女バネッサ。怪我人の介抱をするために最速で竜殿を止めたようだのう。なんという迅速さ、なんという慈悲の心」
未だ神官に抱っこされたままの神官長が、感慨深げにバネッサを見やる。
年の功なのか何なのか、この一連の出来事で出てくる感想がそれなのか。ダリウスはいろいろと言いたいことを飲み込んで大きく息を吐いた。一時はどうなることかと思ったが、やはり聖女バネッサは凄い。
俯いて安堵して、彼は視界に金色の光を見た。
(なんだ? 金色の……?)
地面にペッタリと顎をつけて伸びていたはずの竜がもう目を開けていた。
斜め下を向いていたダリウスは正面から竜と目を合わせてしまった。
「あ、あれ……?」
ダリウスの呟きは誰の耳にも届かなかった。
父と兄は次第に騒がしくなる中庭の人々にテキパキと指示を出していたし、騎士たちは前代未聞の出来事に興奮しながら己の成すべきことを成し始めている。神官長と神官はバネッサの元に駆けて行ってしまった。
周囲がワサワサと動く中、ダリウスだけがひっそりと冷たい汗を流していた。
今、竜が口から炎を吐きでもしたら、ここら一帯は火焔の渦となるだろう。
咄嗟に警戒を促す声を上げようとしたダリウスだったが、結局彼はそうしなかった。
次の瞬間、竜の大きな眼から透明な水が溢れ出したのだ。涙だ。竜は泣いていた。
一筋の涙を零して、竜は薄く口を開けた。
「なあ、第二王子よ」
先ほどまでの地響きのような太い声とは打って変わって、竜はか細い声でダリウスに呼びかけた。
地面に這いつくばってこちらを見上げる竜が、なぜか捨てられた仔犬を彼に連想させる。この世のどこにも身の置きどころはありません、と嘆いているかのような悲壮感たっぷりの潤んだ瞳だ。頼れるのは貴方だけ、と必死に訴えかける眼差しだ。
そのあまりの哀れさに、不覚にもダリウスは絆されてしまった。警戒を少しだけ解いて竜に対峙する。
「りゅ、竜殿? 私に何か?」
「なあ、同じバネッサに振られた者同士の誼で教えてくれ。我はなぜ断られたんだ? なにが悪かった?」
「えっ? えっと、ちょっと待って。考える時間がほしいから」
「ああ。……だが、長くは待てない。このままでは胸が……痛い。張り裂けてしまいそうだ」
弱々しくグズグズと泣く竜を前に、ダリウスは顎に手を添えて熟考する。できれば自分に聞かないでほしかった。しかし本人に直接問えば良いのでは、という答えは竜相手でもさすがに無神経なので心の奥にそっと封印した。
ダリウスは先ほどのバネッサの拒否を思い出してみる。
彼女は互いが異種族であることは問題にしていなかったように感じた。ためしに竜に訊いてみれば、バネッサは竜に触れることも触れられることも嫌悪感は抱いていないようだという。
(まあ、それだけでバネッサ殿が異種間の婚姻をどう考えるかは判断できないが、彼女はおそらくそこは問題にしていない、気がする……)
考え込むダリウスを不安げな金の目が見つめている。縋るような目だ。
よく見れば、彼女が謁見の間で報告したとおりの金色に虹色が混ざった複雑な色彩を持っている。美しい瞳だ。彼女いわく、宝石のようだ、と。それは、少なからず好意を抱く者に対する形容だ。
聖女バネッサは、竜を嫌っているわけではないのだと判断できる。
そしておそらく、竜としても勝算があったから聖女に求婚したのだろう。少なくとも竜が「いける!」と判断するような雰囲気が二人にはあったのだ。
ならば、答えは彼女の言葉、そのままではなかろうか。
「竜殿。まず、バネッサ殿は私に理由を問われて『イヤじゃない? こんなプロポーズ!』と答えていたな」
「うぅぅ。思い出させないでくれ。なぜだ、バネッサ……。なぜ嫌なんだ……」
「私の推察ではあるが、プロポーズの台詞が嫌だったのではないか?」
「プロポーズ……求愛の、台詞?……漢らしく簡潔に求めたぞ?」
「おそらくそれがダメなんだろうな。……番え、というのは、乙女に告げるにはあまりにも、その……直接的すぎるのではないかと……」
「直接的だぞ? 何が悪い! わかりやすいほうが良いだろう? 番になって欲しいから番えと言ってなんの間違いがあるんだ?」
「番か……なるほど。竜殿にとっては夫婦になろう、くらいの意味なのだな? いや、しかし、残念ながら……人にとっては、ちょっと違った意味も含まれているから……」
言い淀んだダリウスに、竜は「なんだというんだ?」とちょっと苛立たしげに続きを促す。ダリウスは溜め息をついてから、ごく小さく声量を落として告げた。
「番うとは、性交渉する、の意味がある」
「ッンナッハアァッ!!」
竜は奇声を発したあとジタジタと身をくねらせた。尻尾が巻き付いたままなのでろくに身動きが取れず、おかげでダリウスは驚いても尻餅をついたりせずに、ちょっと後ろに下がるくらいで済んだ。
「……竜殿は、バネッサ殿を公衆の面前で……閨をともにしようと誘った、ことになる」
「アァァァァチガアァウゥ! 断じて! 違うぞ! そんな破廉恥な意味ではない! 昼間から! しかも人前で! そんな秘め事を口にするわけがないだろう! なんてことだ! 言葉が、意味が! 我が山籠りしている間にそんな意味に変わっていただと?! アァァゥゥゥ……誤解だバネッサ……羞恥でどうにかなりそうだ……。アァァしかもたくさんの人間に聞かれた……。『竜とは斯くも野蛮な生き物なのか』と思われたに違いない、『恥を知らぬ獣』とも思われたやもしれんのか……ゥゥゥゥ……」
「えーと……その点については大丈夫だ、竜殿。今の貴方の弁解で、おそらく皆の誤解は解けただろう」
ダリウスは周囲を見回す。突然奇声を上げて身悶えし始めた竜に、みんなギョッとした顔で動きを止めてこちらを注視していたので、彼の真意は今、間違いなく伝わっていた。国王も王太子も騎士たちも、生温かい笑顔で頷いたりウインクしながらサムズアップしたりと、それぞれに肯定の意思表示をしている。竜は恥じらうのに忙しくて目に入らない様子だが。
(世界を滅ぼしそうな見た目なのに、そんなことを気にするのか。意外と繊細なのだな)
ダリウス自身も竜に対する認識を改めた。
思い返してみればこの城に飛来したとき、彼は問答無用で急襲して聖女バネッサを攫うことだってできたのだ。でも彼は話し合いを求めた。対話により解決することを彼は知っているのだ。
空から降りてきたときにはとんでもなく凶暴な化け物に見えていたけど、恥じらい身をくねらせる竜に、今は親しみすら感じ始めているダリウスである。
しばらくの間、羞恥にフルフルと身を震わせていた竜は、やがて沈思黙考のフェーズに入った。
なんだか放っておけなくて、ダリウスは竜をそばで見守っている。彼はもう暴れないだろう、という確信がその行動を後押しした。物理的にも心情的にも、おそらく大丈夫だ。たとえ暴れても聖女バネッサがいるので安心していられる。
当のバネッサは、頑健な体格に似合った膂力で倒れた樹木を片付けている最中。彼女ほどではないが力自慢の騎士たちがそれを手伝っていて、和気あいあいとした雰囲気だ。
いや、「騎士様方がなさる仕事じゃねえです! わたしたちが叱られてしまいます!」と訴える庭師たちをバネッサが「いいからいいから。まかせて〜」と軽くあしらっている。
国王と王太子が揃っている場所で、己の職務怠慢ともとられかねない現状は、庭師たちにとって修羅場に違いない。彼らの心情は和気あいあいとは程遠い戦々恐々だろう。
(それにしても……庭師たちはバネッサ殿を騎士として認識しているようだな、あの様子だと)
さもありなんとダリウスは苦笑いした。筋肉の魔法を解除した状態ならば間違いようもないが、あの猛々しき肉体美では聖女とわかれと言うほうが無茶である。
そんな愚にもつかないことを考えていると、ダリウスを呼ぶ声がした。彼は斜め下方に視線を落とす。竜が言いにくそうに口をモゴモゴさせていた。
「第二王子。おぬしは……その、人のメス、いや、おなごの好む求愛の仕方というものを知っているか?」
「えっ?!」
「先ほどおぬしはバネッサに求愛をしたな? あれが人のプロポーズ? の仕方なのか?」
突拍子もない質問が飛び出してきた。
ダリウスは気恥ずかしさに熱くなる頬を自覚しながら、答える。
「い、いや。残念ながら、先ほどの私のプロポーズも、かなりダメな部類だった。直接的過ぎて乙女心にはかすりもしないだろうな」
「そうなのか。……我は、どうしてもバネッサと番……いや、夫婦になりたいのだ。だから、教えてほしい。その乙女心にかするプロポーズとは、どういったものなんだ?」
「……私は乙女ではないから詳しくはないけど、『一生隣で笑っていてくれ』とか、『二人で幸せになろう』とか、じゃないかな……?」
国外の王族と縁を結ぶ可能性もないわけではなかったダリウスは、恋愛経験が乏しかった。立場的に難しかったとはいえ、十六歳の現在、恋人はおろか初恋もまだである。同年代の女性の親しい友人もいない彼は、記憶にある恋愛小説の中の求婚シーンを思い返して、いくつかの例を挙げてみた。他人の受け売りなので少し後ろめたい気持ちだ。
「ふむふむ。ずいぶんと間接的なんだな。だが、それで求婚になるのか。他には?」
「他に? えーと……『家族になってほしい』とか、『一緒に起きて一緒に眠って、ずっと一緒に暮らそう』とか……」
「なる、ほど……? 我には考えもつかない言葉だな。困ったな。どう捻ってもそんな求婚はできる気がしないぞ……。第二王子は凄いな。求婚の言葉がスラスラとたくさん出てくるんだな」
「あ、いやいや、私も詳しくないから。これは恋愛小説……物語に出てくる台詞を言っているだけなんだ。借り物の台詞だよ」
一生のうちでそう何度も口にしないはずの台詞である。流れ的に仕方がないもののそれを列挙させられて、ダリウスはなんだかいたたまれない気分だった。そんな彼を見る竜の目には、尊敬の念が滲んでいる。冗談ではなかった。罷り間違って彼に恋愛マスターであると誤認されたら困る。
はっきりと否定したダリウスに、それでも参考になるのだ、と竜は首を振った。
「なにしろ我は現代の人の心に疎い。自ら望んで山に籠もっていたとはいえ、こうなってしまっては後悔が大きいんだ。バネッサは我の運命の女だからな。人に絶望していた我に、人と交わる楽しさを思い出させてくれた。そのうえ強くて頑丈で元気だ。逞しくて可憐で優しい。そんな女、何千年生きても二度と出会えないだろう。絶対に離したくないんだ」
「たしかにあんな想像の斜め上を行くような女性は二人といないだろうな……いやいや、バネッサ殿は竜殿の理想の女性像を体現しているんだな。……だったら、その想いを言葉にすればいいんじゃないか? 竜殿の率直な気持ちを伝えれば、どれほどバネッサ殿のことを想っているか、伝わるだろう」
「いや、しかし……難しいな。我の知る言葉がな。他にも意味が変わってしまっている可能性があるだろう?……第二王子。さんざん脅しておいてこんな事を頼むのも図々しい話だが、たとえば、どう言えばいいんだ? 考えてみてはくれまいか」
「私は、竜殿が図々しいとは思わないよ。私で役に立つかどうかわからないけど、考えてみる。少し待ってくれ」
純粋な心でバネッサを想う竜に、ダリウスは完全に絆されてしまった。
人との交流を楽しいと感じるこの竜は、基本的に人が好きなのだろう。どのくらい前のことかもわからないほどの大昔、人は竜のその心を裏切ってしまった。人に絶望して、長い長い時を独りで過ごした竜の、やっと出会えた運命の人。今は、孤独だったその竜が伴侶を得られるかどうかという瀬戸際なのだ。問題があるのならば解決の手助けくらい、してあげたかった。
(こんなキラキラの期待しかない目で見られたら、断るのも心が痛むからね)
ダリウスは頭の中で竜の先ほどの話をそれっぽい単語に置き換えたり組み替えたりして、プロポーズの言葉を考える。今まで読んだ小説の、心に残っている台詞を思い出して足して引いてこねくり回して……。
(紙に書けたら推敲しやすいんだけど……致し方ない)
ようやく捻り出したプロポーズの言葉。頭の中のメモ用紙に書いたそれを読み間違えないよう、目を閉じてダリウスは竜に告げる。
「『私は君と出会うために生まれてきたんだ。長い時を経て、ようやく運命の人に出会えた。もう離れたくない。私とずっと一緒にいてくれ』」
竜に感情移入しすぎて、ちょっと泣きそうになってしまったダリウス。彼が竜の反応を見るために目を開けるのと、甲高い声が彼の鼓膜を劈くのとは同時だった。
「えぇーーっ?! どういうこと?! あっ、そういうことっ?! えぇぇぇまじかぁぁぁ………」
「えっ?! バ、バネッサ殿、なんでここに?!」
「バネッサ、そんなこととはどんなことだ?」
実はバネッサ、ダリウスが目を閉じている間に竜の様子を見に戻ってきていたのだ。
竜の不始末を片付けて一息つく間もなく様子を見に来てみれば、自分が振った王子様が竜に求婚していた。それまでの二人のやり取りを知らないバネッサにしてみれば驚きの光景でしかない。
「は、うん。わかった。わかったよ。意気投合しちゃったんだよね? えぇぇぇ、いや、ちょっと、かなりショックだけど。……受け入れられるまで、少し時間がかかるかもだけど、頑張るから」
「いや、貴女は誤解を………」
「あ、いいの。セイブルくんが幸せになるなら、私は……身を、引くからさ。……うん。竜と人間だし、男同士だし、前途多難かもしれないけど……応援するから、さ……」
「なんとバネッサ! 応援してくれるのか?! そうか! では第二王子、ともに励もうぞ!」
「なぁぁっ?!」
励もうと竜に言われてダリウスは仰け反った。それはマズい。竜とダリウスで何を励むのか、バネッサがどう受け止めるのか。恐々たる心持ちで彼女を見やれば、彼女は巌のような身体を縮こまらせて顔を真っ赤に染めていた。
バネッサは先ほど竜の『番え』という言葉を聞いているのだ。『励もう』を色事方面だと受け取っても仕方のない下地ができているのだ。彼女の脳内では、たぶん絶対、だいぶマズい誤解に進展している。
竜はバネッサが何を誤解しているのか気づいていない。彼女が応援してくれるのだと素直に喜んでいる。
様子のおかしいバネッサにお構いなく、ウッキウキで尻尾の拘束を解いてくれるよう頼んだ。拘束から無事に解放されると、彼は居住まいを正した。
長い尻尾を猫のようにクルリと足元に沿わせ、両手両足を揃えてダリウスに向き直る。
「我は霊山に住まう竜、セイブルワース・ケーバント・カーディンワースと申す。大陸の北を統べる王国の第二王子よ、改めて乞う。我に人の求婚の仕方を教示してくれ」
「っえぇぇぇ?! 求婚の仕方?! の教示って?!」
「あ、良かった! 何を言われるのかと思った! いやいや、良いよ! いまさらじゃないか! さっきから二人でバネッサ殿が喜びそうなプロポーズの言葉を考えていたんだよね! バネッサ殿が聞いたのもその一環なんだよね! もちろん協力は惜しまないよ! 一緒にたくさん励んで、頑張って想いの伝わる良いプロポーズにしようね!」
「えぇぇぇぇ……なにそれ? 私、てっきり……。セイブルくんの幸せのためなら、って思って腹括ったのに……」
「おう、師匠! 頑張って励もう!!」
「あ、師匠とか弟子とかではなくて、友達として協力するのではダメかな? 私の名はダリウス・カイル。ダリウスと呼んでほしい」
「わかった、ダリウス。我のことはセイブルと呼ぶがよい。それにしても……友を得るのはどのくらいぶりか……嬉しいものだな」
ダリウスは、生まれて初めて竜の喜色満面というものを見た。瞳孔がキュゥッと細くなって目は弓形になり、大きな顎はガバッと開いて肉色の細い舌が覗いている。どう好意的に見ても威嚇しているようにしか見えないのだけど、セイブルワースの全身からは喜びのオーラが放たれていた。怒っていたときの威圧感といい、彼は魔力に感情が乗りやすいのかもしれない。
(表情がわかりにくい分、纏う空気で感情を察することができるように身体ができているのかな。友として付き合うにはわかりやすくて良いな)
セイブルワースと仲良くやっていけそうな予感を覚えつつ、ダリウスはバネッサに視線を移した。盛大に誤解していた彼女は、扇のような両手の平で顔を覆っていた。ダリウス渾身の説明台詞で、どうやら彼女の誤解も解けたようである。
よかった。指摘するのもされるのも気不味い誤解だったから、バネッサが察してくれて本当によかったと、ダリウスは大きく息を吐いた。
お読みいただき、ありがとうございます!
残り2話。続きは夜に投稿して、完結となります!




