第4話ン「初めての旅路、そしてその先へ」
ランディアの門の前に、柔らかな朝の風が吹いていた。
草の匂い。
土の匂い。
遠くで鳴く小鳥の声。
いつもと同じはずの朝なのに、今日だけは全部が違って見えた。
キャリー・シェルトランドは、門の外へと続く街道を見つめる。
胸が苦しいくらいに高鳴っていた。
――ついに。
――ついに、この日が来た。
小さな手が、ぎゅっと握られる。
隣を見ると、フィーネが優しく笑っていた。
灰色の長い髪が朝日に透け、青い瞳がきらきらと輝いている。
五年前。
森で迷子になって泣いていた自分を助けてくれた、大好きなお姉ちゃん。
憧れの人。
ずっと、ずっと追いかけてきた背中。
その手を、今こうして握っている。
キャリーは思わず力を込めた。
離れないように。
夢じゃないと確かめるように。
フィーネは少し驚いたあと、ふわりと笑った。
「キャリーちゃん、やっと一緒に旅に出られるね」
その声だけで、胸がいっぱいになる。
キャリーは何度も頷いた。
「うん……うんっ。わたし、すごく待ってた」
声が少し震えてしまう。
五年。
長かった。
みんなで笑った日も。
剣を振って泣きそうになった日も。
魔法がうまく使えなくて悔しかった夜も。
全部、全部。
この日のためだった。
フィーネはそんなキャリーを見つめ、少し目を細めた。
「あんなに小さかったのにね」
ぽん、と優しく頭を撫でられる。
まだらの髪が指に梳かれる感触。
キャリーは嬉しくて、泣きそうになる。
五年前と同じ。
でも、違う。
あの頃は守られるだけだった。
今は、一緒に歩いていける。
そのことが、何より嬉しかった。
門の前には、ローラとジンの姿もあった。
ローラは何度もキャリーの荷物を確認している。
「ハンカチ持った? お薬は? 魔法書は?」
「持ったよぉ、お母さん」
「本当に?」
「ほんと!」
キャリーが頬を膨らませると、ローラは困ったように笑った。
その笑顔の奥に、不安が滲んでいることをキャリーは知っていた。
ずっと見てきたから。
五年間。
母は、ずっと応援してくれた。
危ないからやめなさい、なんて一度も言わなかった。
手に豆を作っても。
泥だらけになって帰ってきても。
泣きそうな顔で魔法書を読んでいても。
いつも「頑張ってるわね」と笑ってくれた。
だからキャリーも、笑顔を返す。
安心してもらいたかった。
ローラはそっとキャリーの頬に触れた。
「ちゃんと帰って来るのよ」
その言葉に、胸が熱くなる。
キャリーは大きく頷いた。
「うん! 行ってきます!」
その声は、昔より少しだけ大人びていた。
ジンは腕組みをしたまま豪快に笑う。
「はっはっは! 心配すんなローラ! 俺が鍛えたんだぞ!」
「そこが心配なのよ」
「なんだとぉ!?」
すぐに始まるいつものやり取り。
キャリーは思わず吹き出した。
ジンはしゃがみ込み、キャリーの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「いいか、キャリー。剣も魔法も大事だが、一番大事なのはちゃんと帰ってくることだ」
「うん!」
「無茶しすぎるな」
「うん!」
「あと腹減ったらちゃんと食え」
「それはいつも食べてる!」
「はっはっは!」
大きな笑い声が朝空に響く。
その笑顔を見ながら、キャリーは胸の奥がじんわり温かくなるのを感じていた。
ジンおじさん。
ありがとう。
五年間、ずっと。
厳しくて、でも優しくて。
泣きそうな時も支えてくれた。
だから今、自分はここに立っている。
キャリーは深く頭を下げた。
「行ってきます、ジンおじさん!」
ジンは一瞬だけ目を丸くし、それから豪快に笑った。
「おう! 行ってこい、未来の冒険者!」
その言葉を背中に、キャリーはついに門の外へ足を踏み出した。
一歩。
また一歩。
石畳から土の街道へ変わる感触。
風が吹く。
まだらの髪がふわりと揺れた。
まるで世界そのものが祝福してくれているみたいだった。
キャリーはフィーネの手をぎゅっと握る。
絶対離れない。
二度と離さない。
もう迷子にもならない。
今度は、自分の意志で進むんだ。
街道を進み、馬車乗り場へ向かう。
キャリーはきょろきょろと辺りを見回していた。
見慣れた景色のはずなのに、全部が特別に見える。
「そんなに嬉しいか?」
ミッツーが笑いながら尋ねる。
キャリーは勢いよく頷いた。
「だって! フィーネお姉ちゃんと旅だもん!」
その言葉に、ミッツーは目を細めた。
その顔はどこか父親のようだった。
フィーネを育て、見守り、そして今また、新しい誰かの成長を見守っている。
「そうだな」
ただそれだけ。
でも、とても温かい声だった。
夕方。
エルミアへ到着した。
村の入り口では、レティシアが大きく手を振っていた。
「キャリーちゃん! 久しぶり!」
「レティシアお姉ちゃん!」
キャリーは駆け出した。
抱きつく。
レティシアも嬉しそうに抱き返してくれる。
「ついに旅立ちだね!」
「うんっ!」
レティシアもまた、この旅をずっと待っていた一人だった。
笑顔が止まらない。
その夜は本当に賑やかだった。
ローラの作ってくれたお菓子の話。
ランディアの街の話。
レティシアの旅先の話。
ドラゴン便の話。
キャリーは目を輝かせながら全部聞いた。
もっと知りたい。
もっと旅したい。
もっと遠くへ行きたい。
夜が更け。
ランプの灯りが揺れる中。
話は尽きない。
翌日。
朝食をみんなで囲む。その時。
ミッツーが静かに口を開いた。
「……俺、冒険者を引退しようと思う」
一瞬、空気が静まった。
キャリーは目を瞬かせる。
ミッツーは穏やかに笑っていた。
「フィーネももうすぐ二十三歳だ。剣も魔法も十分すぎるほど強くなった」
フィーネは静かにミッツーを見る。
その横顔は少し寂しそうだった。
「だから、これからは――」
ミッツーは三人を見渡した。
フィーネ。
レティシア。
そしてキャリー。
「お前たち三人……いや、ルナもいるから四人で、新しい旅をしてみたらどうだ?」
その瞬間。
キャリーの心が跳ね上がった。
ついに。
ついに。
本当の旅だ。
夢だった未来。
フィーネお姉ちゃんと旅をする。
あの日、眠れない夜に願った夢。
五年間、追いかけ続けた背中。
全部が繋がった。
レティシアが勢いよく立ち上がった。
「行きたい! 行きたいです!」
目を輝かせながら、両手を握りしめる。
「ずっと、ずっとフィーネと旅したかったんです!」
キャリーは椅子の上で飛び跳ねた。
「わたしも! わたしも行く! フィーネお姉ちゃんと一緒に!」
キャリーは思わずフィーネを見る。
フィーネは驚いたあと、ゆっくり笑った。
「……うん。キャリーちゃんと、レティシアとなら行きたい」
その言葉だけで、胸がいっぱいになる。
レティシアも嬉しそうに笑う。
「やっと一緒に旅できるんだね!」
キャリーはもう抑えきれなかった。
「やったぁぁ!!」
思わず立ち上がる。
涙が出そうだった。
ジンおじさん。
お母さん。
ありがとう。
頑張ってよかった。
本当に、頑張ってよかった。
窓から風が吹き込む。
優しく。
力強く。
まだらの髪を揺らしていく。
まるでキャリーの旅立ちを祝福するように。




