第十八話:食の祭典すなわち異世界料理対決
「サイン会に合わせて、フォルジェ王国の食の祭典を催すことになりました」
榊原の言葉は、いつものように淡々としていたが、その内容は私の思考をフル稼働させるものだった
食の祭典、とは?
サイン会だけでも気が重いのに、なぜ私が異世界の料理対決に巻き込まれなければならないのか。
頭の隅で、微かな緊張感が走る。
「食の祭典、ですか? 私は料理人ではありませんし、サイン会だけでも……」
「ご心配なく、アヤノ殿には、祭りの目玉となる料理対決の審査員を務めていただきます。そして、アレクシス様には、特別ゲストとして、自慢の腕前を披露していただくことになります」
榊原の言葉に、アレクシスは静かに目を輝かせた。
「コウ、それは素晴らしい。私の『伝説の料理』を、フォルジェ王国の民に味わってもらう絶好の機会だな」
彼は、すでにどんな料理を披露するか、頭の中で構想を練り始めているようだ。
私の胃は、彼のBL仕込みである伝説の料理が、フォルジェ王国の食の祭典でどのような反応を引き起こすのかを想像し、少しばかりの不安を感じ始めた。
祭りの準備は、榊原邸で大々的に行われることになった。
広大な厨房は、異世界の食材で埋め尽くされる。
その奇妙な光景は、とりあえずスケッチに残しておこうとおもったのが、お絵かき用のタブレットもペンも持ち合わせておらず、私はついうっかり「裏紙でもいいので~」と執事さんにお願いしたことを後々後悔する羽目になる。
「さて、この『叫ぶマンドラゴラ』という野菜は、どのように調理すれば良いのだろうか。そして、この『虹色イカ』は、一体どんな味がするのだろう」
アレクシスは、興味津々な様子で私に質問を投げかける。
叫ぶマンドラゴラ?
虹色イカ?
私は、日本の家庭料理の基本を教えるはずだったのに、なぜ異世界の珍食材の調理法を考案しなければならないのか。
しかしおそらく典型的巻き込まれ体質な私は、先日王立図書館で目を通した世界の珍味大辞典のページを頭の中で捲る。
「アレクシスさん、叫ぶマンドラゴラは、その名の通り、見た目だけ叫んでいるようにみえる人参みたいな野菜っぽいです。虹色イカは、焼くと地味な色に変化するらしいです」
私が曖昧に答えると、アレクシスは「なるほど。我が国にもニンジーンがあったのだな。興味深い」と、さらに静かに目を輝かせた。彼の頭の中では、すでに奇想天外な料理のアイデアが渦巻いていることだろう。
一方、榊原は、祭りの準備を淡々と進めていた。
彼は、祭りの宣伝戦略から、会場の設営、そして警備体制まで、全てを完璧に管理している。彼の頭の中には、祭典を成功させるための緻密な計算が詰まっていることだろう。
「アヤノ殿。祭りの目玉となる料理対決ですが、審査基準は、『独創性』『味』『見た目』の三点とします。ただし、フォルジェ王国の国民の下は肥えていると非常に言い難いため、その点を考慮して審査してください」
榊原の言葉に、私は静かに息を吐いた。
アレクシスの料理は、既に十分すぎるほど刺激的だ。
私が審査員を務める料理対決は、一体どんな展開になるのだろうか。
◇◇◇
榊原邸の朝は早いが夜も早い。
月が中天に浮かぶころ、日中の騒動を泡沫の向こうに追いやり、屋敷中はしんと寝静まりかえっている。年がら年中完全夜型生活を送っている私には、朝早く起こされるのも辛く、眠たい昼間を何とか乗り越え、もろもろの作業をこなし迎えた夜に、何故か元気になってしまう。体内時計が完全にくるっている。
睡眠時間は短い筈なのにも関わらず、目が冴えてしまって、少し厨房にお邪魔し、珈琲風の苦みのあるお茶をいただいてきた。さすが日本人が家主。フォルジェ王国の食卓は、確かに物足りない味の食事ばかりであるのだが、修羅場中はゼリー飲料や固形栄養などで済ませてしまう私からすれば、不味いというほど酷くは無い。まあ、空腹じゃなければ別に。欲を言えばプリンが食べたい。卵も牛乳代替え品もあるし、砂糖もあるのだから、そのうち作ればいいか。
季節の進み具合が日本より少し早く、肌寒い位だった。膝掛を肩から包み、ベランダに出る。虫の鳴き声とすこしひんやりとしたやわらかい風。それから月光。視界の先には緑の庭で、街の光は都内のそれよりも断然暗く仄かだ。しかしながら絵になる。遠い外国に旅行しに来たような……と考え、外国どころか、もっと遠い所なのだという事を思い出し笑ってしまった。家をこよなく愛していた私が、異世界に居るという事実。
その時、背後から静かな足音が近づいてきた。
振り返ると、そこにはアレクシスが立っていた。彼は、昼間とは違う、簡素な寝間着姿で、月明かりを背負って立っている。
「眠れないのか」
彼の声は、夜の静けさに溶け込むように、いつもより少しだけ低く響いた。
「アレクシスさんもですか?」
アレクシス首肯し、私に一歩近づくと、隣の手すりに軽く肘を置いた。
その距離が、普段より少しだけ近く感じる。
彼の視線が、私の横顔を捉えた。
「いつも、私に新たな視点を与えて、感謝している」
「ど、どうしました? ――ッ」
この道、わが道を往くアレクシスから、殊勝な発言が飛び出し、思わず動揺してカップを揺らしてしまった。濃茶の雫が指先を濡らした。すると隣からスッと腕が差し出され、私の指からお茶のカップをとりあげた。
「火傷は?」
「もう温くなってたんで」
「そうか――職人の大切な指に傷をつけるわけにいかないからな」
いや、あなたの料理介助の方がずっと危険な気がするんだけど。
心の中の突っ込みは、かろうじて抑えられた。
なんとなく、空気的に。今、そういう事を言ってはいけない気がした。
「日本の料理も、この世界の食材に対する貴方の考察も、そして描かれた私の姿も……全てが私を奮い立たせる」
そんな言葉に、なぜか胸の奥がじんわりとする。事実、彼の言葉は胃に響くことばかりなのだが、この夜の静けさの中での言葉は、不思議と心に染み渡る。
アレクシスは、ゆっくりと私の方に顔を向けた。
彼の瞳は、夜空の星のようにきらめき、私を真っ直ぐに見つめていた。
その視線に、思わず息を呑んだ。
「きっとアヤノの存在が、私の探求を、より深いものにしている。この感謝の気持ちを、どう表せば良いのだろう」
そう言うと、彼はそっと手を伸ばし、私の頬に触れた。
ひんやりとした夜の空気に慣れた指先が、私の肌に触れた瞬間、熱い電流が走ったような感覚に襲われた。ドキリと心臓が跳ねる。彼の指は、そのまま私の顎を優しく辿り、顔を少しだけ上向かせた。
彼の顔が、ゆっくりと近づいてくる。月明かりが、彼の完璧な横顔を照らし、その端正な顔立ちがさらに際立つ。私は、彼の吸い込まれそうな瞳から目を離すことができなかった。呼吸の音が、やけに大きく聞こえる。この距離は……これは、まるで漫画で描くような、あのシーンではないか。やばい。誰か。
その時、リビングの窓がガラリと開き、鈴村君の声が響いた。
「せ、先生! こんな時間に、バルコニーで何を! 風邪を引きますよ!」
鈴村君の顔は真っ赤だ。彼の背後には、心配そうなシリルが小さく見えた。
アレクシスは、何事もなかったかのようにすっと私から身を離すと、鈴村君の方を向いた。
「すっかり私も夜型人間となってしまってな。夜空の美しさを語らっていただけだ」
アレクシスは、涼しい顔で答えた。
私は、熱を持った頬を夜風に晒しながら、心臓の早鐘を感じていた。
異世界でのサイン会は、私にとって、壮絶な戦いなのだ。
しかし、その戦いは、食の祭典という新たな舞台へと突入するだけでなく、まさかの予感まで含んでいるらしい。




