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第一話:異世界王子の隠しスキルと、一発勝負のアナログ原画

一年ぶりの連載となります。第二部は短め!の予定

最後までおつきあいいただけますと幸いです。

 異世界と日本を行き来する、という前代未聞の二重生活――二拠点ビジネスとも言う――が始まってから、あっという間に季節が一つ巡った。


 大賢者にして悪徳コンサルタント榊原の計略により、私は定期的にフォルジェ王国へ出向き、謎の『絵師アヤノ』として料理指南書や似姿集の制作に携わっている。


 だが、現在私がいるのは、見慣れた日本の自宅マンション。

 そして私の背後のキッチンでは、ほぼ居候状態の異世界王子が、今日も意気揚々とフライパンを振るっていた。


「ふむ……。この『トウフ』という白き四角形、なんと脆く儚いのだ。まるで、守られるべき『受け』の象徴。ならば、この強火で炒めた『攻めのひき肉』で、優しく、かつ情熱的に包み込んでやらねばなるまい!」


「アレクシスさん、それただの麻婆豆腐ですからね。あと、豆腐が崩れるのは攻めとか受けとかじゃなくて、絹ごし豆腐を水切りせずに強火で炒めてるからです」


 私は、デスクから振り返りもせずに突っ込んだ。

 アレクシスは相変わらず、私のBL講義の知識を独自の『愛の創作料理』へと昇華あるいは曲解させ続けている。


 彼が日本で仕入れる食材はどんどんローカライズされているが、その調理過程の壊滅的なポンコツ具合は、一向に改善の兆しを見せなかった。


「出来たぞ、アヤノ! 名付けて『情熱の麻婆トウフー愛の交錯』だ」


 得意げに差し出された皿の上には、原型を留めていない粉々の豆腐と、赤黒く染まったひき肉の沼が広がっていた。

 見た目は相変わらず破壊的だが、一口食べると、なぜか味のバランスだけは絶妙に整っているから腹立たしい。


「……味は美味しいです。でも、今はちょっとゆっくり食べてる余裕がなくて」


 私は概念的麻婆豆腐をスプーンで口に運びながら、目の前のデスクに視線を戻し、深いため息を吐いた。


 目の前には、普段使い慣れた液晶タブレットではなく、真っ白な水彩紙がテープで固定された画板が鎮座している。

 その周囲には、コピック、透明水彩のパレット、面相筆、そしてインクの瓶が散乱していた。


「今日は、あの『板』を使わないのか?」


 アレクシスが、不思議そうにタブレットを指差す。


「出版社が主催する『レーベル創設記念原画展』に出展しなきゃいけないんですよ。私、普段はフルデジタルだから展示する『ナマの原画』が存在しなくて。仕方なく、展示用に描き下ろしのアナログカラー原稿を作ってるんです」


 そう、デジタル環境に慣れきった現代の漫画家にとって、アナログカラーの一発勝負は、もはや恐怖でしかない。

 取り消しボタン(Ctrl+Z)が存在しない世界。

 一度色が滲めば終わり。

 手が滑れば即終了。


 私はここ数日、かつてないプレッシャーで極めて繊細な作業に注力している。


「なるほど、それは『真剣勝負』というわけだな」


 アレクシスは、私が描いているイラスト――私の連載漫画の主人公であり、彼自身がモデルとなっている『アレス王子』の姿を、興味深げに見下ろした。


「ええ……。今、一番緊張する作業に入るところなんです。『ホワイト』って言って、キャラクターの瞳に光を入れたり、髪にハイライトを入れたりするんですけど……ここで失敗したら、丸三日の作業がゴミ箱行きなんです」


 私は、小瓶に入った真っ白な不透明インクの蓋を開け、極細の面相筆を手に取った。

 睡眠不足とカフェインの過剰摂取で、指先が微かに震えている。


「それは、瞳に、光を……。魂を吹き込む儀式だな」


 アレクシスは、私の真剣な空気を察したのか、息を潜めて私の手元を見つめた。

 私は深呼吸をし、筆先にホワイトを少量含ませた。

 アレス王子の瞳の、一番良い位置に光を置く。

 それだけで、キャラクターの表情が生き生きと輝くはずだ。


 いざ、と筆を下ろそうとした瞬間。


「ッ……!」


 ビクッ、と手が震えた。

 疲労のピークを迎えた腕が、絶望的なタイミングで反抗期を迎えたのだ。

 筆先が、瞳ではなく、アレスの眉間のあたりに落ちそうになる。


 あ、終わった。

 私が絶望に目を閉じた瞬間――、背後からスッと大きな手が伸びてきて、私の手首をふわりと、確かな力で包み込んだ。


「貸してみろ」


「えっ!?」


 気がつけば、アレクシスが私の背後に立ち、私から面相筆を奪い取っていた。

 顔が近い。

 彼の整った横顔がすぐ真横にあり、石鹸と香辛料が混ざったような彼特有の香りが鼻をかすめる。


「ちょ、アレクシスさん!? ダメです、それは一発勝負の……!」


「案ずるな。筆の扱いは、剣と同じだ」


 ピーラーすらまともに使えず、豆腐を粉微塵にする男が何をおっしゃる。

 やめてくれ。

 私が悲鳴を上げるよりも早く、アレクシスは躊躇なく面相筆を水彩紙へと走らせた。


 ――その瞬間だった。

 彼の指先から、ほんの僅かに、微細な青白い粒子のようなものがこぼれ落ちたように見えた。


 面相筆の先についたホワイトのインクが、まるで生き物のように、紙の上を滑らかに走る。

 ツーッ、と引かれた髪のハイライトは、息を呑むほどに流麗で、一切の迷いがない。

 さらに、筆先がポン、ポンとアレスの瞳に触れると、そこには計算し尽くされたかのような、完璧な位置と大きさの光が宿った。


 光を帯びたアレスの瞳が、まるで紙の中からこちらを見つめ返してくるように命を吹き込まれる。


「……え?」


 私は、ポカンと口を開けたまま、完成したイラストを見つめた。


「どうだ? 愛の輝きが、見事に表現できたと思うが」


 アレクシスは、満足げに筆を置き、優雅に微笑んだ。


「嘘……なんで? 豆腐はあんなにボロボロにするのに、なんでこんな繊細な筆遣いができるんですか!?」


「言っただろう、剣の太刀筋と同じだ。力の流れと、液体の『意志』を少し導いてやっただけだ」


 アレクシスはこともなげに言う。

 彼にとっては「水属性や光属性の微弱な魔力操作でインクの表面張力を完璧にコントロールする」という、チート魔法を使っていただけなのだが、そんな事情を知る由もない私は、目の前の男の隠された芸術的才能に戦慄するしかなかった。


「アレクシスさん……あなた、料理よりアシスタントに向いてるんじゃ……」


「アシスタント? 私が、君の創作の片腕になるということか?」


 その言葉に、アレクシスはパッと琥珀色の瞳を輝かせ、ぐっと私に顔を近づけてきた。


「共に愛の物語を紡ぐためならば、私は喜んで筆を執ろう。アヤノ」


「いや、顔が近いです……っ!」


 私は慌てて椅子ごと後ろに下がった。

 料理の時はただのポンコツなのに、こういう時だけ無駄に王子様のオーラを出してくるから心臓に悪い。


 相変わらずのマイペースな異世界王子と、彼に振り回される私の日常であるが、この先にとんでもない展開が待ち受けているのは、予定調和のうちだった。



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