第2話ン「厳しく楽しい特訓」
「わたしを冒険者にして!!」
鍛冶屋の中に、キャリーの元気な声が響き渡った。
かん、かん、と鳴っていた鉄を打つ音が止まる。
店の奥から現れた大男――ジンは、しばらくぽかんと口を開けたままキャリーを見つめていた。
右が薄茶色、左が黒のまだら髪。
小さな犬耳。
きらきらと輝く瞳。
小さな少女が、胸を張って自分を見上げている。
数秒の沈黙。
そして次の瞬間。
「ぶははははははっ!!」
鍛冶屋が揺れるほどの大笑いが響いた。
キャリーはぴくりとも動かない。
真剣な顔のまま、ジンをじっと見つめている。
その視線に気づき、ジンの笑い声が少しずつ止まっていった。
「……なるほどな」
ジンはふっと優しく笑った。
「そういうことか」
キャリーは黙って、小さく頷く。
「わたし、フィーネお姉ちゃんと旅をするの」
その言葉には迷いがなかった。
大きな夢を語っているはずなのに、まるで「明日遊びに行くの」と言うみたいに真っ直ぐだった。
ジンは腕を組みながら、しばらくキャリーを見つめる。
フィーネ。
あの灰色の髪のうさぎ耳少女。
昨日、森で迷っていたキャリーを助け、
たった一日でこの子の世界を変えてしまった少女。
なるほど。
確かに、あの子なら憧れる。
ジンは豪快に笑った。
「よーし! なら特訓だ!」
「ほんと!?」
「任せとけ!」
大きな手がキャリーの頭に置かれる。
「立派な冒険者にしてやる!」
キャリーの耳がぴんっと立った。
「やったぁ!!」
その場で飛び跳ねる。
ジンはそんな姿を見ながら、少しだけ目を細めた。
子どもの夢だ。
すぐ飽きるかもしれない。
途中で泣き出すかもしれない。
でも――。
この目は、本気だ。
だからこそ、半端にはできない。
ジンはニヤリと笑った。
「ただし」
「?」
「泣いても撫でてやらんぞ?」
イタズラっぽく笑う。
するとキャリーは、胸を張って元気いっぱいに叫んだ。
「だいじょうぶ!! わたし泣かない!!」
その勢いに、ジンはまた大笑いした。
「はははっ! よしきた!」
⸻
その夜。
ジンはキャリーの家を訪れていた。
ランディアの小さな家。
窓から漏れる柔らかな灯り。
夕食を終えた母ローラが、お茶を淹れている。
「本人は至って本気だ」
椅子へ腰掛けながら、ジンが言った。
「さて、どうするよ? ローラ」
ローラは少し困ったように微笑んだ。
「うふふ……そうねぇ」
窓の外へ視線を向ける。
二階の部屋には、もうキャリーの灯りが見えていた。
きっとまだ起きている。
夢中になって明日のことを考えているのだろう。
ローラは小さく笑った。
「どこまで頑張れるかしらね」
「止めねぇのか?」
「母親としては、もちろん心配よ」
ローラは静かにお茶を置いた。
「旅は危ないもの」
森もある。
魔物もいる。
怪我もする。
帰ってこられない人だっている。
それを、ローラは知っている。
だからこそ。
「あの子の夢になったんですものね」
その言葉は、とても優しかった。
「叶えてあげないと」
ジンはふっと息を吐く。
「フィーネちゃんとか」
ローラは少し懐かしそうに笑う。
「あの子と約束したんですもの」
『もっと遠くまで、一緒に行こうね』
昨日のフィーネの声を、ローラも覚えていた。
ジンは豪快に笑いそうになり、慌てて口を押さえた。
「ぶっ……!」
ローラも思わず吹き出す。
「静かにしてください」
「悪ぃ悪ぃ」
二人は顔を見合わせ、小さく笑った。
その笑い声には、キャリーの未来を見守る大人たちの温かさが滲んでいた。
⸻
翌朝。
まだ空が薄暗い時間。
「おはようございまーーす!!」
元気いっぱいの声が街に響く。
ジンは思わず片目を開けた。
「……早ぇな、おい」
店の前には、もう木剣を抱えたキャリーが立っている。
目はきらきら。
やる気は満々。
ジンは頭を掻きながら笑った。
「よし。まずは走るぞ」
「はいっ!!」
そこから、キャリーの特訓の日々が始まった。
⸻
朝は街の周囲を走る。
最初はすぐ息が切れた。
「はぁっ……はぁっ……」
足が重い。
胸が苦しい。
でもジンは止まらない。
「冒険者は歩くんじゃねぇ。走るんだ」
「うぅーっ!!」
涙目になりながらキャリーも走った。
⸻
木剣の素振り。
小さな手にはまだ重い。
ぶんっ。
ぶんっ。
何度も振る。
手のひらにはすぐ豆ができた。
痛い。
熱い。
でも、やめない。
「フィーネお姉ちゃんだって、きっと頑張ったもん……!」
歯を食いしばる。
⸻
魔法の勉強。
詠唱が覚えられない。
舌を噛む。
何度やっても火が出ない。
「むぅぅぅぅ!!」
髪をぐしゃぐしゃにしながら悩む。
ジンは笑う。
「魔法は気合いだけじゃ出ねぇぞー」
「わかってるもん!!」
ぷくーっと頬を膨らませる。
⸻
夜には星を読む。
風を読む。
雲の形を見る。
火の起こし方を学ぶ。
ナイフの使い方。
荷物のまとめ方。
転んだ時の受け身。
森で迷った時の歩き方。
ジンは、旅で必要なことを一つずつ教えていった。
「冒険者ってのはな」
焚き火の前で、ジンが言う。
「強いだけじゃダメなんだ」
炎が揺れる。
キャリーは真剣な顔で聞いている。
「ちゃんと帰ってこられる奴が、一番立派な冒険者だ」
その言葉は、キャリーの胸へ静かに残った。
⸻
時には、泣きそうになる日もあった。
夜。
疲れ果てて寝台へ倒れ込む。
腕が痛い。
足も痛い。
眠い。
悔しい。
思うようにできない。
キャリーは毛布へ顔を埋めながら、小さく呟く。
「……わたし、お姉ちゃんみたいになれてるかなぁ……」
弱音みたいな声だった。
すると窓から、夜風がそっと吹き込んでくる。
まだらの髪が、ふわりと揺れた。
キャリーは目を閉じる。
思い浮かぶのは、灰色の髪を揺らして笑うフィーネ。
『うん! 今度はもっと遠くまで、一緒に行こうね!』
その声を思い出すだけで、胸の奥が温かくなった。
「……がんばる」
小さく呟き、キャリーは眠りへ落ちていった。
⸻
二年が過ぎた。
三年が過ぎた。
少しずつ、キャリーは強くなっていく。
背も伸びた。
剣も速くなった。
魔法も使えるようになった。
そして時々。
フィーネとミッツーが、ランディアへ来てくれた。
「キャリーちゃーん!」
「お姉ちゃーーん!!」
全力で抱きつく。
フィーネは笑いながら頭を撫でた。
「大きくなったねぇ」
「ほんと!?」
「うん!」
まだらの髪を、くしゃくしゃと優しく撫でてくれる。
それだけで、全部報われる気がした。
ミッツーも笑う。
「剣の振り、良くなったな」
「えへへ……!」
褒められるたび、胸の奥が熱くなる。
まだ一緒には旅立てない。
でも。
その日は、確かに近づいていた。
⸻
そして。
五年が経とうとしていた、ある日。
数ヶ月ぶりに、フィーネとミッツーから手紙が届いた。
いつもの手紙。
でも――。
キャリーは、なぜか胸がどきどきしていた。
今回は、それだけじゃない気がする。
何かが始まる気がする。
窓を開ける。
心地よい風が吹き込んできた。
まだらの髪を、優しく揺らす。
キャリーは空を見上げる。
その瞳は、もう幼い頃よりずっと強く、
そして輝いていた。




