第七話:BLと料理の因果関係
アレクシスの料理修行は、案の定、毎日がドタバタだった。
鍋を焦がすのは日常茶飯事、計量スプーンとカップの使い方が分からず悪戦苦闘し、食材を無駄にすることも数知れず。その度に温厚を自負していた筈の私は怒鳴り散らし、彼はしょんぼりする。だがしかし、「食料庫と厨房」としての役目は確かに果たされており、美しい筋肉をスケッチできるというメリットを考えれば、この等価交換は成立していた。
そんなある日の昼下がり、私はリビングのソファでタブレットを操作し、新しいプロットを練っていた。隣に座ったアレクシスは、私の肩越しに画面を覗き込んでいる。
「アヤノ、これが、あなたが描くという『BL漫画』か?」
彼の視線が、私が開いていたBL漫画の資料、それも成人男性同士が絡み合う描写のページに固定された。
私の胃がひゅんと竦む。まさかこんなタイミングで見られるとは。あまりにも彼がその辺に居るという非日常が日常化してしまっていた。迂闊にもほどがある。
「あ、ええ、まあ、そうですね。これが私の……仕事です」
私は動揺を隠し、ぎこちなく答える。
アレクシスは眉一つ動かさず、真剣な顔で画面を見つめている。
「これは……実に奥深いな。男と男が、このようにして心を交わすのか」
彼は指で画面をなぞり(なぞらないで!)そこに描かれたキャラクターたちの表情を追っている。その真剣な眼差しは、まるで学術書でも読んでいるかのようだ。
「あのですね、アレクシスさん。これは、その、現実とはちょっと違うというか……おとぎ話というか……」
慌ててフォローしようとするが、彼の言葉は止まらない。
「この二人の愛の形は子孫を残すための神聖な行いとは違うな。それに勝る情熱と絆があるように見える」
彼は目を輝かせ、私に向き直った。
「ぜひ、この『BL』について、もっと深く教えてほしい」
その顔は、まるで未知の学問を前にした探究者のようだ。
「食料庫と厨房」という役割に加え、今度は「BL」を、指南せよというのだろうか。
「いや、あのですね、アレクシスさん。BLっていうのは、そんなに難しいものでは……」
私が言い淀むと、彼は琥珀色の瞳をさらに輝かせた。
「難しいからこそ、学びがいがあるというものではないか。この愛の真髄を理解すれば、きっと私の『伝説の料理』にも、新たな深みが加わると思うのだが」
何をどう転んだらそういう思考に至るのだろうか。その向上心は一体どこから。
BLと料理の因果関係が私には見出せない。私は呆れを通り越して、もはや感心すらしてしまった。彼の頭の中では、あらゆる知識が伝説への道のりに繋がっているらしい。
こういった経緯で、BL漫画に関するある種講義めいたものが始まった。
私が描いた漫画を真剣な顔で読み込み、キャラクターの心情や関係性について質問攻めにするのはやめて欲しい。
「この者は、なぜこのような時、このような表情を浮かべるのだ? これが『攻め』の表情か? では『受け』は……」
彼の質問は、あまりにも的を射すぎていて、私はその度に「いや、アレクシスさん、それはちょっと生々しいから!」と顔を赤くして反論する羽目になった。
◇◇◇
アレクシスが「伝説の料理人」を目指す、という突拍子もない宣言をしてから数日しか経てないというのにも関わらず、(本来私の部屋であるところの)彼の厨房は、まさに戦場と化していた。
朝食、昼食、夕食……料理修行は、私の生活リズムを完全に破壊し、そして胃袋を人質に取るかのようだった。
「く……この『タマネギ』という野菜は、なぜこれほどまでに私の目に涙を誘うのだ!?」
朝から響くアレクシスの悲鳴に、私はため息を吐きながらリビングから顔を出した。
シンクの前に立つアレクシスは、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔で、半ば呪いのようにタマネギを睨みつけている。その手元にあるタマネギは、見るも無惨な千切り状態。
「それは、タマネギが持つ『催涙成分』ってやつですよ。普通は、換気扇を回したり、濡らした布巾を口に咥えたりするんですけど……」
私が説明を始めた途端、アレクシスは目を輝かせた。
「ほう! この世界には、そのような神秘的な成分が存在するのか。 奥深いな、ニッポーン」
いや、別に神秘的でもなんでもない。ネギ属植物が豊富に持つ含硫化合物に由来し、催涙因子合成酵素によって生成されるただの科学的反応のひとつである。
しかし、彼の前では、些細な日常もすべてが未知との遭遇。新たな発見となる。
彼が唯一器用にこなせるのは、食洗器のボタンを押すことだけだった。器用といえるかは、分からないが。現状褒められる部分が筋肉以外にあまり無い。包丁の持ち方から火加減の調整まで、何もかもが初心者マークどころか、異世界語の専門用語が飛び交うレベルだ。卵を割れば黄身が飛び散り、米を研げば炊炊飯器に移す前にすべて排水溝へと流れゆく。絵にかいたような不器用さ。
「アレクシスさん、それは食べられるんですけど、そうじゃなくて、水に浸して……」
レシピ通りにいくと、昆布で出汁をとろうとしていたアレクシスの行動を制するように、私は何度も口を挟むのだが凹むどころか、その度に彼は「師匠の教え」と目を輝かせた。彼の純粋な探求心には頭が下がるが、反比例するかのごとく私の神経は確実にすり減っていった。
それでも、彼の作ったものは、なぜか不思議と「食べられない」というほど不味くはなかった。
見た目は壊滅的。しかし、どこか素朴な、素材の味がする料理。
それは、彼の国で不味いとされてきた料理とは、明らかに一線を画しているようで、アレクシスは自らの手で灰色に染め上げたカルボナーラソースでさえ感動しながら「む……繊細……繊細過ぎて胸が苦しくなる……」と大げさに感動する。
そんな料理修行に付き合う中で、私は新たな発見をした。アレクシスは「直感で危険を察知する能力」に非常に優れている。火の消し忘れ寸前で気づいたり、完全に焦げてしまう寸前で鍋を離したり。まるで、そこだけ、料理の神様が彼にだけは微笑んでいるかのようだった。いや、コンロの神様とでもいうべきだろうか。
そして、その日の夕食。アレクシスが初めて独りで最後までやり遂げた。と言える料理は、見た目はひどいが、そこそこの味がする野菜炒めだった。フライパンを振る腕の動きだけは、やけに堂に入っていた為褒めると、特技は剣技なのだそうだ。成程。彼の故郷は剣を振るう世界なのか。
「 この『伝説の野菜炒め』の感想を忖度なく言ってくれ」
自慢げに差し出された皿を受け取り、私は疲れた顔のまま微笑んだ。
「はい、美味しいですよ。とてもよくできましたね」
割と適当に返した感想にもかかわらず、アレクシスはまるで褒められた大型犬のように、満面の笑みを浮かべる。顔面偏差値が高いのは得だなあと、見事なまでに一本に繋がっている人参を、箸で千切りながら、独り言ちるのだった。




