第七話:鉄血令嬢の襲撃
偽装婚約者としての心臓に悪い密室の夜を、シリルと榊原の不可抗力?なディフェンスによって、なんとか健全に生き延びた翌朝。
アレクシスが迎賓館の兵士たちに乞われて剣技の朝練に向かったため、私は一人、館の中庭に面した東屋で朝食もとい、固いパンと珈琲風の苦いお茶をすすっていた。ほんとにフォルジェの食文化は壊滅的だ。辺境だからこの程度のレベルなのかしれないけど。
手元には、今後のロケハンを兼ねたスケッチブック。ようやく訪れた平穏な時間にホッとしたのも束の間、激しい靴音が石畳を鳴らして近づいてきた。
「――見つけましたわ、アヤノとやら!」
振り返ると、そこには昨晩物々しく開催された『鉄血晩餐会』でも私を激しく睨みつけていた辺境伯の令嬢、シシィが立っていた。
今日の彼女は、燃えるような真紅の乗馬服に身を包み、手には鞭を握りしめている。お堅いガルドス領の女性らしく、凛とした強気な美貌が、怒りでさらに引き締まっていた。
「シシィ様……。おはようございます」
「挨拶など不要ですわ! 一晩考えましたけれど、どうしても納得がいきませんの。殿下が、あなたのような、どこにでもいる可でも不可でもないそこそこな女を婚約者に選ぶなど、何かの間違いですわ。あなた、一体どんな卑劣な罠で殿下をたぶらかしましたの!?」
シシィはフンスと鼻を鳴らし、東屋の机をバンと叩いた。
その拍子に、私の鞄から、一冊の分厚い本が床へと滑り落ちた。
光沢のある上質な表紙。そこには、アレクシスをモデルにした『アレス王子』が、剣を構えながらもどこか憂いを帯びた表情で微笑むイラストがデカデカと印刷されている。
……そう、王立ホールの即売会で完売し、私が自分用に一冊キープしていた、例の『愛の料理指南書』である。
「あら、それは何かしら? ……『せめの、にく、じゃが』……? 殿下の似姿が描かれているようですが」
シシィが不審そうにその本を拾い上げた。
私は焦って手を伸ばす。
「あ、あの、それはダメです! ただの料理の本というか、その、シシィ様にはまだ刺激が強すぎるというか……!」
「ふん、わたくしを子供扱いしないでくださる? ガルドス家の血を引く高位貴族たる私に読めぬ書物などありませんわ!」
シシィは私の制止を無視し、ページをバッと開いた。
開かれたのは、アレクシス直伝(?)のレシピ。
第3章『受けのトマトと攻めの牛肉:魂の共鳴シチュー』のページだった。
そこには、私の手による渾身の挿絵――はだけたシャツの隙間から極上の大胸筋を覗かせ、切ない表情で牛肉を見つめるアレス王子のイラストと、アレクシスによる独自の料理解説文が踊っている。
【――煮込まれてとろけるトマト(受け)の肉体は、強大な牛肉(攻め)の質量に抗うことなく、その身を全て委ねる。これぞ、二つの魂が一つに溶け合う、禁断の愛の濃度である】
「…………え?」
シシィの動きがピタリと止まった。
彼女の美しい瞳が、テキストとイラストの間を猛烈な勢いで往復し始める。
「シ、シシィ様……?」
「これ、は……。殿下の似姿が……なぜ、服を着崩して……。それに、この『攻め』と『受け』という……トマトが、牛肉に、身を委ね……っ!?」
シシィの顔が、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。
だが、その瞳には恐怖ではなく、未知の超新星爆発を目撃した天文学者のような、凄まじい好奇心が宿り始めていた。
「ま、待ってください、えっと、それはただの比喩で……!」
「……静かにしてくださる!?」
シシィは凄まじい気迫で私を黙らせると、取り憑かれたように次のページを捲った。次は『運命の赤い糸パスタ:絡み合う二人の絆』のページだ。
「っ……! この、ミートソースに絡め取られるパスタの描写……! これは、抗えぬ宿命に翻弄される騎士と王子の、緊迫した関係性を表現しているのですわね!? ただの料理本ではなく、この行間に隠された、男たちの……男たちによる、情熱的な……っ!!」
(行間を読むなんて高度なオタク的技術に開花している!?)
伝統と武力に縛られ、娯楽の極端に少なかった辺境の地で育ったシシィ様にとって、日本のBLのエッセンスが詰まった私のイラストと、BL思考に汚染されたアレクシスのテキストは、脳の未使用領域をダイレクトに直撃する劇薬すぎたのだ。
「シシィ様、大丈夫ですか? 息、吸ってください」
「アヤノ、あなた……、あなた、天才ですわ……っ!!」
ガタッ、とシシィが椅子を蹴立てて立ち上がった。
さっきまでの敵意はどこへやら、彼女は私の両手をガシッと握りしめ、目を潤ませて迫ってきた。
「私、浅はかでしたわ! あなたが殿下の婚約者に選ばれた理由が、今、完全に理解できましたの。これほどまでに殿下の『内面性』と『秘められた情熱』を深く理解し、この世のものとは思えぬ美しい画として紡ぎ出せる女人など、大陸中を探してもあなたしかいませんわ!」
「え、いや、私はただの趣味というか仕事で……」
「これ! この『受けのオムライス』の続編はどこにありますの!? 我がガルドス領の全財産を投じてでも、この物語の行く末を見届けたいですわ……っ!!」
シシィ嬢。一発で重度のオタク且つ、軍資金が豊富な最高太客へジョブチェンジ完了である。
◇◇◇
朝練から帰ってきたアレクシスが、中庭の様子を見て不思議そうに首を傾げた。
「おや、アヤノ、シシィ嬢。二人で仲良く何をしているのだ?」
東屋の中では、アヤノの隣にぴったりと座り、熱心にスケッチブックを覗き込むシシィの姿があった。シシィの手には、すっかりボロボロになるまで読み込まれた指南書が握られている。
「殿下! アヤノ様は今、次作『激情の鉄血炒め:辺境の夜の誓い』の、ねえむ。とやらを切っていらっしゃるのですわ! お声をかけて邪魔をしてはなりません!」
「む? よく分からんが、シシィ嬢も私の『愛の料理』を理解してくれたようだな。嬉しく思う」
アレクシスは爽やかに笑っているが、シシィの視線はすでに、アレクシスの顔ではなく、彼の「服の上からでも分かる逞しい胸筋と、腰の長剣のライン」へと向けられていた。その目は完全に、作画資料を品定めするオタクのそれだった。
夜、どうやらその様子を遠隔通信の魔術か、隠しカメラか何かで見守っていた日本の榊原から「強硬派の令嬢を、無駄な戦闘なしで最大手パトロンに仕立て上げるとは。素晴らしい費用対効果です。ボーナスを弾みましょう」という絶賛の声が届いていた。盗撮しているなら、私の調査報告書って必要なのだろうか……という疑問をかろうじて飲み込む。
強硬派の牙城にて、敵対勢力令嬢を、まさかの料理ではなくBL本で完全懐柔。
私の異世界珍道中は、敵陣の駒をオタクの沼に沈めるという、予想外の成功を齎していた。次なるターゲットは父親か、もしくは外堀から埋めていくか。




