2 外堀は埋めるためにある
聖女は霊山で頑張ってます
霊山にいる聖女バネッサの伝書光は、日に一度は必ず打ち上げられて、事態解決への進捗を知らせてきた。
『まだ時間が必要』
『もうちょっと』
『だいぶいい感じ』
薄紫の光が霊山の中腹に輝くたびに、事態は好転しているようだった。
バネッサのメッセージは神官たちによって読み解かれ、喜びと期待をはらんで各地に伝えられた。
同時に、現地に緊急で派遣された騎士団からも同じ報告が上がってきている。
王国の騎士団にも、神殿と同じく伝書光による連絡網があるのだ。こちらは黄緑色の光だが、明滅によって表される言葉は共通している。もちろん各団体のみが使う専門用語なんかもあるので、お互いに完全に読み取れるわけではないのだけど、問題ない。バネッサの伝書光は読み違えるわけもないほど単純明快だった。
そうして最初の伝書光が霊山に瞬いてから、およそ一ヶ月ほど経過した頃。王城に待ちかねたひとつの報せが舞い込んだ。
『万事解決』
折りよく定例会議中だったので、その場には国王も二人の王子も、各方面の責任者である大臣たちも揃っていた。皆が声を上げて喜びを顕にしたのは言うまでもない。
喜びに沸く会議場に、更に聖女バネッサの伝言が届けられた。なんと、今回の病に効く霊水を、全国民に配りたいというのだ。
霊水。ようは薬だ。それを、全国民に。
誰もが思ってもみない申し出だった。会議室では慌ただしく樽やら馬車やら人員やらの手配が始まった。
これですべてが解決するのだ。この理由のわからない倦怠感ともおさらばだ。皆の顔が希望に輝いていた。
既に動き始めていた神殿側とも連携を取って、大量の樽やら荷馬車やらが霊山の麓に向けて出発したのは次の日の早朝。この短時間で用意できた分だけ。全国民分には当然足りていないが、残りは国内各地からも掻き集め、順次現地に送る予定だ。
払暁間もない時刻だというのに、王都の住人たちが幾重もの層になって荷馬車の隊列を見送った。大きな歓声が朝日に輝く雲を震わせている。
国王一家も王城のバルコニーに立って、荷馬車隊を見送った。
潮が引くように歓声が次第に遠退いていく。それは順調に進む隊列の行く先を知らせてくれていた。
病が流行してからというもの、街の住人たちの声が王宮まで届くことなどなかった。こんなにも人々は喜んでいる。貴族も平民も、皆が気怠さと戦いながら懸命に日々を送っていたのだから無理もない。今や病の平癒は全国民の切願するところなのだ。
ダリウスは目頭を熱くしながら、傍らに立つ兄マリウスに笑顔を向けた。
「皆が喜んでいますね、兄上! 聖女バネッサの功績は途方もなく大きなものです! 盛大に労わねばなりませんね!」
興奮のあまり、つい大きくなった声に兄も両親もダリウスを見た。父母の幼い子供を見るような和やかな眼差しに気付いて、ダリウスは十六歳にしては幼稚な振る舞いだったかと赤面した。
一方、兄は困ったように笑っている。
「ダリウス。おまえは無邪気に喜んでいるようだが、これは少し懸念すべき事態だぞ」
二歳しか違わない兄までも、幼子に言い聞かせるような口調なのにムッとしてダリウスは口を噤んだ。拗ねて唇を尖らせたわけではない。けっして。
「聖女バネッサの功績は疑いようがない。だけどそれこそが問題なんだよ。今回は彼女の……神殿の手柄が大きすぎる。民のあの喜びようを見れば明らかだろう? ここに本人が現れたら担ぎ上げて練り歩かんばかりだ」
「たしかに神殿の功績ではありますが……しかし兄上、彼女の功に比べればささやかながら、私たちもやるべき事をできる限りやりましたよ」
「ダリウスよ。我らのしたことはこの国に暮らす者にとって『あたりまえ』のことなのだ」
兄の言葉を継いで父も苦笑しながらそう指摘した。ダリウスは頭を殴られたかのような衝撃を受けた。
病の原因を調べ、対策を練り、平時と同様に滞りなく行政を回す。
ダリウスたちが苦心して行ったそれらは、農家が畑を耕し商家が商売をするように、あたりまえに行うべきことだった。自分たちは施政者なのだから。
「……そうですね。体調が思わしくなくて、気力を振り絞って動いていたから、私自身はすごいことを成し遂げたような気分になっていましたが、民たちにとっては国の政がきちんと機能しているのは『あたりまえ』のことでしたね……」
「うん、そうなんだ。そして、このまま順調にいけば聖女バネッサがこの奇病を治すことになるだろう。まあ、そうなってもらわねば困るが。……そうなると、神殿の権威が強まるのではないか、とマリウスは言っているわけだ」
そう言いながら視線を向けた父に、兄は頷いて肯定を示した。
「これ以上はここで話すべきことではないように思います、父上。母上も、場所を変えてお話しましょう」
兄はお茶会に誘うような気軽な口調で家族を促した。
これから何の話をするにせよ、それはきっと余計な耳目は避けるべき事柄だ。ダリウスもさすがにそれは察した。少なくとも前庭に面したバルコニーで大っぴらに口にすることではないだろう。
王族一家は談話室に移動した。先日、聖女バネッサが霊山から最初の通信光を打ち上げたと報告を受けた場所だ。
お茶の用意もそこそこに人払いをして、一家四人で頭を突き合わせるようにして話し合う。
兄は霊山からの最初の報告の直後、現地に人を遣って情報収集をしていたそうだ。さすが次期国王である。
この部屋でダリウスと一緒に頭を抱えていた父は事後報告を受けたそうだ。父は心得顔で「気が付いた者がやればいいんだ」と嘯いた。
それはともかく、兄の調査によれば、バネッサは出身地である黒北の森近辺では絶大な人気を誇っているらしい。その彼女が独自の判断で病の原因究明に乗り出したのだから、その噂はあっという間に広がったのだそうだ。
「だから王命によって聖女バネッサを派遣した、という体もいまさら取れない。完全に後手に回ってしまった……。理想としては、人の代表である国王と神の理の指導者である神官長とが協力して国を平和に導くのが一番良い。王侯貴族と神殿の力は均等であるべきで、どちらが突出してもいけない」
父の語る心得は、カイル王国の上に立つ者にとって金言ともいうべきものだった。現に建国から今日まで、王と神殿は干渉しすぎない立場を保ちながら、そうやって国を発展させてきたのだ。
それが今、崩れようとしている。
(聖女バネッサに褒美を、なんて呑気に考えていた自分が恥ずかしくなるな、これは。謎の病を退けたとしても残る火種だ……)
ダリウスは自分の見解の甘さに恥じ入る思いだった。だけど、と考える。だからといって、バネッサの功績は間違いはなく、その労には報いるべきだ。そうでなければ国民は納得しないだろう。
ダリウスがそう指摘すると父母も兄も大きく同意した。
同意した上で、母がいたずらっぽくうふふと笑ったので、ダリウスはなんとなく嫌な予感を覚えた。母の視線が真っすぐダリウスに向けられている。
「実はけっこう簡単に問題が解決できるのだけど、ダリウスはそれを聞く気はあるかしら?」
「なんですか、母上。何か悪巧みをしているような笑顔で不安になりますが……私にできることがあるんですか?」
及び腰で受けて立つダリウスに、母はもう一度うふふと笑ってみせた。ちなみに、母もダリウスたちと同じく常に倦怠感を覚えているらしいが、彼女は淑女の矜持とやらで周囲にそれを気取らせずに過ごしている。
以前と変わらず朗らかに穏やかに笑う母を見て、淑女とは斯も胆力のあるものなのかと、ダリウスは畏怖の念を抱いている。
「聖女バネッサにはご褒美が必要よね? そして国王と神殿とは対等であらねばならないわね? 双方を解決できる簡単な方法があるのよ」
「…………それは、まさか……私と?」
「そう! 貴方が彼女と結婚するの!」
「やっぱりそれですか!」
兄マリウスには幼い頃からの婚約者がいるが、ダリウスにはいなかった。
国内には急いで縁を結んでおかなければならないような家もなかったし、この先の外交でもしかしたら国外の王家と縁続きになる必要があるかもしれないから、といった理由で彼の婚約者の座は今日まで空いたままだった。
もっとも、いずれ気に入った娘がいたら前向きに相談に乗ると両親に言われているので、その理由もあって無いようなものなのかもしれない。
ダリウスには現在、意中の女性はいない。できれば本が好きで穏やかに笑う物静かな人が良いと考えているが、あいにくそんな女性には出会えていなかった。
だから、聖女バネッサが望むのならば自分の妃として迎えても良いと思いはするのだけど……母の言いようは、ほとんど強制ではないのだろうか。
「母上のおっしゃることはわかりますし、必要があれば私も彼女を迎え入れます。でも、まずは聖女バネッサの意志を確認しなければならないのでは? 私たちがここで勝手に決めてしまって、もしも彼女に想い人がいたとしたら……はっきり言って迷惑でしょう? ご褒美どころか災難でしかないですよ。命懸けで頑張ったのに罰ゲームをくらうようなものです」
「あら。私の自慢の息子が罰ゲームに値するわけがないわ。なかなかの本の虫ではあるけれど、そのぶん話題も豊富で歳の割には気遣いもできる。性格は穏やかで優しくて責任感があるし、頭の回転も悪くない。容姿も陛下に似て整っているわ。豊かな領地も持っているし。安心して。貴方は優良物件よ。各家の令嬢が目に留まろうと躍起になっているくらいなのだから、皆が羨ましがる結婚相手だわ」
「私が優良物件であろうとなかろうと、それは関係ないでしょう! 本人の意思が重要だと言っているのです!」
「あらあら。それこそ関係ないわ。国を滞りなく動かす上で必要なのだから。バネッサが断るのならば、神殿からも貴方を押してもらえばいいのよ。あちらだって力の均衡を乱すのは本意ではないはずよ。バネッサが現時点で他国の王族にでも見初められていない限り、彼女は王家で囲います」
「囲うって……! それではまるで虜囚ではないですか。せっかく頑張ったのに可哀想です……」
「王家に嫁ぐというのに、虜囚だなんて人聞きの悪いことを。その発言は歴代の妃たちを愚弄しているのと同じですよ。口を慎みなさい。敵の只中に飛び込むわけでもあるまいし。バネッサを思うのならば、ダリウスが可哀想ではなくしてあげればいいではないの。貴方には彼女を幸せにしてあげる自信がないのかしら?」
国王と王妃は生まれたときから伴侶となることが定められていた、まさしく政略で結ばれた夫婦だ。
物心付く頃から脇目も振らずに父だけを見ていた王妃には、自由な恋愛というものが理解できないのだろう。きっと誰もが上の立場の人から「この相手と結婚しなさい」と言われれば、すんなり受け入れるものだと思っているのだ。
一方のダリウス。政略結婚の重要性も理解しているし命じられれば従う覚悟もできてはいるが、平民階級や一部の貴族がするような自由な恋愛による結婚にも少し憧れている。
少しというかだいぶロマンを感じている。運命の相手に出会えるなんて、まるで恋愛小説のようだ。運命の相手、尊い。本の虫のダリウスは、本の登場人物に淡い恋心を抱いたことはあれど、実生活においての恋愛経験はない。けれど人を恋うる気持ちは崇高なものだと思っていた。だからこそ、相手の意思は尊重したいと考えているのだ。
そんな二人の論争は平行線をたどるようだった。結婚に対する考え方が全く違うのだから交わるはずもない。
早いうちからそれに気付いていたダリウスは、チラチラと視線を投げて父と兄に助けを求めていた。
兄は母を見てから小さく首を振った。動いた唇の、声に出さない言葉は「諦めろ、最善策だ」だ。その後は見守りの姿勢に入ってしまった。これは頼りにならない。
父はダリウスの救援要請に目を閉じて腕組みをしている。熟考の構えだ。家族内ではともかくとして、国政として判断する上では、王妃の言よりも王のそれの方が重いのだ。ダリウスは父が自分の意見に賛同してくれることに期待した。
やがて父は腕組みを解いて眼を開いた。そこには施政者の強い意志の光があった。
「…………バネッサの外堀を埋めよう」
「はっ?」
「ガッチリと外堀を埋めて、聖女バネッサの退路を断つ! 断れないくらい強固に埋めてしまおう! それが最善の道だ!」
初恋の相手は王妃だと公言する国王である。想いの強さから母の心を捕らえて離さなかった父は、可能であれば母の言を聞き入れるのだ。ダリウスのわずかな期待は打ち砕かれるべくして打ち砕かれ、一蹴された。母はパチンと手を叩いて「決まりね!」と笑っている。
ダリウスは脱力しそうになる身体を奮い立てて、なおも反対意見を言い募ろうとしたけれど、「ならば代替案があるのか?」「他の方法があるのならば聞こうじゃないか」「無いなら彼女を幸せにする覚悟を決めなさい」と畳み掛けられて口を開けなくなってしまった。
長年国政に携わってきた国王夫妻と政治的な判断力の優れた兄が「これ以上の策はない」と断言しているのだ。頭でっかちの理想論者がろくな献策などできるはずもなかった。
「では早速、神官長と協議して外堀を埋めようか」
国王の一声で神官長との話し合いが決まり、その日のうちに会談が成された。
ダリウスは神官長が国を牛耳りたい野心家であることを密かに願ったが、彼の良い感じに枯れた言動を思い出して、やめた。
あの善良で高潔な老人は野心と対極にある人だ。聖職者に対してそんな事を願うなんて、神への冒涜だ。
ダリウスが神に謝罪しているうちに、彼と聖女バネッサの結婚が決まってしまった。
樽を載せた荷馬車の隊列が王都を立った翌朝。もう既に街には噂が流れていた。
第二王子ダリウスと聖女バネッサが婚約するらしい、という噂だ。
人々は、ダリウスが調査隊を率いて国内外の各地を飛び回っていたことをちゃんと知っていた。それに関する噂も流れている。
まずダリウスが動いた。だから霊山に病の原因があることが判明した。バネッサはその調査結果を受けて霊山に登ったのだ。
そんな事実に基づく噂。婚約の噂ほどの熱意はこもっていないものの、確実に人々の口から口へと伝わっていった。
延々と続く湿地帯を、時に腰まで水に浸かりながら皆を鼓舞して先を進む王子。
豪雨に流れた橋を、村人と共に掛け直してくれた王子。
野営の折には狼の群れに取り囲まれ、夜通しの激闘の末に撃退し、朝日を仰ぎながら「空けない夜はないのだ。朝日は必ずやって来てすべてを照らしてくれる。この国の苦難にもきっと終わりがある。希望を捨てるな」と笑った王子。
事実に基づいてはいるが針小棒大である。ダリウスの旅路がやけにドラマチックに脚色されている。本人が「誰、それ?」と思わず突っ込みを入れるくらい格好付けた台詞を吐いたことになっている。
だけどそれは世間にとって些末事だった。噂とは、人の興味を惹かなければ広がることはないのだ。ダリウス本人がどう思おうと、彼の旅路は冒険譚として人々に語られた。
二つの噂は人々に好意をもって迎えられ、静かな感謝と歓喜に彩られてに各地に広がっていった。
お読みいただきありがとうございます!




