第八話:無血開城――鉄血城
シシィ様を最高太客へジョブチェンジさせるという、予想外の方向で強硬派の翼をモギ取った翌日。
事態はガルドス領の主――ガルドス辺境伯の耳へと届き、案の定、呼び出される羽目になった。
「――一体、我が娘にどんな呪術をかけた、アヤノとやら!」
地鳴りのような辺境伯の怒声が、高い天井に反響する。
傍らに立つ護衛のシリルが、いつでも剣を抜けるよう静かに身構えるのが見えた。だが、肝心のアレクシスはといえば、私の隣で「呪術? アヤノが使ったのは愛の教典だが」と至極のんきな顔をしている。
「お父様、失礼ですわ! 呪術などではありません、あれは聖なる経典です!」
辺境伯の背後から悪役令嬢っぽい登場の仕方をしたのは、鼻を鳴らし背中を反り返らせているシシィ様だった。その手には、私の『愛の料理指南書』がしっかりと握られている。
「シシィ、お前というやつは……! アレクシス殿下との婚姻を進め、我がガルドス家と王家の結びつきを強める大局の婚姻だぞ!? それをお前は昨日から『地雷カプの極み』だの『解釈違いで死ぬ』だの、わけのわからぬ言葉を連発して……!」
「当然ですわ! 殿下にはアヤノ様という唯一無二のパートナーがいらっしゃるのです。そこにわたくしが割り込むなど、美学に反しますの。お父様もこれをお読みになれば、わたくしの気持ちが分かりますわ!」
シシィ様が指南書を辺境伯の目の前に突きつける。
辺境伯は「う、うむ……?」と気圧されながらも、頑なにそれを拒んだ。
「だまされんぞ! 武骨を重んじる我がガルドス領の人間が、そのような軟弱な書物に惑わされるか! 殿下、申し訳ありませんが、我が家臣たちも殿下の『食卓改革』とやらには大猛反発しております。本日、我が領地の精鋭騎士たちを集めました。彼らを納得させる料理が作れぬのなら、アヤノ殿の『婚約者』という建前も、この場で撤回していただくよう陛下に奏上いたしたく存じます!」
パチン、と辺境伯が指を鳴らす。
すると、謁見の間の重々しい扉が開き、中に入ってきたのは、全員が筋骨隆々、髭面に鉄の甲冑を纏った、見るからにお堅い『鉄血の家臣団』の男たちだった。
「……うわぁ、絵にかいたみたいな武闘派集団ですね」
私はちらちらと居並ぶ戦士たちを見ては、身長や体格の差異を必死に記憶する。絶対使える。
「ふむ、面白い。我が料理修行の成果を、辺境の戦士たちに評価してもらう絶好の機会だな」
アレクシスは不敵に微笑むと、私の手をそっと握った。
「アヤノ、君の描いた世界を、彼らの胸にも刻んでみせよう」
その王子様オーラを料理以外で発揮してほしい。切実に。
今話しかけられると、思い浮かんだ構図が消えていく。
視線を彷徨わせる私に、シシィが寄り添いそっと耳打ちした。
「(全員の詳細名簿あとでお持ちしますわ)」
「(ありがとう!!!)」
◇◇◇
辺境伯の命により、迎賓館の中庭に特設の巨大な調理台が設置された。
ひげ面主体の鉄血の家臣団が腕組みをして殺気立つ中、アレクシスは特大のフライパンを構えていた。今回のメニューは、シシィ様が昨晩から「ぜひとも皆に布教せよ」と熱望していた一品、『激情の鉄血炒め:辺境の夜の誓い編』である。
「この屈強な『鉄血の肉塊』を、じっくりと油の熱で包み込む! これぞ、戦場に咲く愛の融合」
アレクシスが得意の剣技を応用した神速のフライパン捌きを見せる。バチバチと激しく油が飛び散り、中庭に濃厚な肉の焼ける香りと、香辛料のエキゾチックな匂いが立ち込めた。騎士たちは最初こそ「ふん、軟弱な真似を」と鼻で笑っていたが、肉が焼き上がるにつれ、その豊潤な香りに生唾を飲み込み始めた。
「さあ、我が愛の結晶を味わうが良い。遠慮するな」
大皿に盛られた『激情の鉄血炒め』が騎士たちの前に差し出される。
副官らしき一番厳つい髭面の騎士が、意を決してフォークで肉を口に運んだ。
「…………!?」
次の瞬間、騎士の全身が硬直した。
「な、何だこれは……! 外側は屈強な鎧のようにカリッと香ばしいのに、噛み締めた瞬間、中の肉汁が……まるで、長年背中を預け合ってきた戦友のように、優しく、かつ熱く舌の上に広がっていく……!」
「美味い……! 我らがいつも食べている、ただ焦げただけの肉塊とは次元が違う! これほどまでに、魂を揺さぶられる戦士の糧があったというのか……っ!」
アレクシスが独自に編み出した『攻めと受けの調和』の調理法は、騎士たちの男の熱い絆の精神と奇跡的な化学反応を起こしてしまったらしい。次々と涙を流して肉を貪り食うひげ面達を前に私は淡々とスケッチを進める。無論、髭にも需要があるからである。
「さあ皆の者! アレクシス様御手による味を理解したならば、アヤノ様が、殿下による調理法の概念をお描きになった『聖書』を読みなさい!」
ここで最高太客のシシィ様が動いた。彼女が職権乱用でガルドス領の印刷所に緊急増刷させた『愛の料理指南書』を、家臣たちに次々と配り始める。昨夜榊原は、遠隔によるロイヤリティの契約を交わさせていた。魔術契約書というのは、手書きで無くても良いらしい。原理はよくわからない。
「……おい、この挿絵の殿下、何故服を着崩しておられるのだ」
「待て……この解説文を読め。『強大な牛肉の質量に、その身を全て委ねるトマト』……。これは、もしや、主君を守るために盾となる、我ら騎士の忠義の究極系を表現しているのでは……?」
「……うむ。この行間に隠された、男たちの情熱的な……いや、尊い絆……っ!!」
ガキィン、ガキィンと、騎士たちが指南書を胸に抱き、その場に片膝を突いた。
「貴女様を侮り過ぎておりました。これは、ただの絵師ではない、戦士の魂の絆を可視化する神絵師……」
「我がガルドス騎士団、本日よりアヤノ様の『ねえむ』の警護を全霊で務めさせていただきます!」
私の右手からペンがぽとりと落ちる。
髭面騎士たちが、一瞬にして「全肯定する信者」へとジョブチェンジしていく。外堀を埋めるどころか、外堀の地盤そのものがオタクの沼に沈没していた。
「な、何が起きているのだ……。我が家臣たちが、一斉に怪しげな書物を拝んでおる……。シシィ、お前は何を……」
一人取り残されたガルドス辺境伯が、ガタガタと震えながら愛娘を見つめる。
シシィ様は、そんな父親にフッと冷徹な笑みを向けた。
「お父様。諦めて、アヤノ様への御用達となるべく、書類にサインをなさい。さもなくば、ガルドス領は時代に取り残されますわ」
夜、やはりその様子を遠隔通信の魔術か何かで一部始終見ていた日本の榊原から、「強硬派の家臣団まで一晩で最大手の顧客にするとは。アヤノ様、期待以上の費用対効果です。第二部の単行本印税、上乗せしておきますね」という、もはや悪徳コンサルというより有能すぎる敏腕プロデューサーの絶賛の声が届いていた。
敵陣を丸ごとファンクラブに塗り替えるという、前代未聞の完全勝利、である。




