10. 今日の話は、ちょっと地雷です
最悪だ。
待ち合わせ場所に向かいながら、俺は何度目かわからないため息をついた。
今日の俺は“朝比奈唯”。
女装して、ウィッグを被って、声の高さも少しだけ調整して、学校の朝比奈唯斗とは完全に別人としてここにいる。
いる、んだけど。
「……なんで今日に限って、あんな話題出るんだよ」
昨日のことを思い出すだけで胃が痛い。
凛花先輩と、美央と、俺――じゃない、俺じゃなくて唯斗の三人で出かけた昨日。
あの場で凛花先輩は、“唯”のことを普通に話題に出してきた。
しかも俺に向かって。
おまけに「また今度、唯のこと教えて」ときた。
やめろ。
ほんとにやめてほしい。
それ以上踏み込まれたら、色々終わる。
「……」
でも断れないんだよな。
待ち合わせに来てしまってる時点で、もうだいぶ終わってる気もするけど。
「唯」
「っ」
名前を呼ばれて顔を上げる。
駅前のベンチのそばで、凛花先輩が手を振っていた。
白いブラウスに淡い青のスカート。シンプルなのに、やたら目立つ。今日も顔がいいし、今日も距離感がおかしくなりそうな気配しかしない。
「こんにちは……」
「こんにちは。来てくれてよかった」
「……はい」
その一言だけで心臓に悪い。
ほんと、この人はなんなんだ。
「今日ちょっと遅かったね」
「え、あ、すみません」
「責めてないよ」
そう言って、凛花先輩が少しだけ笑う。
柔らかい。
昨日、唯斗に向けていた先輩の顔と、今の顔は似てるようで、でもやっぱり違う。
唯斗には“先輩”の顔。
唯には“好きな相手”の顔。
……いや、違いを自分でわかってるのが一番しんどいな。
「どうしたの?」
「え?」
「ぼーっとしてた」
「……なんでもないです」
「そっか」
凛花先輩がじっと私を見る。
やめろ。その目やめろ。
見透かされてるみたいで、ちょっと怖い。
「……あの、今日はどこ行くんですか」
無理やり話題を変える。
「この前行けなかった雑貨屋と、あと少し歩いた先のカフェ」
「また甘いのですか」
「嫌?」
「嫌ではないですけど……」
「じゃあ決まり」
早い。
この人、私の“嫌じゃない”を都合よく使いすぎでは?
◇
駅ビルの雑貨屋は、日曜の昼だけあってそこそこ混んでいた。
可愛いポーチ、ヘアアクセ、小さなぬいぐるみ、香水瓶みたいなデザインの小物。いかにも女子が好きそうなものがずらりと並んでいる。
「唯って、こういうの本当に似合うよね」
「似合いませんよ」
「似合うよ」
「即答しないでください」
「だって本当だし」
凛花先輩が淡いピンクのヘアクリップを指先で持ち上げる。
「これとか」
「いや、使いません」
「使って」
「なんでですか」
「見たいから」
「理由が強い」
いや弱いのか?
わからん。
この人の“見たい”って、だいたい拒否権ないし。
「つけてみて」
「店の中でですか?」
「だめ?」
「だめっていうか、恥ずかしいです」
「可愛いのに」
「だからそれを平気で言うのやめてください」
周りに人いるからな?
普通に聞こえるからな?
「じゃあ、今度ね」
「今度もないです」
「あるよ」
「ないです」
「ある」
「ないです」
小学生みたいな押し問答をしていたら、凛花先輩がふっと笑った。
「唯って、こういう時だけ頑固だよね」
「こういう時だけじゃないです」
「そうかな」
「そうです」
「じゃあ、もっと頑固でもいいよ」
「なんでですか」
「見てて可愛いから」
「結局そこに戻るんですね」
だめだ。
会話の着地点が全部そこだ。
どうやって逃げればいいんだ。
◇
雑貨屋を出て、二人でカフェに入る。
今日の店は前回より落ち着いた雰囲気で、白と木目を基調にした静かな空間だった。
「ここ、居心地いいですね」
「でしょ」
凛花先輩が少し得意そうに言う。
その顔、ちょっと珍しいな。
学校ではあんまり見ない表情だ。
「先輩、こういう店よく知ってますね」
「好きだから」
「甘いものが?」
「それもある」
メニューを開きながら、凛花先輩が続ける。
「一緒に来る人が喜んでくれるのも好き」
「……」
不意打ちやめろ。
今の、だいぶ効いたんだけど。
「……そうなんですね」
「うん」
それ以上何も言えずに、私はメニューに視線を落とす。
今日は季節のフルーツタルトと紅茶のセットにした。凛花先輩はレアチーズケーキ。
「唯、今日ちょっと静かだね」
「そうですか?」
「うん」
注文を終えたあと、凛花先輩が頬杖をついてこっちを見る。
「考えごと?」
「……少し」
「言えること?」
「言えないことです」
「そっか」
それだけ言って、無理に聞いてこない。
こういうところは優しいんだよな、この人。
だから余計に、罪悪感が増す。
「……」
しばらく沈黙。
でも気まずくはない。
その静けさの中で、昨日のことがまた頭をよぎる。
唯斗として一緒にいた時の凛花先輩。
そして、その場で出てきた“唯”の話。
あれを、このまま放っておいていいのか。
いや、よくない。
でも自分から触れるのも怖い。
でも。
「……先輩」
「うん?」
「昨日、朝比奈くんと出かけたんですよね」
言ってしまった。
凛花先輩が少しだけ目を瞬く。
「うん。美央も一緒だった」
「……楽しかったですか」
自分でも変なことを聞いてると思う。
でも止まらなかった。
「楽しかったよ」
凛花先輩は普通に答えた。
「朝比奈も美央も、思ってたより話しやすいし」
「……そうなんですね」
「うん。朝比奈はちょっと不器用だけど」
「……」
心に刺さる。
それ、本人だからめちゃくちゃ刺さる。
「あと、優しいところがある」
「……」
やめてくれ。
その評価を今ここで聞くのはしんどい。
「でも、なんで唯がそれ気にするの?」
「っ」
来た。
当然の疑問。
「いや、その……」
まずい。
どう繋げる。
「昨日、少しだけ気になって」
「なにが?」
「えっと……」
逃げ場がない。
「朝比奈くんと、先輩って、仲いいんだなって」
なんとかひねり出した。
凛花先輩は少しだけ考えるように視線を上げ、それから小さく笑った。
「普通に後輩だよ」
「……そうなんですね」
「唯、もしかして気にしてた?」
「べ、別に、そういうわけじゃ」
「ふふ」
笑うな。
今の笑い方、絶対気づいてるだろ。
「でも、朝比奈に唯の話、ちょっとした」
「っ」
今度は本気で心臓が止まりかけた。
「……ど、どんな話ですか」
「唯って可愛いよねって」
「……」
終わった。
いや終わってはない。
でも精神的にはだいぶ終わった。
「あと、優しいところ似てるって思った」
「……」
ほんとに、なんでそんな危ないことを平気で口にするんだ。
「朝比奈、すごく驚いてた」
「そ、そうでしょうね」
「うん。ちょっと面白かった」
「面白かったんですか」
「少しだけ」
だろうな。
あの時の俺、だいぶひどい顔してたと思うし。
「でも」
凛花先輩の声が、少しだけ柔らかくなる。
「朝比奈って、唯のことちゃんと可愛いって言ってくれたよ」
「……」
やめろ。
本人にその報告するな。
羞恥で死ぬ。
「唯?」
「な、なんでもないです」
「顔赤い」
「赤くないです」
「赤いよ」
「先輩のせいです」
思わず口をついて出た。
しまった、と思った時には遅い。
凛花先輩が少しだけ目を丸くして、それから静かに笑う。
「そっか」
「……言い方ずるいです」
「唯がそういうこと言うの、好き」
「だからそういうのやめてください……」
だめだ。
完全にペースを持っていかれてる。
◇
注文したケーキが運ばれてきて、ようやく少し空気が変わる。
「……美味しそう」
「可愛いね」
「先輩それしか言ってない気がします」
「だって本当に可愛いし」
ケーキまで口説き文句に使うな。
どういう技術なんだ。
「はい、唯」
凛花先輩がフォークで小さく切ったレアチーズケーキを差し出してくる。
「……なんですか」
「一口あげる」
「いらないです」
「なんで?」
「なんでって……」
「美味しいよ」
「そういう問題じゃないです」
「じゃあ私、唯の食べる?」
「だめです!」
反射だった。
凛花先輩が少しだけ首を傾げる。
「なんで?」
「それは、その……」
間接キスを意識してるからです、なんて言えるわけないだろ。
「……唯」
「はい」
「もしかして、意識してる?」
「してません!!」
即答してしまう。
速すぎて逆に怪しい。
凛花先輩が吹き出した。
「ふふっ……」
「笑わないでください」
「ごめん。でも可愛くて」
「全部そこに戻るんですね」
「うん」
うん、じゃないんだよ。
◇
結局、私は一口食べさせられた。
そして凛花先輩も私のタルトを一口食べた。
もうめちゃくちゃだ。
心臓が持たない。
「……先輩」
「なに?」
「昨日、朝比奈くんに、私のこと何か聞いたんですか」
自分でも往生際が悪いと思う。
でも、やっぱり気になる。
「少しだけ」
「何を……」
「唯のこと知ってる?って」
「っ!」
今度こそむせた。
紅茶危ない。危ない危ない。
「だ、大丈夫?」
「だ、大丈夫じゃないです……」
「え、なんで?」
「なんでもないです……」
ダメだろ、その質問。
ほんとにダメだろ。
「でも、朝比奈の反応ちょっと面白かった」
「……」
絶対俺、変な反応してたんだろうな。
終わってる。
「なんか、すごく焦ってたし」
「……」
やめろ。
本人の前で実況するな。
「唯?」
「い、いや、その……」
必死で考える。
今ここで怪しまれたらまずい。
「朝比奈くん、そういう話苦手そうだなって」
なんとかごまかした。
凛花先輩は少しだけ考えて、それから頷く。
「それはあるかも」
助かった。
ほんとにギリギリだ。
「でも、また聞いてみようかな」
「やめてください!!」
今度は完全に大きな声が出た。
店の奥の席のカップルが振り向く。
終わった。
「……そんなに?」
凛花先輩がきょとんとする。
「……気まずいです」
「唯が?」
「そ、その、なんとなくです」
「なんとなく、多いね」
「便利なんです」
「そうなんだ」
凛花先輩が楽しそうに笑う。
だめだ。
この人、本当に楽しんでる。
そして俺は今、本気で寿命を削ってる。
◇
店を出たあと、夕方の風が少しだけ涼しかった。
「今日も楽しかった」
凛花先輩が満足そうに言う。
「……それはよかったです」
「唯は?」
「……まあ」
「また“まあ”」
「必要です」
「素直じゃないなあ」
「先輩が素直すぎるんです」
「そう?」
「そうです」
凛花先輩が少しだけ笑って、それからふいに立ち止まった。
「唯」
「はい」
「もし朝比奈が唯のこともっと知ってたら、ちょっと面白いよね」
「お、面白くないです」
「そうかな」
「そうです」
真顔で否定する。
これ以上踏み込まれたら本当に終わる。
「ふふ」
凛花先輩はなぜか嬉しそうだった。
「でも、唯がそんなに嫌がるなら、やめとく」
「……ほんとですか」
「うん」
「絶対ですよ」
「そこまで言うんだ」
「言います」
「わかった」
そう言って、凛花先輩が少しだけ身を屈める。
近い。
「じゃあその代わり」
「な、なんですか」
「次も付き合って」
「……」
それを、そんな目で言うな。
断れるわけないだろ。
「……考えます」
「それ、来るやつ?」
「たぶん……」
「よかった」
また柔らかく笑う。
その笑顔に、どうしようもなく弱い自分が嫌になる。
でも。
嫌じゃないと思ってしまうのが、もっと厄介だった。




