第20話
「なぜ花蓮さんが?」
突然部屋へ乗り込んできた花蓮は、開口一番こう言った。
「しばらく、私がボスになるわ。」
意味が分からず、卓は困惑する。
すると花蓮は、思い出したように口を開いた。
「あら、ごめんなさい。説明が足りなかったわね。
ボス、つまり桐生は別件でしばらく動くらしいの。でも、組織としての活動は止められないでしょう?だから、その間だけ私が全権を任されることになったのよ。」
そこまでは理解できた。
「……で、わざわざ来たってことは、何か大きな作戦でも?」
「えぇ。そこまで大事ではないけれど。」
花蓮は楽しそうに笑う。
「大阪作戦は中止。その代わり、北陸を攻めるわ。
政府も多少は警戒しているでしょうけど、大阪や近畿ほど防備は固くない。二ヶ月以内に、福井・石川・富山、さらに岐阜・愛知まで支配を広げる。反乱を扇動して、近畿を孤立させるの。」
そこで花蓮は、にっこり笑った。
「というわけで、明日から動くわよ。卓くんには、夏美ちゃんと一緒に任務をこなしてもらうから。」
「ちょっと待っ――」
そう言いかけた時には、花蓮の姿はもう消えていた。
直後、隣室――夏美の部屋から悲鳴とも悶絶ともつかない声が響いてくる。
壁が薄い。
本当にやめてほしい。
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その後、卓にとっては怒涛の時間だった。
夏美が部屋へ突撃してきて、締め殺さんばかりの勢いで抱きついてきたこと。
花蓮が桐生の前で、「卓と夏美は結婚する」と勝手に宣言したこと。
なぜか魔法少女たちから冷たい視線を向けられたこと。
特に、桐生に「どうでもいい」と一蹴された瞬間、卓は本気で神は死んだと思った。
「卓……もう離さないで。」
夏美は卓へしがみついたまま、小さく呟く。
「もう隠す必要ないし、花蓮さんも“一緒にいていい”って言ってくれたから。」
「……何のことです? 任務を一緒にやるだけじゃ……」
「はぁ?」
夏美の目が据わる。
「任務だけなわけないでしょ。これからは、すること全部一緒なの。……だって夫婦になるんだから。」
「…………初耳です。」
卓は真顔になった。
「花蓮さん、“任務だけ”って言ってました。」
噛まれた。
狐の牙は普通に痛い。
どうやら夏美に異論を認める気はないらしい。
卓は黙るしかなかった。
恐る恐る尋ねる。
「……花蓮さん、具体的には何て?」
夏美は顔を真っ赤にしながら答えた。
「まず、北陸と中部の作戦に参加してもらうって。そのあと、仕事が終わったら卓と好きにしていいって……。
細かいことは花蓮さんたちがやるから、私たちは引退して……その……夫婦生活してもいいって。式のお金も出すって……」
卓はしばらく思考停止した。
「……え?」
「だから! 北陸と中部を制圧したら、アンタは私を娶るの!」
完全に花蓮の独断だった。
桐生は全国支配を目指しているはずなのに、そんな勝手が許されるのか。
卓は慌てて桐生の部屋へ向かった。
背後で「逃げるな!」という夏美の声が聞こえたが、透明化して振り切る。
「ボス! 花蓮さんが――」
卓は事情を一から説明した。
花蓮が臨時ボスになったこと。夏美へ勝手に婚姻話を吹き込んだこと。とにかく暴走していること。
だが、桐生は表情一つ変えなかった。
「で?」
「……え?」
「聞いただろう。花蓮には俺の代行を任せている。指揮権も全権委任だ。」
桐生は淡々と言う。
「夏美との婚姻も好きにしろ。実際、お前と夏美が抜けても問題はない。魔法少女たちは成長しているし、花蓮も強い。」
つまり――。
花蓮の命令は絶対。婚姻も、組織脱退も許可済み。
卓は口をぱくぱくさせたが、何も言えなくなった。
「……卓。」
桐生が珍しく、少しだけ視線を向ける。
「なぜそこまで慌てる。夏美が嫌いか?」
その問いに、卓は答えられなかった。
好きか嫌いか。
そんな感情を考えたことがない。
人間だった頃の記憶も感情も、とうの昔に失われている。
残っているのは、生への執着だけ。
桐生に従っていたのも、生き延びるためだ。
なぜ自分がそこまで生に執着するのかさえ、分かっていない。
そんな自分に、恋愛など理解できるはずがなかった。
「……分からないんです。」
卓は俯いたまま呟く。
「僕、深いこと考えて生きてきたわけじゃないし。ただ……長く生きたいだけで……」
桐生は短く息を吐いた。
「なら、考える前に動け。」
それだけだった。
「北陸と東海を掌握したら、その後は好きにしろ。とにかく、夏美という存在を見ろ。そして守れ。」
そう言い残し、桐生は部屋を出ていく。
一人残された卓は、深くため息をついた。
なんて抽象的で、無責任な言葉だろう。
だが、それが桐生という男だった。
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桐生は屋上に向かった。
翼も角も隠さず、赤い瞳で三日月を見上げている。
彼の正体はヴァンパイア。
しかも、太陽でも十字架でも滅びない、異質な存在だった。
やがて桐生は空へ飛び立つ。
誰にも行き先を告げないまま、闇夜へ消えていった。
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部屋へ戻った瞬間、卓は再び夏美に抱きつかれた。
「……私のこと、嫌い?」
また答えに困る質問だった。
卓はしばらく沈黙する。
「……好きとか嫌いとか、正直よく分かりません。でも、避けてるわけじゃなくて……」
「じゃあ何?」
「…………」
また黙る。
夏美はじっと卓を睨みつけた。
「黙ってれば済むと思ってる?」
耳が痛い。
「私はちゃんと気持ち伝えた。アンタがリッチだから、人と感覚が違うのも分かってる。でも……ちゃんと私だけを見てよ。もっと考えてよ。」
卓は俯いた。
そして、ようやく口を開く。
「……僕、あなたのことを理解できない。リッチだから。……でも、それは言い訳なんですよね。」
ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「だから、努力します。時間はかかるかもしれない。でも、ちゃんとあなたを見ます。……パートナーとして。」
それは卓が初めて、自分の意思で誰かを大切にしようとした瞬間だった。
夏美は顔を真っ赤にしながら、さらに強く抱きついた。
「遅いのよ……ばか。」
その夜、二人はようやく“共に生きる”ことを決めた。
やがて暗い部屋の中で、二人の影が静かに重なっていく。
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その頃。
桐生が使っていた席に、花蓮が座っていた。
周囲には魔法少女六人。
完全に“良きにはからえ”状態である。
「あの二人、どう?」
花蓮が尋ねる。
すると、美香が口を開いた。
「現在、まぁ……その……」
珍しく歯切れが悪い。
花蓮は察したように微笑んだ。
「そういうことね。」
いい雰囲気の男女が密室にいる。
それだけで十分だった。
ちなみに、美香が何も見ずに状況を把握しているのは、花蓮の“教育”によって念感知能力を開花させたからなのだが――それは今は置いておく。
「さて。」
花蓮は魔法少女たちを見回す。
「しばらく私がボスになるわけだけど……まぁ、あの二人は今は放っておいて。」
そして指示を出す。
「絵梨花ちゃんとさくらちゃんは、私と一緒に三重・愛知方面。美香ちゃん、由梨ちゃん、里奈ちゃんは福井・岐阜をお願い。
あの二人には、石川・富山・新潟を担当してもらうわ。」
五人は静かに頷いた。
反対する理由はない。
花蓮は満足そうに微笑む。
「……あの二人のためにも、しっかり働いてあげないとね。」




