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偶然、女装した俺を“女の子”だと思い込んだ先輩に口説かれ溺愛されています!?  作者: 夜天 颯


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12/12

11. 夏休みが始まったのに、全然平和じゃありません

夏休みに入ってから最初の土曜。


 本来なら、もっとこう、平和であるべきだと思う。


 昼まで寝て、だらだらして、冷房の効いた部屋でスマホを眺めながら一日を終える。

 そういう、夢も希望もないけど確実に平和な休日。


 決して――


「……なんで私、朝から鏡の前で髪整えてるんですか」


 女装した自分に向かって現実逃避みたいな問いかけをする休日ではない。


「自分でやってるからだろ」


 背後から、美央が呆れた声を出した。


「違う、そういうことじゃない」


「じゃあどういうことだよ」


「心の問題」


「知らないな」


 瀬神美央はそう言いながら、ベッドに座って漫画を読み続けている。人の部屋みたいな顔して座ってるけど、ここ普通に俺の部屋だからな。


「そもそもなんでお前がいるんだよ」


「呼ばれたから」


「呼んでない」


「鍵開いてた」


「不法侵入だろ」


「親友にその言い方ひどくない?」


 全然ひどくない。事実だ。


 だが、追い返すのも面倒でそのままにしているあたり、俺もだいぶ甘い。


「で?」


 美央がページをめくりながら言う。


「今日、どこ行くんだっけ」


「ショッピングモール」


「また甘いもの?」


「知らん。たぶん途中で食うんじゃないか」


「凛花先輩、甘いの好きだもんな」


「そうだな」


「お前も最近だいぶ詳しいじゃん」


「うるさい」


 そう返した瞬間、美央がにやっと笑った。


「へぇ」


「なんだよその顔」


「いや別に。詳しいんだなって思って」


「何度か付き合わされてたら嫌でも覚えるだろ」


「“付き合わされてる”のに、ちゃんと覚えてるんだ」


「……」


 面倒くさいところを突くな。


 俺が黙ると、美央は漫画を閉じて立ち上がった。


「前向け」


「は?」


「髪、ちょっと変」


「変じゃないだろ」


「変。ほら」


 近づいてきて、前髪を指先で整えられる。


 距離が近い。


 昔からそうだ。昔からそうなのに、最近やたら意識してしまう。


「……」


「なに」


「近い」


「今さら?」


「今さらでも近いもんは近い」


「文句多いな」


 そう言いながらも、美央は手を止めない。前髪を流して、耳元のウィッグを直して、少しだけ離れて全体を見る。


「うん。今日はだいぶいい」


「何目線だよ」


「プロデューサー目線」


「最悪だな」


「でも可愛い」


「その感想いらない」


「凛花先輩は絶対喜ぶ」


「やめろ」


 本気でやめてほしい。


 凛花先輩のことを考えただけで心臓に悪いのに、そこへ余計なことを足すな。


「今日、なんか緊張してる?」


「してない」


「嘘。声ちょっと硬い」


「……」


 図星だ。


 今日の約束自体もそうだけど、問題はその最後に来たメッセージだ。


『夏祭り、一緒に行けたらうれしい』


 あれがずっと頭に残ってる。


 普通に聞けばただのお誘いだ。

 でも凛花先輩が言うと、破壊力がおかしい。


「顔赤い」


「暑いんだよ」


「冷房効いてる室内で?」


「うるさい」


 美央が吹き出した。


「ほんとわかりやす」


「お前にだけは言われたくねぇ」


「私はもっと上手いし」


「自分で言うな」


「事実だし」


 その“上手い”って何の話だよ、と聞きかけてやめた。

 たぶんろくな答えが返ってこない。


 美央は時計を見て、小さく息をついた。


「そろそろ時間じゃん」


「わかってる」


「じゃ、私はバイト行く」


「おう」


 美央はバッグを肩にかけ、ドアのところで振り返った。


「……唯斗」


「ん?」


「変なとこで気遣いすぎんなよ」


「なんだよ急に」


「お前、凛花先輩相手だとたまに変な方向に優しいから」


「変な方向ってなんだよ」


「自分で考えろ」


 それだけ言うと、美央は少しだけ目を細めた。


「あと」


「まだあるのか」


「……あんま無理すんな」


「……」


 なんでそこで少し優しいんだよ。


 返事に詰まった俺を見て、美央はわざとらしく肩をすくめた。


「面白いから半分くらいは見守ってるけど」


「残り半分は?」


「秘密」


「なんだそれ」


「じゃ、行ってくる」


 ぱたんとドアが閉まる。


 その音を聞いたあと、俺は鏡の前で小さくため息をついた。


「……平和じゃねぇな」



 駅前の待ち合わせ場所には、凛花先輩がもう来ていた。


 白い半袖のトップスに、薄い色のロングスカート。夏らしくて、涼しげで、でも普通に目立つ。


「唯」


 俺に気づいた瞬間、表情が柔らかくなる。


 この変化、何度見ても心臓に悪い。


「こんにちは」


「こんにちは。今日も来てくれてありがとう」


「……はい」


「それと」


「?」


「すごく可愛い」


「開口一番それやめてください」


「本当のことだし」


「毎回言わなくていいです」


「毎回言いたい」


「言わないでください」


 凛花先輩がくすっと笑う。


 だめだ。

 会って三十秒でペースを持っていかれてる。


「行こっか」


「はい」


 ショッピングモールへ向かって歩き出す。


 その時点でもう距離が近い。

 人混みを理由にしてるのかしてないのか、たまに肩が触れそうになる。


「唯」


「はい」


「今日、ちょっと緊張してる?」


「してません」


「嘘」


「してません」


「手、冷たいよ」


「えっ」


 気づいた時には、凛花先輩の指先が俺の手首に触れていた。


「っ!」


「やっぱり」


「い、いきなり触らないでください!」


「ごめん」


 謝ってるくせに笑ってる。

 絶対反省してない。


「でも、本当に緊張してるんだね」


「してません」


「可愛い」


「全部そこに繋げないでください」


 ほんとこの人、なんでも口説き文句に変換するな。



 モールの中は、夏休みの土曜らしくかなり混んでいた。


 最初に入った雑貨屋で、凛花先輩は涼しげな色のヘアアクセを見ながら「これ唯に似合いそう」と何度も言った。


「つけませんよ」


「今度つけて」


「今度もないです」


「あるよ」


「ないです」


「ある」


「会話が終わらないんですけど」


 俺が真顔で言うと、凛花先輩は楽しそうに笑った。


「唯って、こういう時だけ頑固だよね」


「こういう時だけじゃないです」


「そうかな」


「そうです」


「でも、その頑固なとこも好き」


「……」


 ほんとやめろ。


 そういうのを自然に挟むな。

 こっちは毎回まともに食らってるんだぞ。


 昼前になって、フードコートへ移動する。

 今日の昼は、期間限定のフルーツサンドとレモネードに決まった。


「唯、こっち座って」


「ここでも隣なんですか」


「隣の方が話しやすいから」


「対面でも話せます」


「でも隣がいい」


 理由が強い。

 毎回強い。


「……ほんと、よくそんなこと平気で言えますね」


「平気じゃないよ」


「え?」


 意外な返答に思わず顔を上げると、凛花先輩は少しだけ照れたみたいに笑った。


「唯だから言えるだけ」


「……」


 ずるい。


 そういうのは本当にずるい。



 食べながら、俺はなんとなく昨日のことを思い出していた。


 凛花先輩と、美央と、唯斗――つまり俺で出かけた昨日。


 その場で、凛花先輩は俺に“唯”のことを聞いてきた。


 あれを思い出すだけで胃が痛い。


「どうしたの?」


「え?」


「急に静か」


「……なんでもないです」


「朝比奈のこと考えてた?」


「っ、なんでですか」


 今日二回目くらいの心停止。


「なんとなく」


 やめろ、そのなんとなく。


「この前、朝比奈に“唯って可愛いよね”って言った時、すごく面白い顔してたから」


「……」


 本人です、とは言えない。

 言えたらどれだけ楽か。


「気になる?」


「まあ……少しだけ」


「ふふ」


 凛花先輩がうれしそうに笑う。


 なんでだよ。


「朝比奈って、優しいところあるよね」


「……そうなんですか」


「うん。ちょっと不器用だけど」


 その評価、本人の前で言うのほんとやめてほしい。


「唯と少し似てるかもって思ったし」


「っ」


「やっぱりびっくりする?」


「……します」


 しますどころじゃない。


 昨日の俺、たぶんわかりやすく焦ってたぞ。


「でも」


 凛花先輩が少しだけ声を柔らかくする。


「朝比奈が唯のこと可愛いって言ってくれたの、ちょっとうれしかった」


「……」


 死ぬ。


 その話、まだ持ってくるのか。


 俺が黙り込んでいると、凛花先輩が首を傾げた。


「唯?」


「……なんでもないです」


「ほんとに?」


「ほんとです」


「顔赤いよ」


「暑いんです」


「便利だね、その言い訳」


 前にも言われた。

 完全に覚えられてる。



 食後、二人で上の階のイベントスペースを歩く。


 そこでは夏祭りに向けた特設コーナーができていて、浴衣や風鈴、かんざしなんかが並んでいた。


「唯」


「はい」


「やっぱり浴衣、似合いそう」


「またそれですか」


「だって本当に似合いそうだし」


「着ませんよ」


「なんで?」


「恥ずかしいです」


「可愛いのに」


「その理屈でもう押し通さないでください」


 凛花先輩が、青と白の花柄の浴衣に指を触れる。


「これ、唯っぽい」


「どこがですか」


「なんとなく」


「雑すぎます」


「でも似合う」


「まだ着てないです」


「私の中ではもう似合ってる」


 意味がわからない。


 でも楽しそうだ。

 ほんとに楽しそうに言うから、強く否定しづらい。


「……先輩」


「なに?」


「夏祭り、ほんとに行くんですか」


「行きたい」


「……」


 間を置かずに返される。


「唯と」


 その一言がだめだった。


 胸の奥が、変にうるさくなる。


「……考えます」


「それ、来るやつ?」


「たぶん……」


「よかった」


 凛花先輩が、また少し目を細める。


 そうやって笑うの、反則だろ。



 夕方、モールを出る頃には日が少し傾いていた。


「今日はありがとう」


 凛花先輩が満足そうに言う。


「いえ……」


「楽しかった」


「それはよかったです」


「唯は?」


「……まあ」


「また“まあ”」


「必要なんです」


「素直じゃないなあ」


「先輩が素直すぎるんですよ」


 そう返すと、凛花先輩が立ち止まった。


「唯」


「はい」


「私、朝比奈にちょっとだけ嫉妬したかも」


「……え?」


「唯のこと、少し知ってるみたいだったから」


「っ」


 やめろ。

 その話題、ほんとに地雷なんだよ。


「そ、そんなこと……」


「でも」


 凛花先輩が一歩近づく。


「唯のこと、一番知りたいのは私だから」


「……」


 言葉が出ない。


 近い。

 目も、声も、距離も、全部近い。


「……先輩」


「なに?」


「そういうの、ずるいです」


「唯にだけだよ」


「……」


 もうだめだ。


 心臓がもたない。


 視線を逸らした俺を見て、凛花先輩は少しだけ満足そうに笑った。


「次、楽しみにしてるね」


「……考えます」


「うん。待ってる」


 その“待ってる”が、今日一番重かった。

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