第六話:集え鉄血晩餐会
鉄と武力を重んじるガルドス辺境伯の晩餐会は、会場に足を踏み入れた瞬間から、なんともいえない緊迫感――否、圧迫感に満ち満ちていた。
黒色岩の壁には、これみよがしに巨大な獣の剥製や武骨な槍が飾られ、長机に並ぶ料理は「生で食べると危なそうだからとりあえず焼く」というフォルジェ王国の伝統を極限まで煮詰めたような、真っ黒に焦げた肉塊ばかり。味付けは、無色透明でほとんど味がしない『ドラゴンの涙』が申し訳程度に振られているだけで、素材の野生的な香りがそのまま部屋に充満している。
「殿下、我が領地の誇る『鉄血のフルコース』でございます。王都の軟弱な食事とは一線を画す、戦士の糧をどうぞ!」
ガルドス辺境伯が豪快に笑いながら、ナイフで硬そうな肉を突き刺す。その横では、彼の愛娘であるシシィが、鋭い眼光で私をじっと睨みつけていた。
「アレクシス殿下。そちらの『アヤノ』とやらが本当に殿下の婚約者だとは、私は到底信じられませんわ。そんな、どこにでもいるようなのっぺりとした顔をした女が、国一番の剣士たる殿下のパートナーだなんて……」
シシィの容赦ない言葉に、私の心臓がビクッと跳ねる。だが、私の隣に座るアレクシスは、全く動じることなく、優雅にグラスを傾けた。
「シシィ嬢、外見だけで物事を判断するのは無駄なことだ。彼女は私の探求活動における唯一無二の理解者であり、創造のパートナーなのだからな」
アレクシスはそう言うと、不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。
「ガルドス卿、そしてシシィ嬢。我が婚約者の名誉のためにも、私がこの世界の食を改革する『愛の真髄』をお見せしよう。この厨房をお借りして、私が一品、至高の料理を振る舞わせてもらうぞ」
「……えっ」
私の脳内に、一瞬にして嫌な予感が駆け巡る。アレクシスさん、ここでそのポンコツな料理修行の成果を披露するつもりですか!? あれ、そういう話であってたっけ? 私は脳内で悪徳コンサルの描いた脚本の頁を捲りつつも、場の圧に負け、ツッコミを声に出すのを忘れていた。
それから三十分後。
迎賓館の厨房は、アレクシスによる戦場と化していた。
「この『鉄血の肉塊』を『攻め』の気迫で細切れにし、マナの雫の代わりにこの領地で採れた白い謎油を投入する! これぞ『激情の鉄血炒め』」
アレクシスは得意の剣技を応用した見事なフライパン捌きを見せるが、力加減が絶望的に繊細な作業に向いていない。バチバチと油が激しく飛び散り、厨房中にモコモコと不穏な煙が立ち込め、彼の白いシャツの袖には、べっとりと謎のソースが付着していく。
「あーっ! アレクシスさん、おらおら攻めすぎです! 火が強すぎますって! 焦げます!」
私が思わず叫ぶ中、後ろで榊原への報告用動画撮影を担当しているシリルは、顔面蒼白でスマホを構えていた。その時、シリルの身体がビクッと激しく痙攣を始める。
「ぐ、ぐおぉぉ……っ! 日本、日本のスズムラ殿が、激しい煙の幻覚で、オフィスで火災報知器を鳴らしそうだと……叫んで、います……っ!」
魂の片割れを襲う、時空を超えた理不尽な感覚共有テロ。鈴村君、本当にごめん。私一人ではどうにもならないの。
そうして完成し、晩餐会の席に差し出された『激情の鉄血炒め』は、見た目こそ灰色がかった壊滅的な粘性の塊だったが、ガルドス辺境伯とシシィが恐る恐る一口口に運んだ瞬間、二人の顔が驚愕に染まった。
「な……何だこれは……! 武骨な肉の中に、信じられぬほどの深い旨味と、素材が互いに寄り添うような繊細な食感がある……!」
「悔しいけれど、どこか胸を締め付けられるような、新しい味がするわ……」
BL講義仕込みの『攻めと受けの調和』が、なぜか強硬派の頑固な舌を微妙なラインで魅了していく。アレクシスは瞳を輝かせ、満足げに微笑んでいた。
◇◇◇
長い晩餐会がようやく終わり、私たちはあの魅惑の密室へと戻ってきた。
部屋の扉が重々しく閉まった瞬間、緊張の糸が切れ、私はベッドの横に崩れ落ちるように座り込む。
「はぁ……疲れた……。本当に死ぬかと思った……」
胃を押さえながら呻く私に、アレクシスがゆっくりと近づいてくる。彼は濃紺の上衣を脱ぎ、少しボタンの緩んだシンプルなシャツ姿になっていた。月明かりが窓から差し込み、彼の蜂蜜色の髪を妖しいほどに美しく照らし出す。
「君が私の隣にいてくれたからこそ、ガルドス卿の圧力を跳ね返すことができた」
アレクシスの低い、熱を帯びた声が、密室の静寂に溶けていく。
彼は私の前に身を屈めると、そっと手を伸ばし、私の眼鏡を外してサイドテーブルに置いた。視界がわずかにぼやける中、彼の端正な顔がすぐ目の前に迫る。
「顔出しを断固抵抗していた君が、私のためにこれほどの危険を冒してくれた。……これは、ただのビジネスなのだろうか」
彼の吐息が私の頬を掠め、心臓が爆発寸前の早鐘を打ち始める。漫画ではいくらでも描いてきた定番の密室シチュエーション。だけど、目の前にあるのは、本物の王子の真っ直ぐな視線だった。
「アレクシス、さん……あの、ベッド、一つしか……」
「構わない。言ったはずだ、君は私の唯一のパートナーだと。……今夜は、焦げ付かないよう、じっくりと二人の時間を煮詰めよう」
彼のごつごつとした美しい指先が、私の顎を優しく上向かせる。吸い込まれそうな蒼い瞳から目を離すことができな――ガタカランッ!!
ベランダの窓の向こうで、何かが盛大に転がる音が響き渡った。
「すみません、えっと、決して、盗撮などと言う不埒なあれではございません!」
窓を開けると、そこには真っ赤な顔をしたシリルが、床に散らばった異世界コインを慌てて拾い集めている姿があった。その後ろからは、スマホの画面越しに榊原の冷徹な声が響いてくる。
「シリル、何をしているのですか。無駄な言動は慎み、早くお二人の監視……もとい、警護に戻りなさい。アヤノ様、アレクシス様、夜更かしは無駄な費用の発生に繋がりますので、速やかにお休みください」
「…………」
異世界で、スマホを平然と使わせるな!
あれなんていうんだっけ、違う世界に違う世界の技術とか持ち込むのって、フォルジェ王国コンプラ的にはどうなの。
私は、熱を持った頬を夜風に晒しながら、心の中で盛大に悪徳コンサルへのツッコミを入れる。
強硬派の牙城で迎える、偽装婚約者としての初めての夜。
私たちの物語は、まだ泡立つ鍋のように、混沌とした音を立てながら煮込まれ続けている。
助けて。




