第3話ン「夢の第一歩」
『近々、会いに行くね!
今度は父さんの故郷、エルミアへ一緒に行ってみない?』
手紙を読み終えた瞬間。
キャリーの耳がぴんっと立った。
「行く!! 絶対行く!!」
思わず手紙へ向かって叫ぶ。
その声が部屋いっぱいに響いた。
胸がどきどきする。
息が苦しいくらい嬉しい。
手紙を抱きしめたまま、その場でくるくる回った。
「お姉ちゃんと……旅……!」
“旅”。
その言葉だけで胸の奥が熱くなる。
もちろん、まだ本当の冒険じゃない。
でも。
でも――。
ついに。
ついに、フィーネお姉ちゃんと一緒に街の外へ行ける。
キャリーの瞳は、これまでにないほど輝いていた。
「待って! 待って待って待って!!」
誰に言うでもなく叫びながら、部屋を飛び出す。
気づけば、街の門まで走って来ていた。
ランディアの入り口。
何度も見てきた大きな門。
でも今日は、まるで違って見えた。
キャリーは門の向こうを見つめる。
その先には街道が続いている。
森を越え。
丘を越え。
知らない景色へ続く道。
キャリーは、まだここを両親としか通ったことがない。
小さな買い出し。
近くの村。
短い移動だけ。
でも今度は違う。
フィーネお姉ちゃんと一緒。
旅人として。
冒険者として。
風が吹いた。
まだら色の髪が揺れる。
いつもと同じ風のはずなのに、今日はまるで違って感じられた。
遠くの匂いがした。
知らない景色の匂い。
キャリーは胸の前でぎゅっと拳を握る。
「……もうすぐなんだ」
夢みたいだった。
⸻
それから数日。
キャリーは、そわそわしっぱなしだった。
朝起きては窓を見る。
昼も外を見る。
夕方も門を見に行く。
落ち着かない。
待ちきれない。
夜、寝台へ入っても眠れなかった。
「まだかなぁ……」
ごろん。
「あと何回寝たらかなぁ……」
ごろん。
毛布へ顔を埋める。
すると母親のローラが、くすっと笑った。
「楽しみなのね」
「だってぇ……!」
キャリーは勢いよく起き上がる。
「お姉ちゃんと旅だよ!?」
“旅”の部分だけ声が大きかった。
ローラは優しく笑う。
でもその笑顔の奥には、ほんの少しだけ寂しさもあった。
小さかった娘が、少しずつ自分の知らない世界へ歩き始めている。
嬉しい。
でも心配。
その両方が、胸の中で静かに揺れていた。
⸻
そして。
フィーネとミッツーがやって来る日。
キャリーは朝早くから門の前にいた。
まだ朝露の残る時間。
木剣を振る。
ぶんっ。
ぶんっ。
風を切る音が響く。
少し疲れたら、今度は魔法書を開く。
詠唱を確認する。
でも集中なんてできなかった。
ちらっ。
ちらっ。
何度も街道を見る。
「まだかな……」
落ち着かない。
お腹が空くのも忘れていた。
何度会っても、会いたい。
まだまだ会いたい。
胸がどきどきする。
早く。
早く来て。
そして――。
遠くの街道に、二つの影が見えた。
夕日に照らされ、長く影を伸ばしながら歩いてくる。
灰色の髪。
揺れる耳。
隣を歩く大きな人影。
キャリーの心臓が跳ねた。
「お姉ちゃん!!」
駆け出す。
今までで、一番速く。
五年間。
走って。
転んで。
鍛えて。
泣きそうになりながら積み重ねた足。
その全部で、地面を蹴った。
「キャリーちゃーん!」
フィーネも手を振る。
その笑顔を見た瞬間、胸の奥が熱くなった。
キャリーはそのまま飛び込む。
「お姉ちゃーーーん!!」
ぎゅううっと抱きつく。
フィーネは笑いながら受け止めた。
「わぁっ!」
柔らかい。
温かい。
懐かしい匂い。
「キャリーちゃん、また大きくなったねぇ」
優しく、まだらの髪を撫でてくれる。
その瞬間。
嬉しさが一気に溢れた。
「……っ」
涙が滲む。
何度会っても嬉しい。
このために頑張ってきた。
毎日走った。
木剣を振った。
魔法を覚えた。
全部。
全部。
この瞬間のために。
そして――。
これからのために。
フィーネは少し驚いた顔をする。
「えっ!? 泣いてる!?」
「ち、ちがうもん……!」
「ふふっ」
ミッツーが優しく笑った。
「会いたかったんだよな」
キャリーは真っ赤になりながら頷く。
「……うん」
⸻
ひとしきり再会を喜ぶと、キャリーは二人の手を引っ張った。
「早く早く!」
「わっ、待って待って!」
「お母さんたちも待ってるよ!!」
嬉しくて仕方ない。
足が自然と速くなる。
その後ろ姿を見ながら、ミッツーは少し目を細めた。
「大きくなったなぁ」
「あの小さかったキャリーちゃんがねぇ」
フィーネも嬉しそうに笑う。
⸻
家へ着くと、ローラが温かく迎えてくれた。
「いらっしゃい」
テーブルには料理が並んでいる。
焼きたてのパン。
スープ。
肉料理。
野菜。
どれも優しい香りがした。
「わぁぁ……!」
フィーネの耳がぴくぴく動く。
「おいしそー!」
「いっぱい食べてね」
ローラは笑った。
その光景を見ながら、キャリーの父も穏やかに頷く。
この二人が来ると、家の空気がさらに明るくなる。
まるで家族が増えたみたいに。
食事をしながら、旅の話で盛り上がる。
キャリーは目を輝かせながら聞いていた。
知らない街。
知らない景色。
知らない空。
全部が宝物みたいだった。
そして。
ミッツーが静かに話し始める。
「今回は、エルミアへ一緒に行ってみないか?」
一瞬。
空気が止まった。
キャリーの耳がぴくりと動く。
「……!」
ローラたちは顔を見合わせた。
もちろん不安はある。
まだ十二歳。
危険だってある。
でも。
目の前にいるのは、フィーネとミッツーだ。
この五年、ずっとキャリーを見守ってくれた二人。
そして何より。
キャリー自身が、本気で頑張ってきた。
ローラは娘を見る。
期待で輝く瞳。
夢を見つめる顔。
小さかった娘が、今、自分の足で未来へ進もうとしている。
ローラは静かに微笑んだ。
「……お願いします」
その瞬間。
「やったぁぁぁぁぁ!!!」
キャリーが爆発した。
椅子から飛び上がる。
「ついに!! ついに!!」
耳も尻尾もぶんぶん揺れている。
フィーネは笑い転げた。
「そんな喜ぶ!?」
「だってぇぇぇ!!」
キャリーはもう止まらない。
ついに来た。
この日が。
まだ本当の旅立ちじゃない。
でも。
フィーネお姉ちゃんと街を出る。
それだけで、胸がいっぱいだった。
⸻
その夜。
キャリーとフィーネは同じ部屋で眠っていた。
「えへへ……」
寝ながらキャリーが笑う。
「お姉ちゃん……いっしょに……」
寝言だった。
フィーネは思わず吹き出す。
「ふふっ……」
本当に楽しみなんだ。
その寝顔を見ていると、胸がじんわり温かくなった。
そっと、まだらの髪を撫でる。
「一緒に行こうね、キャリーちゃん」
小さく呟いた。
⸻
別の部屋では。
ローラ、ミッツー、ジンが話していた。
ランプの灯りが静かに揺れている。
「キャリーも逞しくなったなぁ」
ジンが腕を組みながら笑う。
「あいつなら大丈夫だ」
その声には自信があった。
五年間。
自分が鍛えた。
泣きそうになっても立ち上がった。
逃げなかった。
努力し続けた。
その姿を、ずっと見てきた。
「フィーネと一緒なら問題ねぇ」
ジンは太鼓判を押す。
ミッツーも静かに頷いた。
「俺もそう思ってる」
そして、少し間を置いて言う。
「……俺は、そろそろ引退を考えてる」
ローラが目を丸くした。
ミッツーは静かに続ける。
フィーネ。
レティシア。
そしてキャリー。
次の旅を、次の世代へ託したいこと。
ローラは静かに聞いていた。
胸の奥が少し苦しくなる。
娘が旅へ出ていく未来。
それが、少しずつ現実になっていく。
でも。
この五年間。
キャリーは本当に頑張った。
泣きながらでも、立ち上がってきた。
そして。
フィーネのことも信じている。
あの優しい少女なら、きっとキャリーを守ってくれる。
ローラは小さく息を吐いた。
「……大丈夫」
まるで、自分へ言い聞かせるように。
⸻
翌朝。
空はよく晴れていた。
出発の日。
荷物を背負ったキャリーが、何度も何度も振り返る。
嬉しい。
でも少し緊張する。
そんな娘を見ながら、ローラはまだらの髪を整えた。
優しく。
丁寧に。
「ちゃんと帰って来るのよ」
その声は少し震えていた。
キャリーは真っ直ぐ頷く。
「うん!」
その返事は、五年前よりずっと頼もしかった。
ローラは微笑む。
不安は消えない。
でも。
信じよう。
この子を。
そして――。
この旅を。
「いってらっしゃい、キャリー」
「いってきます!」




