8 走れ恋愛アドバイザー
最終話です!
ここまで読んでいただけて嬉しいです!
「竜殿に幸あれー!」
「聖女バネッサ様に幸あれー!」
「ダリウス王子様にも幸あれー!!」
広場での幸あれコールは続いている。
時折ダリウスの幸せを祈る者もいて、願われた本人は密かにため息をついた。
(にもとはなんだ、にもとは。バネッサ殿に振られた形になるからか? 放っておいてくれ……)
言った方にそれほど他意はないのだが、受け取る方は曲解している。恋人も婚約者もなし、初恋もまだのダリウス、もうすぐ十七歳。恋愛について微妙なお年頃である。
(それはともかく、そろそろ引き時だな)
セイブルワースが睨みをきかせているので群衆が舞台に詰めかけることはなかった。しかし過ぎた熱狂は要らぬ騒動の元になる。兵士が抑えるのにも限度があるだろう。
ダリウスは舞台の脇に立つ警備隊長に目配せをする。隊長は胸に手を当てて了承の意を示し、広場各所に伝達をした。集まった人々を安全に解散させるための指示だ。
ダリウスは最後に大きく民衆に向けて手を振ってから、セイブルワースとバネッサに「そろそろ帰ろうか」と告げた。
セイブルワースは心得たとばかりに身を屈める。彼の足を踏み台にして背に跨り、ダリウスはバネッサに手を伸ばした。
彼女もダリウスの方に手を伸ばしかけ、動きを止めた。
「あの、ダリウス様、帰る前にみんなに挨拶していい?」
「ああ、もちろんだとも。皆喜ぶだろう」
セイブルワースも頷いている。それでもダリウスが転げ落ちないように身を屈めた中途半端な体勢でいてくれているのだから、友情とはありがたいものである。
バネッサは広場に向き直り、群衆を見渡した。声が次第に収まり、皆の眼差しが熱を帯びていく。視線の向かう先、バネッサは背筋を伸ばして凛と立っていた。小柄な体ながら強い存在感がある。威厳と同時に清廉さと慈愛を漂わせる彼女の雰囲気は、高位の神官のそれに似ていた。ダリウスは彼女が聖女だったことを思い出した。
(バネッサ殿はめちゃくちゃな聖女ではあるけど、こうして見るとたしかに聖女なのだな)
感心するダリウスの前で、バネッサは威厳ある聖女に相応しい声を発した。
「王都の皆さん。私は聖女バネッサです」
小鳥の声がそうであるように、彼女の声は遠くまでよく響いた。可憐な優しい声が聴衆の頭上を渡っていく。それは柔らかな風のようでありながら、広場の隅にいる人の耳にまで届いた。
「私はこういう場所で喋るのはあまり得意ではないです。黒北の出身なので、こんなにたくさんの人を見るのも初めてです。だから、緊張しています。でも、それでも皆さんに伝えたかった。皆さんが元気になってよかった!……ここにいる人だけじゃなくて、国中のみんなが、元気になってよかったです! これから、荒れた国を立て直すっていう大仕事が待ってます。だけど大丈夫! 私も、私の他の聖女たちも、皆さんと一緒に働きます! 精一杯! だから、みんなで頑張りましょうね!」
物慣れないふうの聖女バネッサの言葉。この場にそぐわない直裁的なそれは、聞く者の心にすんなりと浸透した。
彼女の声の残響を掻き消すように、聴衆から歓声が湧き上がった。先ほどの比ではない。今日一番の歓喜の声だ。
バネッサは嬉しそうに皆に向けて手を振り、ダリウスの再び差し出した手を取った。軽やかな動作で彼女がダリウスの後ろに跨ったのを確認して、セイブルワースが舞台の床を蹴る。
まるで重さを感じさせない滑らかさで、巨大なセイブルワースの体が宙に浮いた。途端にその背中からバネッサが転がり落ちた。
ダリウスが「危ない!」と言う間もなくコロッと落ちてズシャッ! 見事な落下で舞台の上に逆戻りだ。群衆から悲鳴が上がった。
「バネッサ!!!」
「バネッサ殿!」
ダリウスはセイブルワースの背から飛び降り彼女を抱き起こそうとしたが、それよりも早くセイブルワースが動く。秒で着地して長い首を伸ばしてバネッサの衣を咥え、器用に自分の背に放り投げた。
「えぇい、バネッサ! 大きく逞しくなれ! その姿も悪くはないが非力すぎる!」
「私が前に乗ってダリウス様が支えてくれれば落ちなかったと思うんだけどねぇ」
けっこうな高さからの落下だったのだけど、バネッサはどこも痛めた様子もなく呑気に応えている。彼女は華奢に見える本来の姿でも頑丈なのだ。セイブルもそれをわかっているのか、怪我の心配は欠片もしていなかった。
「バカを言うな! バネッサは後ろに座らねばならん! ダリウスが支える、だと? それでは背後からそなたを抱きすくめるようなものではないか! 我の背中でそんなことをされてたまるか! いや、どこであっても駄目だ! いくら友であっても許さん!」
「もう、セイブルくんったら!」
嫉妬丸出しのセイブルワースの背中で、バネッサ笑い声が弾けた。
一瞬の輝きののちには筋骨隆々の筋肉聖女が現れる。逞しい両脚でセイブルワースの背中を挟み込み、ちょっとやそっとでは揺らぎもしなさそうな安定感で彼に跨っている。
「んじゃ、帰りましょ! ダリウス様!」
舞台上を見守っていた人々から歓声が上がった。何に対する歓声なのかいまいちわからないが、ダリウスは差し出されたバネッサの手を取った。
彼女に軽々と引き上げられて難なくセイブルワースの背、バネッサの前にストンと座る。彼女の体温と柔らかな香りを背後から感じる。
(これでは私がバネッサ殿に背中から抱えられているように見えると思うのだけど……セイブルは気にしないのかな? あぁ、気にしないのか……)
セイブルワースはチラリと背後を見やってから、満足気に頷いている。彼としてはこれで良いらしい。竜と人との感覚の違いなのだろう。斯くも差異があるのでは、これから先、王宮で暮らすにも様々な行き違いがあるのだろうな、とダリウスは思いを馳せて笑った。
(それはなかなか楽しそうだな)
人々の歓声に見送られながら、セイブルワースは今度こそ王宮へと飛び立った。
さて。王宮の中庭に再び戻ったダリウスたち一行は、王宮の人々の拍手をもって迎えられた。ダリウスに笑みを向ける両親と兄、各大臣と文官、武官がそろい踏みだ。手の空いている使用人たちも、中庭に面した窓から顔を覗かせている。みんな笑顔だ。
「パレードの時みたいだね」
とはバネッサの弁。
彼女は今日、まさにそれを経験していたので思い出したのだろう。良い笑顔を浮かべている。
セイブルワースは若干胸を反らし気味にして中庭に降り立った。彼が威厳ある姿を演出してくれたおかげでダリウスは背中の上でバランスを崩しかけたが、バネッサが難なく支えてくれたので問題なかった。頼もしい聖女である。
彼らが街へ行く前に、バネッサとセイブルワースがしばらく王宮に滞在する話は決まっていた。
もともと王宮に滞在させるつもりでいたバネッサはともかく、セイブルワースは予定外で規格外だ。今、王宮が忙しない雰囲気なのは、彼の滞在のための準備を整えているためだろう。
「帰還早々にすまないが、竜殿。貴方を受け入れられる館ができるまで、この中庭で過ごしてもらえないだろうか」
非常に気まずそうな顔で国王が言う。
彼がチラリと投げた視線の先には、木材やレンガが運び込まれている。その側で大きな紙を広げた官吏たちが、何やら作業していた。
「父上、あの場所を測量しているということは、あそこに館を……?」
ちょっと小さ過ぎやしまいか? と思いながら地面に降り立ったダリウスが問うと、父はブンブンと首を振って「滅相もない!」と否定した。
「あれは仮の小屋、いや、住処……寝床? 何と呼ぶのかはまあ、あとで考えるとして、とにかく竜殿が夜露を凌ぐための仮の建物だ。王宮に滞在してもらうのに、大切な客人、じゃない、客竜……? を、野晒しになどするわけにはいかんからな」
ダリウスとバネッサの縁談はなくなったということは、王家と神殿が持つ権威の偏りの問題がまた浮上するはずなのだが。
『王子が伝説の竜と友達になった』事は『王子が聖女と結婚する』事に匹敵するものだとの判断が成された。それは王都の民の反応から見ても間違いではないだろう。
カイル王国は、国の威信をかけてセイブルワースを饗さなければならないのだ。
セイブルワースは慌ただしく立ち動く官吏たちをジッと見ながら、フンッと不満げに鼻息を漏らした。
「カイルの王よ。あそこにはバネッサも一緒に入るのか?」
「え? 聖女バネッサを、あそこに? あ、いやいや。彼女には王宮内に部屋を用意するので、そちらで過ごしてもらうつもりだ」
王は少しだけ嘘をついた。
バネッサの部屋を用意するのではなくて、もうしてあるのだ。それを言ったらセイブルワースの逆鱗を刺激するかもしれないと、彼は直感した。国王に相応しい咄嗟の判断力だ。
だけどそれは、あまり意味がなかったようだ。セイブルワースの全身から怒りの覇気が立ち昇る。
周囲の人々は慄いた。小さく悲鳴を漏らす者、後ずさる者や身動きできなくなる者。
セイブルワースは様々な反応で生き物の本能的な恐怖を表す人々をギロリと睥睨した。
「バネッサがいないのならば、我はそんなものには入らぬ! せっかくバネッサの側にいるのになぜ我は王宮内にいてはならぬのだ?!」
「セイブル、落ち着いてくれ。君の体の大きさではいろいろと不都合があるだろう? 中に入るだけならば、出入り口は限定されるが問題ないよ。廊下も通れるだろう。だが室内となると、セイブルはきっと身動きする度に何かを壊してしまうことになる」
ダリウスはセイブルワースの放つ覇気に、いい加減慣れてしまった。心拍数は上がるが、ほぼ平常運転のダリウスである。
彼の指摘にバネッサもうんうんと頷いて「そうだねぇ、絶対に壊すねぇ」などと呑気な相槌を打っている。
「なんだ、それが問題なのか?」
セイブルはキョトンとして目を瞬かせ、首を傾げた。
覇気の圧力が唐突におさまったので、膝が砕けてその場に座り込む者が続出した。
「問題大ありだな。窓を割られたら防犯上よろしくないし、壺も花瓶も割るには惜しい物ばかりだから」
「ならば我が人の大きさになれば良いだろう」
「いや、それができるのだったら、人よりも小さくなってもらわないと尻尾や羽が……」
持ち主の意思に反して悪さをする、と続けたかったダリウスは声を途切らせた。
セイブルワースの体が、突然光を放ったのだ。
「あっ、変身魔法! セイブルくんも使えるんだ?!」
仲間を見つけた、とでも言わんばかりに拳を握りながらバネッサが歓喜混じりの声を上げると、聞き覚えのない涼やかな美声が答えた。
「あたりまえだ。竜を見縊ってもらっては困る」
光が消えたあと、セイブルワースは人に姿を変えていた。
銀の髪に青い瞳の、声と同じく涼やかな美貌の男性に。
他の中庭にいる人々と同様、ダリウスは目を丸くして彼の姿を凝視した。
長身で、細身でありながら筋肉質。ちなみにちゃんと服も着ている。神官服をシンプルにしたような白い服は、きっと彼の友人だった古代人たちの装束なのだろう。
(まさか、そう来るとは思わなかったな。……いや、彼は大昔には人と交流があったと言っていたのだから、予想はしておくべきだったか。いくら古代人の魔力が豊富だったとしても、竜規格の建物など簡単には作れないだろうし)
セイブルワースが人の姿になれるということは、それだけ彼は人の近くで暮らしていた証左となる。
彼がその頃の人間にどのような目に合わされ、霊山に引きこもることになったのかを、ダリウスは知るつもりはない。
だけど、案外人間好きのこの竜がこの地で楽しく暮らせるように、自分はできるだけ誠実であろうと、ダリウスは誓いを新たにする。
そして、ふと目を横にやって、ようやくバネッサが小刻みに震えていることに気付いた。
「バネッサ殿? どうした? 震えているようだが……」
「………い、よ……」
「は?」
「どうした、バネッサ?! 我のこの姿が怖いのか?!」
様子のおかしいバネッサに、セイブルワースが駆け寄って手を伸ばした。
彼女はその手を大きな手で払い除けた。加減はしただろうが乾いた強い音が響く。払われたその事実に、セイブルワースは泣きそうに顔を歪めた。
「バ、バネッサ……?」
「聞いてないって言ったの!! なんでセイブルくん、そんな美男子になるの!! 美男子過ぎるよ!!」
彼女は顔どころか首元まで真っ赤だった。恥ずかしそうに身を捩って手の平で顔を覆うと、彼女は怒涛のように王宮へ向けて駆け出して、いずこかへと走り去ってしまった。
ダリウスには、それを止めることなどできなかった。そして、おそらくそれができるであろうセイブルワースは、血の気の引いた顔で突っ立っている。
ダリウスはハッとしてセイブルワースの背中を叩いた。
「セイブル! 呆然としている場合じゃないぞ! 追いかけろ!」
「……え、しかし……、いま、我は、……拒絶されて……バネッサ……」
「あれは拒絶ではない! 君が予想外に美しかったから、バネッサ殿は驚いてしまったんだ! たぶん君は彼女の好みのタイプだ! おそらくど真ん中を射貫いたんだ! 彼女は君を異性としてハッキリと意識した! 今追いかけて抱きしめれば彼女はメロメロだ! 行けセイブル!!」
「お、おう!! メロメロだ!!」
ダリウスの叱咤激励を受けてセイブルワースは駆け出した。
呆気に取られてそれを見送る人々と、珍しく大声を出して咳き込むダリウス。そんな中で、母だけは冷静だった。
「駄目よ、ダリウス。竜殿は全然わかっていないわ。乙女心を理解していない男は、確実に神経を逆撫でるわよ。貴方も追いかけてきちんとお役目を果たしなさい。恋愛指南役なのでしょう?」
的確な母の指摘に、ダリウスはガバっと顔を上げ、即座に反応した。
「まさしく、そのとおりです母上!」
言うが早いか彼も駆け出し、残された人々が呆然とそれを見送る。
ブレない王妃は扇を開いて口元を隠し、そっと呟いた。
「まあ、今回は成就しないでしょうけどね。恋を始めた乙女ほど複雑なものはないのだから」
二人の目撃情報を辿りながら、ダリウスは王宮内を走った。
速度超過の二人は時々、角を曲がりきれなかったらしく、ダリウスは行く先々で粉微塵になった壺や一辺を失った絵画の額縁などを目撃した。
(なんてことだ! まるで人の姿をした災害だ! 二人に約束されなければ、これは大変なことになるぞ! 走るの禁止! 絶対に禁止だ!)
目撃情報と破壊痕を追ってダリウスはひた走った。普通の人間である彼は調度品にぶつからなければ曲がれないような速度では走れないので、人に当たることだけ気を付けて走った。
宝物庫に入り込まれたらどうしようか、などと胃の痛い思いもしたが、幸い、二人はそちらへは向かわずに外に飛び出したようだ。窓の外、地面に散らばるガラス片を踏まないように気を付けつつ、窓を乗り越えた彼は王宮の裏庭へと足を下ろした。
裏庭は雑然としていた。
食材が入っていた木箱や樽が積まれ、乾かしている掃除用具などがそこここに立て掛けてある。
ダリウスは普段目にすることのない王宮の裏側で、キョロキョロと頭をめぐらせて目当ての人物を探した。
下働きの者に声をかけたのだが、相手が凝縮してしまって可哀想だったので、なるべく自分で探し出そうと方針を変えたのだ。
そうしてやっと、彼セイブルワースを見つけたのである。
彼は干したシーツの陰に蹲っていた。
均整の取れた長身の背中を小さく丸めていた彼は、ダリウスが近付くとバッと音を立て顔を上げた。
その顔の半分左を真っ赤に腫らしている彼の目から、ポロリと涙の粒が零れ落ちた。
セイブルワースに何があったのかは、一目瞭然だった。
(バネッサ殿……容赦ないな……)
左右対称のはずのセイブルワースの目は、左側だけ細く見えた。頬にはくっきりと指の跡が残っているので、彼女に平手打ちされたのは明白だ。
セイブルワースの顔をまじまじと見つめて、ダリウスは肝を冷やした。これを自分が喰らったら、顎が砕けてしまうに違いない。
「何を言ったんだい? セイブルワース」
「……メロメロになれと、言った……」
「…………そうか。良かった。まだ取り返しがつくよ。番えと言うよりはだいぶマシだからね」
ダリウスは大きなため息をついた。
(そうだった。この竜は、とても素直な竜だった)
ダリウスは彼の頭をポンポンと撫でてやり、小刻みに震えている肩を抱いて彼を立たせた。
セイブルは力なく項垂れて、ダリウスの頭に額を擦り付けながら、蚊の鳴くような声で「殴られたんだ……なんでなんだ……」と呟いている。
「なんでバネッサ殿が怒ったのかは、あとで説明しよう。まずは謝ろう、セイブル。どうやって謝罪したら良いか、一緒に考えよう」
「………うん。頼む、ダリウス」
それよりもまず、セイブルワースの顔を冷やす方が先かな? と考えたダリウスは、最早泣いている竜の肩を抱いたまま、とりあえず井戸に向かって歩き出したのだった。
聖女と竜の恋は、両思いのはずなのに前途多難である。
終わり
お読みいただき、本当にありがとうございます。
よかったら評価の星☆を押してやってください。
この話は随分前から書き始めて、途中がなかなか書き進められずにいたものです。
変だな。筋肉聖女を書きたかっただけなのにな…
思いがけずセイブルが大型犬化してしまったりして、どうしようかと思いました。
書けて良かった。終わって良かった。
そして、読んでいただけて良かった!




