9.先輩に“唯のこと知ってる?”と聞かれて、
正直、嫌な予感しかしなかった。
「で、なんで私までいるわけ?」
「私も聞きたいです」
「お前ら二人とも失礼だな」
土曜の昼。駅前。
瀬神美央は呆れた顔でため息をつき、俺――朝比奈唯斗は内心で全力の同意をしていた。
なんでこうなったかというと、十分前にさかのぼる。
◇
『今日、空いてる?』
朝。凛花先輩から珍しく“朝比奈唯斗”の方にメッセージが来た。
この時点で嫌な予感はしていた。
でも、まさか。
『美央も呼んでるから、よかったら少し付き合って』
そんな三人編成になるとは思わないだろ普通。
いや待て。
なんでだ。
なんで凛花先輩が、俺と美央を同時に呼ぶ必要がある?
しかも“唯”じゃなくて、“唯斗”の方だ。
嫌だ。怖い。絶対ろくなことにならない。
そう思ったのに。
「来たんだ」
待ち合わせ場所にいた凛花先輩は、いつもの涼しい顔でそう言ってきた。
「そりゃ来るだろ。わざわざ“よかったら”って書いてあったし」
「断らないと思った」
「……」
なんでそんなに確信あるんだ。
「で?」
美央が腕を組んで凛花先輩を見る。
「今日はなにするんですか、先輩」
「買い物」
「ざっくりしてんな」
「見たいものがいくつかあるから」
「なんで私たち?」
「暇そうだったから」
「ひどくない?」
美央が即座に突っ込む。
でも凛花先輩は少しも悪びれない。
「実際、暇でしょ」
「……まあ、そうだけど」
「朝比奈も」
「いやまあ、そうですけど」
「じゃあ問題ないね」
問題はある。
めちゃくちゃある。
俺の心臓がもう問題だらけだ。
◇
駅ビルの中を三人で歩く。
これが思ったよりきつい。
なにがきついって、凛花先輩がたまに普通に俺へ話しかけてくることだ。
「朝比奈、それ持って」
「はい」
「ありがと」
その程度だ。全然普通だ。先輩後輩として自然だ。
自然なんだけど。
問題はその人が、昨日“唯”に対して「今度また甘いもの食べに行こうね」とか言っていた人だってことだ。
しかも俺はそれを全部知ってる。
知ってるどころか、その“唯”本人だ。
落ち着けるわけがない。
「お前さっきから静かすぎない?」
隣を歩く美央が小声で言った。
「誰のせいだと思ってんだ」
「私のせいじゃないけど?」
「半分くらいお前だろ」
「知らないな」
「絶対面白がってるだろ」
「半分くらいは」
「やっぱりかよ」
こいつほんとに。
「二人とも、なに話してるの」
前を歩いていた凛花先輩が振り返る。
「内緒です」
「ろくでもないことです」
俺と美央の返事がかぶった。
凛花先輩が少しだけ目を丸くして、それから笑う。
「仲いいね」
「まあね」
美央が当然みたいに言う。
なんかその返しにも最近いちいち引っかかる。
前までは何も思わなかったのに。
……ほんと、めんどくさい。
◇
一軒目は雑貨屋、二軒目は文房具、三軒目は服屋。
「先輩、買い物って言うからもっとガチかと思ったら、だいぶ可愛い系ですね」
美央が手に取った猫のポーチを見ながら言う。
「だめ?」
「だめじゃないですけど、ちょっと意外」
「そう?」
「もっとこう、黒とか白とか、シンプルで無機質なの好きかと」
「偏見ひどいな」
凛花先輩は笑いながら、棚から淡い色のヘアクリップを手に取る。
「こういうのも好きだよ」
「へぇ」
「朝比奈は?」
「え、俺ですか」
「うん」
不意打ちやめろ。
「いや……俺は、まあ、普通にシンプルなのが」
「ふーん」
凛花先輩が俺を見る。
なんだその、ちょっと探るみたいな目。
「じゃあ、可愛いのは苦手?」
「いや、別に嫌いではないですけど」
言ってから思った。
まずい気がする。
でももう遅い。
「そうなんだ」
凛花先輩が少しだけ口元を緩めた。
その横で、美央がめちゃくちゃニヤニヤしてる。
「おい」
「なに」
「その顔やめろ」
「どの顔?」
「全部だよ」
楽しそうでなによりだな、ほんと。
◇
昼を過ぎた頃、フードコートで休憩することになった。
三人分の飲み物を持って席に戻ると、凛花先輩と美央が何か話していた。
「で、あの時の書類なんですけど」
「うん」
「来週まででいいですか」
「大丈夫。急ぎじゃないし」
やっぱりこの二人、普通に仲いいんだよな。
実行委員繋がりだって何度も聞いてるのに、見るたび少しだけ変な感じがする。
「はい、どうぞ」
俺がトレーを置くと、凛花先輩が「ありがと」と自然に受け取った。
「朝比奈ってさ」
「はい?」
ドリンクのストローを刺しながら、凛花先輩がぽつりと言う。
「唯のこと、知ってる?」
「っ、ぶっ」
危うく飲みかけのジュースをこぼすところだった。
「きったな」
美央が素早く紙ナプキンを押しつけてくる。
「お、おまっ、急に何言うんですか先輩!」
「え? そんな驚くこと?」
「驚きますよ!?」
俺の心臓の話をしたら今すぐ倒れられる自信がある。
なんでだ。
なんでそこで“唯”の話が出る。
いや待て落ち着け。
ここで変な反応をしたら終わる。
「……知ってるっていうか、この前ちょっと見かけたくらいですけど」
なんとか声を絞り出す。
嘘ではない。
見かけたもなにも本人だけど。
「ふーん」
凛花先輩がストローに口をつけながら、じっと俺を見る。
やめろ。その目やめろ。
「どうしてですか」
なるべく普通っぽく聞き返す。
「いや」
凛花先輩は少しだけ視線を逸らして、それからさらっと言った。
「朝比奈と、ちょっと雰囲気が似てるなって思って」
「っ!?」
「ぶふっ」
今度は美央が吹き出した。
「おい!」
「ごめ、っ……いや、今のは耐えられなかった」
「なんでお前が笑うんだよ!」
「だって、似てるって、っ……」
こいつ絶対わかってて笑ってる。
「……そんな似てます?」
俺は必死で平静を装った。
手が少し震えてる気がする。
「なんとなく」
「なんとなくで言わないでくださいよ……」
「嫌だった?」
「嫌っていうか、びっくりします」
びっくりどころじゃない。
寿命が縮んだ。
「でも、なんか優しいところとか似てる」
「……」
やめろ。
そういう具体的なこと言うな。
「朝比奈もたまに変なところで優しいでしょ」
「“たまに”ってなんだよ」
「事実だろ」
美央がまだ笑いを引きずったまま言う。
「普段はわりと雑だし」
「お前にだけだよ」
「今のちょっと嬉しいんだけど」
「知らん」
美央がまた吹き出す。
「いやほんと、今日だめだ。笑いすぎて腹痛い」
「全部お前のせいだろ」
「違うな。お前が悪い」
「理不尽すぎるだろ」
凛花先輩まで肩を震わせて笑ってる。
なんなんだこの地獄。
◇
フードコートを出たあと、凛花先輩が「少し寄りたいところがある」と言って、上の階の期間限定ショップへ向かった。
どうやら雑貨系のポップアップらしい。
店の前には可愛い色の小物やぬいぐるみが並んでいて、どう見ても女子向けだ。
「先輩、こういうの好きなんですね」
美央が感心したように言う。
「うん。見てると楽しいし」
「へぇ」
「唯も好きそう」
凛花先輩が何気なくそう言った。
俺の足が止まる。
「……」
美央がこっちを見た。
やめろ。その顔。
「え、っと……そうなんですか?」
俺はできるだけ自然に返す。
自然ってなんだ。
もうわからん。
「うん。ああいう可愛いの、似合うし」
凛花先輩が棚に並んだ白いヘアピンを見ながら、完全にデレた顔で言った。
やばい。
ほんとにやばい。
「この前、いちごのパンケーキ食べてる時もすごく可愛かったし」
「うわ、出た」
美央が小さく笑う。
「先輩、また始まった」
「またって何」
「唯の話になると、明らかにテンション違うじゃないですか」
「そう?」
「そうですよ」
美央が即答する。
お前、そこで乗るな。俺のメンタルが死ぬ。
「別に普通だけど」
凛花先輩はそう言いながらも、口元が緩んでいる。
全然普通じゃない。
「この前も、“今日の唯、可愛すぎてどうしようかと思った”って言ってたし」
「美央!?」
凛花先輩が珍しく声を上げた。
「それ今言う?」
「言いますよ。だって事実だし」
「……」
凛花先輩がほんの少しだけ気まずそうに咳払いする。
でも耳が赤い。
赤いけど、目は笑ってる。
なんだこれ。可愛いなこの人。
いや違う、そうじゃない。
「……朝比奈?」
「はい!?」
急に振られて声が裏返った。
「そんな驚かなくても」
「い、いや、ぼーっとしてて」
「そう」
凛花先輩が少し首を傾げる。
その顔のまま、さらっと続けた。
「唯って、やっぱり可愛いと思う?」
「っ」
死んだ。
「いや、その、えっと」
何をどう答えても詰む質問じゃないか。
「見た目はまあ……可愛いんじゃないですか」
必死でひねり出した答えがこれだった。
自分で自分を可愛いって判定してるみたいで最悪だ。
「ふふ」
美央が肩を震わせている。
「お前あとで覚えてろ」
「怖」
全然怖がってない。
「朝比奈って、そういうの素直に言えるんだ」
凛花先輩が少しだけ意外そうに言った。
「いや別に、一般論です」
「ふーん」
凛花先輩がにこっと笑う。
なんだその顔。
なんか嫌な予感しかしない。
「じゃあ、今度唯と会った時、朝比奈が可愛いって言ってたって伝えようかな」
「やめてください!!」
反射だった。
店の中で言う声量じゃなかった。
近くにいたカップルが振り向く。
終わった。
「……そんなに嫌?」
凛花先輩が少しだけ目を丸くする。
「嫌っていうか、気まずいです!」
「なんで?」
「なんでって……なんか、あるじゃないですか!」
「何が?」
「そういうの! 色々!」
「色々って便利な言葉だね」
美央が楽しそうに言うな。
全部お前らのせいだろ。
◇
結局、最後はゲームセンターに寄ることになった。
「なんでこうなるんだよ」
「流れ」
「どんな流れだ」
「楽しい流れ」
美央が当然のように言う。
凛花先輩も「たまにはいいでしょ」と乗ってきた。
二人が組むと地味に強い。
クレーンゲーム、プリクラ、音ゲーコーナー。
どこも人が多い。
「朝比奈、あれ上手そう」
凛花先輩が指差したのは、バスケットボールのゲーム機だった。
「いや、別に」
「やってみて」
「えぇ……」
「見たい」
見たい、の一言に弱い自分が嫌だ。
結局、千円だけやることになった。
結果はまあ、ぼちぼち。
「すごい」
「普通です」
「かっこよかったよ」
「……」
不意打ちでそういうこと言うのやめてくれ。
心臓に悪い。
「はいはい、照れんな唯斗」
美央が横から茶化してくる。
「照れてねぇ」
「顔に書いてる」
「書いてねぇ」
「“褒められて弱ってます”って書いてる」
「書いてねぇって!」
凛花先輩がまた笑う。
その笑い方が、学校で見るのよりずっと柔らかい。
ああ、こういう顔で“唯”にも笑ってるのか。
……いや、それを今ここで考えるな。
◇
帰る頃には、外は少しだけ暗くなっていた。
「今日はありがと」
駅前で凛花先輩が言う。
「こちらこそ。意外と楽しかったです」
美央が素直に返した。
「朝比奈は?」
「……まあ、楽しかったです」
「“まあ”いらなくない?」
「必要です」
「素直じゃないなあ」
凛花先輩が笑う。
それから、少しだけ視線を上げて俺を見た。
「朝比奈」
「はい」
「また今度、唯のこと教えて」
「っ」
今日二回目の爆弾やめろ。
「俺に聞くんですか?」
「なんとなく、知ってそうだから」
「なんとなくで怖いこと言わないでください……」
「怖い?」
「怖いです」
本音が漏れた。
美央が横で吹き出す。
「先輩、今のは朝比奈の負けですね」
「なんの勝負だよ」
「知らないけど」
こいつほんとに。
「じゃあ、またね」
凛花先輩が手を振る。
「はい」
「うん」
俺と美央がそれぞれ返す。
凛花先輩が改札の方へ歩いていく背中を見送りながら、俺は大きく息を吐いた。
「……疲れた」
「だろうね」
美央が妙に優しい声で言う。
「今日のお前、だいぶ面白かったし」
「最低だな」
「でも」
少しだけ間があく。
「……先輩、ほんとにお前のこと好きなんだな」
「……」
言い返せない。
あんなふうに“唯”の話をされて、わからない方がおかしい。
「で?」
美央がじっと俺を見てくる。
「なんだよ」
「お前はどうなの」
「……」
答えられない。
まだ、うまく。
「……知らん」
「そっか」
美央はそれ以上は言わなかった。
でも、その返事が少しだけ寂しそうに聞こえた気がして。
俺は、なんとなくそっちを見られなかった。




