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第十九話:混迷の祭典およびご署名会

 フォルジェ王国、王都の中心広場に面した白亜のホール。

 今日、ここが異世界史上、最もカオスな食の祭典と、私:絵師アヤノのサイン会の舞台となる。


 会場は、色とりどりの屋台と、期待に満ちた人々の熱気で蒸し蒸ししている。

 私の胃は、すでに警報を通り越して、諦めの境地に達していた。

 この胸のざわつきは、もはや緊張ではなく、この異世界で起きる出来事へのある種の達観のようなものかもしれない。


「『伝説の愛の融合料理』を披露する時がきたな」


 アレクシスは、まばゆいばかりの衣装を身にまとい、分厚い丸眼鏡をかけ、自信に満ちた笑顔を浮かべている。

 彼の隣では、終始冷徹無表情な榊原が彼の挙動を監視している。

 鈴村君とシリルの顔には、苦労と疲労が色濃く現れている。


「くれぐれも、魔法は使わないでくださいね……」


 シリルの弱々しい忠告に、彼は「心得た」と力強く頷いた。

 あの顔は、心得ていない気がする。

 彼の瞳には、純粋な料理への探求心と、それが引き起こすであろう騒動への無自覚な期待が混じり合っている。


「絵師アヤノ殿の直筆ご署名会(サイン会)は午後からですが、まずは料理対決の審査員として、開会式にご臨席ください」


 榊原が、いつものように淡々と指示を出す。

 彼の言葉は、まるで全てがプログラムされたかのようだ。

 しかし、じっくりと観察すると、僅かに疲労の色を滲ませていた。この数日間、彼もまた、祭りの準備で寝る間もなかったのだろう。彼の背後には、祭りを成功させるための緻密な計算と、恐ろしいほどの実行力が見え隠れしていた。


 開会式が始まり、榊原の凛とした挨拶の後、いよいよ料理対決が幕を開けた。

 王都のみならず、近隣諸国の名だたる料理人たちが、自慢の腕を振るう中、私の目は、やはりアレクシスに釘付けだった。彼は、厨房の真ん中で、まるで舞台役者のように堂々と立ち、鮮やかな手つきで食材を捌いている。周囲からは、彼の優雅な動きに感嘆の声が漏れていた。


「さあ、これが私の渾身の一品。『王子の甘酸っぱい初恋シチュー』」


 自分で王子とか名付けちゃうのはもう天然を通り越している。

 アレクシスが差し出したシチューは、キングプラムの鮮やかな紫色に染まり、その中にはスカイサーモンが捌かれることなく、どっかりと横たわっている。甘酸っぱい匂いと、生臭い魚の匂いが混じり合い、途端に警戒信号が灯った。


 審査員席に座る私は、恐る恐るスプーンを手に取った。

 口に含んだ瞬間、甘酸っぱさと魚の生臭さ、そして独特の粘り気が襲いかかる。味は……例えるなら、「フルーツヨーグルトに刺身を混ぜたような」想像を絶する組み合わせだった。これは、もはや料理というより、一つの哲学かもしれない。


 私の隣に座っていたフォルジェ王国の重鎮らしき審査員たちが、恐る恐る一口食べ、顔を青ざめさせているのが見えた。しかし、彼らはアレクシスを刺激しないよう、必死に笑顔を作っている。彼らの顔は、まるで即効性の毒を目の前にしている者のようにも見えた。


「……斬新な味わいですな……」

「これほどまでに、色々な情念が込められた料理は初めてです……」


 口々に、微妙な褒め言葉が飛び交う。

 アレクシスは、その言葉を真に受け、鷹揚に微笑む。

 彼の輝く瞳は、自分の料理が人々に感動を与えたと信じ込んでいる。その無邪気な自信が、逆に周囲の気まずさを助長させていることに、彼は気づいていない。


 その時だった。アレクシスの背後で、熱心に動画を撮影していた鈴村君の身体が、突如として激しく痙攣を始めた。


「ぐ、ぐぅぅぅぅぅ……っ! これ以上は……! 僕の身体が、味覚破壊の衝撃に耐えきれません!」

「大丈夫ですかあああああああ」


 シリルの悲鳴と共に、担当編集者の身体がその場に崩れ落ちた。彼の口から、微かに青白い光が漏れ出している。どうやら、衝撃に耐えうる味覚の限界を迎えたようだ。苦悶を極め切った表情は、胸を締め付けるものがあった。


「スズムラ!? どうした」


 アレクシスが慌てて駆け寄る。その瞬間、彼の焦りからか、無意識に魔力が発動した。彼の指先から放たれた光が、会場の空中で複雑な魔法陣を描き始める。


「あっ……!」


 私は思わず声を上げた。会場は、再び混乱の渦に包まれる。人々は、その光景に驚き、恐怖し、そして歓声を上げた。彼らにとって、これは全て計算された演出なのだろう。既視感どころの騒ぎではない。私は似たような光景に間違いなく遭遇している。


「今です」


 榊原の冷徹な声が響き私の背中を思いきり押し出した。


 いつの間にか、ステージ上には、私の描いたイラストが大きく掲げられている。

 広場に集まったフォルジェ王国の民衆は、魔法陣の出現と、倒れ込む男、そしてステージに立つ私に、興味津々の視線を向けている。彼らにとって、これは全て絵師アヤノが仕掛ける、ショーの一環なのだろう。


 祭典は、今まさに最高潮を迎えようとしていた。

 混乱のるつぼと化した食の会場。思考回路はショート寸前。

 ステージ中央に立つ私の脳裏に、先ほどの料理対決が走馬灯のように駆け抜けていく。


「では、料理対決の優勝者は……王都の『陽だまりベーカリー』さんです!」


 私の声が魔術拡声器を通して会場に響き渡ると、観客席からは歓声が上がった。

 陽だまりベーカリーの店主は、素朴なパンを抱えて感涙にむせんでいる。

 彼らのパンは、素朴で心温まる味がした。

 アレクシスの初恋シチューの衝撃が強烈すぎたせいか、審査員の満場一致で、市井の皆にも愛される王都のパン屋に軍配が上がったのだ。


 しかし、その瞬間、私の横にいたアレクシスの顔から、みるみるうちに血の気が引いていくのが見えた。彼の瞳には、深い失意の色が浮かんでいる。


「足りぬか、あれでは」


 彼は、私に縋るような視線を向けてくる。

 私が審査員として、彼を選ばなかったことへの、純粋な、そして激しいショックだった。彼の落胆した表情は、私の胸を少しだけ締め付けた。


 その時、会場のざわめきが、ざわめき以上のものに変わった。


「あれを見ろ! 王子だ!」

「まさか、本物がいるなんて!」

「アレクシス殿下が、絵師アヤノ様が描かれた似姿の画題!?」


 どうやら、アレクシスの怪しすぎる変装は完全に看破されたらしい。せめて昨日までの地味なフード付き外套にしておけば良いものを。誰があんな衣装を用意したのだ。


 人々は、彼の完璧な容姿に目を奪われ、瞬く間に会場は熱狂の渦に包まれた。

 大歓声に、アレクシスは一瞬、呆然としたようだった。


 しかし、彼の失意は、熱狂の波の中で、予測不能な行動へと駆り立てていく。

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